「ち、近づかないでください」

ぱさりと銀色の髪を揺らしながら、静かに彼女は後ずさった。
     近づくな。
それは自身が何度も言った言葉だ。それを他人に言われるとなると、少々妙な気持ちになる。「なにがだよ」 わざと仏頂面で、ずかずかと足を踏み出した。びく、と彼女は震えた。やめてください、来ないでください。
そんなふうに体を硬くして、声をかすれさせる彼女の名前は


小さな吸血鬼。




come blue





「…………吸血鬼?」

俺は眉をひそめながら、宿屋椅子に腰掛けた。はパッと顔を赤くして、うんうん、と頷く。
     私、吸血鬼なんです。

だから近寄らないでください。
かたかたと震えて森の中に隠れていた彼女をひっぱり、近くの村へと連れてきてから暫く。はあん、と溜息をつきながら、上から下までじっくりと彼女を見つめた。どこからどう見ても普通の女の子だ。変わっていると言えば、さらさら落ちる銀の髪であるとか、整いすぎている容姿であるとか、ちらほらと上げることができるが、それが対して妙であると言う訳でもなく、ただ目立つ姿であるというだけだ。

「し、信じてないんですね。でも本当です、私本当に、吸血鬼で」
「いや、んなこと言ってねーけどさ」

確かに長く生きていれば、そんな噂を聞いたことがある。人の血をむさぼり食い、生きながらえる一族だ。「その吸血鬼が、あんたってか……?」 はまた赤面しながら、居心地悪く座り直した。むさぼる、だなんて言葉が似合うようには、どう考えたって見えない。「私、嘘なんて言ってないです、テッドさん」 はきゅっと小さな拳を合わせた。「だから疑ってねぇよ」 そもそも、そんな嘘をつく理由がわからない。

「でもさ、吸血鬼ってんなら、昼間は外に出れねぇもんじゃねぇの?」
「確かに昼間は少しだけ眠いですけれども、ものすごく、という訳では……」
「じゃあにんにく食える?」
「あ、にんにくはダメです」
「ダメか」
「そもそも味があんまり好きではなくて」
「趣味の問題だったか」

水も鏡も問題ない、と言われれば、思いっきり吸血鬼としての特性を削りとった少女だった。
自分は街に行かなければならない。けれども行き方が分からない。教えて欲しいのだけれども、自分は吸血鬼だから近寄らないでくれ。
そんなふうに支離滅裂な言動を繰り返していた彼女は、宿の帳簿の書き方さえ分からない世間知らずだった。思わずため息をついて、こんなところまで面倒を見てしまった。一つ話を聞けば、二つため息をつきたくなるような彼女の言動に、やっぱり嘆息して現在進行形で事情を聞いているという訳である。


「つかさ、だったら何で近寄るなってなるんだよ。別に全然ふつーじゃん」
「だって吸血鬼なんですよ! こんな人里に出ているというだけでもダメなのに、私がお腹がへって、テッドさんに噛み付いちゃったらどうするんですか!」

どうするんですかって言われても。
「……腹減ってんの?」
「あ、いえ、今は大丈夫です」

長老から封印球をお預かりしていますから。とはごそごそと布袋の中から小さな玉を取り出した。封印球、というからには風の紋章であるとか、火の紋章であるとか、そういうものを想像していたのだが、どうにもサイズが小さい。おそらく、何か特別な紋章の力を溜めた、“封印球のなりかけ“と言った方が正しいのだろう。

彼女の言い分は分からないが、それがあれば吸血行為にはしることもなく、見かけも普通と変わらず、一体何を不安に思っているのか不思議になる。「だったら問題ねーだろ」「万が一ということがあるじゃないですか!」 ぱたぱたとは両手を振って、怒った。知らんがな。

「つかさ、吸血鬼ってったら、どっかの村で隠れ住んでるんだろ? んなとこに出てきていいのかよ」

自分が育った村と同じく、彼らはひっそりと一つの紋章を祀っていると聞く。そのなりかけの封印球の元くらい想像はつく。はちょっと顔を伏せて、「私だって、村から出たくはなかったんですが、長老から言いつかって」 しょんぼりと彼女は頭をたらした。「村は自給自足で暮らしていますし、みんな慎ましく生きてはいるのですが、やっぱり手に入りづらい生活品というものがありますし、誰かが人里に行かなくてはならなくて、私なら丁度いいと」

そのために彼女がやってきたということらしい。
はーん、と俺は頷きながらなんとなく事情を察した。「そんじゃま、ここまで来たならなんとかなるだろ」 頑張れよ、と腰を上げて俺も適当な部屋を借りるか、と背中を向けた。ありがとうございます、がんばります、なんての返事を聞くと、どうにも不安な気持ちになった。「……そういやお前、金とかあんの?」

なんとなく振り向くと、はこくこくと頷いた。「はい! 長老からお預かりしています! これですよね!」「いやいやいや!」

じゃらじゃらっと袋からこぼれて落ちた金の塊を拾い上げて袋の中に閉まってぎっちりと紐をした。「んなとこで金なんて出すな! つかこれしかねーのか!」「え? あの、え……」

何か悪いことをしたのだろか、と何度も瞬く彼女にため息をついて、あー、と床に座り込んだ。ついでに、自身のお人好しっぷりを嘆いた。




いつの間にか、俺はと旅をすることになっていた。長老からの頼まれものは、残念ながら、この街では見つからなかった。「慎ましくねぇ」 そう言うわりには、どうにも珍しい嗜好品が多い気がするな、と顎をしゃくると、「それは、長老からのリクエストです」とはころころと笑った。そりゃいい趣味だな、と呆れると、は何を勘違いしたのか、「長老は、素敵な方なんですよ」と口元に手を置いて笑った。
私が丁度いいからと、お使いを頼んで下さったんです。
そういう彼女の言葉にひどく違和感を得たのだが、はそれ以上何をいうこともなかった。

始めこそは、彼女が吸血鬼であることを多少は疑っていたが、は飯の数が少ないし、ついばむくらいしか食べない。水がなくても平気だし、朝はいつも眠たげにしている。
村長からもらったという球を後生大事に抱きしめて、ときどき、「近づかないでください」とは困ったような声を出した。
「近づかねぇよ」と俺は言って、同じ宿の同じ部屋をとる。俺達はひどく妙な距離をとっていたし、なんでこんなふうに彼女にくっついているのか、自分自身わからなかった。


置いていくには、ひどく不安であることは認める。
はひどく世間知らずだった。「テッドさん、あれはなんですか」と俺の服を引っ張って、そのあとに慌てて自分の手を隠す。近寄らない。そんな言葉をは心の底に持っていて、こちらとしては楽だった。
はあの金の粒の金しか持っていなかったし、旅の荷物も少なかった。どう考えても旅慣れをしていない彼女のどこが“丁度いい”のだろうか。 金を換金して、彼女はちょっとのことで商人に騙されそうになりながら、俺とは旅をした。「テッドさんがいてよかった」 そんなふうには笑っていた。


   ***


、お前、ちょっと目立つな」

俺の言葉に、は少しだけ困ったように、「そうですか?」と首を傾げた。さらさらと銀の髪が揺れている。
髪もそうだが、やっぱりその顔は整いすぎているように感じた。もしかすると、触れられたくないことだったのかもしれない。俺は言葉をごまかすように、視線を逸らした。「吸血鬼ってのは、みんなお前みたいな感じなんかね」
話題をずらしたつもりだったのだが、あまり代わり映えはしなかった。けれどもは特に気にした様子もなく、「どうなんでしょう」と笑った。

吸血鬼と言えば、老若男女を虜にする、物語の悪役だ。はそれに似合っているとも言えたし、やっぱり全然違うような気がする、とよくわからなくなる。朝にベッドにもぐって、くああ、と眠たげにあくびをしている姿は、どっかの白い猫が紛れ込んだみたいに思える。
俺がぼんやりと彼女を見ていると、「あっ」とは手を叩いた。「私みたい、というか、村長は私と同じ髪の色をしているんですよ」 言葉がひどく嬉しげだった。
の白い頬が、ぱっと赤くなる。ふうん、と俺は低い声を出した。

「それが嬉しいってか?」
「はい! 私、長老のこと、大好きです、恩人なんです」
「ふうん」

こつこつ、と机を叩く。「美人で、強くて、賢くって、あんな女の人になりたいです!」「女かよ!」 長老ってのに女なのかよ! とおもいっきり拳で机を叩いた。は瞳をくりりと大きくさせて、「何言ってるんですか、テッドさん。ファレナ女王国は、代々女性が主権を持っているんですよ?」 テッドさんって、意外と時代遅れなんですね、と頬を膨らますを見て、何か理不尽な気持ちになった。


一つ一つ、彼女の“頼まれもの”は集まっていく。
それと同じく常識を知って、世間知らずではなくなった。彼女の村は遠い、遠い場所にあるらしい。人里から離れて、ひっそりと暮らす小さな村だ。彼女はとつとつと語った。はやくあの場所に帰りたい。そう口ではいうのに、どこかさみしげな顔をしているような気もした。人里は怖い。そんな風なことを、はときどき呟く。けれども、食べる必要がないと言いながら、菓子を口にほおばる彼女は幸せな顔をしていたし、どこかぼんやりと遠くを見ていた。

ふと、小さな疑問が生まれた。
彼女はどうやって生まれたのだろうか。年はいくつなのだろうか。吸血鬼とは、長いときを生きると聞く。けれども、はにんにくが食べられないだけで、陽の光の中をぽやぽやと歩いている。
わからねえなあ、との頭を撫でた。彼女は銀の髪をくしゃくしゃにして、「やめてください」と言いながら笑っていた。そうして、「近寄っちゃだめです!」と思い出したように両手を振った。
そう言われると、またぐしゃぐしゃにしてやりたくなった。ひぎゃあ、とは顔を赤らめた。

近寄るなと言われると、反対のことをしてしまいたくなる。
もしかすると、彼らはこんな気持ちだったのかもしれない。
だからこそ、俺に執拗にかまったのかもしれない。

そんなふうに、彼らのことを思い出したからなのだろうか。その日、俺は夢を見た。
暗い影の夢を見た。



「…………うあっ!」
口から悲鳴を上げて飛び起きた。ぼたぼたと溢れる汗が冷たい。右手が自身を締め付けていた。勝手に指が震えた。見てしまった夢を思い出して、夢が夢であることに苦しくなった。現実であればよかった。なのにそんな訳がない。小刻みに震える体を抑えこんで、シーツを握った。奇妙な声が喉からあふれた。目尻からあふれた涙が、じんわりと視界を暗くする。

ふと、目の前にがいた。いつの間にか、はちょんと俺の膝の間に座っていて、ぽんやりとこっちを見上げていた。あっちに行け、そう告げるつもりだった。けれどもは俺の右手を掴んだ。ちゅ、と軽くキスをする。ギクリと飛び跳ねて、口から悲鳴を上げる前に、彼女は抱きついた。静かな匂いがした。細いくせに柔らかい体がぎゅっとこっちに押し付けられる。

いつの間にか、ひどく楽になっていることに気づいた。暴れていた魔力が消えて、ゆっくりと息を吐き出した。俺はを抱きしめた。彼女はこてんと俺の肩にでこをついた。そして、どこか苦しげに息を繰り返した。何かを我慢しているようだった。俺はの髪を撫でて、朝まで彼女を抱きしめた。朝になると、はすっと瞳をつむって意識を落とした。


     お前は、一体何をやったんだ?

そんなふうに問いかけると、は顔を赤くして、「ごめんなさい」と頭をたらした。「テッドさんの魔力を食べたんです」「魔力を食べた?」 おいしかったです、と呟いた言葉に、がくっと体の力が抜けた。はぱちりと頬に手を当てて、「あ、違いますよね、ごめんなさい。その、テッドさんが、苦しそうだったから」

思わず目線を逸らした。
「私はご飯を食べなくても生きて行けます。でも、そのときどき人間のご飯を食べちゃうのは、おやつみたいな感覚で。魔力もそれと同じなんです」

ぽっ、と照れるように頬を赤らめたまま、は顔を下に向けた。「テッドさんの右手から、たくさん魔力が出ていたから、それが苦しいのかなって」 そう思って食べた。はそう説明した。
俺は彼女の言葉を飲み込めないまま額に指を置いた。色々と理解しがたいのだが、それは概念的な問題なのか、それとも文字通り、咀嚼して飲み込んだのか、ちょっとよくわからない。

「でもテッドさん、私、ちょっと食べ過ぎちゃったかもしれません。気分が悪かったりしませんか?」
「いや、そういうのは、別に」
「よかった」

テッドさん、きっと紋章の素養が高いんですね、とはほっとしたように胸に手のひらをおいた。「さあな」と俺は視線をそらして、右手を握った。静かだ。
は何も聞かなかった。俺のこの右手について、気づいているのか、それとも不思議すら思っていないのかは分からない。でも彼女は聞かなかった。それからときどき、は俺の魔力を食べた。食べたとは言っても、右手にキスをするだけだ。うなされて、飛び起きると、は俺に抱きついた。大丈夫です、と彼女は笑った。みんな、怖いことの一つや二つ、あるものですから。そう笑って呟いたが、彼女はひどく苦しげな顔をした。
あの丸い球を抱きかかえて、眠る時間が増えた。


   ***


「……それ、小さくなってないか?」
「え?」

の手の中にある紋章球のなりかけを、俺は指さした。
気のせいだろうか、と考えたものの、やはり気のせいじゃない。最初は両手のひらを合わせたサイズがあったはずなのに、今は手のひらの上で小さくころりと転がってしまう。はパチパチと何度か瞬きをして、「そんなことないと思います」と声を硬くさせた。

「使うとなくなるのか」

俺の言葉に、はぴくりと肩をはねさせた。当たり前だ。そのことに気づかなかった自分に驚いた。ただの魔力を固めた球なのだから、放おっておけばずんずんと小さくなるに決まっている。「だったらさっさと戻らないとな」 いつまでも旅が続くものだと思っていた。「時間は足りるか? ここからどれくらい遠い」「早くて、ひと月ほどです」

少し不安ですが、大丈夫です、とは頬を緩めた。本当だろうか。大丈夫だろう。あれがなければ、彼女は人里にはいられない。一番の重要事項を間違える訳がない。俺達は旅の反対をめぐった。別にどこに向かう訳でもない。俺の時間は腐るほどあった。妙な吸血鬼にくっついて、時間を過ごしたってきっと問題ない。

「……?」

うつらうつらとは船をこいで歩いていた。朝の日差しの中で、少し無理をしたのかもしれない。夜は馬鹿みたいに元気なくせに、朝になると途端にしょんぼりと小さくなる。しょうがないと言えばしょうがない。「大丈夫です」 くい、とは指で丸を作った。その後、どしゃりと荷物を落としてしまった。

ころころと地面に転がる金の粒を、慌てて拾い上げた。はじめに彼女が長老からもらったという金の粒は、大半が使われることなく彼女の鞄の中に眠っている。次からはこれほどまでに金はいらないと言っておけ、と俺はその長老に伝言を頼んでおいた。まったく金銭感覚がよろしくない吸血鬼達である。

「ほら、。今度は落とすなよ」
「ごめんなさい……」
「別に俺が持ってやってもいいけどさ、お前が嫌なんだろ」

はこくりと申し訳なさげに頷く。長老から預かったものだから、とその袋だけはどうしても手放すことはなかった。「ほら、もうちょいで宿屋だ」 捕まっとけ、と彼女の肩に手を回そうとすると、どんっ、と何かがぶつかった。男だ。

「あっ」とが瞬いた。ぽて、と彼女が倒れて、そのことばかりに俺は気が向いた。男の姿はあっという間に消えていく。の手の中の荷物が消えていたことに気づいて、スリだ、と唇を噛んだ。背中から取り出した弓矢をつがえ、弦を引く、そうしたとき、「人に向けてはだめ!」 が叫んだ。一瞬、躊躇した。

「け、怪我をさせてはだめ。血が」
「違う。足止めをさせようとしただけだ。。金が」
「あっ」

さきほどころころとこぼした姿を、どこかで見られていたのだろう。いいカモだったに違いない。無理やりにでも俺が持っていればと舌打ちした。は震えた。「? ……?」 どこか様子がおかしい。「紋章が」 あの中には、紋章が。

シエラ様から頂いた、紋章球が。




は静かに布団の中にくるまった。
彼女は何度も唇を噛んで、顔を白くさせた。俺は彼女の荷物を探した。けれども見つからなかった。悪いと呟くと、は顔を青くしたまま、「私の不注意でした」とかれた声で呟いた。「世間知らずだったって、分かりました」 瞳をどこかに向けて、かたかたと震えた。「どうなる」 あれがないとどうなる。俺はに尋ねた。は答えなかった。日に日には衰弱した。

それから数日して、金のありかは分かった。馬鹿な男は金を振りまきながら歩いていた。はぶりのいい男がいると街中で噂になった。
顔を見ると、あの弓矢を逃した男で間違いない。男が路地からそれたとき、首元にナイフをつきつけて、「返せ」と脅した。カタカタと両手を上げながら、「金は使った」としぼるような声を出す。「金はいい。紋章球を返せ」「紋章球?」「小さなボールだ」 そう言っても首をかしげる男に、ごまかされていると俺は感じた。つん、とナイフの背を押しつける。びくりと男の体が震えた。「袋にはこれしかなかったよ!」

男のポケットから出されたそれに、一瞬眉をひそめた。小さな小さなつぶで、なくしてしまいそうなほど小さく、青く光っている。「石だろ? なんか高い宝石なんだろ? 綺麗だから女にあげようと思って売らなかったんだ。ごめん、返すよ、返すから」 言葉を最後まで言わせないうちにひったくった。走った。
宿屋のドアを叩き、にそれを差し出す。「!」 は焦点をぼやけさせた。無理やりに彼女の手に紋章球を握らす。ぱっと彼女は瞳を開いた。それからゆっくりと手の中の小さなつぶを見て、泣き出しそうに眉をひねった。彼女が握ると、粒はパチンとはじけて消えた。は手の甲を額につけて、ぽろりと一粒泣いた。

「おい、なんで」
「足りなかったんです」
「足りないって」

大丈夫って言ってたじゃないか、と慌てて畳み掛けると、「球は小さくなりすぎると、私が持っていないと勝手に縮小が進んで、なくなってしまうんです」 盗まれていた数日の間に、それが進んだ。「なんでそこまで小さくなったんだ」 思わず責めるような口調になったが、そんなことを言っても仕方がないと慌てて咳をついた。「どうするんだ」 それよりも、俺はあの球がなくなると、彼女がどうなるのかわかっていない。「血を吸いたくなるのか」 は答えなかった。

「人間の食い物でごまかせたりはしないのか」

いわく、おやつだと言っていた。はぷるぷると首を振った。「だったら魔力は。いつも食べてるだろ」 右手に意識を向けると、「やめてください!」とが叫んだ。「あれをすると、喉が乾くんです、おねがい、やめて」
喉が乾く。苦しげに眉をひねるを見ると、俺は何度も彼女のこの顔を見ていると気づいた。俺の魔力を食べるとき、決まって長く息を吐いた。なんでそこまで小さくなったんだ。少し前の自分の台詞を思い出して、頭を抱えた。俺のせいか、そんなふうに聞く必要はなかった。一番重要なものを、何できちんと確認していない。そんなふうに少しでも思ったことを恥じた。

「とにかく、血を飲まなきゃだめなんだな」
これにはは頷いた。「飲まないとどうなるんだ」 彼女は答えない。代わりにもう一つ尋ねた。「血を飲まれると、人間は吸血鬼になるのか?」「それは、ただの迷信です。人間には何の影響もありません」 人間が吸血鬼になるには、始祖から、長老から血を与えてもわらないと、と続いた彼女の言葉にほっとした。
「だったら俺のを飲めよ。こっち側にはなんともならないんだろ?」

そうきくと、なんでいちいちがしぶっているのかが分からない。さっさと飲めばいい。左手の手袋を外して、の口元に当てた。ぴたりと唇があたった。が、ぼんやりと瞳を細めた。けれどもすぐに首を振った。「あっちに行ってください」 瞬いた。「あっちに行ってくださいったら!」
悲鳴のような声だった。

彼女の銀色の髪がくしゃくしゃと揺れる。分からない。
夜が近づく。
窓の外が、夕暮れに染まっていく。俺はため息をついて、「じゃあどうしろってんだ」と椅子に座り込んだ。は何も言わなかった。



   ***



ぽとん、と窓からあかりがこぼれていた。はたはたと揺れたカーテンが揺れる。月だ。椅子に座ったまま眠っていた。目元をこすりながら窓の外を見つめた。がすとんとまっすぐに立って、空を見上げていた。「」 俺は立ち上がった。はきょとんと振り返って、こっちを見た。きゅっと小さな瞳孔をしていて、俺の声に気づくとハッと顔を青くした。「私」 ごめんなさい、とは呟いた。それからカチャカチャと窓のカギをあけて、窓から乗り出すように体を動かす。俺は慌てて彼女をひっぱった。「何してんだよ!」

放して、とは叫んだ。
「外に行くのか。行ってどうするんだよ」

一瞬、夜の闇にまぎれて、人間の血を吸うのだと思った。けれどもは「森に行きます」と声を震わせる。「森に行って、人がいないところに行くんです」
人の血を吸わなければいけない。そのはずなのに、なんで人から逃げる必要があるのか。「それでお前はどうなるんだ」「死にます。死なせてください」「おい」 ぎょっとした。「お前、血を吸わないと死ぬのか」
は自分の言葉に唇を噛んだ。

「だったら吸えよ。なんでそんなに嫌がってんだよ。ちょっと血を吸うだけだろ? なんで死ぬまで我慢しなけりゃなんねえんだ」

嫌がる人間から無理やり吸う訳ではない。こっちがいいと言っているくせにいらいらした。俺は暴れるを押さえつけたまま、「吸いたきゃ吸えばいいじゃねえか!」と叫んでいた。の気なんて、知ったこっちゃなかった。

はまた泣いていた。「嫌です」 ぽてん、と俺の腕の中で力をなくて、床に座り込みながら顔を上げる。「人の血を吸うなんて、絶対」 ぽろぽろと泣いて、銀色の髪を揺らした。思わずぎょっとして、腕の力が緩んだ。はパッと俺から逃げ出した。

はまるで俺から怖がるように壁に逃げ込んだ。ぎゅっと自分自身を抱きしめて、泣いた。「なんでそんなに嫌なんだよ」 正直、彼女の嫌がりようは理不尽に感じた。「さんざん俺の魔力を食ってたじゃねえか」 そのせいで今の状況になったくせに、血を吸うのは嫌だと言う。「あれは、テッドさんが苦しんでたから」 は声を絞りだすように鼻をぐずらせた。「お腹が減っているからって、血を飲んだら、私、本当に、吸血鬼になっちゃう」

吸血鬼のくせに、変なことを言う。そう思ったとき、はハッとして自分の口元を押さえた。その仕草を見ていると、俺はまたの言葉を思い出した。血を飲むと人は吸血鬼になるのか、そう尋ねると、は別の方法があると言っていた。俺はじっと彼女を見た。はきゅっと瞳を閉じて、息を吐き出した。「私が、村で一番新しい吸血鬼なんです」

森で死にかけていたのを、長老に助けてもらった。そうは語った。
「長老と同じ銀の髪をしていたから」
だから、彼女の気を引いた。

「吸血鬼になって、一番新しいから、一番人に近いから、人里に出るには丁度いいって。人のふりをできるって」

持っていた違和感はそこだ。どう考えてもは旅慣れをしていない様子のくせに、なぜその長老はに用事をつかわせたのか。

はぷるぷると首を振っていた。「私、やだって、できませんって言ったのに」 でも長老は、お前になら出来るって。
「血を飲んだことはないのか」 はまた首を振った。「村にいれば、あの紋章の近くにいれば、吸血鬼でも飢えることはないんです。だから、私」
人の血を飲みたくない吸血鬼は、村にはたくさんいるんです。と続いた言葉に妙に不思議な気持ちになった。「でも死ぬんだろ」 腹が減って死ぬんだろ。そう聞いても、はじっと床を見つめた。彼女に一歩近づくと、は慌てたように俺から逃げようとした。けれどもぽてりとひっかかって、こけた。もう立ち上がることもできなかった。

おい、との肩に手を置いた。「飲めよ」 無理やり手のひらを差し出しても、は苦しげに顔をそむけるだけだ。きゅっと噛んだ唇が切れた。いらついて開かせた彼女の口に指を入れた。でもダメだった。つんと尖った犬歯が、かちかちと揺れて触れるだけで何の意味もない。

なんでこんなことになったんだろうか。
彼女の荷物に、金が多すぎたこと、それとも荷をわけていなかったことがいけなかったのか。お互いの不注意が招いたのか、それとも彼女に出会わなければよかったのか。俺さえいなければよかったのか。

荷をすられたあのとき、は呆然とした青い顔をしていた。あのとき、と何度も考えた。俺は弓矢を持って狙いを定めた。けれどもは止めた。
     怪我をさせてはダメ。血が。

じっと俺は左手を見つめた。ぺしりと口元にあてて、瞳を伏せた。口を開ける。指の先を噛んだ。がちりと噛んだ。

     血が。

ぼたぼたと指の先から血が滴った。あのときの彼女は怪我をさせることよりも、血が流れることを怖がっているように感じた。
は俺の指を見た。ぎょっとして震えて、後ずさった。けれどもすぐに顔を近づけさせた。ぱくり、と口が相手、閉じた。それからまた開いた。俺の手首を彼女の指先がつまむ。

きゅっと開いた瞳孔がこちらを見ていた。
が、ゆっくりと息を吐いた。手のひらにその感触が伝わって、息を飲んだ。ちゅぷり、とが俺の親指を口にふくんだ。尖った牙が手の甲に当たる。暖かい舌の感触が傷を舐めて、何度も吸い取った。ちゅぱちゅぱと指を舐めたあと、はゆっくりと指から口を離した。名残惜し気に舌を伸ばして傷をなめながら手のひらにこぼれた血をぬぐう。手首まで舌をはわせたあと、はぼんやりと俺を見上げた。

唾でべとついた手のひらを、の小さな手が握っている。じんじんと指先が傷んだ。けれどもそれ以上に何かが熱かった。
はあ、とは口元から熱い息を繰り返した。ゆっくりと俺に抱きついて、首元に手を回した。ぽつぽつとが俺の服の留め具を外していく。「お、おい」 慌てて彼女を抱きとめながら、口元を焦らせた。唐突に、彼女は俺の首筋にキスをした。何度もキスをして舌を伸ばす。れろりと味を確かめるように舐めた。彼女の舌の暖かさにぞっとした。「」 声を確かめる前に、はかぷりと俺に噛み付いた。「いってぇ……!」

彼女の犬歯が、ぐいと首筋に沈んでいる。ぴくりと眉筋が震えた。
ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、とまるで何度もキスをするような音が響いて、は必死に俺に抱きついて体をすりあわせた。柔らかい唇が、それと一緒に何度も首筋にくっつく。長い時間が過ぎた。勝手に息が荒くなったのは、おそらく血が足りないからだ。

はゆっくりと唇を離して、俺の膝の間から顔を上げた。口元に血を垂らしたまま、じわじわと瞳を元に戻して俺を見た。いつの間にか、彼女の白い頬はピンクに染まっていて、ぱちぱち、と何度も瞬いた。それから自分の唇に手を当てて、呆然としたようにまた俺を見て、瞳を大きくした。

「…………?」

言葉をかける前に、はぽろりと涙をこぼした。涙を拭うことも忘れて、ぽろぽろと静かに泣いた。必死に息を殺して、体を折り曲げながら泣いた。
そんなを見て、正直、俺は場違いなことを考えた。いつものように、俺はを抱きしめた。けれども少し、意味が違った。お互い何も言わなかった。俺は、が消えると思った。姿を消す。そう思った。
けれども朝ベッドから起きると、はしゃんとして朝の光を見つめていた。俺たちは街に出て、また旅をした。彼女の金はすられてなくなってしまったから、心もとない金で俺たちは彼女が村へ帰るための旅をするようになった。



あるとき、が俺の手を掴んだ。
「テッドさん、あれはなんですか?」

旅の始めと変わらないように、は俺に尋ねた。「ん?」と首をかしげてを見ると、彼女はすぐにハッとした顔をして、手を放して隠してしまった。
パッと頬が赤くて、は体をもぞつかせた。

近づかないでほしい。
そんなことを、よく彼女は言っていた。だから俺の服を掴んでは、毎回困ったように手を放した。けれどもその仕草は、昔とはどこか違うような気がした。
俺はそれに気づかないようにして顔をそむけた。
少しだけ、何かが変わったような、そんな気がした。