はる、きたる






*主人公は成長し、10歳→19歳になっています。ご注意。





人には忘れられない記憶がある。
例えば僕の場合、それは小学四年生のときだ。人よりも少しだけ強烈な、忘れられない、忘れたくない思い出だった。

泣き虫の僕は青いマントの男性の背中ばかりを見ていた。ときどきひょいと追い越して、でもやっぱり止まってしまって、走って歩いて、隣にいけるようにと小さな歩幅で頑張った。

     ときどき、あれは夢だったのではないかと思う

ひどく不思議な世界だった。剣と魔法のファンタジーの中に僕はいて、黄金の竜の背に乗り、空をかけた。それはなんとも、随分非現実な話じゃないか。
けれども残念なことか、ありがたいことか、あれは夢ではなかったという確かな証拠がここにある。彼に買ってもらった服は小さくなってしまったけれど、ボロボロの鞄は、今も部屋の隅に置いてある。


僕は成長した。そうして自分と鏡を向かい合わせた。そのたびに、ちょっとだけ苦笑した。
ぺたりと鏡に手のひらをおいて考える。おい、お前は誰なんだい?
僕が俺に変わって、声も低くなってしまったとき、気づいたのだ。
「そっくりだな」

夢のなかで、現実で。何度も出会ったお兄さんに、俺の姿は似通っている。
さて、僕はすっかり、あの世界での物語は終わってしまったのだと考えた。けれども俺は気づいていた。まだ終わらない。いつか、またいつかのときに。





   ***



くーん、ノート、みーせーてー」

高校のときとは違う、奇妙なチャイムが授業の終了を告げたとき、ふいと背中が重くなった。俺はカチカチとシャープペンシルの尻を押して、「ん?」と首を傾げて振り向いた。
顔は知っている。けれども名前は知らない。大学に入学したばかりの俺にとったら、周り中は他人だらけだ。

「ん? いいよ。前回?」
「ゼンブゼンブ。よかったよかった。くんがいてさあ」

俺、一回も出たことねーから。とケタケタ笑う彼を見て、俺はニカッと笑った。「じゃーダメ」「あ?」 ピクリとあげられた眉を見て、はいはいなしなし、と手元の教科書を片付ける。「ケチケチすんなって」 これだろ? と取り上げられそうになったクリアファイルを、俺はひょいと持ち上げて彼をかわした。

「おいおい。人様のものを勝手にとるなよ。それにサボりの名前も知らない人に貸すほど、俺はお人好しじゃないんだって」

ついでに暇人でもないしね、と付け足すと、男はカッと頬を赤くした。あ、まずい、と思ったのは一瞬だ。こっちに向かって襟首をつかもうとしていた腕を反対にひっつかんで、ぐるりと回した。「あた、たた、いて、はなせよ!」「あ、ごめん」

うっかりうっかり、なんて笑いながら頭をひっかくと、妙に周りの視線が痛い。「まあとにかく、なしってことでね」 そいじゃあごめん! と笑ってまとめた荷物をひっかけてそそくさと逃げていく。やってしまった。
やってしまった。
まあいいか。

終わったことをぐちぐち考えていたところで仕方がない。こつこつと歩を踏みしめているうちに、どうでもいい気持ちになった。くあー、とあくびを繰り返して階段を下りていく。「おい、!」「ん? やあ、ご飯いく?」「いくけどさー、そうじゃなくてさ」 お前またやったろ、と溜息をついて俺の隣に駆け寄り並ぶ友人を見て、なんのこと? とうそぶいてみた。

「いやなんのことって。見てたっつの!」 同じ授業とってんだろうが! と小学生からの友人はぶんぶん拳を振り回して口元をひん曲げた。「お前見た目は気が弱そーだし、ひょろっこいし、適当に丸め込めそうな雰囲気してるくせに全然だから、目ぇつけられやすいんだよ、もうちょい自覚しろよ」

自覚って言われてもなあ、あと首元をひっかくと、はー、と友人は長く長くため息をついた。「お前と飯くってるこっちの身にもなれよ。ときどき針のむしろなんだよ」「ん? きみ空手サークルなんでしょ、頑張ってね」「うんがんばる……ってなんで毎回思考が武闘派にそれるんだ!?」

お前平和主義と見せかけて全然だもんな! とだすだす地団駄を踏む友人を見て、けらけらと笑った。「まあでも、人間平和が一番だよね」「説得力にかける台詞だな」

まあいいや、今日のめしはカレーだカレー! 学食万歳、とくるくる元気に踊りだす彼を見ながら、俺はまた口元を緩めた。「あ、でも俺もうコンビニで買ってるんだけどね」「空気読めや!?」 一緒に食べるって言ったじゃん、とがくがくこっちを揺さぶる友人に、まあまあと笑った。
「行く行く。学食のメニュー全制覇なんでしょ?」
「おうともよ!」



ちらほらと桜が散る季節は過ぎていた。ピンクの花弁は緑に萌えて、さらさらと音を出す。
ほんの少し、瞳を細めた。時間がすぎる。

彼らは、今どうしているのだろう







視界が変わるのは一瞬だ。
さっきまでの自分はと言えば、紙パックのジュースを飲み込んで、がじがじストローを噛んでいたはずなのに、どすんとレンガの上に座っていた。ご丁寧にも、膝の上に鞄がのっかっていることがアンバランスで、なんだか笑えてくる。「あー」 いくつかの可能性を考えてみた。その中から可能性の高い順に羅列して、一つ一つ考える。じわじわと心臓が音を立て始めた。

とりあえず鞄を背中にかけて、ゆっくりと俺は立ち上がった。こつこつ、と地面を足で叩いてみる。どう考えても学校の学食とは程遠い。
街の中だ。狭い路地裏の中に俺はぽつんとつったって、額に手のひらをおいてみた。そうすると、無性に笑えた。ゲラゲラ笑って塀に肩をつけて、「あー……」と長く息を吐き出す。「ここはどこだ」 お決まりの台詞を吐いてみた。どうにも実感がわかない。

ふと、右手が傷んだ。どきりとして右手の甲に目を向ける。覇王の紋章、そんな言葉が思い浮かんだのだが、予想とは違うそのあざのあとに拍子抜けした。けれども見覚えがある。右手を撫でた。「おくすりくん」 きみ、また来てくれたのか、と口元を笑わせた。


     ここは、フリックさん達がいる世界だ

左手に、紋章さんはもういない。けれども右手にはおくすりくんがくっついている。彼は消えたはずだった。僕が元の世界に帰ったそのとき、鞄や、服や、お薬以外のもののつながりは断たれてしまったはずだった。「ひさしぶり。元気だった?」 そんなふうに話しかけて笑ってみた。けれども彼からはなんの声も聞こえない。(そうか) 

小さな僕だったころ、俺は彼と会話ができた。けれどもそれは、俺自身の力ではなく、覇王の紋章、それがあってこそだ。「なんだ、すこしさみしいな」 きゅっと手のひらを握って、けれども懐かしくてまたこつりと額につける。
少しだけ、彼の言葉がわかるような、そんな気もした。「よし、そうだな」 お前はそんなことより、別のやるべきことがあるだろう。きっと彼はそう言っている。「フリックさんは、どうなったのかな」

彼はおそらく三十を越えているはずだ。そうなると、都市同盟との争いもすでに集結しているに違いない。その終わりを俺は見届けられなかった。少なくとも、自身はそれを確認すべきだ。「そもそも、ここはどこだっていうね」

昔のように、森の中という訳ではない。いや、10年も経てば嫌でもなんでも変わってしまう。もしかすると、ここはリューベの村の未来の姿なのかもしれない。けれども本当に、焦土と化したあの村が復興を遂げたのだろうか。
「まあ、考えてても仕方がないか」

とりあえず歩いてみよう、と考えたそのとき、俺は勢い良く振り返った。
背中のリュックの紐を片手に持ち、叩きつけるように振り回す。切れた布地の間から、筆記用具が飛び出した。ガシャンと地面に落っこちるその音を聞きながら、でかい獲物を構える男と相対して、俺はパチクリと瞬いた。「えーっと」「兄ちゃん、おとなしく金を出してくれたら痛い目見ねえですむんだけどな」「あー……」

お前、目ぇつけられやすいんだよ、と言っていた友人の台詞を思い出した。
いや、そもそもこんな人目もがつかない路地の端にいること自体がダメなのだろうか、と首をひっかいたのだけれど、それは俺のせいではない。

「一応言っておくんだけど、金がないって言ったら信じてくれる?」
「ハッ! そんないいべべ着ておいて、言うにことかいてそれったらな!」
「うーん」

困ったなあ、ため息をついた。「じゃあ、しょうがないよね」 ついでに切られたリュック分くらいは弁償していただきたい。あいよ、と俺は勢い良く足を踏み込む。男は剣を振りかぶった。しゃがむ、避ける。単純な動作だ。懐めがけて拳を突き出し、男の耳をひっぱたく。「グギャッ!」 とふらついた平行を確認し、無防備に投げ出された片手をひねる。からん、と地面に落っこちた剣を踏みつけた。そうして俺はすぐに彼の手首から手のひらを放した。「おしまい。俺、やっぱあんまりこういうこと好きじゃないんだ」

これで終わりじゃダメかな、と降参のポーズみたいに両手をはためかせると、男は幾度も後ずさった。ありがたい、と安堵の息をつけば、ぶるりと男は震えた。「……ふざけんなよ」 きゅっと片目を開く。「なめてんじゃねえぞ!」
しゅるりと男は片手の紐を解いた。彼の右手に踊る炎に、俺は目を見開いた。小さな魔力が、じわじわと集まる。油断した。すっかりとその存在を忘れていた。

「火炎の     

矢! と声が叫ばれるその瞬間、俺は即座に左手を上げた。「拒絶……!」(あっ!) こんなことをしたって、意味なんてどこにもない。覇王の紋章はもうどこにも存在しない。くそ、と舌を打つ前に、左手が引きつれた。

まるで壁を裂くように炎が頬を撫で、四散した。ちりちりと髪の数本が焼ける。(今のは)
「いてえ……!」 いてえ、と赤く腫れあがる右手を押さえた賊を慌てて見て、ほっと息をついた。彼の右手は、未だにきちんと体にくっついている。今のうちとばかりに腕をひっぱり、ついでに足を払った。ずどんと地面に倒れこんだ男の背に乗っかかりながら、腕をのけぞらせるように関節を締める。「てめ、はなせ、いて、いた、いててててて!」「はいはい、動くと折れちゃうよ。ホント俺こういうの好きじゃないんだよ」

「うるせえ放せ!」
「質問に答えてくれたらね。ここはどこかな。都市同盟のどこか? それともトラン?」

まさかいつかの話にきいた、群島諸国やら、グラスランドという訳ではないだろう。
叫ぶばかりで、いつまで経っても返事がないから、ギリギリと締めあげながらもう少し適当な地名をあげていこうと口を開いたとき、ぎゃあぎゃあ喚いていた男が、またもや喚いた。「赤月だよ!」「…………トランではなく?」 きみ、随分古い言い方をするんだね、と困ったみたいに首を傾げると、「んだよそのトランってのは!」 意味わかんねーこと言うなよな、と喉を叫ばせる彼を見下ろしながら、俺は暫くの間沈黙した。

「…………あー」

理解した、ような気がする。
今まで、妙に心の底でひっかかっていた何かが、カチリとはまって、ぽろぽろ転げ落ちた。「解放戦争、ね……」 俺の左手には、すでに何もない。けれども、何かがつながっている。覇王の紋章と薄いラインがある。おそらく、その先には。


「めんどくさいことになっちゃったな……」

ほっぽり出されたリュックの底には、お守り代わりの手袋が入っていた。僕だったころの手のひらには大きすぎて、はめられることのなかった片手だけの手袋だ。
もう一度、ため息をついた。ぎゃあぎゃあ叫ぶ男の背中に座り込んで、こりゃまた大変だ、と青い空を見上げながら笑った。





     物語は、開幕する





 

2012/11/27

第一部では、レベルが低い非常識(覇王の紋章パワー)なチートでしたが、第二部ではレベルが高い常識的なチートな感じです。

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