■ 男主人公。ソニアの水上砦より。坊ちゃんの義理のお兄ちゃん
■ 坊ちゃんに批判的な言葉を放つ人がいます。
俺はふと、瞳を閉じた。その知らせに、そうかと頷き、あまり衝撃を受けることのない自分に気付いた。覚悟はできていた。
(……そうか、テオ様は、亡くなられたか……)
ぴちゃりと水がはねる音がする。かじかんだ指を温めるように、布で拭いた。握力を確認するように、腰に付けた刀を握った。
かつりと幾重にも足音が響く。薄暗く、レンガが積まれた砦は音が反響しやすい。ほんの少しの小さな音でさえ、何重にも反射し、彼の耳へと届いた。
ソニア様、俺に行かせてくださいよ。俺が行きます。
彼女は瞳を細めた。・マクドール、とただ一言だけ呟いた。いきたいのなら勝手にいってこい。そう言葉を漏らした。
おそらく、彼女もまた、少年へと刃向うだろう。自分が顔を出さないまでも、運命は変わらない。(……なんでだろうな)今から行うことは、ただの悪あがきだった。それくらい理解していた。
ソニア様、俺、弟をいじめに行ってきますよ。
ふと、彼女の背中に呟いた言葉を思い出す。
かつり、かつりと響く足音が、ふと止まった。闇の向こう側が覗く。ほとほと、ほとほと。聞こえていた音が止まり、水辺の音がぴちゃりと跳ねる。「おーい、くん。水門はここさ」 はやんわりと声を出した。ぽんぽんと軽く栓を叩く。闇向こうの少年はぎょっとした表情をしていた。その周りの人間は知らない。けれどもあの少年だけは知っている。
「……兄さん」
はかすれるように呟いた。はニッと口元を釣り上げた。まるで久しぶりだな、とでもいうように。
「……おい、こいつがお前の兄貴だって?」
「……ああ、そうだよビクトール」
「やだなあ。ちゃんと言わなきゃ、義理のお兄ちゃんだってさ!」
は水門から飛び降りると、からからと笑いながら少年たちへと向かう。あの熊のような体系の男はビクトールと言うらしい。緑の法衣を来た少年や、竜騎士の格好をした少年など、複数人のパーティを組んでいた。
はは義理の兄弟だ。両親は先の戦争で死に、遠縁のマクドール家へと預けられた。は涼しげな目元をギッと釣り上げ、「それでも、俺にとって兄さんは兄だ」と言葉を告げた。はきょとんと瞬きを繰り返し、「あらそう? 兄さん嬉しいなあ」と刀をへと構える。「でも兄さん、こっちの人だから。には死んで貰わなくちゃ困るなあ」 ビクトールが、の前へとたまらず飛び出した。
「随分物騒な兄貴だね」と、緑の法衣の少年が呆れたような声を出す。「そこが魅力な大人なお兄様だろ?」 は調子に乗った声を出した。
「とりあえず、あんたら反乱軍の目的は分かってるさ。ここの水門を閉じて、砦に火をつけるつもりだろう。俺はソニア様の部下なんでね。ここは通さないよ」
残念だったねぇ、とはへらへらと笑う。ビクトールが、へと足を踏み出した。その腕をが掴み、ビクトールの前へと躍り出る。「兄さん」彼は静かな口調だった。
「そこをどいてくれ。俺達はマッシュに頼まれているんだ」
「嫌だよ。通さないって言ったね」
「俺は兄さんと戦いたくない」
「俺はどかない」
「だからお前が兄さんをどかせるんだ」
ならできるだろ? とは笑った。はただ静かに、へと刀を構えていた。は手に持っていた棍を両手にし、先端をへと向ける。彼は一人で自分に向かう気だった。彼の仲間も、それを分かってか、自分たちのリーダーを固唾を飲んで見守っている。ただ、彼の勝利を信じているに違いない。
の棍が、素早く風を切り裂いた。は彼の棍を片手でさばき、刀を水平に振る。それを見越したは棍をと突如逆流させの刀を下から叩きつけた。
(まあ、多分)
は腰から短刀を取り出し、の懐へと付きつけた。はそれを間一髪で避けながら、の足を棍ですくう。は跳ね上がった。
(俺は)
は勢いでそのまま回転し、もう一発との横っ腹を狙う。は強かに棒で打ちつけられ、体を吹き飛ばすが、受身を取り身を低くさせながら、再びへと向かう。
(まあ、俺は)
はの刀の腹を叩いた。
(今日、死ぬんだろうなあ)
ふと、古い記憶を思い出した。
「お兄ちゃん」
ふくふくとした頬の少年が、の腰元へ手を伸ばした。は苦笑した。「様、お風邪をひきますよ」 あの頃は、まるで周りの使用人と同じように、彼へと接していた。いつのころか、少年がすねるものだから、軽い口調を話すようになった。「やだぁ、僕もお兄ちゃんと一緒にいる」
は困ったように苦笑した。に目線を合わせるように、はかがみこみながら、彼のお気に入りのバンダナの上から頭をなでようとした。けれども、汗でべとべとになってしまっている自分の手に気付き、胴着で手を拭いてから、少年をなでる。はリンゴのようなほっぺを真っ赤にさせながら、満足げに微笑んだ。
「様。俺は、親をなくして俺を養ってくれているテオ様に恩返しをしたいと思っているんです。せめてもとこうやって武術を磨いている訳なんですがね、テオ様をお守りできる腕になるのは、いつのことやら」
ははは、と彼は情けない顔で笑う。棍でもなく剣でもなく槍でもなく、自分にはこの刀が一番相性がいいと気付いた頃だ。あと数年で軍に志願できる年だった。
はきょとんとした顔で首を傾げた。は「分かりにくかったですね」と申し訳なさそうにのデコを親指でさする。
「まあ、テオ様の力になりたいってことです」
「ふーん」
分かったような、分かっていないような曖昧な表情をして、は自分の服をいじいじとする。は頬を緩めた。「でもですねえ様」 はふいと視線を上げる。
「いつか、このマクドール家はテオ様から様が継いじゃう訳ですから。そのときは」
俺が、お守りしますよ
の刀は、簡単に吹き飛ばされた。はの腕を踏みにじり、地面に縫い付ける。喉仏へと棍を置いた。勝負はついた。ひんやりと冷たい棍の感触が死を意識した。今なら簡単に死ねる。が彼の喉元を、少し強くつくだけでいい。
「……手を抜いたの、兄さん」
「抜いてないよ。それだけお前が強くなったんだ、」
さあ、あと一息だ。
(俺はテオ様についていく)
恩を裏切ることはできない。けれどもを殺すことも、見逃すこともできない。
(……ごめんなぁ)
駄目な兄ちゃんでごめんな、と叫べるものなら叫んでしまいたかった。は表情を殺したままを見つめていた。けれども少しずつその顔をゆがめていく。唇を震わせ、苦しいと彼は全身で叫んでいた。「……俺は、兄さんを、殺すことなんて」 できないよ。そう、彼は言葉を続けようとした。けれどもは叫んだ。「できる」
「お前ならできるよ、」
何を無責任なことを、と自分でも思う。けれどもは弟を信じている。彼は強い、それこそ自分が守る必要もないくらいに。その強さに自分は甘えているのだ。こんなにも年が下の義理の弟に甘えている。
はぐっと唇をかみしめた。そしての喉から、は棍をどかせた。ふと、長く息を吸い込み瞳を瞑った。ただの迷いは一瞬だった。はへと、強く棍を振りおろし、
「解放軍が、勝ったんだってなぁ!」
「ホント、バルバロッサの野郎が、やっといなくなった!」
「おい、滅多なこと言うなよ……」
ハッと酔っ払いの一人が自分の口をつぐむ。きょろきょろと辺りへ目を向けた後、ん? と眉をひそめて、「解放軍が勝ったんだから、んなこと気にする必要ねーじゃん!」と仲間内の背中を叩く。叩かれた青年も、「そうだったそうだった」と酒に頬を赤くして口元を緩めていた。
そんな中でも、つまらなそうにチッと舌打ちをする男がいる。一人ちびちびと酒をなめ、「ふざけんなよ……ふざけんな……」と、ただ同じ言葉を繰り返している。ふと男は、浮かれ回っている酒場の中で、自分と同じく、一人で壁にもたれかかり静かに酒を飲んでいる青年を見つけた。瓶の口を掴んで、男は千鳥足で青年へと向かう。そして青年の肩に腕を回す。
青年は多少驚いたかのような顔をしたが、あえて男を突き放すことなく「何?」と首を傾げる。何じゃねえさ、と男は青年に酒臭い息を出した。
「あんたも、赤月の軍の人間だろ? いやなに、わかるさ。俺だってそうだったもの。結構腕が立つだろう、兄ちゃん。俺もそうさ。五将軍の一人、テオ様に仕えてたんだ。アレンとグレンシールの野郎はさっさと裏切りやがったけど、俺は違う。最後までテオ様に、バルバロッサ様についていくってんで反乱軍に刃向った。刃向ったんだよ」
それなのになぁ……と、男はぐっと言葉を飲み込んだ。「そうか」と青年はただ頷き、男はふと顔をあげた。「兄ちゃんはどこにいたんだ?」「ソニア様んところだよ」
ふうん、と男は面白くなさそうに鼻を鳴らす。彼女も結局は反乱軍へと力を貸した。それは国に対する思いからか、一人の少年への恨みなのか、彼には想像もつかない。
男はぐったりと壁に背をもたれさせた。おそらく、誰かに話を聞いてほしかったのだろう。「結局、あの悪魔みたいな男は自分で争いを起こして逃げ去りやがった。するだけしてポイだ」 ポイっと自分の手でまるで紙くずをゴミ箱で投げるような仕草をする。
「俺はあいつみたいに逃げられねぇ。どんだけ変わっても、ここはバルバロッサ様が治めた土地だ。俺はここに縛られるんだ。どんだけ変わろうとも、俺はバルバロッサ様を忘れられない」
畜生、悔しい。悔しいよ。そう男は声と涙を漏らした。青年はちびりと酒を口に含む。言葉を発することのない青年にいらだったか、「兄ちゃんもそうだろう?」と、男は青年へと目を向けた。
どうなのだろうか、と青年は瞳を瞑る。赤い服を着て、いつの間にか大きく、大きすぎるほどに育っていた少年。
逃げるな !
そう、叫ばれた。振り下ろされた棍はレンガへと突き刺さり、ただ自分は瞬きを繰り返した。なぜ殺さない。そう睨んだ。そんな彼に、少年は叫んだ。逃げるな。
(……お前は、逃げたのか?)
変わってしまった結果から逃げたのか。それとも、自分では想像もつかない苦しみに立ち向かいに行ったのか。酒に酔うことすらもできない。一人の従者を連れて、彼方へと消えたと聞く少年の姿へ思いをはせる。
「……俺は……」
俺が、お守りしますよ
ふと、過去の声が聞こえた気がした。
青年は、は顔をあげた。そしてコップをくるりと反転させ、中身を床へとばらまく。うわあ、と男は身を引いた。「あいつは、逃げていないよ」
ただ、わかることはそれだけだ。
「まだ、間に合うかもしれない」
はポッチをカウンターへと叩きつけた。そして店主に向かってニッと口元を釣り上げる。ついでにコップも投げ渡した。
「釣りは取っといてくれよ!」
「とっとくって……うおおーい、お客さん、足りないよー!」
「悪い、急いでるんだ、勘弁!」
「ちょ、ちょっとぉー!」
悪いな! と店主に手刀をきり、ポケットの中をいじる。そしてぽいと小さなバッチを放り投げた。「それ、代わり! 一応金だから、売れるかもー!」 そんじゃあ! とは駆けだす。
店主は両手で慌ててバッチを受け取る。あーあ、と期待もしてないような表情でバッチをつまんだ。そしてぎょっとした表情で、ぽろりととりこぼしたバッチを慌てて宙で掴む。「こりゃ確か、副将軍の……!」
悪いねー、と手を振る青年と、手元のバッチを見比べて、店主はぽかんと口を開けたまま彼の背中を見送った。
2011.04.09
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ソニア・シューレンの元部下、・マクドール。
彼はこれから三年間、歴史の表舞台から姿を消すこととなる。
みたいなモノローグをつけようと思ったんですが、なんか恥ずかしくなった。