さよなら




笠井竹巳は忍者だった。不審な電話を受け取ってほんの少し考えた。相手の番号が堂々と表示されていた電話。警察に届けるべきか、と考え、自分一人で動く方が効率がいいと判断した。くん、と鼻をひくつかせる。においがする。「こっちか」と彼はひょいと顔を移動させた。それはさながら、飼い主を見つけようと鼻をひくつかせる犬のようで猫だった。


そして見られた。


お互い呆然としたような表情をして、いそいそと俺はの腕を結んでいた紐をといた。は「ありがとう」と言って、俺も「どういたしまして」とお互い頭を下げた。
何をやっているんだろう、と思いながら、俺はの手を引いた。「竹巳」「なに」「プレゼント、何がいい?」

よく分からないから。
俺はの手を引いて、気絶していた男たちを踏みこえて、そのまま帰宅した。出席日数にお互いペケ一つ。変わったことといえばそれだけ。
その日から、のやっかいな体質はなりをひそめた。

「つまり、人生の危険を使いきってしまったということだろうね」

父は人差し指を立てながら答える。
「あの子のお母さんもそうだった。いきなりわっと危険が襲ってきて、ピタリと止まって、それだけだよ」

なるほど、と納得した。それだけだった。



「竹巳、中学どこにいくの」
「普通かな」


は訊かない。それが気を利かせての言葉なのかよくわからない。といる時間が減った。そもそも、護衛対象としてそばにいただけなのだ。いる意味もない。そう言えば、彼女は好きな男ができたと言っていた。だったら自分がいない方がいいだろう。そう言って納得した。

藤代誠二からの誘いもあって、武蔵森の中学を受験することにした。と同じ中学に通う気には、とうていなれなかったのだ。

(なんだろうな、これ)

気落ちしている訳じゃない。喜びこそすれ、落胆する必要はないはずだ。よかったじゃないか、危険などなくなって。自分も当たり前の中学生活を謳歌すればいい。けれども、たぶん、これは

(居場所がなくなったように感じているんだろうな)


そして俺は武蔵森に入学した。
には何も言わなかった。








そして私は公立中学に入学した。
おかしいと思ったのだ。入学式に竹巳がいない。一緒に行こう、と家に言いにいったのにいない。武蔵森の全寮制に入ったのだと聞いて、私はしばらく空いた口がふさがらなかった。いや、待ってください、いやいや待って。竹巳って、「……忍者なのに?」

そう言えば、この頃あんまり危ない出来事に出くわさない。信号無視をする車もいないし、頭に鉢植えが降ってきたりもしない。だからなのだろうか? だからもう、お前はいいよ。と放置されてしまったのだろうか。

(そう考えるのは変だ)

竹巳は護ってくれてたのだ。そうじゃなくなったからって怒るのは理不尽だ。あれは、竹巳の善意だったのだ。そういえば、あれから竹巳は変だった。遊ぼう、と言っても用事があるから、と言ったり、誠二と会うから、なんて言っていた。変だなぁ、と思ったけれど、それ以上考えなかった。私は私で、どうやって竹巳にプレゼントをしたらいいだろう、とそれだけに頭がいっぱいだったのだ。

おバカな私は、竹巳に避けられている、ということすら気付かなかった。

竹巳はサッカー部に入ったらしい。レギュラーだそうだ。だから忙しくて里帰りをしていない。とはいっても、お正月は帰っているに違いない。それでも会いにいかなかった。行ける訳がないじゃないか。私は思いっきり避けられてしまったのだ。
どんくさいなぁ、と頭をひっかく。だいたい、私はそんなことをしている場合じゃない。頑張っているのだから。何をって、もちろん、勉強を。そして、編み物の腕をあげることにも忙しい。





「タク、同じクラスー!」
「痛い、誠二」
「なんで俺まで……」

水野がぶつくさと文句を言っている。なんだか妙な気分だ。高校の制服は、別に中学のときのものとそんなに変わらなかった。よう笠井、と言うように先輩達がこっちに手を振っている。同じ寮生だとしても、やはり高校と中学では違う。部屋だって変わる訳だし。
「お前までうちに来るとはな」「うるさいな」なんてお互いバチバチと火花を散らしている水野と三上先輩はさておき、俺はざっと辺りを見回した。

入学式は男女混合だった。中学のときも行事ごとは男女混合だ。結局これから男は男、女は女、とクラスが別れてしまう訳だけれど。
高校は別だとわかれるクラスメートも多い半面、新しい生徒も多い。ああ知らない顔だなぁ、と誠二と一緒に辺りを見回し、「おっ」と三上先輩が口笛を吹いた。「結構可愛い子がいる」「え、どこどこ?」「でもなんかでかい荷物持ってね?」

食いついたのは誠二だ。渋沢先輩が困ったような顔をして、「そういう風に批評するのはどうかと思うぞ」と三上先輩をたしなめている。中西もどこどこ、と顔を移動させて、水野は興味がなさそうな顔をしている。間宮はどっかに消えた。トカゲと戯れに行ったんじゃないだろうか。

「あっ」

誠二が妙な声をあげた。なんだろうな、と思いながら、くん、と鼻に妙なにおいがついた。悪いにおいではない。いいにおい。かぎなれた匂いと、覚えのある足音。普通の人間には聞こえることのない、些細な音。

「「「あー」」」

今度は複数人の声が重なった。そしてぼすり、という音がしたかと思うと目の前が真っ暗になって、妙に顔がゴワゴワする。熱い。すぽんっと顔がぬけた。なんだこれ、と思ったらセーターだった。深緑色で、ブレザーの上からむりやり着せるのはちょっと無理なんじゃないかな、とか思う。

「まだまだあるんだからね」といいながら彼女は紙袋からマフラーやら手袋やら、またまたセーターやらを取り出す。「ちょ、ちょ、ちょっと待って」やっとこさ俺はセーターを脱いで、その女の子の顔を見た。

あれ、と隣で誠二が瞬きをしている。「誰だ? それ」と三上先輩が眉をひそめた。じーっと、彼女はこっちを見ている。「笠井の知り合いか」と渋沢先輩は目を白黒させた後、俺の持っているセーターを見て、「中々うまいな」と目をきらりと光らせた。この人主婦だから。


女の子は随分背が低くなっていた。いいや違う、俺が大きくなったんだと思う。それにちょっとだけ匂いが違う。昔よりもいい匂いだ。髪の毛も伸びていて、体つきが丸くなっている。ああ、可愛い、と言われていたのはこの子かもしれない。もう小学生じゃないのだ。俺は彼女の名前を呟こうとして、飲み込んだ。そうしてると、水野が眉を寄せながら、「笠井の彼女か?」と首を傾げる。
そのとき彼女は俺の首にマフラーを巻いていた。「違います」 恐ろしく、すっぱり。「幼馴染のボディーガードです」

へぇ、ボディーガード……なんて軽く周りは流され、ぎゅうう、と彼女は俺の首をマフラーで絞めてくる。何がしたいんだろう、そしてこれはなんだろう、と思うのに、声が出ない。絞められているからではなく。
あ、泣きそう。

俺がじゃない。彼女が。ずっと昔から見てたから分かる。唇をかんだ。やばい、この子泣く。「すみません!」と周りに一声かけて、俺は彼女をひっぱった。手をつないだ。人気のないところまで連れてった。
指が細い。こんなんじゃなかった。


「竹巳」

声まで違うような気がしてきた。

「竹巳は、忍者、だったんだよ、ね」
「うん」
「護ってくれてたんだよね」
「まぁ」
「ありがとう、ってことで、色々プレゼントしようと思いまして」
「それがこれなの」
「三年はちょっと長すぎまして」
「はあ」
「何かいいたいことは」
「よくうちの高校に来れたよね」
「勉強を。頑張りまして」

なるほど。と頷く。
それだけ? とは首を傾げた。だってそれ以上に言いようがないじゃないか。てこてこと、の中を歩いて行った。校舎裏にて、やっと人が少なくなったところで、がコケッとバランスを崩した。手に持っていた紙袋の中身までぶちまけそうになったところを、俺が支える。ぽすん、と胸の中に女の子が納まった。
相変わらずこけてるんだな、とか思う。これは危険とか血筋とか関係なく、ただの性格だったのか。「なんていうかその」 俺の胸の中に頭をのっけたまま、は呻く。

「さみしかったんですよ」
「はい」
「色々、私にぶいなぁ、って思ったりで。そういうの抜きにして、何考えてるかなぁ、って思うと、さみしかったんですよ」
「はい」

なんで敬語なんだろう。と思ったけれど、俺もなんとなく敬語だった。っていうか俺、家に忍者ってことはばれちゃダメなのに。いいや、もうを護衛する必要はないからいいのだろうか。

季節がら苦しいマフラーをしたまんま、俺はを見下ろした。はぐいっと顔を見上げて、俺のマフラーを端からぎゅっと締めつけた。そして思いっきり下へと引っ張った。
キスされる。

そう思ったのに、現実は違った。がごんっと見事な音が響き、頭と頭をぶつけあった。意外と石頭な彼女に驚きつつ、俺は深く唸る。痛い。「さみしかったんですよ」 そしてもう一回言った。

何かを言って欲しいんだな、と思った。俺は逃げていたんだと思う。俺はうん、と頷いた。しびれるでこを無視して、の肩へ頭を乗せた。「俺も、多分」 うん。とも頷く。

そういえば、なぜかそのとき思い浮かんだのだ。

家には気づかれず、護衛をせよ。その掟は絶対である。祖先からの忠誠を誓う主である。

けれどもそれだけ。ああ、じゃあいいのかな。友達になっても。ボディーガードというだけじゃなくて。
好きになってもいいんだろうか。
そう思った自分が恥ずかしくて、他の言葉で口をつぐんだ。


「主を寂しがらせるのは、従者失格だな」






高校入学、おめでとう。


 


1000のお題 【644 記憶にある香り】
2010.12.18