*幸せハッピーな感じで終わる訳じゃないのでなんでもいいという方のみ
*ものたりぬと感じたらすみません。気合があればそのうち続く。






    





ぽつんと女の子が座っていた。
道の真中でぺたりと足をくっつけて、ぼんやりと地面を見つめている。「ココ、ドコ……」 彼女は何かを呟いた。聞き覚えのない言葉だ。俺はほんの少し考えて、背負った荷物を持ち直し、彼女の横を通り過ぎる。しようとした。「スミマセン、ココ、ドコデショウカ?」「え?」

異国の人間であることは分かった。紺色のスカートに赤いネクタイをちょんとつけたその格好は、どう考えても旅人のものではない。かと言って浮浪者であるともおもえないし、どういうことだと思いながら「スミマセン、スミマセン」と同じ言葉を繰り返す彼女を見て、俺は懐から金を出した。「お金に困ってるのかな。だったら少しだけど、これを渡すから」

彼女は手のひらの中に何枚かの硬貨を受け取った。ぼんやりとそれを見る彼女に満足して、「それじゃ」と俺は手のひらを振る。関わりあいになりたくなった。

「マッテクダサイ、コレ、ナンデスカ? ココ、ガイコクナンデスカ?」
「足りなかった? それじゃあもう少しくらいなら渡すから」
「ワタシニホンジンデス。ココハアメリカデスカ、ヨーロッパデスカ、アジアノドコカデスカ?」
「ちょっと待ってくれ」

落ち着いてくれ、と彼女の肩を左手でつかんだ。「チュウゴクトカナノカナ、ワタシ、サラワレチャッタノカナ」 彼女は唐突に手のひらで顔を覆った。それから嗚咽を繰り返すように声を震わせて、耳元を赤くした。「ナンデワタシ、コンナトコロニイルノ……」

「参ったな」
自身の知識の中のどれと比べても、彼女の言葉にひっかからない。けれどもとにかく、ひどく困っているということだけは分かった。「参ったな……」 人と関わらない。関わりたくはない。右手の紋章が痛む前に、どこかに遠ざからなければならない。
けれども、小さく縮こまる見ず知らずの少女を見捨てられるほど、悟りきっている訳でもなく、悲観ぶっている訳でもなかった。



   ***



言葉を知らない彼女の名前はと言った。それが本当に正しいのかどうか、自分には分からない。とにかく自分を指さして、「」と彼女は言葉を繰り返した。なんとか。そう彼女は繰り返していたのだけれども、その部分はどうにも発音しづらかった。

「俺は、
「オレハサン」

サン?」
「だから、。そのサンってのは何?」

、と何度念押ししても、彼女は首を傾げて「サン」と俺を読んだ。頭の文字だけでいいんだってば、と溜息をつくと、彼女はひどく不安げな顔をしたものだから、「もういい、それでいいよ」 こっちの方が折れてしまった。彼女の国のルールだか何かなのだろう。

俺の言葉がわかるわけじゃないだろうに、は嬉しげに笑って「サン」と俺を呼んだ。分からない言葉ばかりの中で、やっとこさ一つを見つけたものだから嬉しかったんだろう。それから彼女はばたばたと持っていた鞄の中から、ノートを一冊取り出した。「ワスレナイヨウニ」と言ってかりかりと動かしたペンの文字は、落書きか何かに見えたが、まさかそんな訳じゃないだろう。

は不思議な少女だった。モンスターを見るとひどく怯えて戦う手段の一つも持っていない女の子だった。「サン、アリガトウ」 俺が彼女に何かをやる度に、はそう言った。何を言っているのか、相変わらずよくわからなかった。


俺たちはぱちぱちと焚き火の炎を囲んで街に向かった。「そろそろだよ」と伝わりもしないのに声を出した。けれども彼女自身、何か感じるものがあったらしい。塗装された道を見て、看板を見て、きょろついて人差し指を前にさした。「マチデスカ?」「おなかへったの?」「ワタシ、カエレマスヨネ」「もうちょっとでつくから、そうしたら一緒に食べようか」

は俺の言葉が通じたのか、はやくはやくと俺をひっぱった。けれども城門が近づくにつれ、彼女はひどく怯えた。通り過ぎる旅人を見て、ぎくりと肩を震わせて、俺の後ろに隠れる。「ほら、」 どうしたんだよ、と俺は彼女をひっぱった。「ナニコレ」 彼女はぽつりと言葉を吐いた。

サン、ナンデミンナ、ブキナンテモッテイルンデスカ?」

あまりにも憲兵に怯えるものだから、どこぞから逃げてきたのだろうか、と勘ぐってしまったのだけれども、どうやらそうではないらしい。彼女はひとつものを見る度にしょぼくれた。そうして何度も俺の服を引っ張った。「ああ、お腹がすいてるんだったね」 そう頷いて、宿屋に入った。は座り込む男たちを見て、ビクリと小さくなって俺に隠れた。

「すみません、昼を頂けますか」

そう言って、二人分頼んだ定食をテーブルに並べて、さじをおいた。はジッとそれを見つめた。「食べないの?」 彼女はぱくりと唇を震わせた。「ココ、ドコナンデスカ……」「ああ、お金? それなら俺が出すから」 気にしなくていいよ、と笑えば、彼女はひどく顔を歪ませた。「ココ、ドコデスカ」「嫌いなものがあった?」

おいしいよ、と言ってスプーンを彼女に渡すと、は泣いた。ぽろぽろと涙を流した。「ワタシ、コレカラドウシタラ、イインデスカ……」

彼女はひどく何かを不安がっていた。俺は彼女にスプーンを付き出したまま、じっと彼女を見つめた。「オカアサン」とまるで誰かを呼ぶような声を出す彼女の声が、がやがやとうるさい男たちのヤジの中に、吸い込まれていった。




俺は暫く彼女の面倒を見ることにした。右も左も、言葉さえも分からない彼女をほっぽり出す訳にはいかず、彼女を連れて旅をした。道すがら、二人で一緒に言葉を覚えた。けれども彼女の言語は、ひどく難解なものらしい。

問題は発音だった。舌の上でお互いの言葉をのせても、まったくもって意味が通じなかった。だから言葉よりも、文字を彼女は先に覚えた。彼女が持っていたノートの中は、少しずつ言葉が埋まった。きみは一体どこから来たの? 彼女がいくつかの文字を覚えたとき、俺は彼女のノートに書き込んだ。彼女はぐしゃぐしゃと困ったみたいにペンを動かして、「チキュウ」と書いた。

「ちきゅう?」
「ニホンデス」
「ん?」
「ジャパン、カナア」
「……結局どれから来たの?」

もしかしたら会話が通じていると思っても、俺の気のせいなのかもしれない。まあいいか、とコロコロ星が落っこちる、空を見上げた。「何が食べたい?」 はきょとりと首を傾げた。ううん、と俺は考えて、食料袋を揺すった。そうしてもう一度、ゆっくりと言葉を区切って、「なにが たべたい?」 パッとは瞳を輝かせた。「くだもの!」「……それだけは妙に言葉がうまいよね」

まあ別にいいけどね、と袋の中から干した果物を渡した。彼女はそれがお気に入りらしい。
もぐもぐと嬉しげに頬張る彼女を見て、俺はほんの少しだけ頬を緩めた。「アッ」と彼女は声を上げた。「サンノブン、ナクナッチャウ?」「ん?」 彼女は困ったみたいにいくつか手の中にある小粒のイチジクの干した実を俺に向けた。ん、ん、と彼女は眉をひねって、何かを主張する。

俺は少しだけ考えた。「ああ、いいよ。が食べてよ」 俺は彼女とは少しだけ長くいたから、彼女が何を言いたいのか、いつの間にか少しだけ理解ができるようになっていた。けれどもは不思議気に首を傾げるから、俺は自分に指をさして、「俺は、別にいい」 両人差し指で小さなばつを作る。こくこく、とは頷いた。ぱくり、と一つを口に含んで頬をふくらませたあと、ちらりと俺を見つめた。

ごそごそと彼女は俺に近づいて、ぴたりと隣に座り込んだ。そうして俺を見上げた。「え、ちょ、ちょっと」 ひょい、と彼女の顔が近くなる。ひどく動揺した。「、待った、俺はそういうのは」「サン、オイシイヨ。サンモ、タベテ」 ぴょこん、と指にはさまれて、向けられたイチジクを見て、俺は静かに顔を両手で覆った。何やら勘違いをしていた気がする。

サン?」
「いや、うん、なんでも」

ないから、なんでも、と首を振る俺を見て、はまた俺に何かを問いかけた。けれどもやっぱりお互いさっぱりだった。彼女は相変わらず指をこちらにむけていた。「サン、ホラ、テヲダシテ、コレアゲル」 くれるという意味なのだろう。俺はひょいと顔を動かして、ぱくりとそれを口に含んだ。そうすると、は「ヒャアッ!」と悲鳴を上げた。

「ん?」
「ナンデ? ナンデ、アーンナンテシチャウノ? ビックリシタ! ビックリシタ!」
「え、あ、やっぱり食べちゃだめだった?」

ごめん、次の街でまた買ってあげるから、と俺が言っても、はぽかぽかと俺を殴った。「サン、トキドキヤラシイ!」「え? 今食べたいの? ごめん、次の街まであとちょっとだから」 我慢してくれよ、と笑って真っ赤な顔で怒る彼女の頭を撫でた。「……ゼッタイ、ツウジテナイ……」「他にもあるよ、リンゴとベリー。食べる?」「タベル!」「……なんでかこれだけ妙に息が合うような気がする」

気のせいかな? と俺の隣で頬をふくらませる彼女を見た。もぐもぐと頬をふくらませる彼女の頬を、俺は少しだけ撫でようとした。けれども右手が傷んだ。俺は彼女とは見当違いの方向を見て、焚き火の音を聞いた。





楽しかった。
彼女との旅は楽しかった。
彼女は小さな女の子で、俺にてとてととくっついた。笑って、手のひらを握って、ひっぱって。そうしてやりたかった。けれどもダメだ。可愛いと思ってしまった。彼女を可愛いと思ってしまった。

いつの間にかほんの少し髪が伸びた少女を連れて、俺は街に出かけた。きちんと通貨を覚えた彼女にずっしりと袋に入れた金を渡すと、彼女はひどく困惑したように首を傾げた。
俺は彼女のノートに文字を書いた。ここで別れよう。

はびっくりしたように瞳を開けた。そうして、なんで? と慣れない動きで文字を書き綴った。なんで、と訊かれれば、俺は返す答えを、とっくの昔に準備していたつもりだった。きみはもう、文字を覚えたし、この国の仕組みもわかってきたから、大丈夫だ。街できみの面倒を見てくれる人は、きちんと見つけたから、安心して暮らしてくれ。そう伝えるつもりだった。

は必死に俺にペンを渡した。俺は彼女から渡されたペンを握りしめて、ひどく指が震えている自身に気づいた。途中まで文字を書いて、ノートを閉じて、に返した。は何度も俺とノートを見比べて、何かを書こうと必死に指を動かそうとした。けれどもころりとペンを滑らせた。

かつん、と人に蹴り飛ばされたそれは、ころころと道端を転がる。はそれを拾いに行こうとした。馬車がからころとこちらに来る。慌てて俺は彼女を止めた。パキリと壊れる音がして、「アッ!」とは声を震わせた。困った顔で、俺と壊れたペンを何度も見返す彼女を見て、「丁度いいよ」と俺は彼女に呟いた。

「丁度よかった。本当はさ、実はきみに言えない理由があってさ」
サン?」
「俺はきみのことが好きなんだ。でも、そうなっちゃダメなんだ」

は首を傾げた。いくじのないこの告白に、自分自身少しだけ吹き出した。「ソウルイーターって知ってるかな。真の紋章、これならわかる? 俺、実はそれを持ってるんだよ。好きな人の魂を食べてしまう、呪われた紋章だ。これは父さんも、オデッサも、グレミオも、全員の魂を食べたけれど、これは長い間、親友が守ってたものでもあるんだ。だから俺は、これからもこれを守り続ける」

だから君とはいられない。ごめんね、と謝った。は俺の服を握った。



サン、ナニイッテルノ? ワカンナイ、ゼンゼンワカンナイ。ユックリオハナシシテ」
は可愛いね、好きだよ。最初からそうなるような気もしてた」

サン、マッテ、オネガイ」
「君は食べ物ばっかりが好きだったなあ」

「ワタシ、ヤッパリメイワクダッタ? ゴメンネ、サン、ホントウニゴメンネ」
「俺、旅に出てからは、ずっと一人で食べてたんだ。でも、今まではずっと誰かと一緒にいて」

「ゴメンネ、ゴメンネ、ワタシ、サンニ、メイワクバカリカケテタ」
「だから、すごく嬉しかったんだ。きみがいてくれて、嬉しかった」

「イッツモ、ゴメンナサイッテ、オモッテテ、ナンニモデキナクテ、タヨッテバッカリデ」
「会話なんて、全然通じないのに、なんでかわからないけど楽しいばっかりで」

サンハシンセツダカラ、ワタシニダケジャナイッテシッテルケド、シンセツダッタカラ」
「びっくりした。きみが笑ってくれると、嬉しかった」

サンガイルト、ドキドキシテ、ウレシクッテ、イッショニイタクテ」
「本当なら、もっと一緒にいたかった。もっともっと、一緒にいたかった」

「メイワクダッテワカッテテモ、サヨウナラッテ、イエナクッテ」
「元気で。忘れない。きみの無事をいつまでも祈ってる」

「ワタシ、サンノコトガ、スキデ」
、好きだよ。好きだ」






お互い噛み合わない会話を続けた。ぼろぼろと彼女は泣いていた。俺は彼女の頬を撫でた。柔らかい、暖かい頬に、幾度も涙が伝った。ふと気づくと、ひどく胸が痛かった。何度も彼女の頬を撫でた。

暖かい彼女の頬を撫で続けた。記憶の中で、は笑っている。「サン、オイシイネ」と言って、俺の隣で幸せに笑っている。うん、と俺は頷いた。彼女の言葉の意味も分からず、そうだね、と頷いた。





2012.12.18
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