■アレンとグレンシールとの出会い
「よう、七光りのマクドール」
すれ違いざまにかけられた声に、は眉をひそめ振り返った。声の主は、中々精悍な顔つきの男だった。彼の背後には、茶髪の、これまた端正な顔の男が、ぎょっとしたように、に声をかけた男に目を向けていた。「おいアレン」 やめろ、と声をひそめている。なるほど、彼の名前はアレンと言うらしい。
は軽くため息をつき、ポリポリと首元を引っ掻いた。そうするだけで、くるりと背中を向けて、そのまま去っていく。「おい、マクドール、聞いてるのか!」 声が聞こえる。めんどくさいな、と肩をすくめた。
「残念、聞いてない」
「聞いてるだろうが!」
「だから、アレン、やめとけ」
茶髪の男が、アレンと呼ばれた男を睨むが、アレンは片手を広げ、彼を追いやった。「ちょっと話があるんだが」「俺はないね」と、当たり前に答えれば、アレンは眉間の皺を深くさせた。背後に立つ茶髪の男は、諦めたように肩をすくめている。こっちの男に助太刀をする気はないらしいが、関わりあう気もないらしい。
「お前、紋章を一切使うことができないんだって?」
「そうらしいね」
「帝国兵の訓練生の基準にも満たないってのに、養父の七光りで居座ってるって聞いたんだが?」
「間違いはないさ」
「そうかい。俺は噂よりも、実際を見たいもんでね。ちょっくら腕試しをして欲しいもんなんだが」
につっかかる訓練生と言えば、大抵みんな同じことを言ってくる。どこぞで示し合わせているんじゃないだろうか。彼らは口ではそう言っているが、噂のひょろひょろとした貴族のお坊ちゃんをぶちのめしてやろうと、興奮に胸を踊らせている。おそらく、このアレンという男もそのたぐいだろうとは考えた。「私闘は禁じられてる」
ピシャリと言い切り、話がそれだけってんなら、俺は失礼するよ。と片手をひらめかせ、ポケットに手をつっこみ、てくてくと歩いて行く。アレンはそんなの態度が、またお気に召さなかったらしい。
「 なるほど、テオ・マクドールってのは大した男らしいな!」
はピタリと動きを止めた。言葉に反して、その響きはテオへの批判に満ちていた。「お前のその態度を見るに、テオ様の威光を借りているのは事実のようだな。はん、養い子が可愛がられたもんだ。帝国五将軍の一人、テオ・マクドールとは、噂では随分骨太な男だと聞いていたが、噂はただの噂だったようだ。がっかりだな!」
は長くため息を吐いた。そして再びくるりと体を反転させ、てくてくとアレンに向かい足を動かす。アレンは驚いたように瞬きをした。がさっさと尻尾を巻いて逃げるものだと思っていたらしい。舐められたものだ。しかしながら、自身が舐められようと、どう扱われようと、憤慨する気持ちがないと言えば嘘になるが、どうでもいい。しかしだ、「テオ様に対する侮辱はやめてもらおうか」 言葉を吐き出しながら、地面を強く足でぶったたいた。後ろの茶髪の青年が、僅かに瞳を大きくさせたが、アレンは特にどう反応する訳でもなかった。どうやら喧嘩慣れはしているらしい。
「侮辱だと? 事実を言う権利すらも俺たちにはないのか」
「何を勘違いしているかわからないが、俺はあんたにビビった訳でも、逃げた訳でもない」
は軽く小突くように、アレンの懐を握りしめた。
「あんたと同じようなことを言ってきた馬鹿がいたもんでね。思いっきりぶちのめして、やり過ぎだと懲罰房に入れられて、丁度さっき帰って来たばかりなんだ。もう五回だか六回だかわからないが、そんだけ暴れればテオ様にご迷惑がかかるとおとなしくしようと思ったんだが、あんたが言うには、そういう態度もテオ様のお顔に泥を塗ることにつながるらしい」
アレンはの手を鬱陶し気に払いのけ、「口ならなんとでも言えると思うが」「そうだな。あんたの言葉も一理ある」
お互いにんまりと口元に笑みをたたえた。茶髪の男が、「お前ら、本当にやめておけよ」と今度はまで諌めようとするが、アレンは苛立ったようにもう一度茶髪の彼を払った。「うるさい、とめるなグレンシール」
今更ながらに、青年の名はグレンシールと言うらしい。どうでもいいことだ。グレンシールは、やれやれと言う風に頭を振り、巻き込まれてはたまらないと言った風に、数歩下がる。とアレンはボキボキと指と首をならしながら、丁度の距離間へとぐるりと回りながら移動する。「さて、終わったときにはそんな生意気な口は叩けるかな、お坊ちゃん」「そっちこそ、お坊ちゃんに叩きのめされたとは恥ずかしくって言えないだろうから、今のうちに怪我した理由を適当に考えとくことをおすすめするぜ」
言うじゃないか。とアレンはニマッと笑った。も嬉しげに笑った。そこから数歩離れていたグレンシールは、また数歩、と距離をあけた。ぼかすかと殴り合う音を聞いて、長いため息をついた。アレンの拳をかわし、彼の懐にパンチを入れたの首根っこを、今度はアレンが捕まえて引きずりだす。そっからまたの肘打ちが飛び、たまらず手を離したアレンの頬をが殴り飛ばし、その腕を捕まえたアレンは、をひっぱり、思いっきり頭突きをお見舞いする。
がこんっ、と響く痛々しい音を聞きながら、「中々いい勝負をしてるじゃないか」とグレンシールはぽつりと呟き、何でも試したがりな相棒に、やっぱり長い溜息をついた。
***
どれくらい殴り合っていたのか、には分からない。ペッと地面に血の混じった唾を吐くと、ぼたぼたと両鼻から鼻血を垂らした目の前の男が、ぐいっと腕で鼻の下を拭う。彼に殴られた頬はじんじんとしていて、感覚はない。おそらく、ひどい顔をしているだろうな、と思った。けれどもと同じか、それ以上にもアレンは顔を腫らして、目の下を真っ青にしている。伊達男が台無しだ。
(……なんで紋章を使わないんだ)
あっちの右手には、しっかりと炎の紋章が刻まれている。紋章の使えないお坊ちゃんをいたぶりたいのだったら、使うべきタイミングは、とっくの昔にすぎている。紋章を使われたところで、どうってことはないが、とは心の中で強がった。と同じ条件で戦うこの男が、どうにも馬鹿正直な奴に見えて、他人ごとながら呆れそうになってしまう。
あっちはあっちで、が噂通り、見かけ通りではないととっくの昔に気づいたらしく、こっちを見る目は鋭い。けれども、どこか楽しげな顔つきだ。そんな顔を見れば、こっちも最後まで相手をしてやらなくてはいけない気がする。なにか、わくわくとしていてしまう。は拳を握り、つきだした。バカッとアレンの顎に当たるが、ふぬけた一発だったらしい。アレンは体をくらりとさせるだけで、すぐさま起き上がりこっちに拳を向けた。のろい拳の動きを、同じくのろのろと体をどかしてさけてやった。
「 お前ら、いい加減にしろ!!」
とうとう耐え切れないようにグレンシールは声を張り上げたが、彼らの動きは止まらなかった。けれども、その次に聞こえた声を、は無視をすることはできなかった。「何を、いい加減にするんだ?」
ピタリと体の動きを止めたを、ぱかんと一発アレンが殴った。そのまま一回尻をついて、ぽかんとあらぬ方を向くに、アレンは首をかしげて、同じく自身も顔を向ける。そしてピタリと体を固まらせた。彼らよりも、もっと近くにいたグレンシールは、ぱくぱくと金魚のように、口を動かして、「て、テオ様……」「お前達は、いったい何をしているんだ」
鋭い眼光を向けられ、とアレン、そしてグレンシールは素早く屹立し、一直線に並び、背中に腕を回す。アレンの鼻からはぼたぼたと血が流れているし、同じくの唇は切れて真っ青になっている。お互いの衣服はところどころ破れている上に、土だらけで髪だってぼさぼさだ。普段のの素行と、現状を見れば、何をしていたかなどと訊かずとも、すぐさまに理解できる光景だった。
は特に言い訳をする気はなかった。売られた喧嘩を買っただけとはいえ、私闘の禁を破ったのは自身である。寧ろ、相手の言い訳が見ものだな、と意地悪くほくそ笑んだ。「ハッ」 アレンは鼻血をだらだらと出しながら、上を向き、腹の底から声を出した。
「テオ様が自身の養い子という理由で、この・マクドールへと不当に目をかけているとお聞きしましたので、事実を確認してやろうと、喧嘩を売りまして、私闘を行なっている最中でありましたッ!!!!」
思わず、長い間がやってきた。「こ、このバカ……!!」 たまらず叫んだグレンシールの声にも目を向けることなく、アレンは堂々として胸を張っているだけだ。何もそこまで馬鹿正直に答える必要はないんじゃないかと思わずの方が動揺した。「なるほど」とテオは頷き、グレンシールに目を向ける。慌ててグレンシールは居住まいを正し、アレンと同じように上を見上げた。
「お前も同じか」
が見たところ、グレンシールはただのとばっちりのようなものである。適当に、さきほど通りかかっただけだと言い訳をつければいいのに、「いいえ、ありません」 彼はアレンと同じく、馬鹿正直に、きっぱりと答えた。
「そうか、わかった」 テオはそう頷き、二人の青年をじっと見た。
「お前たちの名は何だ」
「ハッ! 私はアレンと申しますッ!」
「グレンシールと申しますッ!」
すかさず、彼らは答えた。アレンとグレンシールか。とテオは彼らの名を口元で繰り返す。そのとき、おそらく長く彼と共にいるにしか分からない程度に、口元を微笑させた。それは一瞬のことだ。すぐさま彼は顔をひきしめ、「覚えておこう」と、いかめしい顔で頷き、こつこつと足を動かし消えていく。
三人の訓練生は、将軍の背が消えるのを待って、やっとこさ体から力を抜いた。そしてどさっ、と地面に座り込んだ。「はー……」と長く息を吐いていたアレンに、「この馬鹿! もうちょっといい言い訳があったろうが!」とグレンシールの怒声が向けられる。しかし、とアレンは言いよどみ、流れた鼻血を指で押さえながら不満気な顔をした。
「グレンシール、お前だって、上手い言い訳が思いつかなかったんだろうが」
「お前と一緒にしないでくれるか。どうせこの場に最初から最後までいたのだから、同罪だと腹をくくったまでだ」
まったく、お前と言うやつは、なんでこう無鉄砲なんだ? とくどくどお説教を向けられ、次第に肩を小さくさせるアレンを見て、思わずは吹き出した。彼ら二人は、今さらながらにの存在を思い出したようで、気まずく視線を逃がす。「改めてだが、俺は・マクドールだ。噂の通り、紋章の才能の欠片もないが、意地汚く訓練生の椅子に座っている七光りのお坊ちゃんだが?」
口の端を軽く上げれば、アレンは弾けたように笑った。「そうか。俺はアレン。そしてこっちは」「グレンシールだ」
「さて、さすがの俺でも、懲罰房に入ることになるとは思わなかったな」
「そのセリフは俺がいいたいんだがな」
お前はいつか、何かをしでかすと思っていたよ、とグレンシールはアレンを見ながら額を押さえる。「あんたら仲がいいね。元からの知り合いかい?」「まさか。こっちに入って、こいつと同室になってしまったのが運のツキさ」 とんでもない、と首を振るグレンシールに、そこまで言わなくてもいいだろう、とアレンは口をぼそぼそとしている。鼻血の方はやっとこさ止まったらしい。
さてと、とは首をならした。「ま、安心したらいいと思うぜ。あんたらが懲罰房行きになることはないと思うがね」 の言葉に首を傾げているアレンとグレンシールに、そりゃあわかるまい。と彼は笑った。「あのテオ様の、覚えておこうってセリフは、悪い意味じゃない」
寧ろその反対さ、と口元だけでつぶやいて、腫れた頬を押さえながら、立ち上がった。「俺も、覚えておくよ。アレンと、グレンシールだな」 次があれば、よろしく頼むぜ、と体をふらつかせて彼らに背を向けた。中々面白い奴らもいるもんだな、と勝手に口元が笑ってしまったが、頬がひきつって痛い。いちち、と顔を押さえて苦い顔をしつつ、ふらふら一歩一歩進んでいった。そのの背中を、アレンは見つめ、グレンシールは、ぽかりと彼の頭を叩いた。
「アレン。後で必ず、頭の一つも下げにいけよ」
「……わかってるさ」
こっちも、同じくらいにやられたんだがな、と彼は軽くため息をついて、またぽたぽたとこぼれ始めた鼻血を手で押さえた。
2012.02.06
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