プロローグ

これは ぼくと おれの 話



「ま、まま、まってぇ!」

僕はランドセルをばたばた言わせながら、必死に走っていた。「やーい、、悔しかったら取り返してみろよぉー!」 クラスメートの男の子が、僕の給食 セットをぶんぶんふりまわしている。がちゃがちゃとお箸がなる音が、こっちまで聞こえてきそうだ。

彼はべろっと舌を出した。僕は思わず泣きそうになった。そして顔面からスライディングをした。思わず泣いた。「う、うあああーん」 おでこが痛い。クラスメートは「ほらすぐ泣く! だめっ子ー!」とげらげら笑って、僕の給食セットごと消えていく。まって、給食セットはまずいって、返してよう、とやっとこさ顔をあげて走り出そうとしたら、またこけた。今度はランドセルのふたがぱかっと開いて、頭の上にざらざらと教科書がのっかった。悲しくなってきた。

僕はすんすん鼻をならして、散らばった教科書をランドセルの中に詰め込んでいく。周りの大人やら、僕と同じくらいの小学生の視線が痛い。4年生の友、と書かれた国語の教科書を一番最後に詰め込んで、僕は道路の端にちょこんと座り込み、長く長くため息をついた。鼻がぐずっているので、ポケットからティッシュを取り出して、ぶいんと噛んだ。「あー……泣ける……」 もう泣いてるけど。

(お母さんに、どう言おうかなぁ)
なくしたって言ったら、またかと怒られるだろうか。頭をぐりぐりされるのはあんまり好きではないので、想像してへこんできた。
そろそろ鼻の方も落ち着いたかな、と僕はぱんぱんと腰をたたいて土を払う。とられちゃったものはしょうがない。でも怒られることを考えてきたらやっぱり目がにじんできた。それにしても、あの子は僕の給食セットを毎回とって行って、何がしたいんだろう。今頃給食コレクションが出来上がっているんじゃないだろうか。


目じりをこすって、あんまり早く家に帰りたくないので、怒られる時間からなるべく逃げようと、僕はのったりのったり足を進める。そのとき、ふと気づいたのだ。(あれ?) さっきまでたくさんいた人が、どこかに消えていた。いつもはここらへんは帰り際の小学生と、近所のおばちゃんたちでいっぱいなのに。ちゃん、またいじめられたの? そう言って心配されるのが、僕の常なのだ。

なんだか気持ちが悪いなぁ、となるべく早歩きをしようとしたとき、ふと目の前に丸い玉が浮かんでいた。ぼくはぱちっと瞬きをした。玉はふよふよと泳いでいて、中には奇妙な紋章が書かれている。「……き、きもちわるっ!」 ずざざっと後ずさった。きょうびの小学生は現実主義なのである。

しかしながら、その変な玉は待てやコラとでもいうように、僕を追いかけてくる。僕は家から逆走するように逃げた。「いやああああー!!!!」 なんで追いかけてくんの!?
相手が無言ということが怖い。これならさっきの子と延々給食セットの追いかけっこをしてた方がマシである。涙が出てきた。怖すぎて。

ううう、と目をぬぐおうとしたとき、僕は見事に頭からこけた。そして再びランドセルの蓋が空き、僕の頭にヒットして、教科書が雪崩のようにやってくる。いてぇ、と思った瞬間、僕の背中あたりに何かがぶつかった。ドッヂボールでばしこんと背中を狙われてしまったときみたいだ。「ぎゃひっ」 変な声が出た。体の中が奇妙にぽかぽかと暖かくなる。(    我は、真なる覇王の紋章) そいつは言った。(我は帰還を願っている。力を貸してたもれ)

僕はそろそろと顔面をあげて、自分の背中を見返した。「ハ、ハオウ? あの、ラオウの親戚ですか? ラーメンの。あとその、ケンシロウに倒される方の」目の前がばちっとスパークする。
違うわボケが、とハオウのモンショーさんがぶち切れたのだろうか。
コミュニケーションを円滑にするためのボケだったというのに、どうしよう冗談が通じないタイプなのかもしれな、       



我は 真なる覇王の紋章
我は 帰還を願っている

ちからを




ぱっと目の前が真っ白にはじけた。






僕はまったく覚えのない場所に立っていた。どこだろうここは、と考えたとき、ああなるほど、外国なんだなぁ、と思った。なんでかというと、どう考えたって日本とは考えにくい光景なのである。そこは大きな大きなお屋敷の中だった。テレビの向こう側とか、ゲーム画面の向こう側のように、きらきらと光ったお城、そうお城があった。たくさんの花畑がある。僕の背丈ほどの植物もすぐそこにあって、僕はぎゃっと縮こまった。

僕の目の前には、マントを羽織った男の人の後ろ姿が見えた。どこのどなたさんだろうなぁ、と首をかしげて、あのう、と声をかける前に、「そこにいるのは誰だ」 としっかりと芯の通った声がした。思わずギクリと肩を震わせてしまったけれど、別に僕は何も悪いことはしていない。多分。いやおうなしに、ここにきてしまったというやつだ。むしろ堂々として、ここはどこですか? といまだに背を向けているあの人に尋ねたっていいはずだ。

でも喉の奥がもごもごとして、うまく声が出ない。僕はびびくりながらさいなら! と逃げようとした。けれどもそれより先に、小さな男の子の声が、すぐそばでした。「すみません!」 僕じゃない。僕の声ではない。彼はまるで僕に気づいていないようにさっと傍から飛び出した。

小さな男の子と言っても、僕より一つか二つ下なくらいだろう。だというのに、彼はしっかりした顔つきをしていて、緑と紫という変わった色のバンダナを巻いていた。来ている服も、やっぱりどこか外国みたいだ。

背を向けていたおじさんが、その男の子の声で、ふいっと顔をこっちに向けた。いかつい。即座に僕は思った。誰に似ているかといえば、隣のクラスの体育が大好きなあの先生に似ている。あの人もきっと体育は好きだろう。いや、勝手な想像だけど。

「うん? もしやマクドールの子息か」
「はっ、・マクドールと申します! ■■■■■■さま!」

なぜか、言葉がうまく聞き取れなかった。僕は眉を寄せた。なんとかさまは、「なぜここに?」と重っくるしい口調で問いかける。くんは利発そうな瞳を、きょときょととさせて、口元をもごつかせた。あ、勝手に侵入しちゃったんだなぁ、僕と同じだなぁ、ははは、とちょっと親近感を抱いていると、なんとかさまは、「よい、気にするな、そなたの父にも言わぬ」と一言だけつぶやいた。くんはパっと顔を輝かせて、ありがとうございます! と頭を下げた。

そんな頭を下げていたくんは気づかなかっただろう。なんとかさまが、頭を下げるくんを見て、柔らかく瞳を細めてきた。さっきまでのいかつい顔はどこかへ吹っ飛んでいた。けれどもくんが顔を上げたとき、やっぱり元のいかつい顔に戻っていた。

「まあ、好奇心が旺盛なことは結構なことだ。、お前の父のように強くなれ。国の礎となれ」
「……はい! おれ、いや、私は、立派な帝国軍人になって、いつか、必ず、 ■■■■■■さまを    

くんは、ほんの少しだけ言いよどんだ。けれどもごくんと唾をのみこんで、「必ず、お守りします!」 そういって、瞳をきらつかせたのだ。なんとかさまは、そんなくんをやっぱり一瞬ほほえましげに見つめて、すぐさま顔を引き締めた。

彼らは僕の存在がないものと同じように話している。なんだか僕は不安になってきた。なんで「おーい」と言って、ぱたぱた手を振ってみた。空気ぶちこわしだ。けれどもやっぱり彼らは僕に気づかなかった。「おーい、おーい、おおーい?」 だめだ気づかん。




我は 帰還を 望む




パタパタ手を振っている間に、僕の視界は真っ白になった。そして次に瞬きをしたとき、パっと目に映ったのは、森だった。「…………あれっ!?」 僕は両手をぱたぱたさせたポーズのまんま、森の真ん中に立っていた。まるで馬鹿のようだ。っていうか馬鹿だ。ランドセルは蓋が空いたまま教科書がばらばら茶色い地面の上に散らばっている。

僕は自身をごまかそうと、えっちらおっちら教科書を拾った。土だらけだったので、ぱたぱたとはたいた。本日二度目の詰め込みを終了させて、ランドセルを抱きしめたまま座り込んだ。帰還ってなんだろう。機関車トーマス? とか思った瞬間、バチバチッと体がしびれた。思うのもダメなのか。真面目にしろってことなのか。ボケは決して許されないのか。


延々と体育座りをしていた僕は、いつまでも座っていても意味がないだろうから、と立ち上がった。でも不安で、すでに瞳には、薄い涙の膜ができている。大丈夫、大丈夫。適当に下って行ったらいいんだ。いくら妙なところに出ちゃったとは言え、日本のそこらにはたくさんの人が住んでいると先生は言っていた。未開の地なんてあるわけないんだ。どこにも人間がいるはずなんだ。
大丈夫。
帰れる
問題ないよ。




「うううううあああああいいいいいのおおおおしいいいいいしいいいいい!!!!!」

僕は全力疾走した。ありえないこれはありえない。文字通りの超イノシシがふごふごと鼻息を荒げながら僕の後ろをばこばこ走ってやってくる。ランドセルがばたばた暴れる音がするけれど、ここでこけてはいけない。本気でいけない。命に関わる。根性である。言っておくが、僕は運動神経は悪くない。結構いい方だ。 なのになんでからかわれたりするかというと、肝心なところで失敗するからである。こんな風に。「げふっ」 僕の命は終了した。

なんて悲しいモノローグになることもなく、なんというタイミングか、こけた僕の側頭部を、丁度タックルしてきたイノシシが、さーっと通り抜けたのだ。僕を通り過ぎたイノシシは、木の幹に頭をぶつけ、わざわざと枝を揺らした。彼(彼女?)は頭の上でくるくると星を回している。

僕はそろそろとその場を離れて、しばらく距離を置いた後に「ぎゃあああああ」と叫びながら全力疾走をした。ランドセルばたばた。気絶していたはずのイノシシも意識を取り戻したようで、「ぶもおおおおおおお!!!!」と本気の声をだしながら、土煙をあげつつ向かってくる。好奇心に負けて振り返ってしまったことを後悔した。怖すぎである。


目の前の幹に必死で張り付き、えっちらおっちらのぼって行く。さすがのイノシシも木登りはできないのか、悔しげに何度も幹に頭を打ち付けて、そのたびに僕は「ひー」と半泣き涙目、実は結構マジ泣きでしゃかしゃか猿のようにのぼって行った。

丁度いい幹にがっしとしがみつき、見下ろすイノシシに、「あっかんべー」「ぶもおおおおおお!!!!」「うああああんごめんなさい調子に乗りました謝るからタックルしないでー!!!」 勘弁してー!!


結局僕は、その日は木の枝の上で過ごすことになった。ランドセルの中には今日の給食の残りであるコッペパンが入っていたので、ぐーぐーなるおなかをそれで慰めることにした。パンを食べている最中、ふと自分の左手に奇妙なマークがくっついていることに気がついたのだ。こけたときに汚れちゃったのかなぁ、と僕は深く気にすることなくごしごしとズボンに手の甲をなすりつけた。けれども汚れは落ちることがなかった。


気のせいだろうか。どうにもそのマーク、どこかで見たことがある気がする。
たとえば今日、道路で僕を追っかけてきた変な玉みたいなやつの中に浮かんでた模様とかビリッ

唐突にしびれた左手をぷるぷる涙目で見つめた。やっぱりこれは変なあのマークのビリビリビーリ 「変な系は禁句なんすか……」 あまりの痛さに本気で涙がこぼれてきた。しょっぱい味のするコッペパンだ。

(帰還したい……ってどういうことだろ)
単語の意味が難しかったので、丁度ランドセルの中に入ってあった辞書で調べたのだ。帰りたい、という意味らしい。っていうか難しいわざわざ難しい言葉を使うとか変なビリビリごめんなさいなんでもないです。

「……あの幻、なんなんだろ……」

やっぱりあれは、どう考えたって現実ではなかった。
くんと、なんとかさま。ハオウのモンショーが見せた映像だ。
(……あそこに、帰りたいってことかな……?)

僕はもぐっとコッペパンをかじった。覇王の紋章は特に何も言うこともなく、僕はひとりさびしく初めてこの世界に来た食事を終えたのだった。

 

2011/07/20

お試し一話

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