*現代パロにつき主人公名は日本名推奨です







かたん、かたん、と小さく振動が響いている。あくびをしながら、ガラスにぴたりと手のひらをつけた。ひゅんひゅんと薄い線を残して町並みが消えていく。聞き慣れたアナウンスに、あといっこ、にこ、と頭の中で数字を数えた。これが終われば、少しはこの窮屈さもマシになる。肩にかけた鞄が、教科書でずっしりと重い。(…………ん?)

うわあ、思わずガラスに頭をつけた。こりゃいかん。











まるで後ろからそっと抱きしめられるみたいに、さわさわとフトモモの上を、手のひらが撫でていく。うわあ、と思わず肩が硬くなった。僅かに瞳をつむった後に、ふん、と鼻から息を吸い込んで、ぺしり、とお兄さんだか、おじさんだか知らないが、どなたかの手を叩いた。そうすれば、すごすご去って行ってくれるのが定石だ。

これで満足、と改めて窓の外を見ていると、つつつ、と人差し指が、ももの上を踊っている。(チャレンジャーめ……) ぱしん、と軽く手のひらを叩いても、くるくるとのの字を指が書くだけだ。声を出そう、と息を吸い込んだ後に、色んな考えが飛んできた。主に恥ずかしさとか、めんどくささとか。

けれどもそうは言ってられない。ぱくぱく、と口元を動かして、息を飲み込んだ。それから、「ひぎゃ」 野太い悲鳴が響いた。私じゃない。思わず振り向いた。「お兄さん、いいおしりしてるね」

俺とちょっとどう? なんていいながら、わきわき右手を動かして、そのお兄さんは笑っていた。




   ***




「大学生にしては、早い時間に乗ってるね」
まあ俺は会社が近いんですけど、とカタンカタンとつり革に揺さぶられながら、お兄さんは笑っていた。「いやまあ、大学の近くに兄が住んでるので、様子を見に。だいたい会社に泊まりこんでるみたいなんですけどね」 そしてそのまま私は授業に赴くというわけである。

なるほど、いいねえ、青春、なんてたいして年齢も変わらないだろうに、オヤジ臭いことを言って、ちょいちょいとスーツの襟を直している。黒髪で、すっと背が高くて、痴漢の撃退のために痴漢を痴漢するだなんて、アクロバティックな対応をしてしまうお兄さんの名前は知らない。そういえば、前々からちらちらと姿を見かけていた気がするけれども、朝の電車なんて人混みにあふれているし、ちょっとかっこいい社会人さんが乗っていたとして、毎朝大変ですね、なんて感想しか抱かない。


ありがとうございました、と頭を下げたら、いえいえ、余計なことを、とお兄さんは片手をひらひらと振って笑った。警察にひっつかまえる前に、私のふとももがお気に入りだったらしいその人は扉が開いた瞬間すたこらさっさと逃げ出してしまった。「捕まえたかった?」ときかれたので、「いいえ特に」と首を振った。色々と面倒はごめんだ。


それからときどき、お兄さんと会ったら会釈をするようになって、朝のおはようございますの挨拶をするまではとても早かった。しばらく時間が経つと、彼の隣で駅を待つようになって、一緒につり革を並べる。顔見知りさんにはなってしまった。彼は毎回、同じ時間の電車に乗っているらしい。私は一限目がある日だけなので、毎日会うわけではないけれども、比較的顔は合わせやすい。かたんかたん、とリズミカルに車両の中が揺れている。


かっこいい人だなあ、と言うのが、最初の方の感想だ。黒髪で、背はびっくりするほど高いわけではないけれど、低いというわけでもない。平均よりも、ちょっと上かそこらだろう。指先が、ちょんとつり革を持っている。くあ、と私があくびをすると、からからと笑って、がんばれ、と声をかける。

「あ、ついたね」
どこの誰ということは知らない。知っているのは降りる駅だけだ。「行ってらっしゃい」「行ってきます」 それじゃあ、と彼はこっちに手のひらを振って去っていく。


頬をつんざくような寒さは、扉の中に入ると、少しだけマシになる。アパートに行くと、兄がこたつの中に丸まっていびきをかいていた。風邪ひくよ、なんていっても気にしてない。だらしないなあ、と思うのに、お兄さんはそうじゃない。どれだけ朝がはやくても眠そうにしている姿なんて見たことがないし、いつも同じ時間だ。「おはよう」「おはようございます」

くあ、と珍しく、お兄さんはあくびをした。
「寝不足ですか?」
「寒いと、起きるのが辛くなるよね」

なるほど、と頷いた後に、ちゃんと人間なんだなあ、と不思議な気分になった。当たり前だ。「きみはいつも眠そうだよね」「あ、はい……」 それはだいたい主に四六時中なので仕方ない。




   ***



、あんた朝、イケメンと一緒にいなかった?」
「ええ?」

イケメン、イケてるメンズ。そんな知り合いにあまり心当たりはない。「……シーナさん?」 バイト先に、ちょろちょろと顔を出してくる、社会人のお兄さんの名前がそんなんだった気がする。「シーナっていうの」 なんかイメージと違うなあ、と親指を顎にあてながら首を傾げる友人に、そう? と言いながら教科書を机の上に並べる。

「なんかこう……漂うイケメン社会人オーラっていうか……いいわよねえ、落ち着いた年上」

ちゃん、おひさー! なんて言いながらレジに突進してくる金髪男性を思い出して、落ち着いてたっけ、と疑問が溢れた。「あの黒髪で、体つきも悪くない感じが」「……ああ!」 理解した。それは確かにイケメンだ。

「なによ、ああって。お兄さんの知り合いとかなの」
「いや痴漢」
「をふっ!?」
「から、助けてもらった」
「少女漫画か!」

それは惚れるわ! と今度は顎に置いた指を、ぐいっとこっちにつきだして親指をたてる友人を見ていやあ、別に惚れるとか、惚れてないとか、そういうのはないけどなあ、と思った。
毎朝、同じ駅で降りて行って、車内でうつらうつらとまぶたを重くしながら、会話をするだけの人だ。
(惚れるとかはないな)
うんうん、と頷く。




たまたま、席が開いていた。


いつもはきゅうきゅう詰めなのに、夏休みだからだろうか。お兄さんが文庫を手にしながら、いつの間にかなくなったネクタイ部分に指先を置いて首元をゆるめて、ちらりとこちらに目を向けた。それからぽんぽん、と文庫ごとクッションを叩いた。私はぽてぽてと歩いて、彼の隣に失礼します、と座り込む。「座れるっていいですねえ」「冬休みとかも、けっこういけたけどね」「ああ、冬の休みは乗らなかったから」 お兄ちゃんが実家に帰っているから、世話をしに行く意味もない。

「そういや会わなかったね」
うん、と頷くと、まぶたが重くなった。かたんかたん、揺れる音に、少しずつ気持ちが遠くなる。こぼれた汗はすぐに引っ込んで、うるさい蝉の声は、もうどこかだ。とろとろと、光があふれているような気がした。




夢の中で、お兄さんは泣いていた。けれども泣いていなかった。泣きたいのに我慢をして、体を小さくさせてただひたすら歯をくいしばっていた。そんなに我慢なんてしなくていいのに、なんでなの、と聞こうとしても、聞けない。笑った方がいいんじゃないかな、と思う。痴漢に、痴漢を仕返しちゃったときみたいに、いたずらっこみたいに、嬉しそうにしたらいいのに。

頭をなでてあげたくなった。よく見たら、そのお兄さんはお兄さんではなくて、高校生くらいの男の子で。年下なんだと気づいたら抱きしめて上げたくなった。だから、手を伸ばした。いきなり、ぎゅっとするのは抵抗があったから、よしよし、と男の子の頭をなでた。
男の子はびっくりしたみたいにこっちを見たから、うん、と私は頷いて、もう一回、



「……起きた?」
男の人の匂いがする。体が勝手に斜めになっていて、ちょうどいい位置に枕があった。けれども枕にしては少し固い。何度か瞳を瞬かせた後に、文庫に目を向けながら、少しページをめくりにくそうに片手を動かすお兄さんを見た。「……わっ、す、すみません」「いえいえ」 お兄さんに肩を貸してもらっていた。

「もうちょいあるから、寝てもいいよ」
「いや、そんな、まさか」

自分の寝顔が気になって、慌てて口元を拭いた。それから、多分真っ赤になっている気がする両耳をひっぱって、姿勢を正した。それからしばらく誤魔化すみたいに目の前を見ていると、ぴらぴらとお兄さんが文庫をめくる音ばかりが響いていた。窓の向こうが、ひゅんひゅんと遠くなる。
ふと、視線を横にずらした。お兄さんの耳が、少し赤い。ぴたりとお兄さんと目が合うと、お兄さんは少しだけ気まずげに視線を逸らした。「若い子と近いってのは、照れるものでしょう」 少し可愛い。


「若い子って、お兄さん、そんなに年も遠くないでしょう」
「25だけど、そっち二十歳くらいでしょ。五歳の差は大きいな」
「あ、うちの兄と同じ」
「ほんと?」
「でも全然違います」

お兄さんの方がかっこいいです。と言ったら、けらけらと楽しげにお兄さんは笑った。「お兄ちゃんにひどいよ、それは」「夏なんて、いつもパンイチですよ」 同じ柄ばっかだし、というと、お兄さんは耐えかねたみたいに膝を叩いて、ついでに肩を震わせた。
駅のアナウンスの声が聞こえる。あと、いっこ、にこ、と頭の中で数えた。お兄さんの駅が近い。誤魔化すみたいに、言葉を続けた。「お兄さんの方が、ずっとしっかりしてると思います」「そうかなあ」

キミとはあまり似てない感じ? ときかれたから、勢い良く頷く。「似てないですよ。取り違えたのかってくらい。名前も全然似てないし、なんでそんな名前をつけたのかってよく不思議で」
「名前は、一緒に生まれてくるものだから」

くっついてくるんだよ、と呟くような言葉には、どこか聞き覚えがある。両親も、そんなことを言っていた。小さな赤ちゃんのほっぺを見ていたら、なんとなく思いついた。「そんなものですかね」「そんなものです」

たぶん、と彼は付け足したから、「テッドって言うんですけど」 なんとなくつぶやくと、ふーん、と彼は相槌を打って、よっこらせ、と立ち上がる準備をする。「そういや俺」 ごそごそと、鞄の中に文庫をしまった。「きみの名前、知らないな」 明日、教えて、と言いながら、彼はぽんぽんと右手で私の頭をなでた。また耳の頭が熱くなる。

「また明日」
そんな言葉は初めて言われた。さよなら、とぱたぱたいつもよりも多く手を振った。きゅっと顔が赤くて、なんだか苦しい。後ろ姿のお兄さんの耳も、やっぱり少し赤いような気がした。閉まった扉を見送ってから、膝の上の鞄に顔を置いた。とんとこ、とんとこ、と体の中で音がなっている気がする。電車のリズムと、同じような音だ。





2014/11/23
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名前を日本名とかにしないと若干おかしなことになる夢小説あるまじき暴挙。
現代パロで幸せ坊ちゃん指定だったけど幸せしてないとか知りませんな <(゚ε゚)>