一緒にチョコを作りませんか?







「あの、ガイさん、一緒にチョコを作ってくれませんか?」

そんな彼女の言葉を聞いて、持っていたクッキーが、ボロッと手からこぼれ落ちた。





「あ、悪い、少し手が滑って」
「大丈夫です。あ、ふきんいります?」
「ん、いや大丈夫」

ゴホゴホ、と喉に詰まった何かを追い出すようなふりをし続けた。相変わらずの部屋に忍び込んで、テーブルの真ん中に置かれた彼女用の菓子を摘んでいる際に言われた言葉だ。部屋の隅には、ちょこんとカレンダーがかかっている。シルフの月、14日。日がな一日、男も女もそわつく日が近づいていた。つまりはバレンタインデーのことだが。

はどうするのか、まあ彼女は渡す相手もいなければ、屋敷とメイドに囲まれたお嬢様には、作る機会もないだろう。うっすらとそう思って、安心とも寂しさとも言えない気分でポソポソクッキーを頬張っていた、その最中だった。「え、いや、え?」 いやいや、よくよく考えてみれば、チョコ、イコールバレンタイン、というわけではないだろう。期待したあとに落下はしたくない。「あの、バレンタインなんですけど」 思わず立ち上がった。「ルークさんにあげようかなって」 落下した。


「あの、ガイさん?」
「ん、いいよ、うん、続けてくれ……」

正直、ある程度の予想はついていた。まあ別に、下手な相手よりもよかったと考えるべきだ。バレンタインは女性から男性に渡す日だというのに、毎年この時期になると、彼女の婚約者候補と名乗るどこぞの知らない男からの“プレゼント”がどしどしと館に送られてくる。まさかそいつらに手作りのお返しを、となったら、しばらく這い上がれる気がしそうにない。

「ルークさん、バレンタインってなんのことかわからないってメイドさん達に訊いたらしくって。よくよく考えたら私もルークさんにあげたことはありませんし、バレンタインと言えば、やっぱり手作りのお菓子かなあって思うんですけど、ルークさんはもらったことがないと思って……」

それでちょっとはイベントごとを楽しんでくれたら嬉しい、というところだろうか。もじもじと膝の上で両手をあわせる彼女を見下ろして、少しだけ頬が緩んだ。そうした後で、「、バレンタインはよく手作りを贈るってことを知っていたね?」 そもそも、彼女はそんな、“手作り”だなんてもらったことがあるんだろうか。今出されているクッキーも、ファブレ家専属のコック達が作ったのだから、手作りといえばそうかもしれないが、なんだかちょっと違う気もする。これはにと作られたものではなく、ファブレ家へと作られたものだ。

はハッと瞳を開いて、あわあわと首を振った。「えっと、あの、め、メイドさん達が、この時期になると楽しそうにお話をしていまして!」「ああ」 ときどき妙に彼女が庶民的なことを言うのは、そこらへんから情報を入手しているからかもしれない。

「まあなんとなく事情はわかったんだが、それでなんで俺と一緒に?」
「あ、あの、手作りっていったら、お台所を借りなければいけないと思うんですけど、少し、言い出しづらくて……あそこはコックさん達のお仕事場ですから、私が勝手に入られてしまったら、困ると思うんです」
「まあ、そうかもなあ」

かくりとはしょげながら頭を落としていたが、まあ事実なのだから仕方がない。彼女が少々この場所を使わせてほしい、となったら、ひどく大げさなことになるだろう。「でもそこまで気にしなくてもいいんじゃないか? 君はこの家の子なわけだし」「でも」 その、とは長いまつげを落として、両手の指をきゅっと握りしめあった。とりあえず、俺は彼女の言葉の続きを待つことにした。「あの、こっそりだったら、いいかなって……。私一人じゃ、不安なんですけど、ガイさんがいてくれたら」

そこまで言ったあとに、彼女は俺を見上げた。俺はじっと彼女を見た。はふいに眉をハの字にして、「ごめんなさい……私、ガイさんの都合とか、ぜんぜん、かんがえてませんでした……」「えっ!? いやいや、大丈夫、問題ない、むしろ」 好都合だ、なんて思ったセリフはちょっとおもいっきり飲み込んだ。

こっそりと言うからには、昼間ではなく夜だろう。みんなが寝静まった頃に、二人でチョコを作る。俺の部屋というわけではないから、隠れる場所も多いし、見つかったとしても、そこまで問題にはならなさそうだ。その上、(が、チョコをくれるかもしれない) いや、絶対くれる。ありがとうございました、という義理な気持ちかもしれないが、確実にくれる。よし、やったぞ、チャンスだ、ラッキーだ、最高だ! なんて思考を、ぼんやり彼女を見下ろしながら考えていただなんて、言えるわけがない。

「大丈夫、手伝うよ。そろそろ時間だな、えーっと、打ち合わせは」
「あとで私、ガイさんのお部屋に行きます!」
「いやそれは」

だめだ、と言おうとした。けれどもコンコン、とノックされた音に、すぐさま俺は窓の外へ飛び降りた。「様?」「はいー!」


とチョコか……)

がさりと茂みの中で頭をひっかいて、にやつく頬を片手で隠した。(当日が、楽しみだ)







部屋に、ノックの音が聞こえる。まさかと思ってドアを開ければ、案の定だ。「、来ちゃダメだって言ったろ」「ご、ごめんなさい、でも」「あーもー、とにかく入った!」 はい、とは頭を下げて、俺の部屋に入った。「あ、ペールさん」 こんばんは、と彼女が声をかけて、「ほほ、お嬢様、こんばんは」と二人一緒にほのぼのし合っている姿を見ると、頭がいたい。彼女が俺の部屋に来ることが、少し定例化しているような気がする。

「ま、打ち合わせるのは、早いにこしたことはないか……」

色々と準備というものがあるし。顎をポリポリとひっかきながら呟くと、はパッと笑った。「はいっ!」「うん……」 腕を組みながら彼女をぼんやり見下ろして、頬をひっかいた。そのあとペールに、「いや違う、これは、少し彼女から頼まれごとをだな」「年寄りはしばらく外に控えておきましょうかな?」「いいよ、別にそんな大したことでもない」

照れを隠したような言葉だったが、言い方がよくなかったかもしれない。慌てて俺はを見た。と言えば、また別の場所に目を向けている。「……?」「あ、あの、あそこにある贈り物は……」「ああ、バレンタイン当日は渡せないかもしれないからってね、早めに渡してくれる人が結構……」 また自身の失言に気づいた。

毎年のことなのだ。なんだかんだといって、女性の多いこの職場だ。どうぞどうぞと渡されるそれらが、すでにずっしり俺の机の上に積もっている。の目が語っていた。ひどく言葉を語っていた。彼女はときどき、ひどくわかりやすい顔をすると思う。今がそのときだ。語っていた。


こんなにたくさんもらっていて、私まで渡してしまったら、迷惑だなあ


(うわああああああ)
その気を使うような目はやめてくれ、やめてくれ、と顔を両手で覆いたい。違うんだ、違うんだ、と声を出したいのに、彼女はうんうん、と暖か気な顔をして頷いている。「きみのチョコが、俺は欲しい!」 そんな言葉を声を大にして言いたかった。でも言えなかった。材料やら、時間やらと打ち合わせをして、彼女を部屋まで送った後、俺は黙々とベッドに突っ伏した。ペールの微笑ましげな顔が辛かった。



(まあ、自分ばかりが欲しいってのもな)
よくよく考えたら妙な話だ。女性からものを送る。キムラスカではそんな習慣が根強いが、また別の地方では、男からものを渡す日でもあるときく。だったらに贈り物を届ける婚約者候補たちの行動は、あながち間違っていないわけだ。「うん」 まあ、だったら、と首元をひっかいた。

のチョコ作りはというと、案外上手いものだった。コック用の台所ではなく、使い慣れた使用人用の小さな台所にて、彼女は黙々とチョコを切って溶かした。俺はよくよく飯を食いっぱぐれて、一人寂しく台所に立つことも多く、料理の腕には自信があるが、菓子作りといえばまた別だ。彼女は包丁も握ったこともないだろうし、さてこのメンツで大丈夫だろうか、とあふれていた不安は、すぐさまどこかに飛んでいった。

「女の子みたいだな」
「はい?」
「あ、いや、もともと、女の子だけど、またそういうのがいいというか、可愛いなと」

失言ばかりだ。
はほっぺたにちょこんとチョコレートをつけて、ほんの少し首を傾げた。メイドから借りたエプロンの裾が揺れている。「ありがとうございます」 それでにこりと笑った。首元をひっかいた。「外を見ておくよ。誰か来たら知らせる」「はい、ありがとうございます。もうちょっとですから」「よし」

台所からぼんやりと明かりが落ちる廊下を見つめながら、また首元をかいた。多分、少しだけ顔が赤いような気がした。



   ***



二人一緒に冷蔵庫の前で待った。ちくたく、と時計の針が動く音がする。「そろそろ固まってますよね」「多分」 冷蔵庫から出しちゃいます、とが立ち上がったものだから、俺も彼女の手元に目を向けようとしたら、むっと睨まれた。「見ちゃダメです」「ん?」「ガイさんは、外です!」「ええ」「見張り、そうです、見張りをお願いしますー!」


両手をばたばた振られたものだから、「ぎゃわっ」と俺は悲鳴をあげて、あわてて距離をおいた。「ー、まだかーい?」「もうちょっとですー」

できました、とほくほく顔の彼女が、紙包みを持っている姿を見て、少しだけ嬉しくなった。そうした後に、はまた唐突に眉をしょげた。「あの、が、ガイさん」「ど、どうした」「冷蔵庫に入れておいた方がいいですよね、でもその、入れておく場所が」「……まあ、大丈夫じゃないか?」 このところ寒いし。

そうでしょうか、と自問するように彼女はつぶやいて、「大丈夫ですよね」「うん。おつかれ」「はい、ガイさん、本当にありがとうございました!」
パッと笑う彼女を、腕を組んで見下ろしながら、よかったなあ、と勝手に嬉しげな気持ちがあふれていた。別に、彼女からチョコをもらえなくても。彼女が喜んでくれるなら、それでいい。



と、思っていたのだが。


バレンタイン当日にて、「ガイさん、どうぞ」と渡された包みを見て、俺はしばらく目を丸くした。

「あの、これは、、もしかして、ああ、お歳暮……?」
「え、バレンタインですが」
「あ、そうか、バレンタイン、バレンタイン、バレンタイン……?」
自分で繰り返しているうちに、夢なのかなんなのかわからなくなってきた。

「ガイさん、きっとたくさん頂いているから、迷惑かと思ったんですけど、でもやっぱりお世話になってますし」

あ、お返しはもちろん気にしないでください、とぱたぱた小さな手を振る彼女を見ながら、ルークの分しか作っていなかったんじゃ、と尋ねようとして、そういえば、冷蔵庫から取り出すとき、ひどく困ったような顔をしていたことを思い出した。(俺の分があるってのが、恥ずかしかったんだろうか) じわじわと、胸の底が暖かい。きゅっと口元を引き締めた。「あの、、実はだな」 片手に持っていた紙袋を、彼女に渡そうとして、やっぱり近づくことは怖くて、机の上にトンと置いた。「これ、俺からで」

きょとんと瞬き続ける彼女を見て、あまりよくはない渡し方と思いつつも、机の上にある紙袋を、彼女の目の前へと滑らせた。「バレンタイン、別に男から渡してもいいんだろ?」 一応、こっちも手作りだからな、との作り方を参考にして、誰に渡すのだとコックにからかわれながら作った光景を思い出して、少しだけ恥ずかしくなった。

「あの」
「まあ、その、俺以外からも貰うだろうし、これくらいしか渡せなくて、申し訳無いんだが」

受け取った紙袋を、はおそるおそると持ち上げた。そのあと袋を抱きしめて、ほっぺたを真っ赤にしながら、俺を見上げた。
きゅっと口元は一文字にひっぱられていて、お互い幾度か瞬きを繰り返した。そういえば、息をするのを忘れていた。彼女の言葉は、ときどきひどくわかりやすい。紙袋をぺたんと顔につけて、へたりと笑う彼女に苦笑した。しようとした。でもとっくの昔に自分も笑っていた。
コンコン、とノックの音がする。慌てて、彼女からもらった紙袋を抱きかかえながら、窓に足をかけた。「!」 俺の紙袋を背中に隠したが、振り返った。
「大切に食べる」





ありがとう、と言うのを忘れた。
そう気づいたのは、窓の下の茂みの中でだった。「はー……」 ぼんやりと俺は上を見上げた。ぱたぱたと、先ほど自身が飛び降りた窓で、カーテンが揺れている。手の中の紙袋を見た。「あー……」 口元を押さえた。その後、膝の間に顔を入れて座り込んだ。



俺は、あの子が好きだ。







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1000のお題 【982 ショコラの光沢】

2013/02/14