ときおり、夢を見る。



体は動くが、言葉を口にすることができない。じっとその場に座り込んで丸まる。ぱちり、ぱちりと薪がはねる音がした。温かい匂いがくん、と漂い、食欲をそそる。ただこれは夢なのだと知っていた。「ああ、今日も疲れたな」 くたくただ、と言葉を吐く少年が、焚き火にさした魚を裏返す。油が一滴炎にこぼれ落ちた。「もったいねえ」

そう誰ともなしにつぶやいて、星々が散る空を見上げる。細い煙が一本、静かに立ち上る。ふと、彼の顔が照らされた。泥だらけの頬が微かに揺らめく。めんどくさげに栗色の髪をひっかいた。ぼさぼさだ。

誰も彼の名前を呼んでやらない。けれども、俺は彼を知っている。彼がいるから、これは夢なのだと知っている。(テッド) お前、本当に300年も旅をしてきたんだな。


     これはソウルイーターが見せる夢なのだ

そう気づいたのはいつの頃だろう。ふと、目を閉じると知らぬ場所にいた。そして誰も自分の声も聞こえず、ただ風景が遡る。テッド、と声をかけた。これはよく似た他人なのだ。そう思ったのにけれども違った。これはテッドなのだ。少しずつ、過去に遡っていく。長い、長いソウルイーターの夢を見る。







様々な人間の人生を渡り歩いた。見知らぬ船に乗り、旅をし、村につく。こまくしゃれた少年は少しずつ頼りなさげに鼻水を垂らして、森を歩いた。ただの子どもだった。祖父に甘え、両親との間に生まれ、さらに遡り、彼の祖父と共になる。長く、ゆったりとした時を歩んだ。彼は高齢となってから、ソウルイーターを身に宿したようで、それはテッドに比べるとひどく短い時間だった。
そしていくつか、世代を重ね、またそれは外の街へ消えた。まったく知らない文化を飛び越え、様々な主を渡り歩いた。

これは夢であり、記憶だ。ソウルイーターがまどろむ一瞬の間に、俺は彼らと記憶をともにした。巻き戻っていく。そうするはずなのに、ふとしたときにテッドがいたり、彼の祖父がいたり、まったく知らないものが出てきたり。バラバラの時系列を整理するかのように、遡る。
少女がいた。

明るく、細い体つきで、よく働く少女だ。ソウルイーターの中にも色濃く残る女性なのだろう。彼女は何かに笑いかけるように、嬉しげに八重歯を見せて水をくみ、働いた。そう思えば、一人部屋の中にうずくまり、嗚咽を噛み殺していた。俺はただ、彼女の前に座り込み、そっと彼女を見つめた。
左手にソウルイーターを宿しているのだろう。時折左手を宙に漂わせ、唇をかんでいた。

これは記憶なのだから。
いくら鮮明に見えても、ただの記憶なのだから。

また目を瞑ると、彼女は笑っていた。
長い記憶の中、継承者たちは一様に笑っていた。苦しげに喉を掴み、嗚咽を繰り返していた。日々を生きていた。知らないテッドが、誰だか知らない人間たちと笑いあっている。いや、仏頂面を作り、たまに、ふとしたときに口元を緩め、それを誰にも知られぬようにと慌てて口元を抑える。そして瞳を細める。俺も笑った。また、彼女に移り変わる。


聞こえない。
彼女の声が聞こえない。記憶は古くなればなるほど、霞んで、斑のようにぽつり、ぽつりと穴があく。どれだけ古い記憶なのだろう。検討もつかない。何やら俺は、彼女の名を知りたくてたまらなくなった。ふとしたとき、彼女が写るとじっと彼女を見て見つめる。今日は泣いていた。

聞こえぬ声で泣いていた。
泣くなと。
ゆるく、頭をなでた。ぴくりと彼女は肩を震わせた。そうして、ふと顔を見上げた。まんまるな瞳の中に、知らぬ影が写る。俺だ。いや、気のせいだ。「誰かいるの」 そう口元が動いたような気がした。ただそれは、気のせいだ。

この子は、とうの昔に死んでしまった人間だ。出会うことも、触ることもない。ただ少女の記憶を覗いてる。名前を知りたかった。ただ、ただ、名前を知りたかった。森を歩き、鼻歌を歌うように歩を踏み出す彼女の名を。耳を凝らした。ときおり、ノイズのように音が入る。そして、彼女がぐんぐん縮んでいく。少女の記憶が終わってしまう。

小さな手に痣を作り、ふと少女はゆりかごの中で揺られていた。
終着点だ。
きい、きい、と揺れた木々が、こすれるように揺れていた。「きみの」 名前を知りたかったな。
パチリと赤ん坊は瞳を開いた。少女と同じ瞳だった。「」 起きてしまったの、と知らぬ女性の声が聞こえる。。すぐにまた、声は聞こえなくなった。




***




生まれたときから、紋章を宿していた。
一体どこからやってきたのかわからない。ただ私の左手の痣は日に日に濃くなり、これは紋章なのだと告げられ、言葉が話せるような年になると村から追い出された。
旅をしなさい。そう言われて、分かりましたと旅を出た。ただそれが追い出されただけなのだと知ったのは、それから数年が経ってのことだった。

ずっと一人きりだった。けれど、誰かいるような気がした。悔しくて、ずっと笑っていた。でもあまりにも苦しいとき、部屋の端にうずくまって唇を噛み締めてただただ息を押し殺した。
そんなとき、誰かがそばにいるような気がした。生まれたときから、誰かがそばにいるような、そんな気が。

もしかすると、彼は紋章なのだろうか。私のこの左手についている紋章。
緑と赤のバンダナをした少年が、瞬きをした一瞬、瞳に映り込んだ。彼は右手をいづらそうにして、私の前を歩いていた。もう一度瞬く。名前を呼びたくなった。なんと呼べばいいのだろう。紋章さん。そうなのだろうか。
左手を前に出した。

少年の手の甲と、私の手の甲がひたりと触れ合った。

     ような、気がした。
見回したところで、誰もいない。まっすぐ、道が進んでいる。「……行こ」
誰かに、名前を呼ばれた気がした。
でもきっと、気のせいだ。



2017-08-20
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リハビリ&ネタを消化しようのターン