好きな人がいる。
私は宿屋のシーツを抱えながら、ぼんやり彼を目で追った。緑と紫のバンダナが、黒髪によく似合っている。名前も知らない。よく軍主のさんと一緒にいるところを見かけるから、偉い人なのかもしれない。長期間いらっしゃらないこともよくあって、見かけた今日はラッキーだ。へへへ、と笑いながらシーツに顔をうずめて、いかんいかん、ヒルダさんに怒られてしまう、と宿屋に直行した。

        ここはデュナン城。
様を中心としてハイランドに立ち向かう軍の中心拠点で、私はただの宿屋の雑用だ。村はハイランドの軍に焼かれてしまい、帰る場所のない私を様は迎えれてくれた。私は剣の腕はないし、紋章の才能がある訳でもなく、何かものすごい特技がある訳じゃない。でも、だからこそ、たかが雑用と言えど、気をぬくことはできないのだ。「恋心にうつつをぬかしている場合ではないのですよー!」 取りあえず叫んでみた。それなのに。


さんさん、今日はいつもの人がいらっしゃっているみたいですよ」
「よ、ヨシノさぁん……」

うふふ、とヨシノさんは優しげに微笑みながら、石鹸で泡だらけの手を口元に寄せて、こっそりと私に告げた。ふわふわいい匂いがする。「違いますから、ホントそんなんじゃないんですよ」と私はもしゃもしゃと口の中で言葉を濁した。なのにヨシノさんはやっぱり微笑ましいような顔をして、にこにこしている。女の人って、こういう話が好きだ。「あら」とヨシノさんが眼鏡をずらし、横を見つめた。私もつられてそっちを見てみると、見覚えのある男性が、ゆっくりゆっくり道を歩いていたのだ。

私は「ヒーッ!」とヨシノさんの影に隠れた。横顔だけ見ても、ものすごくかっこいい。かっこよすぎて、彼と同じ空間にいるなんて耐えられない。ヨシノさんは呆れたようにため息をついて、「もう、さんたら」と可愛らしい声を出していた。「まあちょっとだけ、気持ちはわかります」と小さな声でくすくす笑っている。

なんだか恥ずかしくなって、ちょっとずつ顔が赤くなってきた。こんなことではいかん。ふしだらです、様のために頑張るのだ! とヨシノさんの背から離れて、私は「よしっ!」と拳を握った。その瞬間、「ひぎゃー!!」と叫んだ。


ヨシノさんが、くすくすとこらえ切れない笑みをかみ殺している。

「……元気だね」
気づけば、すぐ近くにいたらしいあの人が、驚いたような顔をして私を見ていた。近くで見てもかっこいい。目が白黒してきた。今すぐ逃げ出したいと首をぶるぶる振ると、「ごめん、驚かせちゃったかな?」と彼は困ったような顔をした。もう一回、私は激しく首を振った。「そう? よかった」 そう言って、彼は芝生の上に転がっている私の目線に合わすように、しゃがみこむ。
そしてヨシノさんと私を交互に見た後、彼はやんわりとほほ笑んだまま、城を指差した。

「俺、まだこの城に詳しくないんだ。鍛冶屋って、あっちで合ってるかな?」
「…………」
「…………あの?」
「ああああ合ってます! 合ってます! すっごく合ってます!」
「そう? ありがとう」

ありがとう。ありがとう。ありがとう。頭の中で、あの人の声が何度も響く。いえ、こちらこそありがとうございます! と意味の分からない感想を持ちながら、彼の顔を見つめ続けていることすら申し訳なくなって、さっと顔を伏せた。その瞬間、「ん?」と彼の不思議そうな声が聞こえた。髪の毛に、さわりと何かがふれる感触がする。

「葉っぱ、ついてる。うん、とれた」
「……………!!!!!」

思わず見上げると、彼は葉っぱを片手にして、「あ、ごめん。勝手に取っちゃった」と謝る。また私はぶんぶん首を振った。よかった、と彼はまた笑って、それじゃあね、と彼はパタパタ手のひらを振る。ヨシノさんにも頭を下げて、そのまま赤い背中を小さくさせる。


「…………よかったですねぇ」

すっかり頭もぼんやりしてしまって、彼の背中を見つつ瞬きを繰り返す私に、ヨシノさんがしみじみと呟いた。私はすぐさまヨシノさんに駆け寄った。「よよよよヨシノさん私どこか変じゃなかったですか!? 変でしたよね!?」「そんなことありませんよ。とっても可愛らしかったと思います」

恋をする女の子は、とっても可愛く見えるものですから。と年長者らしく、ほのぼのと口元を開けた。いやいや、可愛いのはあなたですから。「ヨシノさんは、フリードさんにらぶらぶですもんねぇ……」「えっ、いやださん!?」
一体何をいっていらっしゃるんですか、とほっぺを赤くして、彼女はぶんぶん首を振った。ヨシノさん、年上なのに、本当に可愛らしい人だなあ、とほのぼのした気持ちと、羨ましいがぐにょぐにょ混じり合ってしまう。

私もヨシノさんくらい素敵だったらなあ、とぶにっとほっぺをひっぱってみた。現実はこれだから。

「…………」
さん?」
「…………よーし、お仕事がんばるぞー!」
「そうですね、頑張りましょう」

今日はあの人とお話ができた。これだけでお腹がいっぱいになるくらいに幸せだ。





俺はふらふらと右手に持つ葉っぱを目の前で動かした。さっきの女の子の葉っぱだ。(……女の子と話すのは、久しぶりだな……) さっきの会話を、話したとカウントしていいものかどうか、正直戸惑うけれど、人と会話すること自体、この頃めっきり減ってきた。片手で数えるほどの人間としか交流を取っていない自分に驚く。(俺ってこんなんだったかな)
正直、人間に触れるのは怖かった。けれども反射的に伸ばした腕を止めるのも不自然かと、唾を飲み込み僅かに触れた。

ふらふらと目の前で葉っぱを動かす。小さな、茶色く枯れかけた葉っぱだ。この城にはたくさんの植物が繁茂している。トラン城とは大違いだ。少し懐かしい。

ふっと手のひらを開いた。小さな葉っぱが風の中に舞い散り消えていく。「……避けてるなあ、俺は」
無意識じゃない。意識的に、人間を避けている。そうしなければならないから。正直、マクドールの家にいることは辛い。幸せを感じる、けれども俺は、(……いつか、喰ってしまいそうだ)
パーンとクレオを、殺してしまいそうだ。


だから、からの誘いはありがたかった。今の自分を実感できる。忘れるなと自制ができる。そして俺は、を自分自身の姿と重ね合わせていた。彼の行く道が幸福であるように願っている。後悔はしない。過去の自分は、自分のできることを精一杯やり遂げた。「…………鍛冶屋だったな」

自分自身の思考を誤魔化すように、足を踏み出す。はたはたと、風がなびいていた。







「ぎゃー」





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2011.04.27