■ 戦闘、血の描写有り
ミスった
ミスった
完璧に、ミスった
後ろ手をロープで縛られながら、は軽く舌打ちした。取り上げられた刀は、目の前の男がしげしげと見つめ、「お前、面白いもん持ってるなぁ」 カチン、と鞘から刃をひきぬき、茶髪の男は、ひゅう、と軽く口笛を吹いた。「兄さん、汚い手で触んないでくれるかね」「おいおい、汚いってか」
青年は、ひょいっと肩をすくめた。伊達男には違いないが、どちらかというと攻撃的な顔つきだ。白と黒の衣装が似合うには似合っているが、どこか奇妙な印象を得た。いちいち自分の相手をしているところをみると、あまり身分は高くないのだろうかと思ったが、着る服と周りの兵の様子を見てみれば、そういう訳でもないらしい。お暇なこった。また舌を打った。失敗だった。まさかここまで近く、ハイランド軍が来ているとは。
「さて、命知らずな同盟軍か、それともただのバカな旅人か、どっちだろうな」
かか、と男は八重歯を見せて笑った。
は眉を顰めた。できることなら、あいつに蹴りの一発でもお見舞いしてやりたいところだ、とできもしない想像を羽ばたかせた。
ハイランド軍がミューズに進軍を開始している。
その噂を聞いたのは、数日前のことである。さてどうするか、とは眉を顰めた。商人が見かけたハイランドの位置と、また動く物資を想定し、おそらくこれから数週間ののちに、この場は戦場となる。かちかち、とは無意識に具足を鳴らした。(……俺はを探している) 目的はそれだ。けれども、近くの戦いとなっては、元軍人である自身が騒ぐ。見過ごすか。
(……まあ、俺が行ったところで、何になるって訳でもないけどね)
さて、と考える。結局をさがす当てもないまま、こうしてぐるぐるとさまよっているが、自身はどうすべきか。あのタキと名乗るもの探しの達人であるという女性には“必ず会える”と断言されたものの、結局詳しい場所も時間もまったく教えられずであった。
何をどう思ってそんな言葉を出したのか、聞き出したくてたまらなかったのだが、お年寄りを絞め上げる趣味は残念ながら持ちあわせていなかったし、そもそも、理由もなにもない、適当な言葉だったのかもしれない。考えた末に、また来ます、とはその言葉を残して、彼女の家を去った。タキは小さな手のひらをゆっくりと振りながら、「ええ、待っているわ。けれども次に私とあなたと出会うのは、おそらくここじゃあないでしょうねぇ」
いったいどこまで本気なのか。
すべてが意味ありげで、反対になんの意味もないかのような気もする。はため息を吐いた。(……どこにいるのかね) お兄ちゃんが、おじいちゃんになったらどうしてくれるんだい、といもしない義弟に愚痴りたくもなる。
目的はある。けれども、その道筋がわからない。そもそも、義弟に出会って、自身は何をすべきか、何を伝えるべきか、どうするべきか。それすらも定かではない。赤月帝国あらため、トラン共和国の隣国あたりをふらふらとしているものの、これすらも正しいか、まったくもってわかっていない。けれども、はそう遠くに行っている訳ではないような気がした。何故かと問われれば、義兄の勘である、としか説明のしようがない。あえて無理矢理に理由をつけるのならば、彼は責任感のある少年だった。何事も、自分が決めたことは、最後までやり通し、貫くと自身にルールを背負わせていた少年だった。
(は、必ずあの国の行く末を見つめている)
もしかすると、そうであって欲しいと自身が彼に望んでいるだけかもしれない。
彼の場所は分からない。けれども、こちら側の場所を彼に伝えることはできる。弟と、その従者を探している男がいる。ただそれだけの言葉でも、あの頭のいい少年は、自身とそれを結びつけるに違いない。
出会う人がいるのであれば、片っ端にその言葉を伝えた。弟を探している。俺の名前は。今は退治屋で、刀を使っている。十分すぎるほどの情報だ。
さて、とは肩に鞘を置いた。
おそらく、もう暫くは時間があるはずだ。こんな場所に人がいるとは思えないが、万が一ということもある。軽く見回り、まぬけな商人のキャラバンでもあれば、あっちの方に逃げるといい、できることなら護衛をしようと声の一つでもかければいい。それで自身の気持ちは多少なりとも晴れるだろうし、ついでにいえば金にもなるやもしれない。その商人が、の行方を知ってか、もしくは彼に俺の存在を伝えてくれれば万々歳だ。
は自分自身の思考に肩をすくめた。カチャカチャと靴の鉄底を鳴らしつつ、斜面を滑り降りた。その思考が、現在のの分かれ道だったと言う訳だ。彼らハイランド軍は、の想像を越える驚異的なスピードで平地を駆け抜けた。規模と兵の消費を考えれば、それはありえない速さだった。軍の指揮は、狂皇子、ルカ・ブライトと聞いていた。
つまりは、彼をなめていたと言う訳である。
ハイランドの皇子は、狂っている。常識では計れない策を弄し、兵をただの豚と扱い、彼が通り去るは、ただの奈落が残るばかり。
吟遊詩人の語りから、また赤月の軍にも彼の噂は絶えず広がった。けれども、おそらくそれは伝聞が誇張されてしまったもので、もしくはかの国が、意図的にこちらを萎縮させようと流させた噂である。はそう判断していた。しかし現実は違った。詩人の言葉に、それほどの偽りは含まれてはいなかったのだろうか、と考え、はふと苦笑した。
「
それで、名前は?」
「いちいちそこいら護衛に名を訊いて尋問とは、かの猛将シード様は、随分とお暇な方なのですね」
驚きました。とはにかりと笑った。嫌味の一つでも言いたかったということもあるが、こいつで腹を立てて、適当な兵に交代してもらえれば、こちらとしてもやりやすい。そう思ったのだが、彼はパチリと瞬いて、「お前、俺の名前を知ってるのか?」「さっきから、外であんたの名前を探す声が聞こえてるよ。シードと言えば、あんたしかいないだろうさ。そんなこともわかんねぇのかい」
さて、少々つっつき過ぎたか、と後悔したものの、シードは子どものようにパッと笑った。「なるほど。お前の言うことも確かに正しいな。さすっが、俺の名前は知れ渡ってるって訳だな」 反対に、上機嫌になっているようだ。
妙な奴だ、とは眉をひそめた。それとも嫌味が通じないほど子どもなのだろうか。後者の可能性が高いような気がして、少々気がめげる。下手な奴の相手をするよりも厄介だ。「それで、お前。護衛なのか」「そうさな」 わざと砕けた口調で返してみた。できることなら、何にも知らない純朴な田舎の青年だと思われたい。護衛ではなく、商人だと名乗れればそれに越したことはなかったのだが、今はシードが持つの剣は、商人が護身用として持つには、少々重く、ついでに値がはり、使い込まれている。モンスターに襲われ積荷を捨て、命からがら逃げてきた商人を演じるには、少々荷が重い。
「ふうん、なるほどな。それで名前は」
「クレオ」
迷いもなく、は答えた。「随分女々しい名前だな?」「よく言われるさな」 ちょっとくらい嘘くさい名前の方が、疑われ憎いものである。
「それで、シード様は、いつまで俺風情にかまわれる訳ですかいね」
「丁度暇なんでね。気分も滅入ってたもんだし。そしたらのこのこ面白そうな奴が出てきたもんで、おもわずってところだ」
にまにまと笑いながら、シードはの刀を膝の間に置き、ひょいと腰を屈めた。「ところでお前、そのわざとくさい口調、いい加減にやめとけよ。ついでにその偽名もな」 ピクリ、とは表情を動かした。瞬間、失敗したと気づいた。シードはいたずらの成功した子どものように、パシンと手のひらを打つ。「やっぱりか。かまをかけてやったんだが、正解だったみたいで何よりだぜ。で、お前。名前は何だ」
ため息を吐いた。「」 マクドールの名は、はじめから名乗るつもりもない。
そう口にしたとき、ふとシードは顔をしかめた。「、?」 どこぞで聞いた名前だな、と口元を繰り返す。その間に、はちらりと辺りの様子を確認した。小さなテントだ。端には医療具が詰められている。おそらく、丁度の場所がなく、ついでに今は利用する人間もいないというところで、医務室代わりのテントにを詰め込んだのだろう。
「・マクドール」
そうだ、それか。とシードはぽんと手を打った。はぎくりとしたが、ただ瞬きをして、不思議気に彼を見上げる程度に留めておいた。「赤月帝国の五将軍、今は六将軍だが、ソニア・シューレンの片腕の副将軍の名前が、そんなだったな」「ただの偶然ですがね」 俺が、そんな大層な方な訳がないでしょう、とは肩をすくめたが、内心驚いた。
確かに数年前までは、国に名を馳せていたと言っても否定はしないが、あの戦いが終結し、そのごたごたのうち、丁度いいとばかりに出奔した自身は、おそらく生死でさえも定かではないとされているだろう。ある程度の立場であったとは言え、既に潰れた国でのことであるし、そんな男の存在が、他国の武将に認知されていたとは、今さらながらの驚きである。
シードはちらり、と彼が持っていた刀に目を向けた。「そう、クルガンが言ってたんだがな」 クルガン。猛将とセットで、よくよく語り継がれる男か。「今このあたりで、妙な男が現れてるとか。そいつは凄腕の退治屋で、報酬の代わりとばかりに弟の行方を訊く。刀を武器にしていて、年は二十の後半、名前は」「まあ、俺のことですね」
否定をしても仕方がない。それにしても、情報をばらまき過ぎたとは内心舌打ちした。ハイランドの将軍にまで耳が届いているとは、少々派手に目立ちすぎた。シードは素直なの態度に、うんと頷いた。そして言葉を続けた。「そういえば、・マクドールも赤月の軍には珍しく、刀を使っていたらしい」 は軽く瞳を伏せた。そんなの様子を横目に、シードは軽く人差し指を回す。
「ついでに言えば、・マクドールは先の戦いで行方をくらませた、トランの英雄の義理の兄だ。年の方も、生きていれば二十の後半。偶然にしちゃあできすぎてるな。つまりこのと、・マクドールが同一人物なんじゃないかと
」
彼の言葉が終わらぬうちに、は片手にナイフを持ち、ほどけたロープをシードに叩きつけた。ぎょっと目を見開くシードにナイフをつきだす。シードはそれを防ぐようにの刀を横に振った。すぐさまは、シードの手首を足先で殴りつける。鉄底の靴は、随分腕に響いたに違いない。「がっ……」とシードが喉の奥からこぼした悲鳴と共に、ぽろりとこぼれた刀に手を伸ばし、ぐるりと回った勢いのままに、鞘から引きぬく。
シードは苦い顔をしながら、軽く手元に手のひらをのせた。「……とかなんとか、クルガンがもらしてたんだが、事実だったみてーだな?」
は返事代わりに、軽く息を吐き出した。刀を正面につきだし、軽く足を開き、じりじりと距離を取る。ここは敵陣だ。時間の余裕はまったくと言っていいほど、にはない。この武将が一声、ここだと声をあげれば、はたちまち包囲される。逃げ出した元の副将軍が、トランの国との交渉材料に人質に使われるなど、死んでもごめんだ。首だけの形になり、母国に戻る形になるなど、末代までの恥である。そもそも自身の家は、既に途絶えているのだが。
「おいおい、そんな睨むなよ、怖いじゃねーか」 そろり、とシードの手のひらが動く。は片目を見開いた。シードが右の手をかざした瞬間、はぐるりと体を巻いた。パキンっ。砕ける音と共に、彼の手元の光が失せる。何事か。シードは瞬いた。「お前、今、紋章を叩ききったのか」 まさかと言いたげに、彼はに目を向けた。
言葉を返す必要はない。
まさか本当に、シードが言うように彼の魔力と紋章を切り伏せた訳ではない。ただその集中をかき乱しただけだ。紋章の発動の瞬間、は剣先で彼の視線を切り取った。一瞬の集中の乱れにより崩れ去った彼の魔力は、今のように四散したという訳だ。
には魔術の才はない。これほど適正がない人間は、反対に珍しい。紋章を使えない上に、耐性もまったくない。であるからして、これは敵ともども、武術一つの道に引きずり込む苦肉の策である。
シードはパチパチと瞬きばかりを繰り返していたが、「そうか、すっかり忘れてたな。これが紋章いらずのってことか」 は僅かに眉を顰めた。「けれども残念なこった。俺の紋章は、これなんでね」 ぴらり、と右手の甲をに向ける。見慣れた文様に、チッとは顔をしかめる。「
静かなる湖か!」「ご明察!」
ならばさきほどの動きは、ただこちらの技を見せただけの、無駄な動きだったということだ。「俺も、紋章よりも、こっちの方が好きなんでね!」 振りつけられた剣を、は狭いテントの中で、ぐるりと体を回して躱す。がら空きの胴体に刀をシードに叩きこむが、あちらもさもつまらなさそうにの刀を弾いた。は体をふらつかせ、くるりとそのまま反転する。瞬間、はその勢いのまま、テントの布を引き裂いた。「うお!?」
は刀を腰に突き刺し、全力で駆け抜ける。「き、きたねぇ!」 初めから、馬鹿正直に相手をする必要なんてどこにもない。周りが布だらけの壁だと言うんなら、戦いの最中にふらついたふりでもして、そのまま布を裂いてしまえばいいだけである。
ガシャガシャと鉄の音が響く。例えあの男から逃れたところで、ここがハイランド軍のキャンプ場のどまんなかだという事実は変わらない。何事かと目を見開く兵士の両眼を薙ぐように切り、は逃亡した。味方ばかりの中で、弓矢が打たれないことは幸いした。彼はグッと唇を噛んだ。(クソ…ッ!) 荷物はない。刀一つを抱えて、全てを置いて逃げた。(俺はバカか!) 下手なことを考えている時間はない。ただは、彼よりも年の若い兵を切り裂き、逃亡した。
彼の未熟な判断が招いた、犠牲でもあった。
「…………お前は馬鹿か」
「めんぼくねぇ」
ちゃんと身体チェックしたはずなんだけどな。どこにナイフを隠し持ってたんだか。と悪びれもなく肩をすくめる猛将に、知将は長くため息をついた。今から起こる出来事を想像すれば、胃が痛くなる。さきほどまではありがたいことにも、閑古鳥がなくように放置されていた医療用のテントには、幾人の兵士が抱え込まれるように運ばれていく。一人、両目を裂かれ、失明したものがいるようだが、今のところ、重症のものはいないようだ。
赤月の副将軍は、随分刀の扱いが上手いらしい。おそらく彼が切り落としたと思われる人差し指の一本が、ころりと道に転がっている。いかにして人の戦意を削ぐことができるのか、よくよく理解しているようだ。腹に一太刀入れてやるよりも、指の一本でも転がしてやった方が、怪我も少なく、効率的に兵を用済みにできる。ただし、腹よりも小さな標的である指を狙うなどと、容易に出来る技ではない。
「シード、覚悟をしておけよ。ルカ様が何を言われるか」
「わーってるさ」
どうだかな、とクルガンは肩をすくめた。それにしても、と男が消えた道を振り返る。大した技量ではあるが、これだけの人数だ。おそらくあちらも無傷ではすまい。さて、生きているかどうか。
荷物も薬もなく、男が間違いなく・マクドールであるのならば、彼は紋章を操ることもできない。優しさの雫でさえも使えぬ男が生き残るには、かなりの運が必要だろう。
まったく、余計なときに来てくれたものだ
彼一人来た所で、何ができる訳でもない。しかし、確実に牙を残した。キャンプ内での争いなど、ただでさえルカの苛烈な強行軍に息切れ気味の軍には、毒でしかない。まったく、やっかいな男だった。
知将はまた長く息を吐き出し、猛将とともに主のテントに足を向けた。そして紋章いらずの副将軍が、さっさと死んでいてくれることを祈った。
***
「…………はっ…………」
彼は息苦しく、腹に手を当てた。鉄臭い匂いがする。薬はない。ただ刀があるだけだ。モンスターにでも襲われればすれば、お陀仏は確定だ。何がまぬけな商人を助けてやろうだ。まぬけはただの俺じゃないか。ばかばかしい。
青年は、ずるずると足を引きずった。彼が歩くたびに、赤黒い跡を土の上に残していく。
とにかく、歩かなければならない。
とにかく、この場から去らなければならなかった。
歩くたびに、近づく死の足音を感じた。けれども歩かなければ死んでしまう。矛盾してるな、と彼は笑って、口元を拭った。べとりと赤い液体が手のひらに付着し、彼はため息をついて服の裾でそれを拭った。
→
2012.02.20