赤い、毒々しい薔薇が脈打っている。とくり、とくり。はなひらく。まるでこちらを誘う乙女のようだ。
(奇っ怪な形だ)
覆いかぶさったローブで口元を隠した。合図があがるごとに、火の矢が舞い上がる。平原を燃やし、退路を削る。弓兵に与えられた役割である。スカーレティシア城にこれでもかと食らいつく薔薇が、うめき声を上げた。ように、聞こえた。火矢が辿り着いたのだ。(いける)

ありがたいことにも、風の欠片がこちらを後押ししていた。あの緑の法衣に身を包んだ少年の魔力が薬の散布のみならず、あちらに向かうように、そこいらを踊っている。末恐ろしい少年であると、改めて感じた。

火の紋章を、ふんだんに使うことができたらよかったのだが、そうはいかない。残念ながら、紋章はお高い。財源の確保は、いつの時代の天魁星達の頭をひねらせる。とは言っても、この戦いで勝利すれば、その問題も解決するだろう。五将軍であるクワンダ・ロスマンを破り、ミルイヒ・オッペンハイマーもとなれば、世論は今以上にトラン軍に流れるだろう。

そうこう考えている間にも、弓兵達は火矢を繰り返した。とにかく、油と布がなくなるまで打ち尽くす。見晴らしがいい分、こちらも狙いやすい。と、なれば逆もしかり。幾人か、狙われた矢に部位を貫かれる。地面に縫い付けられた自身の腕や、体に悲鳴が上がる。すぐさま矢を抜き、手持ちの血止めを塗り込む。悔しげな顔をする男たちの背を叩いた。限界だ。
     撤退ッ!!!!!」

弓兵の長が叫んだ。いい判断なのだろう。もともと、軍師から指示を受けていたのかもしれない。手持ちの材料も、打ち尽くしたところだ。「散開しろッ!!!!!」
一部に逃げては狙い撃ちをしてほしいと言っているようなものだ。自身の欠損を抱えて、走れるものは足で走る。そうでないもの達は待機した馬に載せられ、後方へ下がる。同じく、男衆達のように駆ける足のない私はそちらに同行させて頂いた。(やはり前線に出るべきだった) 自身が作成したとも言える薬の結果を見届けたかったということもあるが、こちらはある程度予想はついていた。
ただ、あの奇妙な薔薇。
そちらに対する興味、と言えば言葉が悪いが、はっきりとこの目で確かめたかったということがある。




「あれは、間違いなく紋章でしょう」

ただの植物とは、どう考えても思えない。ついでに言うのなら、魔力もしこたま溜め込み、すっかり肥えてしまった毒花だろう。腹の中に溜め込んだ魔力を毒として放出する。なんとも恐ろしい植物だ。「やはり……そうでしたか」 私の報告を聞きながら、マッシュは細い瞳の上に眉根を寄せながらも顎をいじる。ある程度、予想はできていた。

「ミルイヒといえば、あの見た目ではわかりづらいところもあるが、彼は武人としても知られている。それがあのような姑息な手にはしるというところも、何やら違和感がある」「……ごもっとも」

とは返事をしたものの、私も下々達がする噂以上に、彼のことを知るわけではない。ついこの間まで、日銭を稼ぐただの行商人だった。曰く、自身の家は花だらけであると。曰く、ちょびひげであると。曰く、ミルイヒの領地は花に囲まれ、さぞや美しい……と言われていたはずが、最近は税を無意味やたらと増やしていき、評価はだだ下がりだ。だからこそ、領地の開放を行うべくトラン軍が奮闘をしているわけなのだが。

「ブラックルーン……。クワンダ・ロスマンから報告は受けています。ウィンディから与えられた紋章をつけた途端に、自身の思考がねじ切れてしまうのだと。それと引き換えに、力を得る」
「……ウィンディ、ですか」

また新たな手段を作ってきたな、とため息が出た。長く生きると、悪知恵ばかりが回るようになってくる。「だとすると、殿には少々辛い選択をしていただくことになるかもしれん」 呟くような言葉に、彼の心境が垣間見える。
彼の母親代わりであった青年が、ミルイヒに殺されてからまだ日も浅い。ただそれも、操られていたのだとしたら。

互いに無言で先を予想する。私と話しているようで、おそらくマッシュは自身の思考を煮詰めている最中だ。テントの中には、次々と報告が駆けてくる。そちら一つ一つにうなずきながらも、マッシュは伝令役を呼びつけた。頃合いなのだろう。

「……とりあえず、大規模な魔力は今のところ感じません。あの馬鹿でかい薔薇も、もとはただの植物でしょう。火を与えれば、なんてこともない。不安なら軍主に炎が得意な魔術師をつけれていけばいいでしょう」
「……ふむ。人選を入れ替えよう」

私ができる報告は以上だ。「あとは……ルックという少年が、いい仕事をする。それくらいですね」「参考にしよう」

面倒なことを、とじっとりとこちらを睨む少年の姿が目に浮かぶ。ミルイヒの軍を退け、城に飛び込む先行部隊として選ばれた中には、あの少年も腹立たしげに杖を握っていた。残念ながら、私はその中に組み入れられるほど得意があるわけではない。毒の患者の次は、傷ついたものたちの看病だ。どちらかと言えば、こちらの方が本業とも言える。

(しかし、ブラックルーン……)

いつの間に、ウィンディはそんなものを生み出すことができてしまったのか。
人の意識を踏みにじる紋章。確かに今までの歴史の中では前例がないわけではない。ただそれを好き勝手に生み出し、利用するとは苦々しい話だ。
なんとも、面倒な手腕を手に入れたものだ。






2018-02-08