「王国軍と解放軍の小競り合いね……」

これは中々タイミングが悪いな、とカラコロとは笑いながら、ホウアンの荷を背負った。王国軍は撤退した。行商人達からはそう聞かされたが、できることなら、もう暫く様子見をしたいところだ。しかしながら、いつまでもそうして引きこもっている訳にはいかない。腹の傷は、もう随分よくなった、というのは痩せ我慢だが、多少の無理なら問題ない。

さん、あまり無茶をしては……」
「若いんで、まだまだ問題ないですよ。先生もはやくトウタくんに会いたいでしょ」
「それはそうですが」
「先生の足を止めちゃったのは俺ですからね、これくらいの恩は返さないと、マクドールの」
名がすたる、ついつい癖で流れだしそうになった言葉をおっと、と押しとどめて、は刃を引きぬいた。唐突に響く剣撃に、ホウアンはころりと丸い眼鏡を鼻筋からずらした。「王国軍の敗残兵かい」 

の刃に押し込まれた鉄兜の男は、何を返事する訳でもなかったが、なるほどと理解したようには長く息を吐き出した。「これだから、終わったばっかの戦場に行くのは嫌なんだ。死体をつつく、ハゲタカもいる訳だしね」 あんたも、もしかしたらそっちだった? と肩をすくめ、刀を流した。散らした火花を目で追いながら、じくりと響く腹の傷に舌を噛んだ。(あんまり、芳しくないね)

彼らに、男とホウアンに気づかれぬようにと、荒い息を、必死に鼻から吐き出した。(残念ながら、手加減はできないな) お留守になった相手の足元を払いのけ、地面に引き倒した男の眼孔に、は鋭く刀身を突き立てた。彼の肩を足で踏みにじり、もう一度、と深く地面に縫いつける。一度大きく彼の体は痙攣した。それと共に男の悲鳴はピタリと止んだ。

は刃を引きぬき、自身の肩へ峰を乗せ、また長く嘆息を漏らした。「医者の前で人殺しってのも、中々たちの悪い冗談だな」「さん」「わかってるよ。なるべく、少ない人数で進む」

先生も協力してくれよ、と肩をすくめるに瞳を落とし、ホウアンは、倒れた男へと両の手のひらを合わせ、頭を垂らした。



   ***



城にいるは、女子供に敗残兵。数で劣れば質にも劣る。しかしながら、彼らは一人の英雄を引き連れて、王国軍を叩きのめした     どこぞで聞いた話だな、とは軽く苦笑した。残念ながら、自身はそのとき、“叩きのめされた”側であったが、どうにも近い何かを感じる。

問題ない、と幾度もホウアンに陳情したのだが、開いた腹の傷を理由に、城に着くなり、は即座に医務室につっこまれた。噂の英雄をこの目で拝んでみたかったのだが、どうにもそういう訳にはいかないらしい。

「残念だな……」

医務室からは、とっくの昔に脱出して、酒場の端で呟いた。いつまでも、あんな辛気臭い場所にはいられない。
こうしてどさくさに紛れて、ノースウィンドゥ城、現在は名を新たにトラン城へと侵入してしまった訳だが、さてどうする、と首を傾げた。(ハイランドと、敵対する、ね……) 王国のやり口は気に食わない。が、軍に加わり、反旗を翻すほどに義憤を覚えている訳でもない。「どうしたもんかな」 

手に持つ酒をからからと振ると、ふと、目の前のテーブルに座る男が、じっとを見つめていることに気づいた。「何か用かい、兄さん」「いや。酒も飲まず、ひとりごとばかりとは、寂しい男だと思っただけだ」 はきょとんとして、その鼻梁の通った男をぱちくりと瞬きながら見つめた。ホウアンとどこか似た風貌ではあるが、あの丸い小さな眼鏡があるとないでは、受ける印象が随分違う。

「あんたも大概だと思うけどね」 ちっとも減っていない男のグラスの中身をちらりと見た。「酒飲みではなく、まるで酔っぱらいの見物に来たみたいだ」 の言葉に、クッ、と男は笑った。

「間違ってはいない。俺の顔が周りに知られぬうちに、この目で様子を窺っておこうと思っただけだ」
「なんだ、あんた有名人?」
「さあな」

めんどくさいやつだな、とは肩をすくめた。「あんた、名前は?」 男は静かに酒をすすった。ただそれだけだ。は片眉を下げ、ポリポリと頭をかいた。「名乗るときは自分からってことか? 俺は     」 あのシードとの剣撃を、ふと思いだした。適当な偽名を名乗ろうと口を開いた瞬間、男は、「わざわざ名乗らずとも知っている。・マクドール」「…………」

やってらんないな、と首元をひっかきながら、は酒場の天井を見上げた。ずきずきと、また腹に血が滲んだ。「……俺、あんたとどっかで会った?」「いや、俺は商人だ。情報さえあれば、金を好きなだけ操ることができる」「その情報ってのに、トランの副将軍の姿絵でも入ってたってか?」「ああ、そうだ」

それは結構な蒐集家で、と嫌味のように声を漏らすと、「いや、違うな」と男は首を振った。「俺は今は商人ではない。元商人と言ったところか」「違うって、そこかよ」 他は否定しねーのかよ。

「それであんた、なんだよ」と手のひらを組み、眉を顰める。目の前の男は鉄仮面をはりつけたまま、ピクリとも眉を動かさない。やりづらいな、と一人ごちた。

・マクドール」
「……あんましフルネームで呼ぶなよ……一応、他に訊かれちゃ困るんだが」
「それでは
「はいはいなにさ」
「俺に力を貸せ」

がやがやと、酒場の声が奇妙に響く。とんとんとん、とはテーブルを指で弾いた。「それは、なに、同盟軍に?」「そうだ」「悪いけど俺、都市同盟に興味はないよ。忠誠心ってのはまったくない。そう言われても、ちょっと困るな」 そう口ではいいつつも、これは悪くはない話だとうっすらと気づいてはいた。自分は少々派手に名を売りすぎた。ハイランドの将軍に目をつけられたとなっては、前と同じくを探すこともままならない。

おそらくこの男は、が義弟を探していることを知っている。ついでにその情報の収集を餌にちらつかせての勧誘であることはすぐに分かった。「見かけにはよらず、頭が硬いな。それは軍人の特性か何かか?」 呆れたような男の言葉に、はぴくりと眉を動かすだけで、特に返事をするつもりはなかった。

「俺は力を貸せと言った。ただそれだけだ。お前が望むのであれば、トランの名は出さん。ただのとして剣を振るえ。義理や人情などいらん。俺はお前の義弟を、お前はこの城を。対等な取引だ」

返事は明日までに。
ちゃらりとテーブルに乗せられた二人分の代金を見て、は眉間の皺を深めた。飲みかけの酒を置いて、男の姿はとっくの昔に消えてしまった。(人手不足ってことか……) 軍人崩れの自分に声をかけるほど、圧迫されているということか、それとも手段を問わない男なのか。(まあ、両方かな)

結局男はに名乗りはしなかったし、返事は明日までといいつつ、いったいどうして返事をすればいいのか、その方法すらも知らせなかった。けれどもなんとなく、あちらの正体は想像がつく。瞳を閉じ、瞼に指を乗せた。ただ酒場の活気が、耳を通り過ぎていった。



   ***



。とにかくお前は、さっさと腹の傷を治すことに努めろ」
「はいはいわかったよ」

善処しますよ、軍師さん、と腕を組みながら口の端を上げた。用が済むだけ済めば、さっさと出ていけとばかりに、これみよがしに机に広げられた書類を見て、はいはい、とは肩をすくめた。そいじゃあ次は、ホウアン先生に怒られにいきますかね、と腹を撫でながら振り返ると、軽いノックの音がした。「はいはいー?」 何故お前が返事をする、と睨む軍師には気づかぬふりをして扉を開けた。ひょい、と顔を覗かせたのは、緊箍児をはめた茶髪の少年だ。

お互いぱちりと瞳を合わせ、にかりとが微笑めば、少年も愛嬌のある笑顔を見せた。ふうん、とは顎をかいた。少年と入れ違いに部屋から出れば、「シュウ、呼んだよね?」と年上を呼び捨てる少年の声が聞こえる。そして同時に聞こえるシュウの声。ええ、殿。

、“殿”ね……)

バタン、と扉が閉まる。
勝手にあがる口の端を、彼は指で押さえ、けれどもまた苦笑する自身に気づいた。年若い少年だ。弟と、いくらの差があるのだろうか。
時代とは、彼らのような子どもが切り開いていくものなのかもしれないな、と、らしくもない感傷に頭をひっかいて、はふらふらと歩を踏み出した。







2012-04-02
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同盟軍参加編終了