このページの文章は、おそらく随分先になると思われる、 ゲーム本編あたりの時間軸のお話です。 主人公以外の、名も無きメイドさんからの視点のお話となります。 私は新人のメイドさんだ。 黒い特徴的なメイド服は未だに袖を通しなれていなくて、ほんの少しごわごわするし、お貴族様のお屋敷につとめるだなんて、ちょっとの失敗でピシリと首をはね落とされてしまいそうでビクビクものなのだが、その分お給料はいいし、使用人への対応も悪くなくて、住み込み食事付きという素敵な職場に、「太っ腹です流石ファブレ家!」と両手を打って拍手を送ってやりたい気分だ。 しかしながら一番の下っ端の私。一体どんな辛いお仕事が待ち受けているのかと初日は緊張して眠れなかったものなのだけれど、なにやら私は一人の少女の専属メイドとなってしまったらしい。 てっきり初日から屋敷の端っこから端っこまでぞうきんがけをするのよさぁお一人で! アラアラ埃が端っこについてしますわよやり直し! とか新人いびりが始まるものだと考えていたので、すこん、と拍子抜けしてしまった。 けれども、とまた次の瞬間に嫌な予感が巡る。 もしかしなくとも、私のご主人様は誰もが匙を投げるたいそうな我儘ガールだったりするのかもしれない。 頭の中でぶわわと思い描いた少女の姿に、またまた一人で頭が痛くなってしまった。「こんなマズイメシを食べさせる気!? 豚のご飯にもならないわ!」「こんなダサイ服着てられない! あなた新しい服を作りなさい!」「ああつまらない。ちょっとアナタ、腹踊りしてごらんなさい暇つぶしに」 あらん限りのお嬢様像を思い浮かべ、彼女のお部屋らしいつるりと丸い取っ手のドアをぐいっと握りしめた。 開けたくない。時間よ進むなアウト一発。 けれどもそんな訳にもいかず、私はゆっくりとドアをノックする。 「はーい」 予想外に柔らかい少女の声に、ん? と首を傾げ、私は「失礼します」と部屋の中へと身体を滑り込ませた。 伏せがちの視線の先には、少女のちょこんとした足先が見える。 ぐ、と息を吸い込み、胸の中へと溜め込んだ。何をいえばいいんだろう、と真っ白になった状態で、何故だか涙がこみ上げてくる。綺麗な赤い絨毯が嫌みったらしく、もういやだ! と叫びたくてたまらない。 (何を、いえば、いいんだ、ろ) 今更ながらに、指先がガチガチと震えた。彼女は私の雇い主と同等で、王家とも連なるお貴族様だ。なんで私はそんな彼女の目の前に立っていてこうべを垂らしていて、そして声が出ないくらいにぶるぶると緊張しているんだろう、一体なんでなんだろう。 どうしよう、どうしよう、と渦巻く気持ちと、さっさと適当に何かの台詞を言わなければならないという焦燥感に駆られても、やっぱり頭の中がぐちゃぐちゃと整理しきれなかった。 ふらりと足下が動き、後ろの扉へとぶつかるようにぐらついたときに、ふと、優しい声が聞こえた。 「………あ、もしかして、新しいメイドさん、ですか?」 ですか? 一体自分は何をいわれたんだろう。「さっさと発言しなさいよ」でもなく「クビよ」の一言でもなく、ですか。 弾かれたように頭を動かし、私は彼女の姿をはっきりとその目で捕らえた。 流れるような赤髪と碧眼は、キムラスカ王家に近しい印だった。露出が少なく、しっかりと服を着込み、平均よりも少し小さめだと思われる身長を、ピンと背筋を伸ばしていて、にっこりと優しげに口元には笑みが浮かべられていた。 素直に可愛いなぁ、と思える容姿はほんの少し幼いが、16になったばかりだと聞いた。 ぼけっと私は彼女の顔を見詰めていると、彼女はきょとんと目を瞬かせた後に、自分のほっぺをぺたぺたと触り、私を見上げた。 「………もしかして私の顔、何かついていますか?」「い、いえっ」「あ、よかったです」 はにかんだ表情は、本当に何処にでもいそうな印象の女の子だ。 本当に、彼女なんだろうか、と私が疑問に思い始めた頃、ごく自然のように、またまた彼女はにっこりと微笑み、「初めまして、・フォン・ファブレといいます、よろしくお願いします」 とぺっこりと頭を下げた。 主人が使用人に頭を下げるだなんてとんでもない。 一体全体、と私は一瞬意識がぶっとびそうになってしまったのだった。それがファーストコンタクト。 「…………あのっていう子、本当にファブレ家の長女なんですか?」 純粋に考えた疑問を先輩の一人へと口に出すと、彼女はぎっときつく双眸を睨ませて、「、様」「す、すみません」 確かに雇い主を呼び捨てにするだなんて言語道断だ。 もう一度、といい直す前に、先輩メイドは「まぁねぇ」と訳知り顔で頷く。 「様の担当になる子はね、みーんなそれ最初に確認するんだもの」 そ、そうなのか、と驚いた反面、ああ確かに、と納得してしまう。 「様はねぇ、メイド使用人なーんでもさん付けしちゃうんだから」 「な、なんでも、ですか」 「そうなんでも」 「もしかして猫はにゃんこさんで犬はわんこさんだったり」 「………いやそれは知らないけれど」 思わず頭の中で、あの赤髪の少女が、にゃんこさん、といいながら指先でちょいちょいと猫と戯れている状況を想像した。………ん、なんか似合うぞ。 ぼけーっと天井を見詰め上げながらそんな事を考えていると、「とにかくね」と彼女は一つくくり上げる。「様のあれは癖みたいなもんで、クリムゾン様も諦めていらっしゃるのよ、だからあんたも気にしないでおきなさい」 そうぽん、と肩を叩かれ、はぁ、と色気のない返事を私は口にした。 「今日はいいお天気ですねぇ」 朗らかに微笑む彼女に、そうですねー、と心の中で私は頷く。独り言なのか私へと問いかけているのか不明な言葉を口にして、テーブルに備え付けられた椅子へと彼女はちょこんと座り込み、手の中にはなにやら難しそうな本だ。文字が小さくて目がしばしばしてしまう。 開けられた窓の外を彼女はじぃ、と見詰め、また手元へと目を滑らせ、「あ」と小さく声をあげながら、彼女からほんの2メートルほど離れ、手を腹よりも少し下へと固定しながら真っ直ぐぴしりと立っていた私へと「あの、どうぞ座ってください」ともう一つの椅子へと手を向けた。 いやいやいや、どうぞ座ってくださいってありえないから、ダメだから、それはないから。ぶんぶんと力一杯首を振ると、彼女はほんの少し残念そうに、「うーん、そうですか」と首を横へと傾げながら眉を寄せる。 あ、これはかなり失礼な態度をとってしまったかもしれない、と考えたのもつかの間、彼女はなんともなかったかのようにまた窓の外を見詰めて呟いた。「いいお天気ですねぇ」 きっと独り言だろう、と考えた台詞も、彼女は私へと目を向け、「ね、ですよね」とにこにこ笑った。「そ、そうですねー」心の中でしていたお返事を口にして、メイドとご主人の会話じゃないだろう、とげっそりとして気分になってしまった。 気むずかしくもなく、朗らかで可愛らしい年下のご主人様。何を申しつける事もなく、にこにこと笑い、本へと向かうご主人様。 楽じゃん。 そんないやいやとんでもない! 彼女にはことごとくマニュアルが通じないのだ。自分の常識が通じない相手が、これほどまでに恐ろしいだなんて考えた事がなかった。 彼女が零した紅茶を拭き取らなければとふきんを取りにとキッチンから戻ったときに、自分で始末し終えているお嬢様なんて聞いた事があるだろうか、少なくとも私はない。 あのときは手にもったふきんが寂しくひたひたと濡れ、彼女が「あ、ご、ごめんなさい思わず」とぺこりと頭を下げた瞬間、とても空しい気持ちになった。いや思わずってなんですか。 嫌いにはなれない。けれども好きにもなれない。あーあ、彼女よりも一つ上の、ルークとかいう少年の専属メイドになった方が、いちいち妙な事を考えずに済んで楽だったんじゃないかなぁ、と思うのだけれど、だからといって担当が代わってくれる訳でもない。 「微妙」 ぼそっと呟いた声は、ファブレ家の廊下によく響いた。慌てて押さえた口元に、誰の姿も映らない。きょろきょろと辺りを見回して、廊下の壁からひょこっと私が顔を出した瞬間だった。 「わひゃっ」 目の前の中々に格好のよろしい青年から、妙な声が聞こえた、気がした。丁度廊下を曲がる直前にいたのか、ぴたりと身体を強ばらせ、整った顔が、ひきつり笑顔へと変わる。 短い金髪の頭に青い瞳。すらっとした体型に、高い身長。これはさぞやもてるであろう、もてる男の集大成のような青年は「すまないな」と私へと一声掛けた後に、さかさかと身体を移動させた。 何故かかに歩きのように壁を背にはって、まるで私から逃れるかのようにサカサカサカサカ。 ぶっちゃけ何かの見間違いかと思い二三度瞬きを繰り返したのだけれども、映る景色は変わらない。相変わらずサカサカと高速に動く姿のまま、青年は爽やかに笑って廊下の端へと消えていった。 …………私の目はやっぱりおかしくなってしまったのかもしれない。 彼女の専属メイドとなり一週間、そろそろ私は腹をくくってきた。こんなもんだ、とある程度の諦めがないと、彼女と接する事はできない。おまんまの食い上げだ。 メイドとして言語道断だと考えられてしまいそうであるけれど、今日は私の方から彼女へと話しかけてみよう。それくらいフレンドリーに考えてやった方がいいはずだ。 諦め肝心。 「様、この間、妙な男性を見かけましたよ」 「妙な男性、ですか?」 彼女はやっぱり予想通りに、私からの会話にぽんっと乗っかった。気分を害すどころか、寧ろ嬉しそうだと思えるくらいに、語尾がるん、と跳ね上がっている。 パタン、と本を閉じて私へと向かい合った彼女に、ええ、と頷いた。 「なぜだか、妙な叫び声をあげて、サカサカとかに歩きで逃げていったんです。随分格好いい方だったんですけれどもね」 彼女は「え」と驚いたように口が開いたかと思えば、クスクスと肩を揺らした。右の手を口元へと当てながら、身体を前折りにして、あふれた涙をぐいとぬぐう。「………様?」「い、いえっ」 何故可笑しそうに笑っているんだろう。 気のせいかいつもの何倍も柔らかい表情に、とろけてしまいそうになりながらも、私は彼女の紅茶のカップへと、おかわりをぽとぽとと注いだ。 不思議な出会いは続くものだった。 この前とまったく同じように彼女の部屋から出て、廊下をかつかつと歩いていると、丁度曲がり角で金色の髪の毛が揺れた。「う、うひゃあ!」 大げさまでの叫び声に、思わずこっちの身体まで硬くなってしまい、金髪の青年も身体を固くさせながら、廊下の壁へと後ずさる。 申し訳ない程度ににこっと笑った男前な表情と行動が不一致で、何故だか涙が零れそうだ。サカサカかに歩きでやっぱり彼は去っていった。 取りあえず私は彼の黒いぴっちりズボンをじぃと見詰めた。 彼女とのつきあいは中々に慣れてきた。 彼女の方も椅子を勧める事を諦めたのか、「座りますか?」と訊く事はなくなったけれども、朗らかに流れる空気と会話は案外落ち着くものなのかもしれない。 彼女の兄も、彼女に似ているんだろうか。ふと考えた疑問を彼女へとぶつけてみれば、彼女は目をきょとん、とさせた後に、肩をすくめた。今更ながらに気づいた事なのだけれど、きょとんとする表情は彼女の癖に近いものなのかもしれない。まるで小さな子どもを見ているようだ。 相変わらず彼女は窓の外を眺めていて、何か楽しい事でもあるんですか、と訊いてみるとやっぱりこれにも肩をすくめて、けれども嬉しそうに微笑んだ。 私にはただ数人の使用人と、整えられた庭しか映らない。確かに綺麗だな、と感じるけれども、毎日見て、それでも幸せを感じるものなのだろうか。彼女は私と感性が随分ずれているらしいので、なんともいえないけれども。 やっぱり彼女は幸せそうに笑った。 二度ある事は三度ある。 なんとなく私は、「あ、なんだか来そうなヨカン」と考えて、廊下の曲がり角の一歩手前に待機し、腰を低くさせごくりと唾を飲み込んだ。 タイミングよく飛び出した影に向かって、「ばぁ!!」と両手を威嚇させる。「ヒイイイ!!」面白いくらいに反応した青年は、へたへたと床へとかがみ込んでしまった。 予想以上の反応に嬉しくなる反面、ちょっとやりすぎたかな、と私は彼の手のひらをとろうとした。けれども彼は「うわぁ!」と情けない悲鳴に、ぱちん! と私の手のひらをぶったたく。 脅かされた事に腹でも立ったんだろうか。随分大人げない行動だ、とほんの少し、こっちまで腹が立ってしまった。むっとして、「悪い」と頭を下げる彼に返事もしないでいると、彼は困った風にカシカシと頭をひっかいて、もう一度私へと頭を下げた。 まぁ一応、と「ん」 と私が頷いた事に安心したのか、へたり込んでいた腰を浮かせて、さかさかと彼はその場を後にする。 なんともいえない気分で仁王立ちの体勢のまま彼を見送り、やっぱりなんだか煮えくりかえる感情をもてあまして、彼の後を付ける事にした。またマヌケな行動をすれば指をさして笑ってやろうと考える私は意地が悪いと誰しもが思うだろう。でもムカツクもんで。 身体を曲がり角に半分隠しながら進むと、彼はバッと思いっきり振り替えた。まさかばれたんだろうか! とさっと身を隠し、目線だけよこすと、まるで何か悪い事でもしているように、きょろきょろと辺りを確認する。 何をやっているんだ、あいつは、と考えた瞬間、彼は見覚えのある部屋をノックした。 「はい?」 と、やっぱり聞き覚えのある軽やかな声に、一瞬意識がぶっとびそうになった。 金髪の彼は部屋の中へとささっと滑り込み、音もなくドアが閉められる。 (いやいや、) 見間違いだろうか、とドアの前へと立ち、何度も確認した。(いやいやいや)ドアから聞こえる声は、確かに(いやいやいやいやいやいやいやいやいや!!) 「よう、」 「ガイさん」 (嫁入り前の女の子が、男を部屋にいれちゃまずいっしょーーーー!!!???) 流石に大きな声を出す事ができず、彼女の部屋の前でぶるぶると身体を震わせる。思いっきりノックして、「様!」と駆け込むべきなんだろうか、そんなんだろうか!? 「ガイさん、ルークさんは?」「おう、ルークは剣の修行中なもんでね、付き合え付き合えって文句がぶうぶうなもんで逃げて来たよ」「ちょっとくらいもダメなんですか?」「おいおい、流石に使用人が坊ちゃんを傷つけちまったらまずいだろう」「……あれ、でも随分前に」「………まぁ、それはそれで」「それですか」「それさ」 (しかもなんか仲いいし!) 流石に、これは問題だ! と私はぐっとドアノブを握りしめた。「様、失礼します!」 大きな声で宣言して、中からの返事も待たずに、がっと扉を開ける。 ごくり。飲み込んだ唾が喉の奥でつまって、心臓が痛い。 「あ、あれ、どうしたんですか?」 部屋の真ん中に、いつも通り椅子へと座る彼女は、手の中の本をぎゅうと握りしめていた。私はぎょろりと目を大きくさせながら彼女の部屋を探る。探る。金髪の彼を探る。 (……………あれ?) 「あのう?」 やっぱり不思議そうに首を傾げる彼女に、「ええっと、」と私は口ごもり、おかしいな、と何度も部屋の中を見渡した。変わらない部屋の中に、ひゅるりと冷たい風が通った。 どこにもいない。そんな馬鹿な。 「あの」 「はい?」 「その、さっき、誰かが、」 「え」 「……あ、いえ、なんでも、ないです」 確かに、この部屋へと入っていったはずなのだ。確かに、声も聞こえたはずなのだ。けれどもどこにもその姿はなくて、ただ、そこはいつも通り開けられた窓のカーテンがばさりと揺れているだけだった。 「ガイを知っているか?」 メイドの先輩へと声を寄せると、彼女はええ、と大きく首を縦に振った。ルーク様つきの使用人よ、と何て事もない風に呟かれ、やっぱり彼は使用人だったのか、とぐらぐらと頭がゆれる。なんでそんな事訊くのぅ? と嬉しそうにツンツンと私の肩を突く彼女は、少々思い違いをしているように感じる。 「そういうのとは違いますよ、だってあの人、まったくもって失礼じゃないですか。それになんだかタラシっぽいし」 伸ばした手を簡単に弾かれた屈辱は未だに消えない。それに使用人だというのに、いくらそんな貴族意識が低い彼女が相手であろうと、女性の部屋へと侵入したに違いない青年なのだ。顔がいいからって許される行為じゃない。 ツン、と私がすましたまま口の中へと昼食を運ぶ。外で食べるご飯は中々別格だった。頂いたサンドイッチに、いつも彼女が見詰めている庭で、腰を下ろす。 つっこんだパンを咀嚼して隣の彼女をちらりと見ると不思議そうに目を丸くして、「なあにそれ?」と肩をすくませた。「何がですか?」「ガイがタラシ、いい響きねぇ」「だってそうでしょう」「あら、なんの話?」 茂みの向こうから、また別の先輩メイドが顔を出す。中々いいご飯スポットと思われているのかもしれない。 最初に話していた先輩メイドは、長い髪を揺らせながら、二つに髪をくくっている彼女へとくすくすと声を弾ませて、「この子がね、ガイがタラシだって」と嬉しそうに笑う。 二つくくりの彼女も、「ええ」と笑った後に、「それはない」「ないわよね」「ないない」 「ないって、なんで言い切れるんですか、わかんないですよう、知らないとこで色々しちゃってるのかも」 あんまりにもすぱっといいきるもので、ほんの少し悔しくなり、パンを握りしめ、彼女達をじろっと見上げた。すると彼女たち二人は、声を揃えて答えた。あんまりにもぴったりに「だってガイってば、女性恐怖症だもの」 暫く単語の意味が飲み込めず、パンの間に挟んだトマトだけが口の中へと入り込み、ごくりと飲み込む。 「じょせいきょうふしょー?」 ありえない。 女が恐い人間が、一緒の部屋に入るのか? そんな訳ない。ありえない。 ぱたぱたと首を振ると、彼女たちは面白そうにガイという名前の使用人について語った。 お互いトントンとはねるように言葉を交互に掛け合う。 頭の上の木々がさわさわと揺れたような気がした。 「女の人は好きだけど、触られると恐いらしいのよ」 「そうそう、その反応がまた面白くって」 「それでも変に紳士なのよね、重い物を持ってくれたり」 「でも手渡ししようとすると、ひいいい!」 「あれは一種のギャグか何かかと最初感じたわ」 「私も」 「あ、やっぱり」 「いやいやいや、ちょっと待って下さいよ!」 いつまで続くのか分からない言葉の間をにゅっと割り込み、面白げに浮かぶ彼女達の瞳を見詰めた。「だったら様は そう言葉をかけようとしたときに、「あっ」と先輩の一人が声を上げ、指をさした。ん? と三人一緒にその方向を見ると、見覚えのある金髪と、赤髪。 一番初めは、ガイと、ルークと呼ばれる少年なのだと思った。彼も赤の髪の碧眼の少年だ。間近で見た事はないけれども、そうなのだ、という事は知っている。 けれどもそれにしては、随分と身長差があるように思えた。遠目で見る限り、ルーク様はあまり身長が高い方ではない、けれども、彼ならば、もう少し高いはずだろう。 誰かが、ぼそりと「様」と呟いた。植木へと手を掛けるガイに彼女が声を掛けたのだろう。誰かと会話するにしては随分と距離を置いているけれども、彼らはお互いに柔らかい空気を醸し出している。 遠目にも、幸せそうに微笑む彼女の表情は、どこかで見たことがある、と気づいた。 『いいお天気ですねぇ』 そう呟きながら、開けられた窓からじい、と外を見詰めていて、『何か楽しいものでもあるんですか?』 と尋ねた私に肩をすくめながら、幸せそうに微笑んでいた表情だ。 ああなるほど、彼女は彼を見ていたのか、とそのとき、ストン、と考えが落ち着いた。 「健気よねぇ」 長く髪を揺らした先輩メイドが、呟いた。それに髪を二つにくくったもう一人の先輩メイドが、「そうねぇ」と頷く。私もうん、と頷こうとしたときに、長い髪の彼女が、もう一つ、ぽそりと呟いた。 「ホント健気よねぇ、ガイったら」 え、と振り返った向こうでは、「うんうん」と二人して頷き合い、んん? と首を思いっきりひねる。あれは思いっきり両思いってヤツなんじゃないんだろうか、と問いかけようとして、様の表情を、またじいと見た。 一応私はこれでも女な訳で、今までにまぁ幾度かは恋というものを体験していて、その度にドキドキとした気持ちや、その他もろもろを知っている。他の人の、その表情も、よく知っていた。 ただの女の勘、といわれれば、それでお終いなのかもしれないけれど。 様は、違う。 あれは恋をしている女の子の顔じゃない。 「ひな鳥みたいね、様ったら」 先輩が呟いた言葉に、うんと頷く。まるで親をすり込まれた雛が、ちょこちょこと後をついていくような、そんな雰囲気なのだ。 「随分小さな頃から、一緒にいるんだものね」 「近所のお兄さんみたいなものなのかしら」 「いつかそのお兄さん、我慢が切れて襲いかかっちゃうかもしれないわよ」 「あり得る」 きゃらきゃらと笑う彼女に、「女性恐怖症なんじゃないですか?」と私が声を掛ければ、興がそがれたかのように、「そうね」と二人して、声を落として、さぁお仕事お仕事、とささっと立ち上がった。 あんまりにも早い変わり身に、ぽかんとする反面彼女らのそれは、彼女らにとっては全部が冗談なのだという事が、なんとなく分かった。私よりも一つも二つも年上の彼女たちは、そんな噂ばなしを面白くするコツを知っていて、その上で、信じるような事でもないとも理解しているに違いない。 私はあのときの彼のように、ポリポリと頭をひっかいて、彼女の部屋へと向かった。 (けど、私は知ってるんだよなぁ) 彼女の部屋に、彼が訪ねた事を。 、と呼びかけ、敬語もどこかへと吹っ飛ばし、仲が良さげにお互いの会話を掛け合う。 コンコン、と叩いたノックに、いつもと同じように彼女は返事をした。「はい?」 いつもと同じように、私は部屋へと入る。 尻尾がぱたぱたと振っている犬のように、彼女はにこにこと微笑んで、こっちへ、とちょいちょいと私の手のひらをつい、とひっぱった。 思わずぽすん、と座ってしまったベッドに、おいおい、と慌てて飛び上がろうとしたときに、彼女はぎゅう、と私の手を握り、「立ってばかりじゃ、辛いじゃないですか」となんでもなさそうに笑う。 椅子がダメならこっちで、とさぞ当たり前に発言する彼女に、またまた頭が痛くなったけれど、ふと、先ほどの会話を思い出した。 (様は、きっと違うだろうけれど) 頭の中で、金髪の青年と、嬉しそうに語り合う彼女たちの姿を思い浮かべる。 しかしながら、そんな事はありえない。身分違いの恋なんて、せいぜい想像の産物でしかあり得ないのだ。 生まれたその家で位が決まるだなんて変な話だけれど、ファブレ家は貴族の中でも名門中の名門だ。何かの間違いでも起こらない限り、そんな事はあり得ないに違いない。 先輩のメイド達だって、そこの所をよく理解しているはずだ。だからこそ、あんなにからりと話を終わらしたのだ。 「様」 「なんですか?」 無邪気に首を傾げる彼女に、私はふと生じた疑問を、尋ねて見ることにした。 「ガイの事を、どう思いますか?」 彼女は一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような表情をして、えええ、とぱくぱくと口を動かす。そしてきょろきょろと視線を泳がせた後に、うっとりと頬を緩ませ、やっぱりいつもと同じように、幸せそうに微笑んだ。 「秘密です」 「そうですか」 私はうんと頷いて、いつか、と考える。 もし、そのときに彼女に浮かぶ表情が、幸せなだけでなく、また違うものがプラスされる時が来たら。もしかしたらそれは、と思う反面、やっぱりなぁ、と自分の考えに苦笑してしまった。 その上で、飛び出した自分の考えが、また突飛で、面白いほどに肩が揺れる。不思議そうに彼女は私の手のひらを、ぎゅうと握りしめる。 私はなんでもありませんよ、と彼女へと微笑んだ。 もしかして、ガイという青年が、どこかのお貴族様だったなら、どうだろうか。 何かの偶然か、そんな関係へと変わってしまった彼らは、何の問題もなく、ハッピーエンド。 誰が何の問題もなく、とっても素敵な大団円。 溢れる笑みが収まらず、ああそんなありきたりな物語が、どこかに転がっていたら、きっと、そう、とても面白いに違いない。 (あり得ないお話かな?) 事実は小説よりも、といわれるけれども。 とある不法侵入者に連れられて、超振動だか何か知らないけれど、ルーク様が消えてしまう、ほんの少し前の話。 TOP じ、地味に長い……。 2008.12.03 1000のお題 【405 グングニル】 |