イヴがもしケータイだったら









一人暮らしで連絡無精。ケータイ持たずな俺に対して、とうとう実家が俺に切れた。
姉が選んだというケータイを見つめ合い、俺はしばらく口元を震わせた。不思議気にこちらを見上げる茶髪少女の女の子は、背中までの髪をゆらゆらさせて、真っ赤なスカートに同じ色のスカーフだ。
幼女だった。
根本的に言うと幼女だった。

「ウワアアアアワアーッ!!!!」

ロリコンの変態が降臨した。




なんだよこれ使えねーよ、外に持ってけねーよ、なんで姉ちゃんこんなケータイ選んだんだよ、可愛いでしょじゃねーよ使う相手のことを考えろよ!
とかなんとか思いながらも、さすがに本人(本ケータイ?)の前でぶつくさ文句を言うことはためらわれた。静かにじっとこっちを見上げられると、なんだかものすごく申し訳無い気分になってくる。

「っていうか……なに? どうやって使えばいいんだ?」

ケータイとかわっかんねーよ、機械とかマジイミフだし、といらつきながら頭をひっかくと、ぴくりと彼女は反応した。ポケットの中から、なにやら小さな本を取り出して、パッと自慢気に自分の前に掲げる。

「まず、を、して、さい」
「…………ん?」
「それから、を、なって、さい」
「…………んん?」

もしかしてちょっと壊れてる? と思いながら、「ごめんちょっと」 彼女が持つ説明書らしきものを指先でつまんで受け取った。小さい。戸棚の中から虫眼鏡を持ってきて、じっと見つめる。


     まず、充電をして下さい
     それから、初期設定を行なって下さい


「…………もしかして、漢字が読めないの?」

んん? と彼女はまた不思議気に首をかしげた。うん、まあいいか。






今更だけども、この子の名前はイヴというらしい。イヴふぉんである。

     通常のケータイは、メール送信を紙に直接書いて送ります。ケータイには15センチよりも短いえんぴつを持たせてください

ほほう。とまあとりあえず、こないだ聞いた姉のアドレスに送ってみるか、と「イヴちゃんイヴちゃん」とちょいちょいと手のひらで呼んでみた。イヴちゃんは小さな足をとてとてと動かして、なんだろう、とばかりに首を傾げる。癖なのだろうか。

「ほら、えんぴつ。長くない?」

こくこく、と頷いた。15センチとは書かれているものの、なんだかちょっと可哀想だったので、なるべく短めの7センチちょっとにしてみた。これ以上は短いえんぴつが自宅にない。
書く紙は適当なメモ用紙でいいらしい。書いた文章を脳内で構成して、それをネットを通じて他ケータイに送信するらしい。よしわからん。

「そーだなー、『姉ちゃんほんっといい加減にしろよな。でもとりあえずテスト送信しとく。電話番号も書いとくぞ』こんなもん?」

なるべくゆっくりと、イヴちゃんのスピードに合わせるようにしゃべってみた。彼女はえいえいと必死にえんぴつを動かす。それからじっくり時間をかけて、できた、とばかりに、イヴちゃんはちょんと口元を付き出して、えんぴつの先を、こんこんとメモ用紙に叩いていた。「あ、できた? どれどれ」


     ねえちゃん ほんっといいかげんにしろよな。 でもとりあえず てすとそーしんしとく。でんわばんごーも、かいとくぞ

ちょっとだけほっぺを赤らめて、自慢気な表情をする彼女を見下ろして俺は何も言えないままに無表情を貫いた。
まあ、漢字が読めないんなら、書けないですよねー。





ケータイなんて、まだまだわからないことだらけである。虫眼鏡を相棒に、俺はイヴちゃんの取り扱い説明書を熟読した。っていうかなんでこんなに小さい見づらい。本人用なら全部ひらがなで書いてやれ。

「えー、なになに? 充電率は、通常元気度でわかりますが……」

元気度? と俺は床の端っこから端っこまで、常にてこてこと走ってぐるぐると回るイヴちゃんを見下ろした。これ元気? っていうかそれ楽しい?

「イヴふぉんは、付属品であるバラを使用し、充電率を測ることもできます。ああん?」

なにそれ、と俺はイヴちゃんを呼んでみた。「イヴちゃんイヴちゃん」 なんだろう、とばかりに一人かけっこを中断して、くるりとこちらに戻ってきた彼女に、説明書の言葉を問いかけてみた。「イヴちゃん、バラって持ってる?」 彼女はこくこくっ、と頷いた。そうして説明書を取り出したときのように、彼女サイズの真っ赤な小さなバラを片手に持って、ささっとこちらに向ける。

「あー、これねー」

バラの花びらの枚数でわかるとかなんとか。「えー、なになに、充電は同じく付属の花瓶の中にバラを挿入してください……うんうん。メアリーふぉんとギャリーふぉんを同時に使用する場合、メアリーふぉんがギャリーふぉんのバラをむしりたがるので注意してください。なにそれどういうこと」 っていうか怖い。

まあそのふたつは使用してないので置いといて、そういえばつめ先サイズの小型の瓶みたいなものが、パッケージの中に一緒に入っていた気がする。あれねあれね、と記憶の中を思い起こしながら、続きを読んだ。

『ちなみにバラの花びらが全てなくなると死にます』
「…………」

目の前のイヴちゃんは、ぶんぶんとバラを振り回して楽しげである。

「イヴちゃんしまって!!!! バラしまって!!!!」
電源が切れるって意味ですよね!?







イヴふぉんのある生活に慣れてきた。ような気がする。けれども相変わらずケータイはそんなに使わないし、イヴちゃんは花瓶の中にバラを入れて、ぬいてを黙々と繰り返したり、ひとりかけっこを楽しんだり、スライディングで遊んだりしていた。

「イヴちゃんイヴちゃん、あんまり暴れるとバラの花ちっちゃうよ」

がつんと戸棚にぶつかった瞬間、ひらひらとバラの花が落っこちたときはビビった。イヴちゃんは俺を見てこくっと頷いた。そうしたとき、唐突に天井を見上げて、視線をきょろつかせて、俺の前にちょこんと立って、何度もジャンプを繰り返した。

「ん?」

なんだこれ、と思ったとき、あ、着信か、と気づいた。そういえば説明書に書いてた気がする。「いいよ、電話とって」



『こっらあああああああああああーーーーーーーーー!!!! ーーーーーー!!!!』

その瞬間、イヴちゃんの怒声が響いた。

「えっ、なに、これなに何事!?」
『あんたケータイ買ったってのにメール一通で全然連絡もしないで! なに考えてんのたまには家に帰れ!』
「あっ、もしかしてカーチャン!?」
『もしかしてもクソもあるか!』
「いやだって声違うし!?」


そのあと延々とどなられ怒られ、次の週末には家に帰ると約束を強制させられたとき、俺はフローリングの上に崩れ落ちた。そうした俺を、ぺちぺちとイヴちゃんが小さな手のひらで俺を叩いてくる。慰めているのかもしれない。
「まあ、いいんだよ、俺が悪いし……っていうか、イヴちゃんお話しできるんだね……」
まあケータイだから当たり前か、とつぶやくと、相変わらず彼女は瞳をきょとんとさせて俺の服をひっぱった。「うん、できるよ」

「だったらもうちょっと話してもいいんじゃない」
「うん」

わかった、とイヴちゃんは頷いた。可愛い声だった。母ちゃんの怒鳴り声まで、可愛く彩られていた。



それからしばらく経って、俺はバイトに出かけるとき、リビングのテーブルにぼんやり座って遠くを見ていたイヴちゃんを見かけた。俺はちょっとだけ考えて、「イヴちゃん、一緒に行こう」「いいの?」「うん」

ほれ、服のポッケを差し出して、二人一緒に家を出て、鍵をかけた。ぽくぽくと道を歩いて行く。



   ***




それからしばらくの間、俺のあだ名はロリコンになった。