戦いの始まり





「さてトラン軍、料理人会議を始めましょう。本日の議題はシチューにネギを入れるのはありかなしか」

普段は頭の上にぱこりとかぶっている帽子を、彼はそっと外しながら、静かにテーブルについた。客というか、腹ペコ達が止まらない食堂は、本日はもう閉店だ。ふむ、とグレミオが顎に手を起きながらうなずく。「シチューはすべてを包み込む食材の出会いの場とも言えます。アリですね」 アントニオが、力強くテーブルを叩く。「しかしそれでは! 玉ねぎとかぶってしまう!」

「いいじゃありませんか、ネギネギコンビでそれはそれで美味しそうです!」
「でもそれではニンジンではカバーできないほどに白くなってしまうじゃないか! 料理には見栄えも必要でしょう!」
「見栄えももちろんですが、栄養面を考えてはみては!? ネギ以外にも入れるものを考えたらいい話です!」

「「どう思います(くん)!!!」」

「いや、そう言われても……」

アントニオとグレミオが、互いにハアハアと息を荒げながら、言い争いを加速していく。手に汗握るような激しい戦いであったが、いやほんと、どう思いますと聞かれても。「俺、別に料理人じゃないんだけど……」 そもそもアントニオを手伝っているのも、カミーユから逃れたほんの僅かな休憩時間だけだ。アントニオとグレミオは、エエッ!? と二人一緒に驚きの声をあげながら、口元を両手で覆っている。いや、エエッ!? じゃないよ。

「まあ、そりゃあ最近では楽しくなってますよ? アントニオさん達も大変そうだし。グレミオさんも偶にだけど来てくれるようになって、レパートリーも増えましたしね? でも俺は、ホントはキーボードとか電卓とかの方が性に合ってて、こういう職人系のものとは気質が違うんですよ!」

何でもかんでもできるものと思うなよ! と思わず叫んだが、「きーぼーど……?」「でんたく……??」とあまりにもピンと来てない二人の顔を見て、ですよねえ! と頷いた。

「まあ、なんていうか……そろばんといいますか」
は計算が得意なのか? それなら売上の管理もしてくれると助かるんだが」
「できますし、得意ですけどね!?」

なんなら昔してましたしね! とレオナさんの酒場での思い出が過ぎ去っていく。

いやあ、私はそっちの方が苦手でねぇ、と困り顔でハハハと笑っているアントニオの心労も相当なものだろう。なんて言ったって、解放軍を求めてやってくるものは、日に日に増えていくばかりだ。せめてあと一人、料理人として専属でやってくれる人が増えたなら、彼の負担も減るだろうに、中々アントニオのお眼鏡にかなう人間がいない。「あいつなら……いやしかし」と、本人は心当たりがあるらしいが、口が重い。

まあ気づけばいつの間にか、もうひとり料理人が増えていて、アントニオとの激しいシチューの攻防が始まるのは別の話だが、本日の議題の終結は、急ぐお客様にはネギと豚肉とキノコのシチューが時短メニューで最高かな、というオチに行き着いていた。平和そうでなにより。








「とかなんとか、こっちに手を抜いてるんじゃないだろうね!!」
「いやまさか、そんなわけはありませんよ!」

とかなんとか、なぜかカミーユには未だに敬語になってしまう。つい最近、彼女が年下であることを知ってしまったのだが、そんなことは関係ないとばかりに、いっぱしの地獄を通り抜けてきたような眼孔の鋭い女性である。「あたしに四六時中こき使われてるくせに、一体どこにアントニオの奴を手伝う余裕があるっての?」とひどく訝しげな瞳でこちらを見てきたので、「いやいやそんな。見てくださいよ、この顔色の悪さ。おくすりくんに頼らなきゃ生きてけませんって」「うるせぇほざくな」 一喝である。

冗談はその程度にして、日々増えていく元はただの農民達や、商人達に訓練を施しながら、つい先日の騒ぎを思い出した。
なんでも、船着き場にエルフが流れ落ちたとか。もしくは溺れていたとか。
もちろん彼はすぐさま介抱され、知っているのは始まりばかりで、それから先は俺たちが預かり知らぬ話となったわけだが、剣呑な匂いは誰しも気づく。次の闘いは近い。達、リーダー代理一行は、どこへやらと旅立ち、マッシュは口をつぐんだ。今度はお呼びでないらしい、と残念だか、安心しただか、よくわからない気持ちでアントニオの食堂を手伝いに行ったのだが、グレミオがいないばかりに、忙しさは格段に増えたような気がする。

と、いうわけで、なるべく時間をつくって手伝いに行くようにしていたのだが、ある日いつも通り扉をあけると、アントニオはどこか嬉しげな様子で、宿屋の女将であるマリーと談笑していた。昼食時間は現在休憩中だったらしい。その和やかな雰囲気に、思わずささっと後付去った。とりあえず後ろ向きで。そう言えば彼は嫁も子供もいないと言っていたような気がするが、そういうことだったのか。いやなにがそうとかよくわかっていないけど。


とりあえず時間を潰さねばと何もない時間を持て余して、くだんのエルフが溺れていたという船着き場で、ぼんやりと湖を眺めていた。準備していたエプロンが虚しい。周りでは魚を釣ったり、船の調節をしたりとのどかな中にも忙しげな様子を見て、そわそわしてきた。思わずいつもの癖で腰をさぐったが、食堂にまっすぐ向かうつもりだったから、剣を持っていない。せめて素振りを、と思ったのに現物がないのだ。ならば形だけでも、と立ち上がったところで愕然とした。これは休憩ではない。俺は時間を使うのが下手くそだったのか、と知らぬ自身に崩れ落ちたところで、どんどんこちらに近づく小舟を見て、瞳をすがめた。

遠目に顔をみたところ、おそらく見覚えのない人間が乗っている。

男と女の二人のようだ。男は長い青い髪をポニーテールのようにくくっていて、こちらが櫂をこいでいる。それにしても、結構なスピードだ。激しい水しぶきを上げながらも、ぐんぐんと近づいていく。剣を触ったところで、何もない。しくじった、と舌を打った。彼らは解放軍のものたちではない。ならばと手刀を構えて待ち伏せ、船が港についたその瞬間、男は女を担ぎ上た。「ハッハッハーア!!!!!」「いやーーーーーー!!!!」 そして文字通り飛んだ。


その激しい跳躍でこちらの頭の上を通り抜けた。その上、抱きかかえられた女は悲鳴を上げて、「おろしてぇええええーーーー!!!」と、こちらが気の毒になるほど首を振って暴れている。そんなこともお構いなしに、彼はしゅんしゅん逃げた。男女のエルフだ。

ぽかんと口を開けて見送ってしまったのは俺だけではない。はっとしたのもつかの間、エルフの後ろ姿を追った。けれども、はたはたと馬のように暴れる彼の青いしっぽ髪には中々追いつけない。速すぎる。悲鳴をあげる少女を抱えながら疾走するその青年に、誰もが驚き、捕まえようと両手をかきだしても、虚空を抱きしめているだけだった。ついてきているのは俺くらいなものだろう。

男エルフは、ぐるぐると城の周囲を回っていた。目的がわからない。止まり続けないその足に、女のエルフはとっくに目を回している。「うーん、いまいちてっぺんがわからないな……。一番上だと偉い人がいそうなもんだと思ったけど」 呟くような声をきいた。どういうことだ。男エルフは考えた。「……そうだな、高いな……さすがに足で城の壁を登ったことはないが……」 当たり前だ。「やってみる価値はあるな!!!」「ねーよ!!!!」 思わず突っ込んでいた。


ん? とやっとこさ振り向いたその顔には覚えがある。さんの城中を駆け回っていたエルフだ。小学生だった俺には俊足すぎるそのエルフは恐怖でしかなく、目の前を通り過ぎるために、「ヒャフウ……」とへたり込んでいた。「カミカゼだ……カミカゼが今日も吹いたよ……」と意味もなく呟き、フリックさんを心配させていた。名前は確か     スタリオン


壁に登ると言った彼の言葉で、スタリオンが抱えていた少女の顔が、みるみるうちに青くなる。さすがに見過ごせないと、腰に巻きっぱなしだったエプロンを、心の中でアントニオに謝りながらも思いっきり投げつけた。「……おぶっ!?」「そろそろ落ち着いてくれよ」

足が止まればこっちのものだ。
偉い人のもとに行きたいんだったら、連れて行ってやるから、と呆れながら声をかけて、彼が抱えていた少女を救出する。久しぶりの地面に、やっとこさ安堵の息を吐くかと思いきや、意外なことに、少女は気丈にも背伸びをしながら俺の肩を掴んで揺さぶる。「あなた、偉いひとのところに、連れて行ってくれるんだよね!?」「う、うん」

てっきり彼女はさらわれたものかと思っていたのに、違ったらしい。

「それならお願い、はやくシルビナとスタリオンを、この軍で偉いひとのところに連れて行って! きっとだけど、あなたたちのリーダーもピンチだと思うの!」

はやく、キルキスを助けて、と言った彼女の言葉の半分は震えて聞き取ることができなかった。けれども震えながら唇を噛みしめるすみれ色の少女の瞳を見て、「わかった」 彼女の頬が、パッと喜びに赤らいだ。


「それよし、また俺が抱えてやるよ!」
「結構よ! と言いたいとこだけど、キルキスが危ないんだもん! 落とさないようにお願いね!」
「二人ともわかった、わかったから。急いでいくから、誰もひきとばさないでくれよ」
「はっはっは!!」
「返事をしろ!!!」




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2019/11/12

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