全部Aからはじまった

ちゅっと唇をくっつけた。

さんはびっくりしたようにまつ毛を震わせて、それがなんともかわいくって、上に体を押し付けた。その俺とさんの間から、しゅるりとイーブイが脱出する。そのあいた空間を押しのけるようにまた体を近づけて、彼女の顎をつかみながら、何度もキスを繰り返した。さんが逃げるみたいに手のひらを動かして、俺は反対の手でその細い手首をつかんだ。

すいっと移動させて、彼女と手と手を合わせて指と指をはわし、貝殻のようにくねくねとつかみ合わせる。その間にもバカみたいに彼女の唇にキスを繰り返していた。ちゅ、ちゅ、ちゅ
さんが、ぴくりと体を震わせた後、ゆっくりと瞳を閉じた。瞳を閉じたさんだと考えるとまたテンションがあがってしまって、そのまま床に縫いつけたあたりで、ハッと気づいた。

俺たちはただのお知り合いなのである。




自分自身を落ち着けるために、ちょっとここで整理をしておこうと思う。
さんと俺は、お友達ですらない。ただ俺が、ポケモンセンターで働く彼女に一方的に好きになって、何度もお話をしているうちに自分の名前をグリーンだと名乗って、ああそれじゃあジムリーダーのグリーンさんですか、とちょろりとお互いのことをお話するようになり、彼女がポケモン好きとわかって、それじゃあうちにイーブイがいるんですけれど来ますか、となったのである。どう考えても口実である。

俺がモンスターボールで持って来ればいい話で、いちいち家に来てもらう必要性なんて、これっぽっちもないのだ。イーブイすまん、ダシに使って本当にすまん、今日はちょっといいポケモンフードをやるからと心の中で謝りまくり、俺のふしだらで嫌らしい気持ちにこれっぽっちも気づくことはなく、「お邪魔にならないんでしたら、行かせてもらってもかまいませんか?」とふんわり微笑みながら首を傾げたのだ。

もちろんですとも。どんどん来てください。来てくださいよ!

ちょっとしたデート気分だったのだ。確かに丁度運がいいことに姉は出かけているし、部屋の中にふたりっきりだった。でもこんなことをする気なんて全然なかったし、さん、ちょっと警戒した方がいいんじゃないか、と狼な立場である自分が心配してしまったくらいだ。くらいだったのに。イーブイを膝に抱えて、「かわいいですねぇ、かわいいですねぇ」とふかふかイーブイのえりもとに顔をうずくめる彼女を見ていると、ぷっつん、と何かがきれる音がした。気がついたらキスして押し倒していた。




俺はそそくさと彼女から立ち上がり、離れた。体中から嫌な汗が流れている。こわすぎる。さんをそっと伺ってみると、彼女は呆然とした表情で、のろのろと体を上げた。そしておもむろに自分の唇に手のひらを伸ばして、どんどん顔を真っ赤にさせていき、目頭も赤くなっていて、声にもならない声を口元から出した。「〜〜〜!!!」 人間って混乱すると、こんな声が出るんだなぁ、と思わずぼんやりしてしまったけれど、そんなことしている場合ではない。

思わず彼女に駆け寄ろうとした自分をぎゅっと自制して、「あ、の……」 あのってなんだよ。びっくりするくらい喉から声がでない。それでもさんがゆるゆるとこっちを涙目なまま見ている。そりゃあ泣く。男の部屋で、友達以下のただの知り合いにキスされて、彼女から見れば貞操の危機だと思われているかもしれない。それはまずい。

何度も唾を飲み込んで、「ち、ちがうん、です」 だから、何が違うんだよ。
彼女も同じことを思ったのだろう。首をゆっくり傾げた。そんな様子も可愛かった。いやそんな場合じゃない。「なんとなく、しちゃっただけで。他意はないんで、」 嘘をぶっこけ。

「本当に、意味とか全然なくって。女の子が近くにいたもんだから、思わずしちゃったんですよ。可愛い女の子の顔が近くになると、したくなっちゃうじゃないですか。いや、さんが可愛いってうのは、その……可愛いですが、いや、その」

言い訳を重ねれば重ねるほどに見苦しくなる。思わずしちゃったってなんだよ。俺は女となれば見境なく襲うのかよ。狼すぎるだろ。ありえねえよ。どんなんだよ。しかし言ってしまった言葉は取り返せない。

俺の見苦しい言い訳がきいたのだろうか。さんは徐々に落ち着いた顔色に戻り、「あ、そうですよね……」と何を納得したのかコクコク頷いた。「そうなんです」俺はまったく意味がわかっていなかったが相槌を打った。「わかりました、大丈夫です、勘違いとかしないですから」 ね、と彼女はさっきまでの泣き顔を嘘みたいにほんわり微笑んだのだけれど、それでもやっぱり瞳は赤くて、痛々しくって胸が痛む。「いや、あの、勘違い……?」

「ごめんなさい、グリーンさん、先に帰らせて頂きますね。きちんとご挨拶もせずにすみません」
「いや、それは、全然」
「さようならっ」


ばたばた慌ただしく扉を開けて去っていった彼女の後ろ姿を、俺は呆然として見つめていた。そりゃあ帰るわ。こんな狼に近寄りたくないわ。おそらく、彼女の中で俺は史上最悪な軽薄男にランクダウンされているに違いない。泣きたくって仕方がないがしょうがない。自業自得だ。「くっそおお……」 ちょっと前まで、有頂天だったのに、なんだこれ。

布団の上では、全部を見ていたイーブイが呆れるようにため息を漏らした。そしてふるふると首を振った。情けなさは倍増である。
とにかく、こつこつ積み重ねてきたはずの俺の恋が、木っ端微塵になった瞬間だった。



俺は次の日、ぼろぼろになりながらも彼女が働くポケモンセンターへと足を運んだ。どのつらをひっさげて、と思われるかもしれない。自分でも思った。なので入り口間際まで向かったのに、俺はくるりと体を反転させた。やっぱなし。

だってのに、「グリーンさん?」
思わず振り返った。そうした後で、聞こえないふりをしときゃあよかったんだ、と後悔した。
ナースキャップを被った彼女はぱたぱたと俺の元まで走りより、「こんにちは、回復ですか?」とまるで何事もなかったかのように俺に問いかけた。けれども俺はぎこちなく首を振り、「回復じゃ……なくって……」「なくって?」「昨日のことを謝ろうと」

彼女はぱちり、と瞬いた。

「ああ、大丈夫です! 私はなんとも思ってないですから、グリーンさんは気にしないでください」
それじゃあお仕事がありますので、失礼しますね。

彼女を見送りながら、俺は失意のうちで死にそうになった。え? なんとも思ってないって?
そんな訳ない。もし、本当にそうなのだとしたら、俺は本当に彼女にとってどうでもいい人間で、キスなんてカウントのうちに入らなかったってことだ。もしくは、キスをして、彼女の中でどうでもいい人間だとランクダウンしてしまったに違いない。
「くっそ……」 俺は手のひらを顔に寄せて、ちくしょう、と一度自分の頬を叩いた。ばっかじゃねぇか。ほんとうに。

ばっかじゃねぇか




好きで好きで、ずっと片思いをしていた男の人にキスされた。

初めは一体、何をされているのかわからなかった。ちゅっちゅ、と何度も小さな音を聞くうちに、ぼんやり意識がはっきりしてきて、「あ、私今グリーンさんにキスされてるんだ」と思った瞬間、顔が真っ赤になって、うれしくってうれしくって死にそうになった。

グリーンさんの手がとても大きかったことにうわあ、とドキドキしてしまい、びっくりするほど体が震えた。うわあ、うわあ、ととてもとても嬉しかったのだけれど、グリーンさんいわく、「ただなんとなくしちゃっただけ」らしい。

正直色々驚いたのだけれど、グリーンさんのそんな噂はときどき聞こえていた。ああ、本当に、意外と軽い人だったのだなぁ、と思ったのに、私は呆れるでもなく、嫌いになるでもなく、うわあ、キスされちゃったあ、とそれだけで、自分でもちょっとどうかと思う。

そりゃあ、一瞬はもしかしてグリーンさん、私のことちょっとくらい好きでいてくれますか、と思ったのだけれど、調子に乗っては後で痛い目を見るのである。私はグリーンさんのことを、ずっとずっと一方的に好きだった。きっと彼が知ったらひいて、うわあ、と気持ち悪がられるくらいに半分ストーカーのような女だったのだ。


ときどきやってくるかっこいいトレーナーさんの名前が、グリーンさん、ということはセンターを利用しているお客さんの囁きから知っていた。茶色のつんつんした髪の毛が、かっこよくってかわいくて、外見はすらーっと背が高く、彼が預けるポケモンを見て、とっても強い人なのだということがわかった。いつしか、トキワジムのジムリーダーさんだと噂で知り、かっこいい上にジムリーダーさんとは、ははあ、世の中にはすごい人がおるのだなぁ、頭の上のナースキャップをちょいちょいと直した。

ときどきほんのちょっと、事務的な内容を話す程度な、お客さんであるグリーンさんは紳士な人だった。はい、はい、とゆっくりと頷いてくれるし、営業スマイルもばっちりである。なるほど、彼はおっとりとした人なのかなぁ、と思っていたとき、「てんめぇレッドぉおおお!!!」と彼はポケギアに向かって大声で怒鳴っていた。

誰だか知らないが、レッドという人を延々と罵って、「てめえいつまで半袖なんだよせめて長袖だ長袖。アアア!? これも最低ラインだっつのォ!!!」とお母さんみたいに心配していた。私のグリーンさん像がガラガラと崩れ去っていくとき、彼がポケギアを切る瞬間、「風邪とかひくんじゃねーぞ。ま、バカはひかねーか」と言って、ニマッといたずらっ子みたいに笑ったのだ。

うわー、と私の顔がぽぽぽぽっ、と赤くなっていくのを感じて、その後こっそり覗き見をしていた自分が恥ずかしくなり、そそくさと業務に戻った。
随分雲の上の人を好きになっちゃったことに気づいたときは、もう遅い。

何度も小さな会話を繰り返して、やっとお互いの名前を名乗ったときには、「知ってます知ってます、ずっとお名前知ってました! でも恥ずかしくって言えないですごめんなさいっ」と心の中で力の限り頭を下げた。


いつの間にやら、グリーンさんが珍しいポケモンであるイーブイをゲットしている、というお話になって、いいなあ、見てみたいなぁ、という私の顔に気づいたのか、彼はふっと苦笑して、「それじゃあ、俺の家に来ますか」
別にグリーンさんの家に行く必要なんてなかったんだ。きっとグリーンさんは気づいていないのだろうけれど、ずるい私は、自分も知らないふりをして、「お邪魔にならないんでしたら、行かせてもらってもかまいませんか?」

うわー! 私、ずるい、ずるいずるい! と自分自身自己嫌悪に陥りそうだったのだけれど、ぎゅむっと目を瞑って知らない顔をした。


そうしたら、キスされた。




私は慌ててグリーンさんの家を出ながら、真っ赤になったほっぺを隠すように両手で覆った。ぱたぱた走っていたので、もう随分彼の家から遠くなってしまっている。ぱたぱたぱた、ぱた、ぱた、ぱた。私は一歩一歩、ゆっくりに踏み出した。気づいたら、お空の上には星がきらきら光っている。「うあああー」 私は思いっきり頭を振った。

いかんだろう。誰でもいいって、いかんだろう。けれども一番いかんのは、キスされちゃったよ、と喜んでいる私だ。いかん。いかんいかんぞ。できることなら、もう一回くらいしてくれないかなぁ、と次まで考え始めている自分が情けない。

きっといけないことだ。私は正直、色恋沙汰に鈍いので、グリーンさんと感覚が違うのかもしれないけれど、好きでもないのにそういうことをするのはいけないことだ。(……もし)グリーンさんも、なんだか焦っているようだった。やってしまった、と思っているようだった。(……もし、これがきっかけで、避けられちゃったりとか、したら)

やだあ、と泣きそうな声が出てしまった。

いやだ。まるで子どもみたいに駄々をこねたい気持ちになる。(気にしてないふりしなきゃ)そしたら、グリーンさんも気にしないでいてくれるかもしれない。
前と同じふうに、お話できるかもしれない。

「気にしないって、顔、しなきゃ……」

できるのだろうか、と少しだけ不安になったけれども大丈夫だ。
なんてったって私はずっと片思いをして、彼の名前を知らないふりをしていた、ダメな女なのだから。


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::あとがき
幻水のナンパ男の主が素直系になったかんじです(*´∀`*)ゞ
きぶんてんかんきぶんてんかん、とか思って書いたもののさっさと他書けよ、と自分自身本気でそう感じた。フリーダムな女ですみません。