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女の子と話をした。
「ぎゃー」
俺は思いっきり彼女に叫ばれた。俺はぽかんと瞬きを繰り返して、床の上にバサバサシーツを落としていく少女を見た。何故だか顔を真っ赤にしていた彼女は、ハッと現在の惨状に気付いたのか、ぶるぶると顔を横に振った後、慌てて床のシーツを拾い集める。俺も「手伝うよ」としゃがみこんだのに、彼女は素早い動きでシーツ全てをひったくり、「おおおおおお客様ですから!!!」と叫ばれてしまった。
「……えっと、ごめん」
「いえいえいえいえいえー!!!」
再び首を思いっきり振る。なんだかおもちゃみたいな子だなあ、と苦笑すると、彼女は面白いくらいに顔を真っ赤にしたあと、今すぐに死んでしまいそうな顔をした。(……一体、彼女に何の心境の変化が?) そして今度はキッと眉を吊り上げて俺を睨み、目が合った途端にしおしおと小さくなった。(よくわからない行動だな?)
「あの……宿を、ご利用ですか?」
「ああ、はい、ご利用です」
なんとなく丁寧に言葉を返すと、彼女はパーッと花が咲いたように微笑み、力の限りシーツを抱きしめる。そして自分が抱きしめ、しわくちゃにしてしまったシーツに気付き、しょんぼりとうなだれる。色々と忙しい子だ。
彼女は俺を見て、口を開けた。そして恐る恐る声を出す。「あ、あの、初めてのご利用ですよね。えっと、ずっと前からいらっしゃったと思うんですけど、前は、前はその」
何やら人と話すのが苦手な子なのかもしれない。俺は彼女の台詞をゆっくりと吟味した。なるほど、彼女はこう言いたいに違いない。前々からこの城にいたと思うのだけれど、自分の部屋があるんじゃないのか? それなのに、何で宿に泊まるんですか。
「うん、部屋は貰ってたんだけど、さすがに心苦しくなってきて、宿の方に泊ろうかと……って、あれ、俺、きみとどこかで会ったかな?」
何で俺が、前々から城に来ていたことを知っているんだろう。どこかですれ違いでもしたのかもしれない。彼女を見つめると、暫く目線を下に置いていたかと思うと、彼女は勢いよく首を横に振った。そうか、会ったことがないのか。(あれ)
「いや、思い出した。葉っぱの子だ。頭に葉っぱ付けてた子。あ、違った?」
確か彼女は芝生の上で、洗濯ものを洗っていた。自分でもよく覚えているな、と少しだけ驚く。彼女は覚えていないかもしれない。相変わらずカチンコチンに固まって下を見ている彼女に、「ごめん、覚えてないよね」と言うと、彼女は再び首を横に振った。ぶんぶんぶん。「……うん? 覚えてるのかな」 暫くの間の後、ぶんぶんぶん。今度は縦に。「そっか」
「じゃあ、お久しぶりだね。今日はよろしく。ベッドは余ってるかな」
「余ってます。余ってます、ものすごく余っているので二個くらい使って頂いても、もう、もう全然!」
「ははは。二個もいらないかな?」
ですよね! そうですよね! と彼女はハハハ! と焦ったように笑い、ぺこりと俺に頭を下げて、「あの、記帳しておきますんで!」と、言ってそのままさかさか消えていく。「ああ、よろし」く、頼むよ。最後まで言えなかった。
俺はなんとなく口元を押さえる。その後に、喉を触ってみた。おかしいな。
(……これだけ、他の人間としゃべったのは、久しぶりかも)
やパーンや、クレオなど、俺の紋章のことを知っている人間とは、いくらか話すし、あちらもある程度考慮をしてくれている、と思う。けれども、俺のことを何も知らない人間と、これだけ話したのは久しぶりだ。
「口下手な子だからかな」
きっと人見知りをする子で、あっちの方がどんどん焦ってくれるから、こっちが冷静になれるに違いない。少しだけ、楽しかったな、と思う自分を叱咤する。取りあえず記帳をしてくれると言うので、外に出ても構わないだろうと右手を軽く叩きながら外へと向かった。「さーん……」「………うわっ」
丁度ドアを出た瞬間、頭に金の輪っかをはめた少年が、しょんぼりとした顔でこっちをのぞかせていた。木の幹に体を半分だけ隠し、「さーん」ともう一度俺の名前を呼ぶ彼に、この子は一体何をしているんだ、と呆れてしまう。
「、一応君はリーダーなんだから、あまり妙な行動はとらない方が……ほら、今あっちのコボルトの子が見てはいけないものを見てしまったかのように視線を逸らして逃げて行ったよ」
「ガボチャは意外と空気の読める子なんで大丈夫なんです」
「……いやいや」
なんだそれは。
「それはともかく!」とはグッと拳を握って、「さん、宿屋に泊らなくっても、部屋は用意しますから!」 くすり、と俺は苦笑した。さっきまで散々言い争っていた内容だったからだ。
「いや、ほら。さっきも言ったけど、俺が気にするから」
「でも……僕らが手伝ってもらってるのに……せめて宿代だけでも払わせてください!」
「うーん、それもちょっとなあ」
「……うー、うー、でもー……」
若い軍主はだんだんと地団太を踏む。何やら言いたいことがあるらしいが、言い辛いことらしい。「なんだい?」と俺は彼に問いかけた。はもごもごとした口調で、「その……さん、右手とか……あと、さんのこと、知ってる人が、いるかも、ですしー」「うん? まあ、そうだね」
前の戦争に参加していた仲間たちではなく、俺をただ英雄と、そして批判的な感情を持っている人間に見つかってしまう可能性がある。そうなったらちょっと厄介だが、の手伝いをすると決めた時点から、そんなことを気にしていてはたまらない。それに案外、気づかないものだ。あれから三年も経っているというのに、俺の時間は一人だけ動いていない。
「……まあ、大丈夫だよ」
「そうですか?」
いつまでも、一人で生きていくことができないことなど知っている。逃げていてはだめなのだと、この年下の少年に気付かされた。慣れ合う気はない。けれども拒絶してはいけない。俺はソウルイーターから逃げるのではなく、飼いならさないといけない。(そうだな、逃げちゃダメだよな)
うー、うー、とは暫く唸った後、「まあ、さんがそう言うんなら……」とぶつくさと呟いた。そして即座に、「じゃあ僕、さんの宿代払ってきますね!」「こらこら」「ぎゃー!」
俺は彼の首根っこを左手で掴む。
「そうだな、。一緒にシュウ軍師のところへ向かおうか。きっと君のことを探しているよ。素敵なことになりそうだ」
「ちょ……ッ!! ちょッ、ちょちょー!!! いーやー!」
「あっ!」
私はペンを持ったまま、宿帳に向かい固まった。「どうしたの?」とヒルダさんが不思議そうな顔をする。私は「あ、あはは」と誤魔化したあと、「ごめんなさいー……」としょんぼり頭を下げた。
「泊まりのお客さんがいらっしゃったんですけど、名前を、お聞きするのを忘れちゃって……」
「あら」
「その上、何日お泊まりになるのかさえも……」
「あらあら」
どうしましょう? と頬に手のひらを当てて、ヒルダさんは困ったような顔をしている。「ほ、本当にごめんなさい! 私、今すぐあの人探してきます!」 宿屋から駆け出そうとした私を、ヒルダさんが、「まあまあ」と優しく微笑んで手のひらを振った。
「大丈夫よ、ちゃん。取りあえず一人分のベッドを空けておきましょう? お代はまだ貰っていないんだから、すぐにカウンターにいらっしゃるわよ」
「そ、そうですよね……」
ああ、かっこつけて記帳しておきますから! なんて言わなきゃよかったなあ、と私はしょんぼりへたり込んだ。変な女だと思われてそうだ。過ぎたことはしょうがないけど、凹んでしまう。
それにしてもかっこよかった。名前も知らない人だけど。だから今落ち込んでるんだけど。
(うーん、心臓がいたいー)
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2011.04.27