幾日も、私は眠り続けていたらしい。髪の色は、すでに元に戻っていた。マルクトに残る理由もなく、ガイさんは私の手を握って、キムラスカに向かった。ピオニー陛下は気にするなと言っていたけれども、いつまでも甘えているわけにはいかない。アッシュさん、いやアッシュ兄様を屋敷に戻ってもらいたい、というルークさんの願いでもあった。私達がバチカルに向かえば、彼は嫌でもこちらに来る。

けれどもその目論見も外れ、アッシュ兄様は苛立ったように声を上げた。俺はもう、屋敷に戻るつもりはない。馬鹿なことを言うなと。ルークさんの背中は、ほっとしたような、けれども、苦しげで、辛かった。その背中を、そっとティアさんがなでた。


明日にでも、彼らはゲートに向かう。
今度こそ、ヴァンを打ち倒すために。そして、ヴァンに取り込まれたローレライを解放する。


私は、ファブレの屋敷で、彼らを待つ。瞳と髪の色は以前と変わらないけれど、内側は違った。まだ少し、元に戻るには時間がかかるだろう。ケテルブルグにて、あなたたちを待つと、そう苦しげな声を出したイオン様を思い出した。彼も、今の私と同じように唇を噛み締めていたのだろうか。


「なあ、ファブレの屋敷に戻るんだろ。それなら、俺も一緒に行ってもいいか?」

ふらつく私の体をエスコートするように、ガイさんはそう言った。「構いませんけれど、でも」 彼にとっては、あまり居心地のいい場所とは言えないだろう。円満退職、とまでは少し言いづらい。気にするなと頭を撫でられたけど、案の定、歩く度にメイドや使用人たちからの視線が突き刺さった。

まずは“父”に挨拶を。そう思ってはいたけれど、中々扉を叩くには勇気でない。てっきり心配して、屋敷に入るまでと思っていたのに、ガイさんはやっぱり私の体を支えるようにして、クリムゾンの書斎の扉を叩く。「え、あの、ガイさん?」「ほら、重要だろ」 一体何がだろう、と眉をひそめると、彼は飄々として笑った。


「お嬢様を、俺にくださいって挨拶はさ」



***



「ガイ、お前は……何を言っている?」


案の定、クリムゾンは眉間に皺と作りながらこちらを睨むように立ち上がった。想像していたとおりだ。だと言うのに、ガイさんはただ胸をはったまま、同じ言葉を繰り返した。「公爵、あなたのお嬢様をいただきたく、ご挨拶に参りました」 直球以外の何者でもないその言葉に、ガイさん、もうちょっと歯に衣を、あわあわしたけれど、確かにこれ以上なくわかりやすくもあった。

まさかこんなことになるなんて、と彼ら二人を幾度も見回して瞳をキョロつかせた。でも、大丈夫だとばかりにガイさんが、そっと私の指先をなでてくれた。だからじっと言葉を飲んで、クリムゾンを待った。すると彼は意外なことにも、ただ重いため息をつくばかりで、怒声を吐くことも、嘆くこともなかった。


「薄々、気づいてはいた。あの和平条約の場で、ガイ、お前をかばった娘を目にしたときからな」

そういうことかと、彼は口元で小さく呟いていたことを思い出した。けれどもまさか、それくらいで? と訝しげに彼を見た。クリムゾンは続けた。「、お前はなんの反抗も、主張もなく、ただ流されるように生きていた。幼き頃から、不満の声ひとつ聞いたこともない、あの、お前がだ。シュザンヌから、ルークのあとを追ったと聞かされたとき、驚き以外の言葉すらも出なかった」

そう幾度目かのため息をついたクリムゾンを見て、ガイさんはちろりと私を見た。クリムゾンには、きちんと許可をとってついてきました、なんて胸をはってやってきたというのに、まさかの本人からのお言葉である。両手の人指をつついて、逃げ出そうかと思った。

「だからこそ、お前達の姿を見たとき、理解した。そうして恐ろしくも思った。、お前が生誕の際に詠まれた預言は、『成人の日、キムラスカの貴族と婚姻する』というものだ。この言葉を、どう思う?」

どう思う、と言われても、と首を傾げた。もともとどこぞの貴族と結婚するものだと思っていたし、日付まで指定しているとは親切だけれどもドキドキしそうなカウントダウンですね、という感想が出てくるぐらいだ。でもそのままの言葉を言うのは気が引けたので、「ああ、そうだったんですねえ」と答えた言葉はあまりにも平和すぎた。公爵とガイさん、二人の力がガクリと抜けたようにも見えた。

「ルークがアクゼリュスで死ぬことは……すでに、秘預言に詠まれていた。しかしはそうではない。私は急ぎ、お前のみを連れ帰るべしと鳩を飛ばした。が、すでに手遅れだった」

そんなこともしていたのか、とぼんやり考えた。そりゃまあ、確かに彼からすればあまりにも寝耳に水だったんだろう。そう考えると申し訳なくもなるけれども、後悔はない。

そんな私の様子を、やはりと公爵は口の端を上げながら僅かに笑った。


「お前は以前から、預言を軽視するきらいがあった。貴族としてはあまりにも恐ろしい言動だ。だからこそ、生誕の預言を告げはしなかった。まさか、預言から世界が外れるとは、思いもよらなかったのでな」

あえて口にしなくても、勝手に嫁入りするものと思っていたのだろう。事実、ガイさんがいなければそうなっていたに違いない。

「そんなお前が、私は恐ろしく     いや、僅かにではあるが、羨ましくも感じた。ガイ、お前の母は、もとはホドに攻め入る際に、その手引きをするため、ガルディオス伯爵と婚姻した。ただユージェニー殿は、マルクトとキムラスカの戦争という預言を否定した。だからこそ、私がこの手にかけた」

今度は、私がガイさんの手のひらを握る番だった。硬く、きつく結ばれた拳を、ゆっくりと解きほぐして、指先をつないだ。

「私に、その強さがあれば……」


それは本当に、ひどく意外だった。彼は、クリムゾンは、確かに悔いていた。けれども預言を否定する強さはなかった。預言の成就こそが、繁栄までの導きであると教え込まれ、生きてきたのだ。例えその道が、血に塗れることになろうとも。

私のことを、羨ましいと彼は言った。けれども違う。それは私がとして生まれた、彼女の記憶があるからだ。だからこそ、便利ではあるけれど、あまりにも不現実なそれを心の底で受け入れることができなくて、流れるままに生きようとした、ただの怠惰だ。しかしそれを彼に伝えることはできなかった。アリエッタは、最後までイオン様をオリジナルのレプリカと知らずに命を落としたときく。知らなくてもいいことだってある。そう、アニスさんも言っていた。

自身の娘に手をかけた苦しみまで、彼に与える必要などない。


「ガイ、一つ教えてくれ。これは、お前の“復讐”の内の一つか?」

ガイさんが、どういった目的で、名を変え、素性を隠しこの屋敷にやってきたのか。それを正しくクリムゾンは理解している。だからこその問いかけだった。
ガイさんは静かに瞳を伏せた。


「俺の母であるユージェニーは、元の目的はともかく、マルクトへの人質として差し出された。そしてそれを理解していらっしゃったはずだ。そのことを、今はとやかく言うつもりはありません。それは母上が決めたことです。ただ俺は、ガイ・セシルとして、彼女の恋をした。分不相応と思いながらも、恋い焦がれた。だから、たとえ、公爵、あなたの許しがなくとも俺は彼女を連れ去る。でも、それでも、あなたは彼女の“父”だ。ですから、どうかこの身に許可を頂きたい」

強く、手のひらを握られた。

「俺が愛すべき女性は、・フォン・ファブレ、ただ一人だ」


強く唇を噛み締めて、赤くなる顔をごまかすようにうつむいた。だから、クリムゾンが、一体どんな顔をしていたのか、私にはわからない。ただ、静かに息をついた。それだけはわかった。先程までの重たげなため息ではない。そうか、と彼は返答した。


「預言に囚われることなく、どうか、娘を幸せにしてやってくれ。マルクトと、キムラスカの礎となるように」


私は、この世界が恐ろしい、と彼は言った。
預言から外れることが、こうも自由すぎるものであるのかと。


生きて、土に還るまでの永きにわたる時間を、きっと彼は考え続けるのだろう。「ガイ、遅くなってしまったが、お前の父の剣を返そう。あれは、お前が持つべきものだ」 宝剣、ガイラルディア。彼の父、シグムント・バザン・ガルディオスが保有していたものだ。

すまなかったと、そう、クリムゾンは静かに告げた。





***




と、婚約ゥ〜〜〜!!!?」


んぎゃっと声に出してアニスは飛び跳ねた。そうしたあとで、「ま、今更だけど。よかったね。突入前の景気のいい話に、テンションもあがっちゃうし、イオン様も喜んでると思う」と俺の背を叩こうとして、少しばかり躊躇した。もう大丈夫だ、と答えた声に、にかりと白い歯を見せて、ぱしりと叩いた。震えは、もうない。

「婚約……? え、でも、あなたたち、え……?」
「あら、ティアは最後まで気づきませんでしたの? 私はすぐにわかりましたわ?」
「ナタリアも、俺が言わなきゃ知らなかったろ……?」

何をおっしゃいますの! とぷんと口元をすねたように尖らせている。ミュウはわけもわからず、「おめでたい……ですの? ですの!」と一人で納得して、くるくると踊っていた。「収まるところに収まりましたねえ。おめでとうございます」 と相変わらずジェイドば棒読みで拍手をして、ルークはぽかんと口を開けていた。


「……ガイと、が?」
「おう、そうだ」

彼女は今、ファブレの屋敷にいる。俺たちの帰りを待っている。

「い、いつのまに?」
「お前の知らないうちに、愛を育んでたってわけさ」

冗談めかして肩をすくめてみた。けれどもルークはただ瞬きを繰り返すだけで、苦笑した。そうしたあとに、ハッと瞳を見開いた。「つまり、ガイは俺の親戚になるってことか……!?」「え? そこ???」 すぐさまアニスがツッコミをいれていた。

いやでも俺はレプリカだし、でもうん、いやいや、ちょっと待ってくれ、と人差し指をルークはくるくると動かした。苦笑して、でかい声で言ってやった。「そうだよ。俺は名実ともに、お前の兄貴になるってんだ」「いや、俺はの兄貴だから、いやでも、ん?」 7年しか生きてなくせに、何いってんだ、と肩を組んで呆れた声を出してしまった。


「いいか。いざ式をするとなったら、互いの親戚を呼ぶわけだろ? でも残念ながら、俺は血筋と言えば、まあ、セシル将軍くらいなもんなんだ。ペールは呼ぶにしても、考えても見ろ、こっちとそっち、随分な差がありすぎだろ?」

ご、ごめん、と視線を落として謝るルークに、「だからそういう意味じゃねえって!」とため息をついた。

「ルーク、お前はの弟だ。でも、俺だってお前を育てたんだ。俺はお前の父親で、親友で、そんで、俺にとっても、お前は弟なんだよ。だから、その日は、俺側としての親族としても、参列してくれよ。ちょっとでも頭数を増やしてやってくれ」

じゃないと誰が足腰を立たなくなったペールを支えてくれるってんだ? と首を傾げた。「……ペールはピンピンしてるだろ。すげえ量の土を抱えてるのだって見たことあるぞ」「ばかやろう。俺との結婚式だぞ? そりゃあもう、涙だらけで前も後ろも見えなくなるに決まってるだろ」

そういう意味かよ、とルークは僅かに唇の端を上げるように笑った。

「もちろん、わたくしだって参列しますわ。キムラスカの代表として」
「それじゃあ、あたしも〜! ローレライ教団、代表でっす!」
「それなら私はマルクト軍として、となりますか? 陛下も面白がって顔を出すかもしれませんねぇ」
「えっ……わ、私も行ってもいいのかしら?」
「ミュウもですの! ミュウも行きますの〜〜〜!!」

「いや、そりゃ構わないけどさ……できるなら個人で来てくれないか。それこそ大変なことになっちまう」

改めて、メンツの特異さを感じてしまった。各国、各団体の上位たちが勢揃いだ。もともと、ファブレ公爵と言えば、キムラスカでも有数な貴族なわけだから、ある程度は仕方ないといえるのかもしれないが。

だからな、ルークと。


「俺達は必ず帰らなきゃならない。誰がかけたってだめだ。俺も、お前も、必ず戻るんだ。まだ、お前にはやるべきことがたんまりあるんだから」


なあ、と声をかけた。彼は静かに唇を噛み締めた。そうだな。そうだよな。だから俺は。











それ以上の、彼らの物語をここには綴らない。



多くの変化があった。楽しげな鼻歌が聞こえる。声の主は赤髪の小さな少女だ。ふんふん、と肩を揺らしながら、花輪を作った。

「ねえ、おじさまきいてくださる?」

こまっくしゃれた、でも可愛らしい声だ。「ん?」 彼女とよく似た赤髪の青年が、僅かに首を傾げる。二十歳はとうに過ぎていて、少年と言うには遠くて、落ち着いた声色だ。

「おかあさまって、けちんぼだと思うの!」

花輪を握りしめながら、ぷん、と頬をふくらませる彼女に困ってしまった。そりゃまた、どうして? と首を傾げるしかない。「だって、私がうまれるよりも、ずっとはやく、おとうさまと出会っていたんでしょ? そんなのってずるいと思うの」 ぷんすこ頬を膨らませる彼女に、そりゃまあ、おっしゃる通り、と答えるしかない。

「でも、あいつのことだって好きなんだろ?」
「そりゃあ、まあ……そうなんだけど」

歯に何かが挟まったいいように、ピンときた。つまりそれは、「寂しいんだな?」「そんなことないわ!」 図星だったのだろう。

「確かに、弟が生まれたから、仕方ないことは知っているのよ? なんてったって、私が独り占めしてたのに、それが半分になるんだもの。メイドたちは相手をしてくれるし、おじさまだって、たまにしか会えないけどたくさん遊んでくださるし、寂しくなんて、ぜんぜん!」

ぷんぷん怒りながらも、器用に花輪ができていく。手先が器用なのは、父親譲りなんだろう。

「なんだか見ていると、ナタリアを思い出すな」

意地っ張りなところがそっくりだ、なんて言えばしないけれど、少女はきらきらと瞳を輝かせた。「ナタリア様? 憧れの人よ! キムラスカの若き女王様だもの。お忙しいから、あんまり会えたことはないけれど……でもとっても大好き!」

まさかの彼女の目標でもあったらしい。
道理で、ところどころ口調に感じるものがある。



「……でもね、おじさま、秘密にしてくださる? 私、ホントはちょっとさみしいの。お母様と一緒にいる時間が減ったこともそうよ? でもね、一番寂しいのは」

ここだけの話なんだからね、とこっそりと彼女はこそこそ話をするみたいに、口元を片手で隠した。「弟を、抱っこすることができないの……!」 がっくりと、力が抜けた。


「すればいいじゃないか」
「で、できないわよ! なんて言ったって、あんなにちっちゃいのよ。もし私が落としちゃったらどうするの!」
「落とさないよ。大丈夫だ」
「世の中に絶対なんてないのよ!」
「なんだそれ。ジェイドの受け売りか? 絶対大丈夫だ。俺も一緒に支えてやるから」

な? と頭をなでた。照れたような顔つきだ。いつの間にか出来上がった花輪でこっそり顔を隠しているけれども、まったく隠しきれていない。ちょんと曲げられた口元が、よく分かる。

「ところで、ずっと気になっていたんだが。それ、いいのか?」

確か、この家の庭師が、大切に育てていた花であった気がするのだが。「いいでしょ? ペールにお願いしてもらったの」 かっこいいでしょ、といいながら、むふりと頭に乗せる少女にを見て、ううん、と首を傾げた。




マリィ、と彼女を呼ぶ声が聞こえる。

「おかあさま」

ぴくりと彼女は顔を上げた。すぐさま嬉しげに立ち上がって、そうした自分に気づいたのか、座って、もう一度やり直す。格好をつけたい年頃なのだ。「弟君のお昼寝時間が終わったのかな」「きっとそうね!」 でもやっぱりパタパタと素足で駆けた。

彼女の隣には、金の髪の青年に抱かれた赤子がいた。わあ、と少女は声を上げて、「おじさま、ねえ、支えてくださるんでしょ!?」 なんとも忙しいことだ。

「はいはい、マイマスター」
「なあに、それ?」
「俺の小さなご主人さまってことだよ」

なあにそれ! とやっぱりもう一度笑った。「それじゃあ私のご主人さまは、あの子よ!」 早く抱っこしなきゃ、と飛び跳ねながらくるりと回る。こら、危ないぞと。金の髪の青年が優しげに彼女に声をかける。




始めは、小さな少年だった。花の名をした、可愛らしいくて、優しい男の子だ。
それから赤髪の少女に変わって、今度はあの小さな女の子だ。
くるくると、めぐり廻り、移り変わる。誰かが誰かの主となって、時は刻まれ、進んでいく。


それはあなたかもしれなくて、僕かもしれなくて、私かもしれない。

















どうか、全てに感謝を。









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2020-01-11