5 わんこのおんがえし

ろくもんが、何かを奪われてしまったような表情で、「ふうーん……」とさみしげな声を出しながら、頭を部屋の端にくっつけてしょんぼりとしていた。さすがに性別を確認を、とと二人がかりでひっぺがして、「おっほほほ、これはオスですなぁ」「オスですなぁ、姉ちゃん」「ふははは」「ふひひひ」と悪役笑いをしてしまったのがダメだったのだろうか。いや、犬がそんなことを気にする訳がない。

でも一応、可哀想になったので、「まあまあろくもん、そう気を落とさずに。さあ、前を向いて歩いて行こうよ」とわんこの隣で体育座りをしながら、ひょいっと真っ白いお顔を見つめてみた。するとも同じポーズをしながら、「姉ちゃん適当な慰め台詞はやめてあげなよ」「適当じゃないよ。力の限りパトスを込めたよ」「ぱとすってなんだよう、小学生にもわかるように説明しろよう」「ラブ注入したってことだよ!」「たのしんごかよー!」

意味わかんねぇよー、としくしくするを無視して、「ろくもーん?」「ぷすう」 とうとう鳴き声以外の声まで出してしまっている。がじいっとろくもんの顔を見つめた。

「なんか、このろくもん、一生の不覚って顔している」
「それは随分武士なわんこだねぇ」



***



この幸村、一生の不覚である。

俺は奪われてしまった何かを求めるように、すっくと四本足で立ち上がり、彼ら姉弟の間をてこてこ通り過ぎ、また反対側の部屋の端へと移動した。丁度の端っこに鼻をつっこんで、尻尾をぱた……ぱた……と寂しく揺らす。おなごに見られてしまった。いや、今のそれがしは犬畜生であるので、そのようなことを気にする必要はないのかもしれぬ。いいやいいや。いかなるときも、俺は武士だ。その武士が、おなごとわらしにあのような恥辱を受けようとは。


(…………出てゆこう)
そうだ、出てゆこう。恩はいつか返す。しかし、次また同じような目に遭うことを考えると、俺は恐ろしくて身震いがした。もともと、一泊程度世話になるつもりなだけだったのだ。それがどうだ。俺は甘えきってしまっている。たとえ摩訶不思議な場所であろうとも、このように腐りきった根性では、武田の家に見せる顔もない。親方様の拳を食らってしまう。

「…………わふー………」
いざ、ゆかん!


俺は立ち上がった。そして彼ら姉弟に最後の挨拶をすべしとすたすたと四本足を動かす。ほんの少しふろーりんぐには手間取ったが、なんということもない。椅子に座っていたが、俺を不思議気に見下ろしていた。俺はおすわりをして、「今まで世話になりもうした!」と伝えた。ちなみに音で笑わすと、「わふっ、わふわふ、わおーん!」 と言う感じであるだわん。

はパチパチと瞬きをした後、「それはごていねいに……」と呟いた。わふん。一瞬何か違和感があったような気がしたのだが、俺は気にせず、次だ殿だ、とすたすた歩く。

殿は、前掛けをしており、俺はポポッと頬が赤くなるやと思った。まあ今の俺は真っ白な毛で覆われているので、そのような心配は必要ないのであるが。これは可愛らしい。そう思ったのだが、ぬぬ、俺というやつは破廉恥である、と口をつぐみ、俺はすとん、とおすわりをする。「わおん」「あれ、ろくもんー? こらこら、お台所に入って来ちゃダメでしょー」

しっしっと手のひらで払われたのだが、いいや、話がある。それがし、今日でこの家を去りまする。今まで世話になりもうした! と口を開いた。殿はぽかんとして俺を見つめていた。そして俺の目の前にすとんとしゃがみ込むと、じーっと俺の瞳を見つめる。「…………あ、お腹へってるの?」 違うだわん!!!

違うだわん、違うだわん、違うだわんわん! まったく通じてないだわん!

あまりの見当違いの方向に、思わずわんわん突っ込んでしまったのだが、仕方がない。挨拶はさせていただいたそれではまた、人に戻ったときに失礼しまする、と俺は尻尾をぱたぱたと振って、くるりと背を向けた。その俺に、「おーい、ろくもんー」と声を掛ける殿の声がする。止めないで頂きたい。俺はくるりと振り返り、「わおん」と呟いた。


「ソーセージなんだけどいる? 端っこ余ったから」
「わおん!(いただきまする!)」

ご飯でござるご飯でござるとむぐむぐ口に含み、「あららー、かわいいなー」とにこにこ笑う殿の顔を見ていると、俺は自分が何をしようとしていたのか、すっかりと忘れてしまった。とりあえずその日も欠伸をしながら床に丸まり、ぐっすり眠ってしまった。





  

2011.09.25