6
世界は、紋章の力で溢れていた。
いた。
それは遠い昔のお話。
「いいか、ここ、テストに出るからな」こつこつ、と教師が白いチョークで叩いた。「紋章の中でも、その紋章を生み出したとされる上位の紋章。通称、真の紋章がある。現在ではハルモニア記に記される27個というのが有力とされているが、実際のところは分かっていない。火、風、水、雷、地の五つ。そして覇王や獣、円、太陽と言ったように国の王者達が宿したとされる真の紋章は、他の国々でもいくつかの記録が記されている。これらの紋章を宿せば、不老となる……らしいが、実際のところはウソ臭い眉つばものだな」
彼は覇王、獣、円、太陽、と一つ一つ黒板に書き込んでいくが、片手に持った教科書をぞんざいな扱いで教卓へと投げ捨てる。彼は徹底的な紋章不支持者らしい。仮にも教え子たちに向かってあんまり堂々とすべき発言ではないが、現在ではこの国の大半が、紋章なんて存在は信じていない。「諸君、知っての通りだが 」教師は、わざとらしく肩をすくめた。
「そもそも紋章だなんて不思議物体は、この世に存在しない。よってこのことから、これらの歴史は為政者達が、自分たちをより強く、神秘的なものに見せようとして作ったおとぎ話なんだな。一応、元ハルモニア国では、真なる円の紋章は今も残っているとされているが まあ、単なる見栄だろ」
彼は円の紋章、と書かれた部分に矢印を引いて、『←うそくさい』と付け足してしまった。他の生徒たちもカリカリとペンを動かせる音がするけれど、さすがにそれはノートにとっちゃだめなことなんじゃなかろうか。「とは言っても、一応この国が出来たとされる神話の一部だ。テストに出すから覚えとけ」 はぁーい、と生徒たちが気のない返事をする。丁度いいタイミングに、授業の終了を告げる鐘が鳴った。
生徒達は慌てて自分の鞄の中に筆記用具を詰め込んで、教師も「おっ」と天井を見上げた後に、「それじゃあ後はHRで」と言いながらそそくさと消えていく。私は手の中のペンをくるくる回しながら少しだけ考えてみた。宿すと不老となってしまう、不思議な紋章。そんなもの。
あるのだろうか。
なさそうだ。
うん、と適当に自分自身決着とつけてノートを閉じる。その隣から、友人がひょいと顔をのぞかせた。「ねえねえ。あの先生ってさぁ、本当に紋章が嫌いだよね。なのになんで歴史の教師になったんだろ」「うーん、神話と歴史は違うんじゃないかな? あの先生、だいたい太陽暦400年前後が好きって言ってたし」
ええっと、ええっと、と歴史が苦手な友人は、くるくると人差し指を動かす。「……なんだっけ、あれだよね、年端もいかない少年達が国へと反旗を翻す様がたまらんとかなんとか……トーラン解放戦争と、テナン統一戦争」
「それそれ。このごろじゃテナンじゃなくて、テュナン統一戦争なんじゃないかって説も出てたけど」
「へー。どっちなんだろうねぇー……むずかしーなー」
うーん、と唸る友人を見つつ、鞄へと荷物をつめつつ、私はふと呟いた。「両方間違ってる気がするなぁ」「え?」「デュナン」「ンン?」「の方がいいやすいよね」 なんちゃって。と手のひらをひらひら振る。彼女は軽く笑い、「今度先生に言ってみたら?」と言葉を返し、教室に入って来た教師を確認して、慌てたように自分の席へと戻った。
(……なんか、むずむずするな)
歴史の授業を聞くと、胸がうずく。これって本当に史実と正しいのだろうか? そんなことが気になって仕方がない。気になるから気づけば図書館に行くことが癖になっていた。暇があれば歴史書をあさっている。今日も図書館から借りた本を鞄の中に入れて、バイト先へと足を運んだ。ここのコンビニのバイトに入ってもう2年。そろそろ古株だ。
店長に挨拶をして、待機室でちゃっちゃと制服を着替える。「あ、さん、いいですか?」 こんこん、と店長が扉をノックした。「はい、大丈夫ですよー」
店長は金色の長く、ひとくくりにした髪を扉から覗かせた。青い瞳で、優しい顔をしているのに、左の頬にざっくりと入った十字の傷を見て、大抵初対面の人間はビックリする。てっきり事故か何かでついたものだと思っていたのだけれど、生まれたときからついていたものらしい。
「さん、さん、今日はちょっと新人さんが入るんで、よろしくお願いしますね」
「あ、そうなんですか? 分かりました」
きゅっとエプロンをつけて、店長に頷いた。彼は「ありがとうございます、よろしくお願いします」ともう一度丁寧に頭を下げて、すすすーっと扉を閉める。なるほど、新人さんか。女の子だろうか、男の子だろうか。店長に訊けばよかったな、と少しだけ後悔してしまったけれど、あとちょっとでわかることだ。私はちらりと壁にかけた時計を見て、パイプ椅子を出して座る。鞄からお得意の歴史書を出して、ぴらぴらとページをめくってみた。
カチャリ、とドアノブが回る音がした。
新人さんかな、と思って本を膝の上に置き、扉を見つめてみる。開いた扉からは、やっぱり見覚えのない人で、黒髪に黒い瞳という、ここら辺では少しだけ珍しい容貌をしていて、びっくりするくらい顔が整っている男の子だった。多分年齢は私と同じか、彼の方が少し高いかのどちらかだろう。店長と言い、店員と言い、なんともイケメン率の高いコンビニだなぁ、とぼんやりしてしまった後、ハッと気づき、慌てて頭を下げた。
彼はと言うと、何故だかあちらの方もぼんやりすることがあったらしく、目を大きく広げて呆然としたような表情をした後、肩にかけていた鞄をボスリと地面に落したことで我に返ったらしく、同じくぺこりと頭を下げる。「こんにちは、です」「あ、私はです」
さんはにっこりと笑った。そうした後で、ゆっくりと私の前に進み、右手を出す。「よろしく」「あ、はい。よろしくお願いします」 あれ、あっちが新人さんだというのに、なんかこっちの立場の方が低いぞ? と不思議な気持ちになりながら、さんの右手を握り、握手した。彼はとても嬉しそうに笑った後、きゅっと軽くほっぺたにキスをした。「…………う、うひゃあ!?」
さんが、「あっはっは」と軽やかに笑っているものだから、さっきのは勘違いかと思ってしまいそうになるけど、やっぱり気の所為じゃない。さんはぎゅっと私の手を握りしめて、どれだけばたばた手を泳がせても、まったくもって放してくれない。
「ちょっ、ちょっ、ちょちょっ、さん!?」
「なにかな、さん」
「私たち、初対面ですよね……! あ、もしかしてさんは外国のお方だとかっ!」
「一応、ずっとこの土地で育ってきたよ。だから俺は国内人だ。ね?」
ね? とかにこにこ爽やかに笑っても無駄である。ちょっと、ちょっとこの人なんですか。イケメンだからなんでも許されると思っているのか! 「ちょ、ちょ、ちょ、てんちょおおおおー!!」 へるぷみー! とおそらく近くにいるであろう店長に助けを求めると、彼はまったり不思議気な顔をしながら、「さんどうしたんですか? 坊ちゃんと何かあったんでしょうか」とほのぼのとした顔で扉を開ける。っていうか坊ちゃんってどなたでしょうか。
「いや、なんでもないよグレミオ。ちょっとした交友を深めていただけだ」
「そうですか。仲良くしてくださいね、お二人とも」
「え? ええええ? ええ? あれちょっと待って、何でタメ語!? バイトが何故に店長にタメ語なんですか!?」
いくらグレミオさんが温厚な人とは言えど、さすがに限度があるだろうに。もしかして二人とも、もともとの知り合いだったのだろうか? とグレミオさんを窺って見ると、彼自身も不思議そうに首を傾げて、「あ……いえ……なんでだかわからないんですけど、坊ちゃんを見ると坊ちゃんとお呼びしなければいけないと胸の中の何かがうずくといいますか……」「ははは」「エッ!? どんな状況!? っていうかさんも何をそんな嬉しそうに笑っているんですか!?」
何この状況、何この新人さん!? と頭をぐるぐるさせながら、私はやっとのことで彼の拘束から抜け出し、レジ前へと滑りぬけて移動したのだった。
「……えー、何それ。随分変な人が来たもんだねぇ……」
「でしょ? でしょでしょでしょ?」
力の限り友人の肩に手を当ててぶんぶんと思いっきり振りながら頷く。どう考えてもおかしいって。おかしいって。「なんなんだあの二人はー」 ううー、と思わず頭を抱えた。学校の机に突っ伏す私のほっぺたを、彼女はツンツンと突き刺しながら、「でもその新人さん、イケメンなんでしょ?」 と興味深げに瞳を輝かせる。「どれくらいのイケメン?」
んん……と頭の中で、さんを思い出してみる。やんわりとした雰囲気で、物腰も柔らかで、口調も丁寧で。「……ものすごいイケメン……」「ものすごい?」「なんか……こう、変な人だけど……うううん。そのう」私は頭をあげて、わたわたと両手を動かしてみた。「えっと、好みにどんぴしゃりな感じの」「誰の好みだ」 もちろん私だけど。
「あ、ゴミ捨て行ってきますー」
「ん、俺が行くよ。段ボールとか多いし、結構大変でしょ」
別に顔がいいからって許される訳ではない。さんは、なぜか私を見るときに、にこにこと嬉しそうな瞳をしていて、とても気になる。ときどき、たががはずれたような行動をしなければ、いい人に違いないのだ。そう、たががはずれたような行動をしなければ。
俺が持つ、と言いながら、なぜか私の両手をぎゅっと握りしめているさんを、私は白い目で見つめた。なんだろうこの人。「放してください」「ああ、思わず」 いや、思わずはおかしいと思う。
ハー、とため息をつきながら、私は少しの休憩時間の間に、私は鞄から歴史書を取り出した。さてさて、テュナンとテナン、どちらが正しいのか、それとも両方正しくないのか。なんだか気になって仕方がないからだ。結局いくらページをめくっても、新しい発見なんて出来るはずもないとわかっているけれど、確認しないと胸がうずうずしてしまう。
ガチャリと扉が開く音がした。本から顔を上げると、やっぱりと言うか、さんだ。コンビニのエプロンをしゅるしゅると外す。そして、「こんにちは、失礼するよさん」と微笑みながらパイプ椅子に腰かける。私はぺこりと頭を下げて、本を閉じた。そして鞄の中にしまい、本来の目的であるお弁当を取り出す。
さんはコンビニのパンなのか、もぐもぐと口に含みながら、ふと首を傾げた。「さん、さっき何読んでたの? 随分厚い本だったけど」「あ、えーと……大したものでは……」歴史書です、なんて言っても、あんまり会話が膨らみそうにない。
私は卵焼きをお箸でつつきながら、なんとなく繋がらない会話を埋めようと、さんに話しかけた。近くにいる分には変な人だけど、今のように3、4メートル距離を開ければ普通の人なのだ。
「あのう、さんは、太陽暦400年前後に起きた反乱の、テナン統一戦争とテュナン統一戦争の名称、どっちが正しいと思います?」
問いかけながら、いやこれもあんまり膨らみそうにならない会話だ、と気付いたときにはもう遅い。たらりと背中に嫌な汗が流れた。けれどもさんは飄々として口に含んだパンをごくりと飲み込むと、「両方違う。正確にはデュナン統一戦争で、ついでに言うと、太陽暦400年前後じゃなく、460年だったかな」 えっと言葉を失った。
私は慌てて本を取り出し、ページをめくり、「えええ、でも歴史書には太陽暦400年に、同盟軍を率いた一人の青年が共和国の初代大統領に就任したって……」「それも違う。彼は姉と幼馴染と共に平和な一生を送ったよ。デュナン共和国の初代大統領はテレーズだ。たしかグリンヒルの市長と兼任したんじゃなかったかな?」
そんな話、聞いたことがない。私は目をぱちくりさせて、でもでもでも、と両手を動かした。「テナン、いやデュナン統一戦争は、トーラン解放戦争の3年後で、えっと、その、あれぇ?」「3年後は合ってるよ。でもトーランじゃなくて、トランね。昔は門の紋章戦争とか呼ばれてたけど、こっちはすたれちゃったみたいだね」
まあ、その理由はだいたい見当はつくけど。と彼はにやりと口元を上げる。「デュナンより、トランの方が詳しいよ。起こった理由の表と裏まで全部はっきり説明できる。知りたい?」「知りたいです!」「あはは、秘密」 だーめ。と彼は笑いながら叩き捨てた。自分で知りたいって訊いたくせに、ずるい。
どう考えたって、これは彼がでたらめを言っていると考えるべきなのだ。けれども何故だろうか。私は、彼のこの台詞が、とても正しく感じるのだ。よくわからないけれど、そうだこれだ、とピンとくるものがある。一体彼は、どこでこのことを知ったのだろうか。
「さん、それ、どこかの本とかにのってるんですか?」
「いや。のってないだろうね」
「だったらそのー、学校の講義とか! さん、歴史科の大学生なんですか? というか、おいくつなんですか?」
「戸籍上は30歳だよ」
「は」
「なんちゃって」
「はい!?」
秘密、と彼は口元に人差し指を乗せた。それが随分様になっているからずるい。さんは暫くにこにこと笑った後、「さん、俺、きみのこと好きだよ」 唐突に告白された。ぎょっと目を見開いていると、どんどんほっぺたが熱くなってくる。「あはは」とさんがまた笑った。「なーんちゃって」「ちょっと!?」
冗談には言っていいことと、悪いことがあるんですからね! と腕を振りまわすと、さんは、とても幸せそうに、「うん、そうだね。好きだよ」とほほ笑んだ。
■■■
「お兄ちゃん、だれ?」
一人の青年が、墓の前に立っていた。丸石を重ねただけの、質素な墓だ。名前も刻まれていない。その後ろから、小さな女の子がぽてぽてと歩いてくる。二つにくくった、可愛らしい女の子だ。緑のバンダナをつけた青年が、ゆるりと振りかえった。女の子は少しだけ瞬きを繰り返した後、「おばあちゃんのお友達?」 そうだね。ちょっと違うかな、と彼は返事をする。
青年は少女へと目線を合わせるように、足を折りたたんだ。「きみは、あの人の子どもかな?」「ううん」「じゃあ孫だ」「ちがうよ。おばあちゃんはお隣に住んでいたおばあちゃん。おばあちゃんはずっと一人だったもの」
そう、と青年は顔をゆがませた。そうか。ともう一度彼は呟いた。
ふうん、といいながら、少女はくるりと青年の周りを回る。「わかった、お兄ちゃん、おばあちゃんのコイビトだ」でしょう? と彼女はほんの少し自慢げに胸をはった。何でそう思うの? と青年は少女の頭をなでる。
「だってお兄ちゃん、おばあちゃんのお話に出てくる男の人にそっくりだもん。緑と紫のバンダナで赤い服の人、まだかなあ、って、ときどきお空を見上げてた」
女の子は、にこにことほほ笑んだ。そしてほんの少しの間の後、不思議そうに青年を見つめる。「お兄ちゃん、一体いままでどこにいたの?」 ゆっくりと、青年は少女の頭をなでた。少女はくすぐったそうに頬を緩め、ふと、青年を見つめた。「お兄ちゃん?」 声をかけた。小さく、声を繰り返す。
「……お兄ちゃん、泣いてるの?」
これも、一つの終わり方
不幸せな
ハッピーエンド
← ■
2011.05.16
短いお話でしたが、ありがとうございました。
(あとがき反転)
坊ちゃんが誰かと恋愛するとして、いったいどうすればハッピーエンドになるかな、と考えてみました。とっても難しいですね。テッドから譲った紋章は、多分彼は一生はずすことがないでしょうし、いくら坊ちゃんがソウルイーターに好かれている(仮)としても、テッドが(少なくとも)150年以上かけて使いこなした紋章を短期間でものにするというのは難しそうです……。でもまあ、トゥルーエンドではグレミオやらクレオ達と暮らしているということは、やっぱりある程度ならものにしているんでしょうか。うーん、坊ちゃんすげぇ……うむ……坊ちゃんかっこいい……(とてもひどいあとがき)(終わり)
世界は、紋章の力で溢れていた。
いた。
それは遠い昔のお話。
「いいか、ここ、テストに出るからな」こつこつ、と教師が白いチョークで叩いた。「紋章の中でも、その紋章を生み出したとされる上位の紋章。通称、真の紋章がある。現在ではハルモニア記に記される27個というのが有力とされているが、実際のところは分かっていない。火、風、水、雷、地の五つ。そして覇王や獣、円、太陽と言ったように国の王者達が宿したとされる真の紋章は、他の国々でもいくつかの記録が記されている。これらの紋章を宿せば、不老となる……らしいが、実際のところはウソ臭い眉つばものだな」
彼は覇王、獣、円、太陽、と一つ一つ黒板に書き込んでいくが、片手に持った教科書をぞんざいな扱いで教卓へと投げ捨てる。彼は徹底的な紋章不支持者らしい。仮にも教え子たちに向かってあんまり堂々とすべき発言ではないが、現在ではこの国の大半が、紋章なんて存在は信じていない。「諸君、知っての通りだが
「そもそも紋章だなんて不思議物体は、この世に存在しない。よってこのことから、これらの歴史は為政者達が、自分たちをより強く、神秘的なものに見せようとして作ったおとぎ話なんだな。一応、元ハルモニア国では、真なる円の紋章は今も残っているとされているが
彼は円の紋章、と書かれた部分に矢印を引いて、『←うそくさい』と付け足してしまった。他の生徒たちもカリカリとペンを動かせる音がするけれど、さすがにそれはノートにとっちゃだめなことなんじゃなかろうか。「とは言っても、一応この国が出来たとされる神話の一部だ。テストに出すから覚えとけ」 はぁーい、と生徒たちが気のない返事をする。丁度いいタイミングに、授業の終了を告げる鐘が鳴った。
生徒達は慌てて自分の鞄の中に筆記用具を詰め込んで、教師も「おっ」と天井を見上げた後に、「それじゃあ後はHRで」と言いながらそそくさと消えていく。私は手の中のペンをくるくる回しながら少しだけ考えてみた。宿すと不老となってしまう、不思議な紋章。そんなもの。
あるのだろうか。
なさそうだ。
うん、と適当に自分自身決着とつけてノートを閉じる。その隣から、友人がひょいと顔をのぞかせた。「ねえねえ。あの先生ってさぁ、本当に紋章が嫌いだよね。なのになんで歴史の教師になったんだろ」「うーん、神話と歴史は違うんじゃないかな? あの先生、だいたい太陽暦400年前後が好きって言ってたし」
ええっと、ええっと、と歴史が苦手な友人は、くるくると人差し指を動かす。「……なんだっけ、あれだよね、年端もいかない少年達が国へと反旗を翻す様がたまらんとかなんとか……トーラン解放戦争と、テナン統一戦争」
「それそれ。このごろじゃテナンじゃなくて、テュナン統一戦争なんじゃないかって説も出てたけど」
「へー。どっちなんだろうねぇー……むずかしーなー」
うーん、と唸る友人を見つつ、鞄へと荷物をつめつつ、私はふと呟いた。「両方間違ってる気がするなぁ」「え?」「デュナン」「ンン?」「の方がいいやすいよね」 なんちゃって。と手のひらをひらひら振る。彼女は軽く笑い、「今度先生に言ってみたら?」と言葉を返し、教室に入って来た教師を確認して、慌てたように自分の席へと戻った。
(……なんか、むずむずするな)
歴史の授業を聞くと、胸がうずく。これって本当に史実と正しいのだろうか? そんなことが気になって仕方がない。気になるから気づけば図書館に行くことが癖になっていた。暇があれば歴史書をあさっている。今日も図書館から借りた本を鞄の中に入れて、バイト先へと足を運んだ。ここのコンビニのバイトに入ってもう2年。そろそろ古株だ。
店長に挨拶をして、待機室でちゃっちゃと制服を着替える。「あ、さん、いいですか?」 こんこん、と店長が扉をノックした。「はい、大丈夫ですよー」
店長は金色の長く、ひとくくりにした髪を扉から覗かせた。青い瞳で、優しい顔をしているのに、左の頬にざっくりと入った十字の傷を見て、大抵初対面の人間はビックリする。てっきり事故か何かでついたものだと思っていたのだけれど、生まれたときからついていたものらしい。
「さん、さん、今日はちょっと新人さんが入るんで、よろしくお願いしますね」
「あ、そうなんですか? 分かりました」
きゅっとエプロンをつけて、店長に頷いた。彼は「ありがとうございます、よろしくお願いします」ともう一度丁寧に頭を下げて、すすすーっと扉を閉める。なるほど、新人さんか。女の子だろうか、男の子だろうか。店長に訊けばよかったな、と少しだけ後悔してしまったけれど、あとちょっとでわかることだ。私はちらりと壁にかけた時計を見て、パイプ椅子を出して座る。鞄からお得意の歴史書を出して、ぴらぴらとページをめくってみた。
カチャリ、とドアノブが回る音がした。
新人さんかな、と思って本を膝の上に置き、扉を見つめてみる。開いた扉からは、やっぱり見覚えのない人で、黒髪に黒い瞳という、ここら辺では少しだけ珍しい容貌をしていて、びっくりするくらい顔が整っている男の子だった。多分年齢は私と同じか、彼の方が少し高いかのどちらかだろう。店長と言い、店員と言い、なんともイケメン率の高いコンビニだなぁ、とぼんやりしてしまった後、ハッと気づき、慌てて頭を下げた。
彼はと言うと、何故だかあちらの方もぼんやりすることがあったらしく、目を大きく広げて呆然としたような表情をした後、肩にかけていた鞄をボスリと地面に落したことで我に返ったらしく、同じくぺこりと頭を下げる。「こんにちは、です」「あ、私はです」
さんはにっこりと笑った。そうした後で、ゆっくりと私の前に進み、右手を出す。「よろしく」「あ、はい。よろしくお願いします」 あれ、あっちが新人さんだというのに、なんかこっちの立場の方が低いぞ? と不思議な気持ちになりながら、さんの右手を握り、握手した。彼はとても嬉しそうに笑った後、きゅっと軽くほっぺたにキスをした。「…………う、うひゃあ!?」
さんが、「あっはっは」と軽やかに笑っているものだから、さっきのは勘違いかと思ってしまいそうになるけど、やっぱり気の所為じゃない。さんはぎゅっと私の手を握りしめて、どれだけばたばた手を泳がせても、まったくもって放してくれない。
「ちょっ、ちょっ、ちょちょっ、さん!?」
「なにかな、さん」
「私たち、初対面ですよね……! あ、もしかしてさんは外国のお方だとかっ!」
「一応、ずっとこの土地で育ってきたよ。だから俺は国内人だ。ね?」
ね? とかにこにこ爽やかに笑っても無駄である。ちょっと、ちょっとこの人なんですか。イケメンだからなんでも許されると思っているのか! 「ちょ、ちょ、ちょ、てんちょおおおおー!!」 へるぷみー! とおそらく近くにいるであろう店長に助けを求めると、彼はまったり不思議気な顔をしながら、「さんどうしたんですか? 坊ちゃんと何かあったんでしょうか」とほのぼのとした顔で扉を開ける。っていうか坊ちゃんってどなたでしょうか。
「いや、なんでもないよグレミオ。ちょっとした交友を深めていただけだ」
「そうですか。仲良くしてくださいね、お二人とも」
「え? ええええ? ええ? あれちょっと待って、何でタメ語!? バイトが何故に店長にタメ語なんですか!?」
いくらグレミオさんが温厚な人とは言えど、さすがに限度があるだろうに。もしかして二人とも、もともとの知り合いだったのだろうか? とグレミオさんを窺って見ると、彼自身も不思議そうに首を傾げて、「あ……いえ……なんでだかわからないんですけど、坊ちゃんを見ると坊ちゃんとお呼びしなければいけないと胸の中の何かがうずくといいますか……」「ははは」「エッ!? どんな状況!? っていうかさんも何をそんな嬉しそうに笑っているんですか!?」
何この状況、何この新人さん!? と頭をぐるぐるさせながら、私はやっとのことで彼の拘束から抜け出し、レジ前へと滑りぬけて移動したのだった。
「……えー、何それ。随分変な人が来たもんだねぇ……」
「でしょ? でしょでしょでしょ?」
力の限り友人の肩に手を当ててぶんぶんと思いっきり振りながら頷く。どう考えてもおかしいって。おかしいって。「なんなんだあの二人はー」 ううー、と思わず頭を抱えた。学校の机に突っ伏す私のほっぺたを、彼女はツンツンと突き刺しながら、「でもその新人さん、イケメンなんでしょ?」 と興味深げに瞳を輝かせる。「どれくらいのイケメン?」
んん……と頭の中で、さんを思い出してみる。やんわりとした雰囲気で、物腰も柔らかで、口調も丁寧で。「……ものすごいイケメン……」「ものすごい?」「なんか……こう、変な人だけど……うううん。そのう」私は頭をあげて、わたわたと両手を動かしてみた。「えっと、好みにどんぴしゃりな感じの」「誰の好みだ」 もちろん私だけど。
「あ、ゴミ捨て行ってきますー」
「ん、俺が行くよ。段ボールとか多いし、結構大変でしょ」
別に顔がいいからって許される訳ではない。さんは、なぜか私を見るときに、にこにこと嬉しそうな瞳をしていて、とても気になる。ときどき、たががはずれたような行動をしなければ、いい人に違いないのだ。そう、たががはずれたような行動をしなければ。
俺が持つ、と言いながら、なぜか私の両手をぎゅっと握りしめているさんを、私は白い目で見つめた。なんだろうこの人。「放してください」「ああ、思わず」 いや、思わずはおかしいと思う。
ハー、とため息をつきながら、私は少しの休憩時間の間に、私は鞄から歴史書を取り出した。さてさて、テュナンとテナン、どちらが正しいのか、それとも両方正しくないのか。なんだか気になって仕方がないからだ。結局いくらページをめくっても、新しい発見なんて出来るはずもないとわかっているけれど、確認しないと胸がうずうずしてしまう。
ガチャリと扉が開く音がした。本から顔を上げると、やっぱりと言うか、さんだ。コンビニのエプロンをしゅるしゅると外す。そして、「こんにちは、失礼するよさん」と微笑みながらパイプ椅子に腰かける。私はぺこりと頭を下げて、本を閉じた。そして鞄の中にしまい、本来の目的であるお弁当を取り出す。
さんはコンビニのパンなのか、もぐもぐと口に含みながら、ふと首を傾げた。「さん、さっき何読んでたの? 随分厚い本だったけど」「あ、えーと……大したものでは……」歴史書です、なんて言っても、あんまり会話が膨らみそうにない。
私は卵焼きをお箸でつつきながら、なんとなく繋がらない会話を埋めようと、さんに話しかけた。近くにいる分には変な人だけど、今のように3、4メートル距離を開ければ普通の人なのだ。
「あのう、さんは、太陽暦400年前後に起きた反乱の、テナン統一戦争とテュナン統一戦争の名称、どっちが正しいと思います?」
問いかけながら、いやこれもあんまり膨らみそうにならない会話だ、と気付いたときにはもう遅い。たらりと背中に嫌な汗が流れた。けれどもさんは飄々として口に含んだパンをごくりと飲み込むと、「両方違う。正確にはデュナン統一戦争で、ついでに言うと、太陽暦400年前後じゃなく、460年だったかな」 えっと言葉を失った。
私は慌てて本を取り出し、ページをめくり、「えええ、でも歴史書には太陽暦400年に、同盟軍を率いた一人の青年が共和国の初代大統領に就任したって……」「それも違う。彼は姉と幼馴染と共に平和な一生を送ったよ。デュナン共和国の初代大統領はテレーズだ。たしかグリンヒルの市長と兼任したんじゃなかったかな?」
そんな話、聞いたことがない。私は目をぱちくりさせて、でもでもでも、と両手を動かした。「テナン、いやデュナン統一戦争は、トーラン解放戦争の3年後で、えっと、その、あれぇ?」「3年後は合ってるよ。でもトーランじゃなくて、トランね。昔は門の紋章戦争とか呼ばれてたけど、こっちはすたれちゃったみたいだね」
まあ、その理由はだいたい見当はつくけど。と彼はにやりと口元を上げる。「デュナンより、トランの方が詳しいよ。起こった理由の表と裏まで全部はっきり説明できる。知りたい?」「知りたいです!」「あはは、秘密」 だーめ。と彼は笑いながら叩き捨てた。自分で知りたいって訊いたくせに、ずるい。
どう考えたって、これは彼がでたらめを言っていると考えるべきなのだ。けれども何故だろうか。私は、彼のこの台詞が、とても正しく感じるのだ。よくわからないけれど、そうだこれだ、とピンとくるものがある。一体彼は、どこでこのことを知ったのだろうか。
「さん、それ、どこかの本とかにのってるんですか?」
「いや。のってないだろうね」
「だったらそのー、学校の講義とか! さん、歴史科の大学生なんですか? というか、おいくつなんですか?」
「戸籍上は30歳だよ」
「は」
「なんちゃって」
「はい!?」
秘密、と彼は口元に人差し指を乗せた。それが随分様になっているからずるい。さんは暫くにこにこと笑った後、「さん、俺、きみのこと好きだよ」 唐突に告白された。ぎょっと目を見開いていると、どんどんほっぺたが熱くなってくる。「あはは」とさんがまた笑った。「なーんちゃって」「ちょっと!?」
冗談には言っていいことと、悪いことがあるんですからね! と腕を振りまわすと、さんは、とても幸せそうに、「うん、そうだね。好きだよ」とほほ笑んだ。
■■■
「お兄ちゃん、だれ?」
一人の青年が、墓の前に立っていた。丸石を重ねただけの、質素な墓だ。名前も刻まれていない。その後ろから、小さな女の子がぽてぽてと歩いてくる。二つにくくった、可愛らしい女の子だ。緑のバンダナをつけた青年が、ゆるりと振りかえった。女の子は少しだけ瞬きを繰り返した後、「おばあちゃんのお友達?」 そうだね。ちょっと違うかな、と彼は返事をする。
青年は少女へと目線を合わせるように、足を折りたたんだ。「きみは、あの人の子どもかな?」「ううん」「じゃあ孫だ」「ちがうよ。おばあちゃんはお隣に住んでいたおばあちゃん。おばあちゃんはずっと一人だったもの」
そう、と青年は顔をゆがませた。そうか。ともう一度彼は呟いた。
ふうん、といいながら、少女はくるりと青年の周りを回る。「わかった、お兄ちゃん、おばあちゃんのコイビトだ」でしょう? と彼女はほんの少し自慢げに胸をはった。何でそう思うの? と青年は少女の頭をなでる。
「だってお兄ちゃん、おばあちゃんのお話に出てくる男の人にそっくりだもん。緑と紫のバンダナで赤い服の人、まだかなあ、って、ときどきお空を見上げてた」
女の子は、にこにことほほ笑んだ。そしてほんの少しの間の後、不思議そうに青年を見つめる。「お兄ちゃん、一体いままでどこにいたの?」 ゆっくりと、青年は少女の頭をなでた。少女はくすぐったそうに頬を緩め、ふと、青年を見つめた。「お兄ちゃん?」 声をかけた。小さく、声を繰り返す。
「……お兄ちゃん、泣いてるの?」
これも、一つの終わり方
不幸せな
ハッピーエンド
← ■
2011.05.16
短いお話でしたが、ありがとうございました。
(あとがき反転)
坊ちゃんが誰かと恋愛するとして、いったいどうすればハッピーエンドになるかな、と考えてみました。とっても難しいですね。テッドから譲った紋章は、多分彼は一生はずすことがないでしょうし、いくら坊ちゃんがソウルイーターに好かれている(仮)としても、テッドが(少なくとも)150年以上かけて使いこなした紋章を短期間でものにするというのは難しそうです……。でもまあ、トゥルーエンドではグレミオやらクレオ達と暮らしているということは、やっぱりある程度ならものにしているんでしょうか。うーん、坊ちゃんすげぇ……うむ……坊ちゃんかっこいい……(とてもひどいあとがき)(終わり)