「こんにちは。今日から私は、あなたの兄になります」


それはまだ、俺が僕であった頃。何のことだろう、とぼんやり見つめる俺に、彼はにっかりと笑いながら言ったのだ。「初めまして。俺は・マクドール。あなたの義理の兄です」


あの頃の俺は、事情をよく飲み込めていなかった。
彼の家族は死んでしまって、だから彼はうちにやって来た。遠い親戚の人だけど、グレミオよりも、1つ2つ下の年らしい。ひょろりと背が高い人だった。彼は今日からは俺の兄で、けれどもいきなりそんなことを言われても困ってしまって、俺がもにょもにょと口を動かしていると、その人はひょいと屈み込んだ。「よろしく」 伸ばされた手のひらに、俺はおずおずと手を伸ばし返した。「よろし……く」 最後はあんまり上手く声が出なかったけれど、その人、は嬉しそうに笑った。そしてもう一回、うん、よろしく。と頷いた。


その人、・マクドールは、敬語を使うことが苦手な人らしい。
肩に乗せてもらった。にゅっと高くなる視界に、びっくりして彼にしがみつくと、兄さんはケラケラと笑った。「怖いですか、様」「うん」「正直なお人だ。大丈夫、俺がしっかりと様を支えてます」

最初は私と言っていたのに、気づけば俺になっていた。けれども本人もしまったと思ったらしく、わざとらしく、「私が」と後で言い直した。(…………無理してるのかな) 別に、普通にしゃべってくれたらいいと思う。兄さんは、よく外に出る。俺もその後を、こっそりとついて行った。知らない人達に囲まれていて、俺と一緒にいるよりも、ずっとずっと大きな声で笑っていた。口調も全然違っていた。なんだかちょっとだけ悲しくなった。

(……なかよくなりたいなぁ)

それって、どうすればいいんだろう。
兄とは、最初からいるものらしい。
途中からできるものではないらしい。
そんなの、ただでさえ分からないのに、もっと、難しくなる。
(どうやって、なかよくなったらいいんだろう)

嫌われてないと思う。
好かれていると思う。
それなのに、自分はそれでも不満らしい。
不満なんだ。
くやしい。

ぐっ、と喉が熱くなった。「……う」 ぎゅ、と隠れている煉瓦の角を握った。ざらざらと手の中で土がこすれる。目がいがいがする。片手でこすると、なんだかまた悲しくなった。ぼろぼろと涙がこぼれた。「う、う」 うー、と口元をへの字にさせて、僕はぼろぼろ泣いた。

彼は背中を向けていた。僕の知らない人と歩いていた。どんどん遠くなる。お兄ちゃんはあっちに行く。「おにいちゃん……」 ぽつりと呟いた。

ふと、お兄ちゃんは振り返った。どうしたんだ、と周りの人たちに声をかけられて、いや、なんでもない。と言いながら、やっぱり忙しく周りを見た。そして難しい顔をした後、てくてくとこっちにやってきた。僕が慌てて角から顔をひっこめると、それと同じくらいに、ひょいっと顔を覗かせて、「あ、やっぱり様」

どうしました。とお兄ちゃんは僕の前に座り込んだ。「あー、なにか悲しいことでもありました?」 ごしごし、と片手で僕の顔を拭いて、そうされたら、悲しくないのに、また泣きそうになって、やっぱり泣いた。「あらら」 お兄ちゃんは、僕の頭に手を伸ばした。そして肩に僕のおでこを乗せて、「ほらほら。グレミオさんが心配してます。ほら、一緒に戻りましょうか」

うん、と僕は彼の肩に顔をうずめながら頷いた。
お兄ちゃん、お友達は、とか。一緒に戻っていいの、とか。訊かなくちゃいけないのに、訊けなかった。少しだけ嬉しくて、そんな自分がずるくて許せなかった。
「ほら様」

しょうがないなぁ、と彼は呆れたように、声を出して、笑った。







「…………消え失せたい」

唐突に、昔のことを思いだして死にたくなる気分になるときがある。「どうしました? 坊ちゃん」とグレミオが不思議気な顔をして、こっちを覗いていた。「いや、ちょっと昔のことを思いだして」 兄さんとの、と言葉を付け足したとき、グレミオはうん? と首を傾げて、「くんの? くんが軍に行かれて、坊ちゃんが大泣きして大変だったときのことですか? それとも坊ちゃんがおねしょをしてしまったとき、夜中にくんと相談して」「ちょ、ちょ、ちょ、やめようか、ちょっと、ストップ、やめよう」

できることなら記憶の中から消えさってしまいたい出来事ばかりである。それだと言うのに、人よりも記憶力がいい自分が恨めしい。

(…………あのとき)
あのときの自分は、少しだけ優越感を持っていたに違いない。子どもらしい独占欲だ、と今更ながらに恥ずかしい気持ちになった。
俺は起き抜けの頭をくしゃくしゃさせながら、あーあ、と頬を叩く。「……何をしてるんですか、坊ちゃん」「いや、もう本当に。色々忘れたい」 はー、と重い溜息をつくと、グレミオはじっとこちらを見つめていた。いや、と俺は片手を振る。いらぬ心配をかけされる言葉を吐いたかもしれない。

「別に、子どもの頃のことだよ」 
「坊ちゃんはそれはもう可愛らしいお子さんでしたよ!」
「や、やめよう。ホントにやめよう」

きっちり人格が出来上がってない昔の話なんて聞いても、こっ恥ずかしくなるだけである。俺は話をごまかすように、ちらりと窓の外を見つめた。「……兄さんは、今頃なにをしてるんだろうね」「さぁ……どうでしょうかねぇ」

多分、元気にやってると思いますよ。と楽観的に吐かれた彼の台詞に、違いない。と俺は頷いた。
あの人は、俺の兄であるのだから。
違いない。







2011.11.24
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