文化祭だ!


第7話   出会う 1




人が行き交う学校の中で、俺はとてもとても久しぶりにワクワクしていた。ドキドキしていた。いつもだったら人間に触らないように、適当にサボって、適当にくだまいとこうじゃあバイナラ! だったはずなのに、今日、俺は文化祭を十分に楽しんでやろうと心に決めていた。決めていた!

そりゃ、未だに誰かに触ればと考えれば恐い。イヤだ。体の中に染みついた感覚が、ぎちぎちと皮膚の中にあるものを締め付ける。けれども今ならああ大丈夫だ、と一歩踏み出せてしまいそうだった。

「よっしゃ楽しむでぇ!」
「うっわあすげテンションたけー」
「うっさい藤代くんキミもあげぇ祭りやでぇ!」
「うんうん俺そういうの大得意ー!」

ヤッホウ! と二人そろってぴょんぴょんはねる様を、笠井はまるで妙なものを見る目つきで俺たちを観察している。いいや実際妙なものだったんだと思うけど、そんな事は関係ない。
「じゃあそこの二人、ちょっと看板もって宣伝してこい」

悪目立ちをしすぎていたのか、クラスの委員長に、俺たちはそう押しつけられてしまった。




看板というにはちゃっちいような、ちいさな画用紙に書かれた『男だらけの喫茶店、おいでよ!』と達筆な文字で書かれたその文章を見詰めてみた。
こんなの需要ってあるのかなぁ、と委員長に訊いてみると、「うちには四天王が二人もいるからね!」との事らしい。他校生にそんな事関係あるんだろうか、と思ってみたけれど、内部の女子を考えると、案外いけるのかもしれない。

その四天王の一人は、ただ今女子に囲まれていた。


「うわうわうわっ、ナニナニナニ!」

とかいいながらお得意の笑顔も見せる事も出来ないで武蔵森の女の子達に囲まれている俺の宣伝、相方。俺がつけてあげたひよこちゃんエプロンをひっぱられて、「えー何々、藤代くんのクラスなにしてるのー?」と訊かれている。委員長、宣伝の効果、バッチグーであります。
藤代って女の子にもてるんだなぁ、と意外過ぎる事実に、ぽかんとしてしまった。羨ましい、と思う以前に、俺はあんなに人間に囲まれたら、ヒギャア! と情けない叫び声を上げて発狂してしまうだろう。さぁがんばれ! 藤代よ!

藤代ばかりに宣伝をまかせては可哀想なので、適当な高さへと画用紙をかかげて、「おいしいよーイケメンだよー四天王だよー」と呟かせてもらった。これもちゃんとした宣伝だ。

運動場に所狭しと並んだ屋台は、ちょっと必見だ。まるで夏祭りのお祭り会場みたいだ、と考えたけれど、俺はいつも遠くからそれを眺めていたので、こんな近くで屋台を見詰める事は、とてもとても久しぶりだった。

ゲーム小屋なんてものも時々あるが、大抵は食べ物屋だ。特にペットボトルから紙コップへとつがれるジュースは案外人気らしい。熱気がこもって熱いからだろうか。歩く人間みんな紙コップを握っている。
のぞいてみた屋台は、たこ焼きらしかった。借り物らしいプレートを、いびつな形だけれど一生懸命ひっくり返す女の子。可愛いじゃないか、と手元から顔をのぞいてみると、彼女だった。「あ」

せんぱい」

相変わらず舌っ足らずな口調で、その子はへらりと笑った。取りあえず俺もへらりと笑って、「がんばっとんね」と声を掛ける。その子はほんの少し頬を赤くして、「はい」と小さく頷いた。
邪魔をしちゃ悪い、とその場をじゃあね、と去ろうとしたとき、プレートの上から俺の服の袖をひっぱって、「これ!」と、いびつなたこ焼きがはいった紙コップを俺へと渡す。

そのとき一瞬彼女の指が俺へと触れたけれど、俺は特に恐いとは感じなかった。
代わりに、紙コップ越しに伝わるたこやきの熱気に、「あち」と声を漏らす。

「あげ、あげ、あげます!」
「ほんま? ありがとう」

いつまでもだらだらとしていた所為だろうか。テントの奥へとジュースをお客についでいた女子が、彼女の名前を怒ったように叫んだ。
彼女はびくりと肩を震わせて、「ごめんなさいっ」
俺へと謝ったのか、それとも叫んだ女の子へと謝ったのか、ちょっと判断が付きづらい。

俺はやっとこさ本来の役目を思い出して、たこやきを持っていない方の手ににぎっていた画用紙を、顔の高さ辺りに移動させて、「暇なら来てな」と手を振って退散させてもらった。
(「俺の妹に、似てるから」)そう藤代へといった言葉を思い出して、それは嘘だとこっそり思う。似ているんじゃなくて、思い出すが、実は正確なのだ。


俺は不器用なたこ焼きを、ひょい口へと放り込む。途中誰かと肩がぶつかったが、どこか挙動不審な男に、(怪しいヤツだな)と思った程度で、また歩き出した。

「おいしいよーイケメンだよー四天王だよー」

我ながら、意味のわからない宣伝だなぁ、と五回ぐらい繰り返してから気づいてしまった。往来の中で、止まる事はとても迷惑な行為だと分かってはいたけれど、俺は一度、足を止めて、もう一度たこやきを頬張る。
(人って、こんなにいるんだな)

まさか一つの中学のグラウンドに世界の人口全てが詰め込まれている訳ではない事くらい、分かっている。けれどもこんなに人間はいるのかと、そもそも自分がこの場所でぽつんと立っていられる事の方が不思議だった。
(ここの人間は、みんな、誰かにいえない、何かを持っているんだろうか)
俺は、本当に誰かの役に立つ事が、出来るんだろうか。


体が震え始めた。指先から、足先から、ほんの少しずつ。ガチガチと歯がかみ合わない。ゆれる。ゆれる、視界が揺れる。(こわくなんてない)そうだ、こわくなんて、ない。
藤代は、大丈夫だった。だからきっと、ほかの人間も、きっと。

改めて見詰めた人混みの中に、金色の何かが見える。見事に染まった髪の毛は、キラキラと太陽に輝いていて、一瞬地毛なのかと勘違いしてしまいそうになった。丁度タイミングよく、彼と合わさった視線をそらして、藤代の元へと戻ろうとした。早く戻ろう。戻りたい。
逃げ出すように駆けだした俺の肩を、誰かが力一杯掴んだ。瞬間背中にぞわりと走った感覚に、喉の奥から声を絞り出してそれを思いっきり払いのけた。

あの子からもらったたこやきは、無惨にもグラウンドの土の中にまぎれてぐしゃりとつぶれた。

「おわっ、堪忍」

聞き覚えのあるイントネーションが耳に響いたが、そんな事よりも俺は逃げた。恐い。人混みが恐い。恐ろしい。昨日は、あんなに明るい気持ちで、前を向いていたはずなのに、俺は駄目だった。
力一杯走った。画用紙の看板はどこかへと投げ出して、誰もいない場所を、場所をとがむしゃらに走る。
体につけたエプロンがバサバサ風の抵抗を生んで、乾いたような喉がひゅうひゅうと音を立てた。


文化祭中使用禁止と紙が貼られたビニールテープを乗り越えたとき、バランスを崩したのか、顔面と、肘からつっこんだ。妙な形に曲がった自分の体と、じゃりじゃりとした砂が顔にくっついてげろりと胃の中身を巻き戻してしまいそうだ。
誰もいない、ここには誰もいない。

ここは一体どこなんだ、と顔をあげると、静かな機械音がなる自販機が、二つ。
『文化祭中は自販機の使用を禁止します』という、委員長の言葉を思い出した。そうか、誰も来ちゃだめなのか。だから、誰もいないのか。

乱れた息を整えて、自販機へと背中を向けるように座り込むと、自分の意識とは反対に、体が勝手に動いた事を思い返した。
(だめじゃん、俺)

頭の中で、そう呟いた。けれども、それだけでは苦しかった。「だめじゃん、おれ」言葉に出してみると、それはもっとハッキリとしていて、前髪を、ひっぱって、視界を見えないようにしないと、何かつぶれてしまいそうになる。


「何がやの」

響いた声に、情けないような叫び声を上げそうになった自分の口を力一杯とじて、目の前の男を見た。金髪の髪の毛に、俺と同じか、ほんの少し上。はっきりとした顔立ちは不思議そうに俺を見詰めている。
だれだ。


やろ、お前」

そいつは俺の前髪を、ちょいとひっぱった。後ずさりするように背中へと移動しても、硬い機械が背骨をぐりぐりと押して、前髪がもっと上を向くだけだ。「なんやのお前、この髪。なんでこんな長いん」

聞き覚えのある声にも俺は口をパクパクとさせているだけで、けれども俺の記憶の中には金髪の男なんて、一人もいない。けれどもこいつは俺の名前を知っていて、俺はすかさず「誰やねん、お前」と強く言葉をはき出した。


「誰ってお前、忘れたん」
「知らん。お前なんて知らん」
「嘘や。俺は知っとる。やろ、せやから」
「俺はや。けどお前は知らん」
「嘘や」
「嘘とちゃう」
「よお遊んだやん。昔」


金髪の背中に、ばさりと一羽の鳥が飛び立った。真っ黒な体は妙につやだっていて、尖った口先も、黒い。
(カラスって、かっこええな)
俺は、確かにそういった。



「…………シゲ?」


違う、あいつの髪は黒くて、こんな所にいるはずがない。けれども金髪は分かっとるやん。とにかりと笑う。俺は笑う事が出来なかった。
(だってこいつは、)

俺が、一番会いたくないと願う人間だからだった。
一番最後に見たシゲの顔は、泣いているのか、笑っているのか、よく分からなかった事を覚えていた。



  

2008.07.24

読み返したら、紙コップを神コップと変換してました。うわぁかっこいい!