怪少女と怪少年
少女がいた。みんみんとセミの声がところかしこに反射する中、小学生くらいだろうか、真っ白なワンピースに大きな麦わら帽子をかぶり、肩から掛けた小さなポシェットをぎゅっと握りしめていた。
彼女は真っ直ぐとあまり開かれていない土地だからだろう、大きな家と重ねられた瓦をじぃっと見詰めていて、その家の住人、藤原塔子もまた、いつもと変わらぬ真っ白な割烹着に袖を通し、玄関越しに彼女を見詰めた。
お互いが随分見当違いの場所を見詰めながら、みんみんみん、と聞こえる夏独特の声が響く。
「なにをしているの?」
塔子は口元にゆるりと笑みを携えながら、ゆっくりと少女に近づいた。手に持つほうきは日課となっている家の前の道を掃くためだ。
少女はびくりと体を震わせて1、2歩下がった後、見上げていた瓦から視線を落とし、塔子をまたじいっと見詰める。
「おばさん、この家、いるよ」
「え?」
夏目貴志は、人ではないものが見える。熱い日差しの中を力なさ気に歩き、その隣をこれまたぶさいくな猫がとことこと軽やかな足取りで道を踏み出す。丸い弧を描いた、黒目がちいさな瞳はまるで何かをたくらんでいるような目つきだ、と夏目はこっそりとそう感じていた。彼にそれをいうつもりは、今のところないが。
「夏目! あついぞ、アイスキャンデーをくいたい」
「ニャンコ先生、猫がアイス食べちゃ駄目なんだぞ」 「ええい私は猫ではないといっておろうに!」
残念ながら、この猫は「にゃおん」と可愛らしく鳴く事はなかった。昔夏目が誤って封印を解いてしまった怪で、夏目が持つ、妖怪を従える事が出来る友人帳を狙っている用心棒だ。狙っていて護衛とはいかがなものだろうか。けれども彼は夏目の用心棒なのだ。
道を随分のんびりとしたスピードで走る車の背には、大きな張り紙で、アイスキャンデー、わらびもちと書かれてある。
冬になれば多分それは焼き芋に変わるだろう。
確かに暑い。ぼたぼたと首筋の毛筋から垂れる汗を夏目はちょいとぬぐった。けれどもまた制服の白い襟を汚していく。
「…………がまんしろ」
「なんだとう!」
道の先がゆらゆらとまるで蜃気楼のように揺れ、夏目は目頭をこする。叫ぶ気力もない。
「さっさと、家に帰ろう」
彼が呟いた台詞に、ニャンコ先生も納得したのか、無言でその歩を進める。
夏目は怪が嫌いではない。好きかと訊かれれば、ほんの少し答えを渋って何事もなかったように逃亡するだろうが、嫌いではない。
子どもの頃は怪と人間の差がいまいち分からず(今でも時々間違えるが)周りに随分と妙な事を口走った。その所為だけでもないだろうが、両親のいない彼は延々と親戚をたらい回しにされ、やっとこさ、今の場所へと落ち着いた。
高校生になった今、あの時のように妙な事を口走る事もない。
(………ただ、)
この場所へ来て知った事だ。怪が見えるのは、どうやら自分だけではないらしい。
しっかりと姿が見え、その上妖怪退治なんてものまでしている知り合いや、姿は見えないが、影だけ感じ取ってしまう友人、不思議な模様を描けば、その中に入った怪を見る事のできる少女、大人になるにつれ、その姿が見えなくなってしまった人もいる。
その上、力が強い怪や、何条件がそろってしまえば、普通の人間にだって、その姿は見えるらしい。
色々と謎の多い、自分の祖母も、見える人間の一人だった。
案外、自分が一人ではないのだと知ったのは、そう昔の事ではない。
「あら、タカシくん、おかえりなさい」
今、現在、夏目がお世話になっている藤原家の妻、塔子が、ほうきを握りしめたまま、いつも通りの暖かくなるような、そんな笑みをにこりと落とす。
夏目もくっ、と口元をあげ、目を細めた。
「はい、ただいま」
うだるような暑さも一瞬忘れ、夏目は玄関先でピタリと立ち止まった。「あついでしょう、おれがしますよ」「いいのよ、すぐ終わるから。タカシくんは学校で疲れてるんだもの」 そういって、夏目の背中を力一杯押す彼女はとても可愛いらしいと彼は思う。まるで少女のような愛らしさを持っている。
思わず溢れてしまった笑みに、くすりと夏目は笑い、「それじゃあ、」と玄関先の扉へと手をかけようとした。
丁度そのとき、にゅっと屋根から飛び降りた、風船のように身の軽い何かに、ぱくぱくと声にならない悲鳴をあげ、1、2歩下がる。
「夏目どの、名前を返して頂きたい」
ずんと地を這うような声を聞いて、夏目は軽くため息を吐き、ニャンコ先生は、塔子に聞こえないような小さな声で、「また来たか」と呟いた。
少々うんざりしているのは気のせいじゃない。
夏目の元には、祖母、夏目レイコからいじめられて(と、いったら語弊があるが)友人帳へと記載された名前を夏目へと返して貰いに来るものが後を絶たない。
ふわふわとした足取りで、飛び跳ねる怪を見た後に、彼(彼女?)が飛び降りたと思われる瓦をじぃっと見詰めた。
あそこから、やって来たのか。せめてまともにやって来たらいいものを。怪とはやはり感覚がほんの少しずれているのかもしれない。
「なにかいるの?」
ふと、塔子がほうきを握りしめたまま、瓦を見詰める夏目へと声を掛けた。まさか、と跳ね上がる心臓を夏目は押さえ、「なんでですか?」と、ほんの少し押し殺したような声で、彼女へと問いかける。
塔子は不思議そうな顔をしたまま、「さっきね、ちゃんが」
とは、一体だれの事だろう。思わずじいっと押し黙ってしまうと、しびれをきらしたのか、ニャンコ先生が夏目の足下をバシバシとひっぱたく。
ほんの少し痛かったが、彼をちょいと蹴って、追い払った。
「ちゃんはね、お向かいさんの子よ」と気づいた塔子に笑われてしまったけれど、近所の家の子どもの事も自分は知らないのだと、夏目はほんの少し申し訳ない気持ちになった。
「それでね、ちゃんが、瓦のあたりをさして、いるよって」
一体何がいたのかしら、とカラカラと笑う塔子に、夏目は喉もとにたまる唾をごくりと飲んだ。見えたのだろうか。その、と呼ばれる少女は、怪が見えるのだろうか。
「名前を返して頂きたい」
じれた怪の声に、分かった分かったと手を軽く振って、夏目は塔子へと頭を下げ、家の中へと足を踏み入れた。
やはり日が直接当たるとそうでないとでは、随分と違うらしい。やっぱり後で塔子を手伝おう。
体からひいていく汗と共に、押し黙ったままだったニャンコ先生が、ぴょんっと廊下へと飛び乗った。
「見えるのかもな、だったか」
「そうかもね」
そうだったら、会ってみたい、と閉めた扉を夏目は振り返り、向かいの家を頭の中で思い浮かべてみるも、しっかりとした輪郭が現れない。
今度、確認してみよう、と足を進ませ、とにかく今はこの怪へと名前を返すべきだと、また振り返った。
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怪 → アヤカシって読んでくださいな。
原作の方とネタがかぶれば、ちゃちゃっと撤退します。
1000のお題 【25 魔女っ子】
魔女っ子っていうか、不思議っ子。
2008.08.08
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