あの女の子は、いなくなった。


第6話   もうすこし 3





いつもはいなくなってしまっても、いつの間にかひょっこり藤代の隣へと居座っていたはずなのに、今は誰もいない。男だらけの教室の中に、ぴょこんと混じる小さな影が、まるで煙のように消えてしまったのだ。

(………満足、したのかね)


きっと、オネーチャン自身が、藤代の見られたくない過去だったに違いない。あの子が、藤代の想像の産物だったのか、それとも本当にお化けか何かで、ずっとずっと藤代の事を気になって後ろをくっついていただけなのかもしれない。
どちらにしても、彼女はいつもにこにこと、その透ける体さえなければ普通の人間と変わらない程に人間らしかったし、言葉を交わした。俺の中で、名前も分からないあの子は、しっかりと形作っていたのだ。


俺のこの力が、初めて他人の役に立ったのだ。

「へへへ」

勝手に嬉しくなって、口の端っこがひょいっ、と持ち上がる事が、止められない。忌々しい、なけりゃいいのに。そんな事をずっと考えていたけれど、俺はこのおかげでオネーチャンと話す事が出来た。姿を見る事ができた。

「思い出し笑いを」

がつんっ! と頭を何かに殴られる。言葉を一端切りながら、床へと座り込んでいた俺を、仁王立ちするように腰へと手を当てていた笠井。

「する人は、スケベなんだってね」
このスケベ


こいつはいきなり、ぐさりと突き刺さるような言葉を突きつける。
「ちゃうわ」としっかりと否定して、笠井に殴られた部分を、ゆっくりとさすった。もう恐くない。誰かに触られても、恐くない。そう考えてみたけれど、やっぱり小さく手のひらが震えていた。こわい。ちがう、これはきっと、まだ、慣れていないだけで、
(もしかしたら、いつか、他の人と、変わらないように)

へへ、とまた笑いが洩れると、笠井が、「やっぱスケベだ」と軽く唇を上げた。
「明日、文化祭やね」
昨日までの騒がしさが嘘のように、今は静まり帰っている。後は寮へと帰って、ゆっくりと休むだけだ。

「そうだね、俺たち衣装班の苦労が報われるときだよ」
「でも明日は男のエプロン、たっぷり見いひんとあかんな」
「目に焼き付きそうな光景だ」


教室の窓から、ゆっくりと差し込む夕日の光を眺めて、俺は何故だか、とても愉快な気分になった。ふわふわとしているような、地に、足が着いていないような。

「楽しみやなぁ」
「うん、楽しみだ」


(俺は、また、誰かの役に立てるかもしれない)
そう考えると、愉快で仕方がない、いつまでも、前夜祭でいるような、そんな気分だった。


  

2008.07.23