しとしとと、雨が降っていた。


ただいま(多分、それは違うけど)




俺は特にさんと話す事も、話される事もなく、ただ日にちが過ぎていった。何故だかものすごく。ぐるぐると収まりきらないような何かが暴れているような気がして、その為にずり下がるメガネを、人差し指と中指で押し上げる。
(なにが)

さみしい?

(なにが)



勝手に動く足は、いつかの場所へと移動していた。ぼとぼとと頭から降りかかる水の滴は鬱陶しいことこの上ないけれど、それでも俺は勝手に足を進めていた。
住宅街に囲まれた、植え込みの中にひっそりと置かれた段ボールは、あの時と変わらない場所にあったけれど、重い水の滴をたっぷりと吸い込んで、元の形が分からないくらいぐしゃぐしゃになってしまっていて、唯一中に入っていた毛布だけが、そういえば俺は昔ここにいたんだなという事が分かる。
拾ってください。日本じゃこう書くのが礼儀なのだそうですよ、クフフフフ。あのときは一体どんな礼儀だと考えたけれど、意外とそれは正しいのかもしれない。日本理解不明。

(真っ赤な傘を揺らす可愛らしい少女がベストです)

一体全体、何がベストなんだろう。けれどもあの子は、小さな俺を見つけてくれた。真っ赤な傘を揺らしていたかは、分からないけれど。


(挨拶ぐらい、してあげるよ)

俺はまだ、一回も挨拶なんて出来ていない。
目も合わせてすらいない。


何故だろうか。妙にどくどくと波打つ心臓が、苦しいくらいに喉もとを圧迫する。まるで小さな突起が、ぷくぷくと喉に出来ているようんで、何か気持ち悪いような感覚に、ざぁざぁと頭から水が滴り落ちて、体が冷えた。
(このまま、死んでしまうんじゃないだろうか)
形が崩れてしまった段ボールに手をついて、ぐちゃぐちゃと気持ちが悪い感覚のまま、座りこんだ。今の俺は、ちゃんと自分の足で動ける。ちょっとくらい、体が冷えても、死にはしない。けれども、何故だろうか、冷たい水が、背中から入り込んで、とても気持ちが悪い。いっそのことこの学ランを脱いでしまえば楽になるだろうけれど、それもめんどい。
前髪が、ぴちゃりとメガネにはりついた。
それを、ぬぐうのも、もうめんどい。
(………死んでしまうんじゃ、ないだろうか)


「……………ちくさくん?」



雨音は、ぴちゃぴちゃとはねるのに、俺の周りの雨だけ止まってしまった。それと一緒に、俺の足下へと赤い影が落ちていて、見上げると、ゆらゆらと揺れるソレは、傘だ。

「ごめん、違うの、間違えた」


女の子は、赤い傘を差していて、随分とそれは、さんに似合っていた。     まちがえてない。そう、いおうとして、やめた。

「柿本くん、なんで、傘、さしてないの?」
「………めんどい」
「さした方がいいよ、ほら」
「なんでいるの」
「え?」

同じ質問を繰り返すのは嫌いだ。座り込んだまま、俺に傘を差しだしている彼女を見上げると、俺の声はしっかりと届いていたらしく、軽くはにかんだ後に、俺がぐちゃぐちゃに潰していた(もともとぐちゃぐちゃだったけど)段ボールに視線を伸ばして、呟いた。「猫を、探しているの」

それは、ぱくりと開けた口を、もう一度閉じて、また彼女を見詰めた。
それを彼女は、慌てたようにそらして、
「柿本くん、見てないかな、黒くて、ちっちゃくて、可愛い子なんだけど」
と、どこか急いだような口調に、俺は見ていないと首を軽く振った。

この子は、まだ俺の事を探しているんだろうか。


「いなくなったの」
「うん、いなくなっちゃった。どこにいるんだろう」
「もういないよ」
「そうかなぁ、可愛い子だったから、元の飼い主さんのところに、戻っちゃったのかも」


諦めた口調のようなくせに、彼女は目尻に小さな皺を作って、唇をほんの少し噛みしめている。いないよ、いなくなったんだよ、あの猫は。
探しても、無駄なんだよ。ホントに分かってるのかな、探しても、無駄なんだよ。
聞いてもいないのに、さんは、「ここでね、ちくさくんに、会ってね」と段ボールを傘を持っている反対の手で指さした。ちくさくん。彼女のなんともなしな言葉に、ほんの少しどきりとする。

「さみしい」


クロームが、俺へと尋ねた言葉を思い出した。そう呟くと、彼女はビクンと肩が震えて、俺を凝視する。「って、どんなきもち?」続けた。
きょとんとした瞳のまま、彼女は俺へと傘を、また強く傾ける。傘にたまっていた水が、ざーっ、と流れ落ちて、またトンットンットンッ、とリズミカルに水音を出す。


「なんで、そんなこときくの」
「………なんとなく」


別に、なんとなく。
さみしいと、言葉を知っている。どんな状況かもしっている。けれども、漠然とその形が頭の中で描く事が出来なかった。
クロームは、知っているのだろうか。骸様も、知っているのだろうか。犬は、ちょっと無理っぽい。

さんは、くるりと傘を軽く動かして、足下の影も一緒に回る。赤かった。冷たい地面が、ほんの少し暖かくなったような気がした。


「うれしいと、反対な気持ち」


それはほんの少し、いい辛そうで、彼女の八の字になってしまった眉毛が、俺はもの凄く、見ているのがイヤで、ゆっくりと腰を上げて、彼女の額へと手を伸ばした。ひんやりとしている。「え」と、微かに彼女が呟いたのが、耳元で聞こえた。ぽとりと傘が落ちる。頭からざーざーと雨が打ち付けられて、彼女が塗れるのが、可哀想だなと考えたから、そのままぎゅっと包み込んでみた。

暖かい体温に、俺が猫だったとき、彼女に包まれていたのと、丁度反対だな、と考えると、何故だか嬉しくて、そうだ、嬉しいってこんな気持ちだ、と彼女の反応もおかまいなしに、そのままぎゅっとしてみた。
うれしいって、そうかこんなにうれしいんだ。
じゃあ、その反対って、もの凄くイヤなんじゃないだろうか。俺は彼女に、そんな気持ちにさせてしまっているんだと思う。それは、とてもとてもイヤだ。
とてもとても苦しい。


「さみしいのはいやだね」

そう呟くと、俺の胸の中に顔をうずめたまま、うんと頷いた。落としてしまった傘は、地面に開いている花のように、ぱっ、と綺麗で、それに指を伸ばすのもめんどくて、うなじから掻き上げるように、彼女に濡れた髪の間へ、くしゃりと指を通す。
どうしたら、さみしくなくなるのだろうか。

ちくさくん、と小さく聞こえた彼女の声は、俺じゃない俺の事なのだと分かっていたけれど、「うん」と返事をした。ちくさくん。彼女がいう。「うん」俺が返事をする。どうすれば、さみしくないんだろう「あのさ、」

「俺がちくさの代わりになってあげるよ」



ざあざあと、地面にたまる水たまりに、影が映った。くるくると回る波紋の形がほんの少し崩れて、俺の姿を歪ませる。
何いってるのと、一笑されながら、「千種くんは、ちくさくんと、違うんだよ」と微かに震える語尾だったけれど。

「うん、知ってる」

ほんの一瞬。
雨音が、止まったような気がした。









「ちくさくーん」
「いないよ、めんどい」
「イヤなら帰っていいんだよ」
「帰んない」

俺は彼女と、さんとちくさを探していた。そんなものいない事なんて分かっているけれど、彼女はいつまでたってもちくさを探す。
いつの間にか、雨がよく降る季節も通り越し、さんの赤い傘を見る事がなくなったけど、またそのうち見る事になると思う。たぶん。

長い葉っぱがざあざあと流れる様は、ちょっとした海みたいだ。その中からぽっこりと飛び出した長いアスファルトの道を、さんは歩く。俺もその後をついて行った。
彼女と二人で散歩に行ったときは、俺を先頭にして、彼女がその後ろにくっついていたというのに、反対だ。
俺が猫だったときと、今とでは、なんでも反対になってる気がする。いちいち考えるのめんどいけど。

あのときみたいに、にっこりと笑ってちくさくん、と頭を撫でてくれる事はなくなったし、どちらかというと、俺が腕を伸ばせばほんの少し警戒した猫のようにサカサカと後ずさりする。
(………うん、俺とちくさは違うし、当たり前)
というか多分、ばたばた嫌がるように暴れるさんを延々とぎゅっとし続けたのが駄目だった気がするけど、あんまり後悔はしていない。


(………いつまで続けるんだろ)

いつまで、さんはちくさを探し続けるんだろ。彼女が探し続けるたびに俺はそれに付き合うと思うし、延々と彼女の後ろを歩いて行こうと思う。俺は今現在、とても満足しているけれど、あるときふと、手を伸ばしたくなる。
ゆらゆらと歩く彼女の首筋に、つん、と指先を伸ばすと、彼女は勢いよく振り返って、耳まで真っ赤にしながら「なにするの!」と怒ったように首筋を押さえて、じろりと俺を睨む。「べつに」

なんとなく、触りたくなっただけ。


多分こういったら、また怒るんだろうな。でもいってみようか、「なんとなく、」
触りたくなっただけ。
全然、めんどくない。




1000のお題 【782 天泣(てんきゅう)】





2008.08.07