結局、全部はこいつの手の中にあったってことだ。
は長い息をついて、ちらりと目の前の男を見た。長い黒髪を垂らしながら、相変わらず飄々と片手に文を握りしめ、「なんだ、弟は連れてこなかったのか」と、不満気な声を出す。アホか、とは言葉を飲み込んだ。「可愛い弟を無理やり引っ張り込む兄貴がいるわけないでしょ」
つまらん奴だ、とひねくれた言葉を呟いた軍師殿には呆れ半分に頭をひっかいた。
「お前、やっぱりそれが目的だったってわけか」
トランの英雄が、新同盟軍を指示した。
その事実があるだけでも、どれほどまでの有益が望めることか。くえない男だ、と思ったのは、これで何度目のことだろう。シュウはふんと鼻で笑い、「まあ、予想はしていたことだ。それよりも、のちのトランの副将軍へ恩を売っておくことも悪くはない」「…………」 どこまでも嫌な男だ。
「別に、こっちは承諾した訳じゃないんだがね」
「ならばさっさと覚悟を決めることだな。そうして俺に得をさせろ」
投げつけられた文を受け取り、は苦い顔を噛み締めた。まったく、正直な軍師殿だ。文の宛名と封を確認する。返事代わりにひらひらと振って、懐にしまいこんだ。
***
「ソウルイーターねえ……」
真の紋章の存在は知っていた。大半の民にとってはお伽話のようなその伝承だが、赤月の元の帝王、バルバロッサは、その剣に覇王の紋章を宿し、己の身を竜に変えたと聞く。人を不老とし、多くの力と、そうして災いを持ち運ぶ呪いの紋章を、まさかこの義理の弟が所有することになっていようとは、誰が予想できただろうか。
(いや、トランの英雄は、不死であると)
そう、酒場の中で、酔った男たちの間で、まことしとやかに噂されていた。黒衣を身にまとう死神を彼は引き連れ、多くの命を引きずり裁く、呪いの男である。だからこそ、彼は父を殺し、兄と敵対し、多くの死を見届けた。
これはバカバカしい、ただの噂と例えである。実の父を殺した彼に対する、幼稚な嫌がらせの言葉だ。そう自身は受け流していたが、なるほどよくよく事実を捉えたものであったらしい。
故郷の屋敷にて、弟と、その従者から告げられた静かな真実に、は深く思案した。
「だから、お前は国をたったのか……」
なぜ彼がこの国から去ったのか。全てに嫌気がさし、逃亡したか。それともただ虚しくなったか。自身がすべきことを全て終えたと姿を消したか。そのどれでもあるような気がしたし、どれでもないような気もした。そう感じた俺の気持ちは、ある意味正しくもあったわけだ。
「その紋章は、今でも魂を食らうのか」
「普段はなるべく抑えているんだけどね」
「なるほど。そりゃ人里の中じゃ暮らせないな。加えてその外見じゃな」
「くん!」
「グレミオ、兄さんの言葉は正しい」
慌てて立ち上がったグレミオに、は片手で制した。の姿は、数年前と一つたりとて変わらない。二十歳ほどの男だ。そう告げまわって探していた。見つからないはずだ。
「俺は……お前を探していたんだ」 ふと呟かれた言葉に、はわずかに瞳を見開いた。そうして膝に目を落とした。「兄さんの話は聞いていたよ。名前と、容姿と、それだけあれば十分だ。俺を探しているんだと思った。兄さんには申し訳がないと思った。それでも……」「いやいい。それは気にしないでくれ」
こちらの予想が、いくらか足りなかった。ただそれだけの話だ。
は困ったように苦笑した。相変わらず昔と変わらない、子どものような笑い方だ。妙な既視感が溢れた。そうすると、勝手に口元が緩んでいた。慌てては自身の口をさすって、椅子に座り込んだ体を直し、テーブルに片手を置く。
「俺はな、。お前が何を思って、赤月から消えたのかはわからなかった。それでも、無理にでも俺はグレミオさんと同じく、マクドールの配下として、お前について行こうと思っていた。トラン国から再び俺を軍に迎え入れたいという正式な文が届いてはいたが、断るつもりだったよ。」
つい先日、シュウに投げつけられた文を、懐の上から撫でた。「兄さん、それは」「まあ待て。でも気が変わったんだ」 とグレミオの、きょとりと見開かれた瞳を見ていると、なぜだか少し楽しい気分になった。
の隣には、グレミオがいる。彼が持つその紋章は、親しい人間の魂を食い殺す。覚悟はある。そう、グレミオならば答えるのだろう。けれども少年は別だ。おそらく、その一人でも彼の心は耐え切れない。また、自身が彼のそばにいることを、少年は望まない。(だったら)
「俺は、トランの国に戻ろう」
戻る、という言葉は少々おかしいかもしれない。赤月であったあの国は、すでに滅びた。
「マクドールの名を、形を、俺はこの国に残す。未来まで、俺はお前の場所を守る」 だいたい、とっくの昔に知っていたのだ。彼はもう子どもではない。姿ばかりは昔とは変わらないが、それだけだ。自身の支えなど、とっくの昔に必要がないのだ。彼は見事に戦いを終結させ、平穏を民に授けた。
兄さん、兄さんと肩車をして、楽しげに笑った子どもはもうどこにもいない。
少しだけ、妙に心が寂しくなった。
「でもな、俺は……お前にマクドールの名を継いで欲しかった。子を残し、マクドールの血を絶やすことなく、あとに続けて欲しかった」
そう口にした言葉は、言うべきではなかったことだ。「まあ、それはさておきだ」 言いづら気に何かを口にしようとした弟に言葉をかぶせ、はパシリと自身の膝を叩く。「命じてくれないか」 かちこちと、止まったはずの屋敷の時計の音が響いている。
「俺の主はお前だ。お前はただ唯一のテオ・マクドールの息子であり、マクドール家の嫡男だ。だから・マクドールとして、命じてくれ。俺に家臣であれと、その身全てをマクドールに捧げ、生き続けろと。お前を待ち続ける。そうすることを、俺に許せ。そうしてたまには家に帰ってこい」
なぜだかひどく、尊大な言葉だ。態度と言葉と、その内容が噛み合わない。
思わず笑い出しそうになった声を、グレミオは口に手を当て飲み込んだ。そうして、自身の主へ瞳を向けた。
は肩を震わせた。大声を出して笑っていた。その様子を、は不思議気に眺めた。
「兄さん、家臣だとか、配下だとか。そんなことを言ってるくせに、妙に態度が大きいよ」
「そうか?」
「そうだよ」
ときどき、この兄は妙に鈍くなる。弟は笑った。「それは、なんていうかさ」
緑のバンダナを片手で外して、いたずらっこのように、笑っていた。
「それは、ただの家族としてってのは、ダメなのかな」
今度はきょとりとが瞬いた。ぐるりと視線を動かし、肩を崩した。困ったように笑って、口を緩める。
言葉に出さずとも、彼の返答は案外わかりやすい。
***
「こりゃ確実に紋章兵がひそんでるな」
「その根拠は?」
「勘だよ」
言い切ったその言葉に、フリックは呆れたように眉を寄せた。はためく風が、草木を倒す。くしゃりと短い草を踏みしめ、は笑った。「俺は人一倍紋章が苦手なんでね。だからこそ、嫌な予感はよく当たるってことさ」「妙なやつだ」「よく言われる」
まあこれくらいなら、俺一人がいいだろうと笑う男は、ひょいと片手を付き出した。
「槍をくれ。馬上じゃそっちの方が使いやすい」
「お得意の武器以外でも問題はないのか?」
「多少ならね」
フリックは背後の兵にいくらかの指示を出した。持ってこさせた長い槍を、暴れる風の中でに投げ渡した。「まかせたぞ、紋章いらず」
片手でそれを受け止めながら、は不思議に眉をよせる。暴れる馬の手綱をひいて、「ところでその紋章いらずってのは、俺なのか?」「……知らなかったのか?」
知らないよ、とはすねたような声を出した。「っていうかなんだよ、二刀いらずのパクリかよ」「俺に言われてもな」 そう言われるんだから仕方ない、と腰に手を当ててため息をつく青に、まあそうか、と一人頷く。
「二刀いらずのゲオルグ・プライムね……」
懐かしい名だ。
幾度か、彼は自身の二つ名を口ずさんだ。まあ慣れてくれば、案外悪くはないと思う名ではあるかもしれない。「まあいいや、やっぱり気に入った」 あぶみに足をかけ、騎乗する。駆けた馬が、地を蹴り上げ、ぴしりと彼の頬を風がないだ。
長い槍が、空気を割いた。
「
紋章いらずの、参る!」