「…………トランに行けって?」


何かの間違いだと思いたい。けれども確かに、確実にこの軍師はそう言った。「待て待て、待て待て待て」「これは命令だ。ナツ殿を連れて、トラン共和国へお前は向かえ。あちらの国とは先日同盟を結んだばかりであるが、ルカとの戦いを控え、また密な協定を結びたいものでな。そこでお前の名を借りたい」「待てってば!」

つい先日、また新たに同盟が結ばれた。元赤月帝国、現トラン共和国との同盟は、城に大きな話題を呼び込んだ。トラン。この名を聞けば、とて妙にざわつく。トランから派遣されたバレリアと呼ばれる女騎士を遠目で見つめ、ひどく奇妙な気持ちになったものだ。

とにかく、そんな最中に呼び出されたは、開口一番のシュウの言葉に、馬鹿のように口を開けた。「出発は明後日だ」 すっぱりと切り捨てたその言葉を聞きながら、は頭を引っ掻いた。「駄目だ全然きいてねえ」 会話を試みるという努力がゼロである。


「軍師殿、俺はあんたと約束した。この新同盟軍に俺は力を貸す。けれども、トランの名は出さない。俺はただのとして、この城にとどまるってね」

確かに彼はそう言った。「時勢とは刻々と変化をするものだと知らなかったか? 商売では常識だ」「あいにく、温室育ちなお坊ちゃんなもんでね」 打った舌と嫌味な言葉は、なんてこともなしに受け流された。

「だいたい、俺はもうあそこの国とはなんの関係もない。副将軍だったっつっても、過去の話だ。今更顔を出したところで、あっちにとっちゃいい迷惑だ。会合を潰したいのか」
「お前にとってはそうでも、あちらにとってはどうかな」

何? とは瞳をすがめた。どうにも話が見えない。「という男が、新同盟軍の将の一人である。その男は奇妙な薄い剣を持ち、背が高く、弟を探している……と」「なんだよ」「会合の確認にてトランへ伝令を渡した際、それは事実か否かとの言葉をもらってな。それが確かであるのならば、その男もこちらに連れてこいと」

ぴしりと血管がこめかみに浮いた。
「おっまえ、それをイエスって、イエスと送ったわけか……!?」
「俺は確かにこの城でマクドールの名は出さんと誓った。が、しかし、あちらの国からの問いかけがあった場合に対する約束はしていない。そうして新たな取引を結ぶため、こうしてお前に確認の言葉を渡している」
「一方的だろうが!」

何がこの男は取引においては信用できるだ。しばらく前の自身の思考を思いっきりに殴ってやりたい。「そもそも、そのような問いかけをする時点で、あちらはある程度の確証は持っている。下手に否定する訳にもいくまい」「だからってお前なあ!」 

正直、自身も少々危ういとは気づいていたのだ。ハイランドの国境までに響くその噂は、同じくお隣であるトランにまで響かぬ通りはない。それに加えて、この新同盟軍だ。「いつまでも後ろを振り向くようなら、いっそのこと吹っ切ってこい」 つきつけられたセリフが、ひどく胸に響いた。

「軍師殿、あんた……」
「まあ、新同盟軍とお前との価値を天秤にかけるのなら、お前側がひどく軽かったことは否定しないが」
「てんめぇ……」

まあうまくやってこい、と軽く送られたセリフに、俺はあいつをぶちのめしても問題がないだろうかと幾度も逡巡を繰り返した。



   ***



「…………それで、はなんで沈み込んでいる訳だ?」
「さあなあ」

妙に静かで気持ちが悪いな、とぽそぽそ語り合う熊と青マントのセリフにヤサグレ気味に答えた。「船に酔ったんだよ」「意外とやわな体してるな」「うるせえ熊。動物園の檻の中に閉じ込めるぞ」「はは、フリック、こいつめちゃくちゃ機嫌が悪いぞ」

げらげら人差し指を向ける男を相手にしていると、いらつきのボルテージが上がってくる。額に手を置いた。笑い声が無駄に頭に響いてくる。「さん、大丈夫ですか?」「うん、いや、大丈夫だよナツくん。気にしないでくれ」

はは、と片手を振りながら笑うに、ビクトールはがつんと彼と無理やりに肩をくんだ。「、お前ほんっとガキにゃ甘いよな。なんだ、子どもが趣味ってか?」「てめえマジふんじばるぞ……」

びくりと後ずさるナツとナナミに、「いや違う」と慌てて両手を振った。「弟がいるんだ。だからその、年が下の人間を見ると、どうにも態度が変わるというか」「だからガキが趣味なんだろ?」「ビクトール、いい加減にしろ」

止めたフリックの言葉の前に、すかさずはビクトールの首を締めあげた。呻きながらもぺしぺしの手を叩くビクトールを見ながら、仲がよろしいことだ、とナツはこくこく頷いた。「さん、弟さんがいるんだね」 同じく弟を持つ身であるからか、妙に感慨深くつぶやくナナミに、「まあね」
いるんだよ、と笑う声は、どうにも虚しい。


そうだ。いるのだ。
そうして、彼が守った国へ、自身の祖国へと足を踏み入れる訳だ。






「……おい、、お前本当にどっか悪いんじゃないか?」
「いや、そういう訳じゃない。違う……」
「それならいいが」

無理するなよ、と叩かれた肩に、ひどく情けない気持ちになった。懐かしい王城だ。磨かれた大理石に、真っ赤なカーペットがしかれている。見慣れた城だと思えば、やはりどこかが違う。三年だ。三年も経ってしまった。

案内人に連れられて、達はトラン城を歩いた。ちらりとこちらに目を向けたメイドに、は慌てて目を逸らした。こちらとしては見覚えがないが、あちらはそうではないらしい。ぽそぽそと仲間のメイドと声をひそめて話し合い、ちらりとまたが目を向ければ、ホウキとバケツを握りしめ、そそくさと消えて行く。

(戻ってきたんだな)

この場所に戻ってきた。

開けられた扉の向こう側に座る男は、かつての主ではない。
「ナツ殿、度々の足労申し訳がありませんな」
「いえ、こちらこそ。お力を貸していただいていますから」

玉座に座る男の名はレパント。気骨のある風貌に、柑子色の口ひげがよく似合う。前回の会合からか、ナナミやビクトール、フリックまでもが彼と面識があるらしい。まあもしくは、解放軍での縁だろうか。
彼の風の噂はきいている。元はトランでも有数の富豪であったが、とともに戦場を駆け抜け、彼が去ったその後を初代大統領としてトランを治めている指折りの英雄だ。

朗らかな会談に、は一人腕を組みながらそっぽを向いた。「……きみがかい」 唐突に問いかけられたその声に、はめんどくさ気に頷いた。ナツやナナミ、ビクトール達からの奇妙な視線は見ないふりを努めた。

「ええ、です。お見知りおきを、レパンド殿」
「なるほど彼とよく似ている」
「ジョーダン。血が繋がってるっつっても遠縁です。俺はただの義理ですよ」
、知り合いか?」
「いいや」

フリックの問いかけを適当にかわしながら、さて、と頬をかいた。

「ここまで来てなんなんですが、正直俺がいると色々迷惑をお掛けすると思いますんで、宿屋にでもひっこんじゃいけませんかね。もし元解放軍として、現トラン共和国大統領としての罵倒のお言葉などがありましたら、また日を改めてお伺いさせて頂けませんか。罰でもなんでも、あまんじてお受けいたしましょう。ただし、この首まではご容赦くださればありがたい。私は未だすべきことが残っている」

少々虫のいい話でしょうか、と苦笑する男に、いいやとレパントは首を振った。「私にはそんな権利などどこにもない。赤月のあの国はすでに滅んだ」 重苦しい言葉だ。気づけば、も彼と同じような表情を浮かべていた。

「寛大な御心に感謝します」
赤月式の礼である腹に片手を置きながら、粛然とは頭を下げた。そんな自身の仕草に気づいて、バカバカしいと顔を上げ、「ま、つーわけだ」と、ひらりと片手をひらめかせ、軽い声で笑う。

「話が見えねぇんだが?」
「ま、詳しくは宿屋で話すよ、ビクトール」

そうじゃあな、と広間の扉に手をかけた。(おそらく) 俺は、この国に、城に、二度と足を踏み入れることがないだろう。そう心の底で気づいた。
自身はすでに消え去ったはずの人間だ。元をかき乱すしか脳のない、敗戦の将である。(まあ、ちょっとくらい) 懐かしい気分にはなったさ。そう思って、扉を開こうとした。その瞬間だ。



ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
「おぶっ!?」

がつりと開いた扉に顔を打たれた。「どこだ、、メイドに聞いたぞ、お前が帰ってきているとな!!!!」「おいてめえ……」「姿を隠すとは卑怯な男だ! それほどにこの火炎将のアレンが恐ろしいか!」「きけこの馬鹿が!」 おもくそ叫んだ。

広間の床にへたり込んだ男を見て、「」とアレンは瞳をしばたいた。その様子に肩をすくめ、よっこらせと立ち上げる。「……よォ、ひさしぶふっ!?」「どの面下げて戻ってきたこの馬鹿がッ!!!!」 右ストレートが決まった。

開けっ放しの扉から、メイドの悲鳴が聞こえる。鼻の辺りが妙にむず痒い。
「おっまえは……なんで毎回……拳でしか語れねぇのかアレン……!」 相変わらずの馬鹿力だとふらついた。そうして片手で鼻の頭を押さえて、「この馬鹿が」とは言葉を吐き捨てた。もしかすると、と考えてはいた。この赤々と瞳も燃やすこの男に会えば、自身はどうするのかと。


頭を下げるか。
懺悔の言葉を口にするか。
はたまた、彼がテオを守れなかったことに対して、自身は怒りの言葉を口にするか。


実際、なってみないとわからない。まさかの可能性だ。道中の道すがら、そう考えながら、ゆらゆらと船に揺らされた。そうして今現在となり、実際になってみないと本当に何もわからなかった、ということを彼はよくよく理解した。とりあえず、とは息を吸い込んだ。そうしてブチッと脳みそをキレさせた。見事に切れた。「この脳みそ筋肉の脳筋野郎が!」 そうしてアレンの顎をうちぬいた。どよめきの声は、とっくの昔に聞こえていない。


「出会ったときからお前はそれだ。殴ると叫ぶと一直線しか知らねえのか! なんでテメエなんかをテオ様が選んだってのか俺は毎度毎度不思議だったよ!」
「なんだこのひょろ長野郎が! 未だにその話か! 恨みがましい未練の塊の女なような男だな!」
「俺の方がテオ様のお力になれた!」
「俺以外の誰にテオ様の右腕が務まるか!!」

単細胞な争いである。ぽかんと瞳を丸めていた聴衆人をかき分けて、「アレン! ! いい加減にしろ!」 端正な顔つきの茶髪の青年が、慣れた呆れ声を叫ぶ。その間にも、ぼかすか殴られる擬音語を耳に、彼はぴしりとこめかみに筋を立てた。「ビクトール! フリック! いいからあいつらを止めろ!」「お、おお。グレンシール」「いや、待て、もう少しだな。もう少し殴らせ合った方が後が楽だ」 

手慣れた処置と判断で頷くグレンシールは、即座にレパントに頭を下げた。
「レパント様、御前にてお見苦しい姿、申し訳ありません」
「いや」と面白げに彼は口元を緩めた。「お前から、こうなるだろうとは聞かされていたしな。それにまあ、たまにはこういうものも悪くない」「は……」

申し訳がありません、と改めて頭を下げるグレンシールの隣で、「ナツ……さんって、あんな人だっけ?」 あれー、と首を傾げるナナミに、「まあ、人にはいろいろあるのかもね」といつの間にやら大きくなった少年は、あはは、と一つ、楽しげに笑っていた。



   ***



「それで、、お前は本名は・マクドールで、の兄、ついでに元は赤月帝国、副将軍だったってか……」

ははあ、と腕を組んで見下ろすビクトールに「まあね」と不満気には鼻の穴にティッシュをつめた。グレンシールの言うとおりに、お互い心底殴り合い、怒る気すら失せたらしいアレンも、彼と同じく鼻を片手で押さえている。子どものような喧嘩だ。

「……ん? そういや随分前に会ったことがあるような……気のせいか?」
「気のせいじゃねーよ……」
ぽそりと呟いたのセリフに、熊はこくりと首を傾げた。それ以上突っ込むつもりはない。財布の中がひんやり冷えた虚しい思い出は、未だに根強く残っている。「退治屋のが、あの紋章いらずだったとはね……」 訳知りに口元を押さえたフリックの言葉に、うん? とは眉を寄せた。

「まあそれにしても、お前ら元気に殴り合ったな。中々笑える」
「こいつらは昔から変わらないんだよ、ビクトール」
「お、グレンシール。なんだお前も知った口じゃねえか。腐れ縁か?」
「不本意にも」

そう返事をしたグレンシールに、なぜだかうんうんフリックが頷いた。「ん?」と、ビクトールが口元をすぼませ不思議気な顔をした。

「見世物じゃねえぞ。クソッ……」 青い頬を片手で押さえて、不満気な声を出すに、「わざわざこんな目の前でおっぴろげるお前らが悪いな」 呆れ声の青雷だ。

「それは、アレンがいきなりつっかかってくるからで」
「なんだと……! 元は俺達にも無断で、お前が勝手に出奔するから……!」
「それはを探しに行ったんだ! 兄が弟を探して何が悪い!」
「お前はいつもそれだ、と弟ばかりに目の色を変えるからな! そのくせこちらにつく訳でもなし、なんだその意地っ張りは!」
「うるせえ! 俺はテオ様の意思を貫きたかった、ただそれだけだ!」
「それは、俺だって……!」

「お前ら、仲がいいのも大概にしろよ……」

どこがだ! とかぶさる声に、長く長くグレンシールは息を吐き出した。いつものことである。「あの、すみません」 そんな中で、ちょいとナツが片手を上げた。「ああナツ殿申し訳がない。うるさい身内ばかりでして」「あ、いやそれはいいんですけど。……さんが探してるのは、トランの英雄のさんってことで、間違いないんですか……?」

不安げに問いかけたその言葉に、ええ、とグレンシールは頷いた。あの戦争に関わる者たち全てが瞳を下げた。その少年は、このトラン地に安住を与え、ただ一人の使用人を引き連れて、消えてしまった。「殿……彼は一体どこにいらっしゃるのか」

まるで遠い過去を思い出すようなその言葉をレパントは静かに吐き出した。誰しもが彼を探した。その少年の姿を探した。けれども、誰も彼を見つけることができなかった。
「あ、いや、僕知ってるんですけど」「…………ん?」 レパントは金の輪っかをはめる少年に、瞬いた。

「だから、その。さんの場所。僕、知ってるんですけど…………?」


撃ち落とされた問題発言に、広間の人間は声を揃えて首を傾げた。「…………はい?」




    ***



「だから、前回トランに訪れたときに通ったバナーの村で、山賊に遭ったんです。そのとき助けてくれた人がさんだったんですが、あまり目立つことは嫌だってことで、一応秘密にさせてもらってたんですけど……」

まあでも、シュウにはこのとこは伝えてますよ、と人差し指を立てる少年を見て、は一人頭を抱えた。「あんのクソ軍師が……ッ!」 全てをわかっていた。だからこそ、彼はをトランに送り込んだという訳だ。

さん、怪我を治しましょうか?」
「いや、いい。気にしないでくれ」

それより先にと達は森を抜け、崖を降りた。船着場のバナーの村、都市同盟のはずれの街にて、は二本の足を踏みしめた。ここにいる。

彼がいる。

は彼らを振りきって、森の小道を駆け抜けた。わかる。じわじわと、何かを実感した。殴られ、ひきつれた頬の痛みは、とっくの昔にどこかに消えた。ガチャガチャと刀を揺らして、昔彼にもらった飾り紐が揺れる。
池の釣り場に腰をかけて、ゆらゆらと竿を揺らしている男がいた。

踏んだ砂利が、音を立てる。少年は振り返った。そうして、を見て、静かに瞳を見開いた。「」 兄さん、と静かに彼の口が動く。

少年は何も変わらなかった。彼の記憶の中の姿と変わらなさ過ぎた。その特異さに、は気づいた。けれどもそんなこと、どうでもよかったのだ。「…………!」 声を振り絞った。ぽとりと少年は竿を落とした。


ぼろついた顔で、片目を腫らして、顔の片側を青くして。なんとも情けない顔つきだ。瞳が滲んだ。口を動かせば、切れた口の中がよく染みる。「久しぶりだな。元気そうだ」

そう呟いた青年の声に、彼は笑った。「ああ、兄さん……は、そうでもないかな」

「そんなにひどい顔をしてるのか?」
「ひどいね。女の子にはちょっともてないくらい」
「野性味あふれた魅力ってのはダメかい」
「このごろは優男がもてるんだよ」
「そりゃ残念だ」

笑う度に、口元がひどく痛い。けれどもは笑った。少年も笑った。
馬鹿のように、二人して、ふたりきりの兄弟の再会を祝った。






2012/12/31
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