完結後
「ちくさくん!」
私は笑って手を振った。嬉しかった。目の前には猫がいて、「なー」と小さい声を出している。ちくさくんだ。いつの間にかいなくなってしまって、どこにいるの、元の飼い主さんのところに戻っちゃったの、と私はずっと彼を探していた。「ちくさくん」 私はひょいっと指を伸ばした。ちくさくんは、小さいお鼻をひくひくさせて、私の指の匂いをかいだ。そしてまた「なー」と一回ないた後、ぺろ、とざらつく舌でなめてくれた。
「ほんとに、ちくさくんだ……!」
私はちょっとだけ泣きそうになった。会いたい会いたい。そう思っていた子が目の前にいるのだ。私はひょいっと手を伸ばした。ちょっと前まで、毎日していたことなのに、妙にドキドキ、そわそわする。嬉しくってたまらない。夢なんじゃないかと思う。
ぎゅーっ、とふわふわもふもふのちくさくんの体をほっぺたに押し付けた。最初の方は、逃げてばっかりだった。でも今はそんなことない。可愛いねぇ、と喉の下を人差し指でごろごろひっかくと、ちくさくんがひょいっと目を細めて嬉しそうな顔をする。ちくさくん、と私はもう一回、抱きしめた。(……あれ) なんか変だ。
抱きしめたちくさくんが、なんだか大きい気がする。触り心地も違う。私が抱きしめているんじゃなくって、私が抱きしめられている。暖かい。大きな手のひらが、私の背中に回されていて、「……えっ」 そのことに気づいた私は、ハッと顔を見上げた。ほっぺたにバーコード。めんどくさ気に細めた瞳の男の子がそこにいる。「か、柿本くん……!」
ん? なに、めんどくさい。
そんな風に、彼は口元を動かした。私はグラッと意識が遠のいた。そして次に目が覚めたとき、私はベッドの上にいた。
「あー………」 うー、と頭を抱える。夢だ。どう考えたって夢だった。「変な夢、見ちゃったぁ……」 思い出すだけでも赤くなってしまいそうな顔に両手を合わせて、私は教室の机に突っ伏した。なんてこった。
私は、小さな猫を探している
気づいたら、いなくなってしまっていた。
もしかしたら、元の飼い主さんの場所に戻ったのかも。そう考えると寂しいけれども、寧ろ、そうだったらいいな、と思う。こんな街の中で小さな猫一匹が暮らしていると思うよりも、ずっといい。
でも、私は思わず、ちくさくんを探してしまう。街の中をてくてく歩いて、「ちくさくーん」
その私の後ろには、なんでかいっつも柿本くんがくっついていた。
自分でも、なんでだかよく分からない。普通のクラスメートだった男の子は、めんどくさい、めんどくさいって言いながら、いきなり話しかけてくるようになって、こっちの目はぐるぐる回るばっかりだ。柿本くんは、柿本千種くんで、ちくさくんと同じ名前だ。というか、私が彼の名前を勝手に借りてしまったのだ。前に聞いた時、かわいい名前だなぁ、と思ったことと、部屋の中でぐでっとして、まるで「めんどくさい」と言っているような姿が、柿本くんそっくりだったので、思わず名前を借りてしまった。
(…………だからだ)
うん、だからだ。
だから、ちくさくんが、柿本くんになってしまう夢なんて見るんだ。恥ずかしい。なんだか、自分の夢に勝手に出演させてしまって、申し訳ないかんじ。「うー……」と唸って机に顔をこすりつけると、ん? と変な感じがした。なんだろう、と顔をあげると、やっぱり柿本くんがこっちを見下ろしている。私は一方的に気まずくなって、「ど、どうしたの」と言いながら柿本くんから視線をそらした。「別に」
それだけ。
暫く待っても、それだけ。「えーっと……柿本くん、用があるんなら」「だから、別に」
私は本当に困ってしまった。
ちくさくんがいなくなってしまったときと同時くらいに、柿本くんはすっかり変になってしまったのだ。外に出れば、困った困った、なんなんだろう、と思うばかりで、その所為でと言ってはなんだけど、彼のおかげでちくさくんがいなくて寂しい気持ちを、半分くらい誤魔化されてしまっている気がする。
私は彼にどう返答していいものか、暫く考えた。でも、丁度いい言葉は出てこなかった。そんな困った私を、相変わらず無表情というか、ぼんやりした顔で彼は見下ろして、「やっぱりある」 何が? と思った。でもすぐに分かった。用事があるって言いたいんだと思う。そろそろ柿本くんのペースに慣れてきてしまった気がする。
「うん、なに?」
私は柿本くんを見上げた。柿本くんはボーッとした顔のまま、「話したかっただけ」「…………」 それだけ言って、柿本くんは猫背気味の背で、メガネをなおしながら、ふらふらと自分の席に戻っていった。
私は再び、机に顔をつっぷした。「もう、やだー……」 自分にしか聞こえない、ちっちゃい声でつぶやく。
柿本くん、変ですよ、と両方の耳に手をあてて、じわじわ熱くなる耳元を誤魔化した。

1000のお題 【334 これだけは現実になってほしくない正夢】
2012.01.10
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