連れられたサッカー部は、中々の個性揃いだった。


第8話   桜上水にて 2






別に部活が終わるまで、校門前で待っているだけでいい。そういったはずなのに、いいからいいからと風祭に押されるような形で(もちろん触られたくないので押される前に自分で歩き出したけれど)グラウンドへと連れられた。

相変わらず目立つ武蔵森の制服に、「遅い!」と声を荒げた茶髪で垂れ目の男は、じろじろと俺を眺めた後に、「武蔵森が何の用なんだよ」

「よ、用いわれても」

口ごもる俺へと向かって、「ああー!」と大きな声が、いくつも重なって響き渡った。「なんだなんだまた偵察か」と騒がれる中で、偵察って何のことだと頭を抱えるしかない。
どうすればいいんだろうかとシゲへと視線を逃がしても、ニヤニヤとしているだけで、俺は少し遠巻きに集まる人間に、びくびくとするしかなかった。

その中で、一人、風祭と同じような身長をした眉毛の太い少年、(多分年下だろう)が一歩踏み込む。周りの人間が、「おいサン太」と引き留めるような声をあげた。

「おいお前」
「な、なんや」
「陣中見舞いはないのか!」
「………すまん、なんのことやろ」







グラウンドの端に、俺と並んで立つヒゲのおやじは口元へと咥えたたばこを、人差し指と中指ではさみ、ぷはー、と白い煙をあげた。思わず俺がごほん、と咳き込むと、「お、すまんすまん」とポケットの中から取りだした携帯用の灰皿らしきものを取り出して、火を消してそのまま吸い殻を入れた後、またポケットの中にしまう。
「わるいな、うちの連中は騒がしくて」とどちらかというと垂れた目つきとほんの少し笑いの含んだ口元に、「こちらこそすんません、邪魔してもうたみたいで」と思いっきり頭を下げた。
途中、マネージャーらしい可愛らしい女の子へと小さく手を振ってみたのだが、ふんっ、と鼻で息をしたあげく、思いっきり目線をそらされてしまった。


「ふられたな」
「そうですね。やぁまぁ女の子見れただけでも万々歳ですわ」
「そうか、武蔵森は男子校か」
「名ばかりの共学つうやつです」

桜上水のコーチは、分かったような、分かっていないような顔をしながら、そうか。と呟いた。
お互い無言で彼らの練習風景を見詰めながら、さっきから彼らの間で呟かれる偵察という単語が、ほんの少し気になる。
コーチの横顔を見詰めつつ、「すんません、さっき偵察って」と言葉の断片だけ引き出した。
それで理解したといわんばかりに、彼はほんの少し苦笑した後、ポケットに突っ込んだ手をガサガサとさせて、顔の方向を、俺へと合わせる。

「ああ、暫く前にね、武蔵森の生徒が偵察しに来たんだよ」
「……はぁ、偵察ですか」
「偵察というよりも、遊びにというべきなのかな、あれは」
楽しそうにサッカーをして帰って行った。

そんな最後に呟かれた言葉に、もしかして、と言葉を飲み込んだ。武蔵森のサッカー部員なんて俺は知らないが、堂々と偵察だと言い放ち(みんなが知ってるって事はそうなんだろう)堂々とプレイしてさようなら。
そんな根性の太い事を出来る人間は、俺の知る限り一人だけだ。

「………すんません、そいつ、こう、泣きぼくろのあるヤツでしたか」
「そう。よく知ってるね。友達かい」
「はぁ、ああ、いや、クラスメートですかね」


友達かい。と訊かれた言葉に、一瞬反応ができなかった。はい、と返事してしまいそうになる言葉を、喉の奥でごくりと飲み込み、どうなんだと考える。彼の明るく笑った言葉や、笠井の皮肉めいた言葉の返しを思い返して、はっきりとした言葉が出ない俺の口は、勝手にクラスメートだと答えていた。間違ってないけれど、卑怯な答え方をしたと思う。

目の前の彼らは、汗だくになりながらも、随分一生懸命にボールを追っていた。俺はさっき、夏は過ぎて暑さは逃れたけれど、やはり暑いと感じた。脱いだブレザーは、未だに腰に巻き付いている。こんな風に突っ立ってるだけの俺でさえ、じくじくと首もと辺りがむれるような気分になるのに、彼らは一体何を考えて、あんなに一生懸命走り回っているのだろうか。
そもそも、もっと日差しがキツイであろう夏なんて、どうするつもりなんだろう。風祭の腕なんて、ぎゅっ、と引っ張って、軽く雑巾のように絞れば、ボタボタとスポンジのように水が溢れてくるんだろうか。


「サッカー、したいのかい」


ふいに聞こえたコーチの声に、隣を見てみると、やっぱり変わらない表情のままで、彼は俺を見下ろしていた。「なんでそんなこというんですか」とありのままの疑問を口に出してみると、そう見えたからね、と優しげな笑みを、にこりと微笑まれる。

「そう見えるんですか」
「うん、まぁね。混じるかい、藤代くんみたいに」
「や、遠慮しときます」
「何故だい」

こっちこそ苦笑いで返す事しかできなかった。うんじゃあまぁしょうがないか、とコーチは頷き、ポケットの中から、またタバコを取り出す。
片方の手で、「したくなったら、いえばいいさ」といいながら、俺の頭を撫でようとしたのか、大きな手がふってきた。

俺はそれがあまりにも恐ろしくて「ひっ」と小さな悲鳴と共に、頭をガードするかのように、小さく屈めた。
彼は驚いたのか空中で手を止めて、ぽとりと口元のタバコから灰を落としそうになる。


「こーらオッサン。何俺のお客さんいじめとんの」
「や、苛めてるとかいう訳じゃないんだがな」

休憩にでもなったのか、シゲが金色の髪を揺らしながら、首もとに巻いたタオルで汗を拭き、もう片方にはペットボトルを握りしめている。
そのままこっち来い、と手をパタパタと寄せる彼を見て、コーチに本当にすんません、と頭を下げつつ、彼の後ろへと駆け寄った。


中くらいの木が、砂が巻上がるグラウンドに沿うように、点々と配置されていた。シゲはその一つの木の下に、慣れたように幹へともたれかかり、ほらお前も、といわんばかりに隣を叩く。軽く風が足下を通った。


「まだ暑いわ」
「うん、そやな」
「ふざけとるわな」
「しゃあないけどな」
「あと10分くらいで休憩終わりやねん」
「大変やな。俺シゲがサッカーしとるなんて思わんかったわ」
「ちっさい頃、ようしとったやん」
「………そうやったかな」


もちろん、覚えている。俺はシゲからサッカーを習った訳だし、シゲは俺にサッカーを教えた。
けれども俺は知らないふりをして、幹を背に腰掛けたまま、差し込む光を見詰めた。風が吹くたびにサワサワと足下の影を揺らして、時々顔を照らされる。(あつい)

「なんできたん?」

随分唐突に、いわれた。頭の中で言葉を飲み込む前に、「別に来るなっていいたい訳ちゃうで」とさして慌ててもいないように、ゆっくりと言葉を紡がれる。
うん、俺も来るとは思わなかった、という台詞を、ごくりと飲み込んだ。

「やって、なんかごっつ嫌そうな顔しとったやん」
「そうなんかな」
「しとったで。俺こりゃあ人違いかなて思たもん」
「すまん」
「ええけどな」


とぎれとぎれな言葉を、のんびりと繋げ合って、短い会話ができあがった。なんで俺は、桜上水になんて来たんだろう。シゲに会いたかったんだろうか。ただの興味本位だったのだろうか。(よく、わからない)
そろそろ、わからないという事実さえも分からなくなってきた。どうしたらいいと訊く前に、どうしたいんだと言葉を変える。けれども、やっぱりだめだった。

「俺な、多分シゲにいいたい事があんねん」
「なんや」

あとどれくらいこうしていられるだろう。5分か、そこらだろうか。だったら、ギリギリまで引き延ばして、いっその事なかったことに出来たらと考えたけれど、そんな事出来るわけもない。
刻々と動く時間の秒針に押されて、噛みしめた唇から、ほんの少し言葉を滑らせた。

「ほんま、すまん」

謝りたかった。それでどうにかなるといわれたら、どうにもならないような気がするし、お前の気が晴れるだけで、何の意味もないといえば、そこまでだったけれど、俺は体育座りのような格好をして、膝の間に顔をうずくめる。
だからシゲがどんな顔をしているか見えるはずもなかったけれど、少なくとも怪訝そうな顔をしているだろうな、と予想はつく。「なにがや。こないだお前がえらい無愛想やったことか」 やっぱり、怪訝そうな台詞がついていた。

「ちゃう。もっと、前や」
「前」
「最後に、お前と会ったときや」


めかけの子どもって、いったときや。そこまでいおうとして、やめた。

暫く、何秒だかの沈黙が流れた後に、シゲが身じろぎをする音が聞こえる。ペットボトルの蓋を開けた音。幹と、背中がこすれる音。
(俺の、心臓の音)
オネーチャン、俺、頑張っただろうか。きちんといえただろうか。

「何のことか、わからんわ俺」


突然ぶち破られた、カラカラと笑う声に、思わず顔を上げた。すると俺の顔をのぞき込むように、意地の悪い瞳を浮かべていて、「わけわからんわ」とシゲは肩で笑う。
明るく、底抜けに明るいような、シゲの笑い顔を見て、俺は体の力が、片っ端から抜けていくのを感じた。だって、これは、嘘だ。
(嘘だ)

だったら、俺があんなもの見てしまったはずがないし、シゲは、きっと覚えている。覚えているのに、忘れたとこんなに簡単に笑えてしまう。(わからない)俺は、シゲが分からない。
人間というものは、こんなに簡単に、本心を隠すことができる生き物なのだろうか。
もしかして、彼はこんな風に明るく笑いながらも、俺の事を、くたばっちまえと考えているのかもしれない(いいや、シゲは、そんなヤツじゃない)
分かってる。きっと、俺は忘れているから、お前も気にするなと、そういいたいんだろう。

(けれども、違ったら?)


くたばれ


耳の後ろ辺りにぞわりと響く声に、寒気がした。そんな事シゲはいわない。いうわけがない。けれども、そう考えていたら?


くたばっちまえ、


どろどろと引っ張り込んでしまいそうな、低い低い声の響きに、思わず耳を塞いだ。けれども響く声は、俺の頭の中から、とぐろのような渦を巻きほんの少しずつ体を浸食する。食い散らかす。(さわれば)
シゲが、そう考えていたら、どうしよう(さわれば)ほんの少し、シゲは眉をひそめて俺の顔をのぞき込んでいる。(さわれば)なんやどうしたんや。あつくてのぼせたか、だいじょうぶなんか(さわれば)のむか、ほれペット。えんりょせんと、ほら(さわれば、わかるかもしれない)


シゲから差し出された指先を、ゆっくりと包み込むように、俺は握りしめた。
ひんやりとした感覚が手のひらに伝わり、どろどろと重たい膜がかかっていた脳みそを、ゆっくりと覚醒させる。

「…………っ、すまん」
「うおっ」


掴んだ指先を、俺は勢いよく、はじき飛ばした。
見えなかった。見えなかった。見えなかった。俺は、今、何をした。
(見えたらいいと、思ったのか)

遠くの場所で、女の子の声が聞こえた。はいはい休憩おわりー! ほらほら私もさっさと練習したいんだからさっさと集まるほらほらー!
シゲは腰を浮かせて、グラウンドへと足を進めた。「俺、戻るけど、はどないする」

俺は、帰る。

抑揚のない声が、俺の喉あたりでごろついてはき出された。「ほな、またな」
またな、という彼に、俺は開いた唇を噛みしめて、じゃあな、という事しか出来なかった。





バスに乗らなければならない。
それくらい分かっていたはずなのに、体は火照った道を歩き続けていた。
足を引きずるように歩くと、白い運動靴がガリガリとこすれる音がする。元々ない土地勘に、自分が歩いている場所なんて分かるはずもない。ただ何本と電柱が並んでいた。灰色の場所だ。
(俺は、あのとき、何を思った)


大丈夫かと伸ばされたシゲの指を、ひっつかんで、一体何を考えたんだろう。(さわれば、わかる)触ってしまえば、彼が、何を考えているか、分かるかもしれない。
頭の、一番中心当たりが、そう俺に囁いていた。


(………さわれば、わかるかもしれない、だって?)

何を考えたんだ、俺は。熱せられた電柱に指を置いて、力一杯、握りしめた。赤く充血し、震える指先が目に入る。
(なにを、)


こんな力、いらないと俺は考えていたんじゃないのか。こんな他人のプライバシーを暴くような、最低で、最悪な力。見たくない、見たくない、モノクロの画面の中で目を瞑っても、瞼の裏側で流れる映像に、目を背ける事が出来ない。そうじゃなかったのか。
         もしかして。
もしかして、俺は、望んで今まで見てきたのだろうか。俺は悪くないという免罪符を持って。


「うぷっ、」

突然に、吐き気がした。俺自身に吐き気がした。
何が俺は悪くないんだ、何が何が、他人に関わらないようになんだ、何が、一体何が。
喉の奥から何かが逆流して、ろくに食べていない昼飯の代わりに、すっぱい胃液がこみ上げる。灰色の電柱の足下には粘着のある吐瀉物が、いやな匂いが立ちこめた。口元を手で押さえても、指の間をすり抜けてびちゃびちゃと汚らしくまきあがるだけだった。苦しい。目の端から、ぼとぼとと液体が流れて、一緒くたに地面に吸い込まれる。「うえっ、あぅっ」

いらない。こんな力いらない。見たくもない。助けてくれ。誰が助けてくれるんだろう。藤代だろうか、笠井だろうか、シゲだろうか。
(誰も助けちゃくれないよ)

くたばっちまえ

キンキンと高い音が鼓膜に響いた。くたばっちまえ。一体これは誰の声なんだろうと考えた。それは俺の声だった。


くたばっちまえ、お前も何も、全部全部、一緒にくたばっちまえ


(………くたばっちまえ………)
口元についた胃液を手の甲でさすったけれど、特になんの意味もなかった。
くたばっちまえ、くたばっちまえ、くたばっちまえ!



誰かの暖かい手のひらが、俺の背中を撫でた。体中の毛が逆立つような感覚と共に、「お兄さん、辛そうだけど大丈夫?」とあまり若くもなさそうな女性の声が聞こえる。さわるな! 叫ぼうとした。けれどもやっぱり、何かが見えた。


モノクロノイズに砂嵐。
ぶれた視界を覗けば、ああまたいつもの光景だと瞼も閉じずに、ほんの少しずつ浮上するような感覚に、身を任せた。
けれどもすぐにすとんと体が下ろされる。
見える先にはモノクロでもなんでもない、唯の変わらない視界だった。背中をさする誰かの感覚が、妙にリアルだ。(………みえない?)



駆けた。誰かが引き留めるような声が聞こえたが、そんな事関係なかった。大きなアーチに見慣れない名前が書かれた商店街へと駆け抜けた。
他人の進行方向と反対へと向かい続けて、誰かの肩がぶつかって、その度に舌打ちや、文句が聞こえる。
けれどもそれ以上に壊れたラジオのようなノイズが、耳の底にうずめいては消えた。砂嵐が、暴れてから、すぐさま消え去った。
(みえない)


やっとこさ走る事もやめて、ぽつんと突っ立ったときには、赤い夕日がビルの怪獣を飲み込もうとしている。べとりと汗でひっついたYシャツを顔へとひっぱって、泣いた。

(なにも、みえない)




何の涙なのか、よくわからなかった。







  

2008.07.28