部屋に入ろうとした。
こんこん、とノックをする。たくさんいるはずだから、返事が返ってくるはずだ。待ちきれなくて、もう一回。こんこん。

もういっぱいだよ。

声が、きこえた。








「また授業サボっちゃって。村長に怒られるよ」
「問題ねえよ。怒らせとけ」

そうあくびをしながら、手の中ではくるくると器用にナイフを動かしている。私の幼馴染はいつもこうだ。たまに授業の時間にめんどくさげな顔になって、気づけは池の前に座り込んで、じっと一人水面を見つめている。変なやつだ。そう思うのに、彼は私達同年代の中でも要領のいい方で、一番最初に二足歩行を覚えたのはこの幼馴染だし、言葉を覚えたのも彼だった。

そんな子供時代の栄光を今更讃えてもどうかと思うのだけれど、村の人たちは未だにあの子はすごいわねえ、と井戸端で話している姿を見る。小さな村だから、大した話題もないのだ。おかげで私は、となりの家の子はもう足し算ができるらしいけど、ちゃんはまだなのかしら? とほほと笑われる毎日を過ごしてきた。別に私はひどく一般的な成長を遂げてきており、彼がちょっとアレなだけなのだ。たぶん。


「戻ろうよ。また怒られちゃうよ」
「いいんだよ。どうせ歴史の授業だろ。好きじゃねえんだ」

終わったことを聞いたって、仕方ねえだろ、と彼は手のひらの中でできたものを今度は太陽にかざして見つめている。「なにそれ」「釣具」「だからなにそれ」「魚をつるのに使う」「魚ってなに!」「池の中にときどきいるだろ」

「あれだ」と、彼がまっすぐに指をのばした。ぽちゃん、とはねる音が聞こえる。私は唇をとがらせてもう一回きいてみた。ぽちゃん。また音がする。「……モンスターじゃないの?」「まあ、それもいる」 いるのか。
「……それで、魚ってなに?」

私の問いに彼はちょっと考えた。それで、「食える」 端的な返答だった。食べられるのか。だったらいい、問題ない、と彼の隣に座り込んだ。それから、距離が開いていたからいち、にい、と距離を縮めた。そしたら彼が離れて行く。近づいて、離れてを繰り返して、私達はぐるぐると小さな池の周りを回り続けた。「……お前、なにがしたいわけ?」「一緒に教室、戻りません?」
私はチキンだったので、もはや一人で戻るなど、恐ろしいことなどできるはずもなかった。

「頑張れ、
「いやだよ! 怖いよ! 怒られるよ!」
「怖くねえ怖くねえ」
「校長こわいよー!」

怒鳴られながらのあの迫力である。ひんひん泣き真似を繰り返すと、「怖いと思うから怖いんだ」 精神論を語りだした。「あんな若造のどこが怖いってんだよ」「あんたは一体なにさまだー!?」



私は金魚のフンであった。彼が行く先々にあらわれて、ちょこちょことくっついていく。釣りと言うものを覚えた。池の中に“竿”を垂らして、魚がくいつくのを待つ“ゲーム”なのだと教わった。でもこれはまったくもって面白くもなんともなかった。でも彼がじっとそれを続けているから、私もそれを繰り返した。授業をサボって、怒られて、私だけがヒンヒン泣いた。彼はどこふく風のように、飄々としていただけだった。


私と彼は、二人一緒に成長した。小さな村の中で、枝を振り回してけらけら笑って森の中をかけめぐり、顔を傷だらけにした。彼はため息をつきながら、傷によく効くという薬草を顔にぺたりと貼ってくれた。緑くさくて、ぐしゅぐしゅ鼻をすすっていると、笑われた。いたずらっ子みたいな笑い方だった。

小さな体はお互い大きくなっていって、学校の先生が一人しかない授業を受けることもなくなった。それでも彼は気がつくと池にいて、釣り針を垂らしていた。その頃には、私は釣りの面白さには目覚める程度には、相変わらず金魚のフンを続けていた。

ある日、私は彼に呼び出しをくらった。なんのことか、とそわつくと、神妙な顔をした彼に、「俺は、誰も好きになるやつを作る気がないんだ」と振られた。告白もしていないのに振られた。「……えっ」 と声が上ずった。彼は気まずけに視線をそらした。「えっ、あんた、私があんたのこと好きだと思ってたの?」「えっ!」 激しく素っ頓狂な声が、池の周りで木霊する。

えっ、えっ、えっ、と彼は可哀想なくらい顔を真っ赤にして、暫く私を見つめていたかと思ったら片手で顔を覆った。それから、「す、すまん……」小さな、まるで死んでしまうんではないかという声で謝った。「いや、好きだけど」「お前は一体何を言いたんだ!?」 げらげら笑った。

そんなのとっくに知っている。彼が私に諦めてほしいと願っていることを。でも、私のことは、憎からず思っていることも。


少年が青年になった頃、私も大人になっていた。相変わらず彼は、期待をする前に、誰も好きになる気はないのだと、まるで自分に言い聞かせるように私に言葉を落とし続けた。「つまりあんたは、将来的に魔法使いになる気だと?」 隠語を返すと、何を言うか、と結構痛いチョップを激しく落とされた。

ある日彼は、村から出る、そう言った。両親には悪いけれども、どうしてもしたいことがあるのだと。
私は彼の後をついていくことにした。いつか彼は外に行く。そんな気がしていた。金魚のフンは、大人になっても変わらない。
村を出て、一人旅みたいな二人旅をすることになった。ときおり、彼がこっちを振り向く。「さっさと帰れよ」と困ったような顔をしている。私はそれに、「帰らないよ」と笑った。なぜ、と聞かれることはなかった。
旅をするのは二人して初めてなはずなのに、やっぱり彼は要領がよかった。すいすい進んで、街から街に旅立っていく。俺は誰とも一緒になる気はないんだ。そう言っていたくせに、いつの間にか手をつなぐようになった。ずっと革の手袋でしっかりと覆っていた彼の手は、そこだけ日焼けをしていなくて、つるりとしていた。


ある日、真っ暗な夜空を見上げて、彼はひとこと、ふたことと言葉を漏らした。「俺、扉って嫌いなんだ」 嫌いと言われてもなあ、と一緒に空を見上げると、一際きらきらと輝く星が、一つ。「昔、ノックしたんだ」 きらきら、と輝いて、その星の周りをたくさんの星が繋いで、囲んでいく。「次は俺が入る番だと思って、ノックをした。でも、何度ノックしても、全然誰も出てくれなくて、たまらなくなって、またノックした。そしたら、やっとこさ声がきこえて」 寒いものだから、私は彼のローブを借りた。ぽつぽつ、と歩いてく。

「そしたら、いっぱいだと。いっぱいだから、お前は帰れって」
そう言われたんだと。

ほほう、へへえ、と適当に相槌を打っていると、お前のそれは適当だろうと怒られた。なぜわかった。でもつまりは、「仲間はずれにされた話ってこと?」「そうなのかもな」 自分で言ったのだから、きちんとわかればいいものを。

あてもない旅は、どこまでも遠かった。たまに、二人して村に戻った。心配したと村の人に言われる度に、彼はくすぐったそうな顔をした。
一体、どうして彼は旅を続けるのか。その口を割るには、少々苦労した。とても恥ずかしそうに、幼馴染は口元を一文字に結んで、「友だちを探しているんだ」

それは初耳のことだった。あの小さな村の中で育ち、一体どうやって外に友人を作っていたのだろう。それも、金魚のフンである私の知らないところで。どこにいるのか、本当にいるのかさえも分からない。でも名前は知っている。彼の名前は、・マクドール。

うん? と首を傾げた。
どこかできいたことのある名前だと。「……その人、どっかの有名人?」 かくん、と彼が肩を落とした。

「……お前、歴史の授業、嫌いだもんなあ」
「あんたが受けていなかったから、受けなかっただけだよ」
「しょうがねえな、今度教えてやるよ」

何を教えるというのか。これに関しては、彼も私と同じの劣等生なはずだ。
「知ってること受けたって、仕方ないだろ?」
「……いっつも思うけど、一体どこで勉強したの?」
「さあな」
「ところでまだ、好きな人を作る気がない?」
「……さあな」

そう答える彼の耳は、ぴんく色だった。


     さて、彼が魔法使いになる危機を、私が救ったとき。
私はブイサインをきめた。
彼の友人は、まだ見つからない。けれど、彼はあいつは要領が俺よりもいいのだから、きっと長生きをしているはずだ、と彼はこぼしていた。
彼よりも要領のいい人間が、この世にいるのだろうか? でも私は知っている。この幼馴染は、本当は要領がよくも、賢くもなんでもない。ただ人よりも物知りなだけなのだと。




2016/11/01
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申し訳ない