めがね、めがねめがね
「この頃、柳くんと仲がいいね」
「え?」
友人に言われた言葉を聞いて、私は「えっ」と声を裏返した。そんなことないよ、と言おうとしたのに、「この間、手ぇつないでた」 ぼたぼたぼた、と嫌な汗が溢れて、ついでに言うと胸辺りが苦しくて、息ができなくなりそうになった。恥ずかしいとどうしようと言う気持ちでガタガタ矢印が振れ合って、ちがうよ、と首を振るにも、そうだよと言うこともできず、「ひっ」と奇妙な声を喉から上げて、表情をひきつらせたまま固まった。
友人は、不満気な表情をしていた。そりゃあ、そうだ。柳くんがかっこいいとか、友達で集まって、きゃっきゃと言っていたのに、いうなれば私は抜け駆けをしてしまったようなものである。事実そうだ。ごめんなさい、と小さな声で謝ったら、「別にいいけど」と彼女は面倒くさげにため息をついた。そしてごそごそと鞄をあさって、ケータイを取り出した。
「とりあえず、柳くんのアドレス教えて」
…………いや、それはダメじゃない?
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ちぇーっとつまらなそうに唇を尖らせた友人曰く、イケメンのアドレスを知りたいのは女子の摂理なのだそうだ。そんなルールがあったとは知らなかったけれど、「別にラブじゃないし、アイドルにきゃーきゃー言ってる感じだし。私あそこまで面食いじゃないし。寧ろあっちが小顔すぎて凹みそう」 なんだか思わず小さくなった。
まあとにかく、と彼女はぱしんと私の背中を叩いた。わっ、と体を縮こめると、「おめでとう」「え?」「彼氏獲得」 リア充進出、おめー。
なんのことだろう、と一瞬考えた後に、「ち、ちがう、ちがう、ちがうよ」 柳くんと私は、そういう関係な訳じゃない。ただ、手をつないで、ただ一緒に待ち合わせをして。メールをして。
(ん?)なんだか、自分の言葉に違和感を持った。彼女はじーっと私を見つめて、「いやそれ、付き合ってるじゃん」 どうなんだろう。「自分でも、そう思ってんでしょ?」 どうだろう。
友人は、しばらく私を見つめていた後、勝ち誇ったように吹き出した。「、耳、真っ赤」 私は少しだけ泣きそうになって、自分の組んだ手のひらを見つめた。
そういえば、今日は月曜日だ。柳くんと、同じ授業の日だった。
教室に行くと、柳くん以外、誰もいなかった。柳くんはぽつんと椅子に座って、狭い部屋の中で、ぼんやりと外を眺めている。「柳くん?」 不思議に思って声を掛けてみると、ぴくりと柳くんの体が震えた。そしてちらりと私を見た。
「あ、さん、こんにちは」
「こんにちは。……誰もいないね」
「今日は休講ですよ」
「えっ」
柳くんはにこにこしながら、「教授が、唐突に用事が入ってしまったそうで。朝、そう聞きました」「えー」 私は慌てて鞄からケータイを取り出すと、なるほど、確かに休講の連絡メールが届いていた。なんだ、じゃあ、今日はこれでお終いかぁ、と思って、ぱちんとケータイを閉じ鞄の中にしまった。ふと、私は柳くんを不思議に見つめた。
じゃあ、何で柳くんはここにいるんだろう。
私の視線の意味に気づいたのか、柳くんは少しだけ苦笑して、「さんが、来るかなぁ、と思ったんで」
思わず息を飲み込んで、心臓辺りをぎゅっとつかんだ。そして今朝の友人の会話を思い出した。天然なのか、そうじゃないのか全然わからないから、頭がぐらぐらしてくる。私はとりあえず、と扉を閉めて、柳くんから一つだけ席を開けて座った。すると柳くんがにこにこして、私の隣に座りなおした。うわー、と思わず顔を隠したくなった。
「よ、用事って、なんなんでしょう。体調不良とか」
「さー……どうでしょう。顔色は悪くはなかったと思うんですが、僕、今日はコンタクトがなくて」
「じゃあ柳くん、めがねは?」
「この間壊れちゃいました」
どうにも相性が悪いみたいなんです。としょんぼり頭を下げる彼を見て、何だかかわいいなぁ、と思った。「じゃあ帰るの、大変ですね」「少しだけ」 柳くんは親指と人差し指を合わせるようにして、照れたように笑った。それから少しした後、「だからさん、一緒に帰りませんか」
ほんの少しの間があって、私は「は、はいっ」と頷いた。よかった、と柳くんも頷いて、そんな風にさらっと誘えてしまう柳くんは、すごい。女の子慣れしてるのかもしれない。柳くんはちらりとほんのり夕焼けがかる空を見て、「それじゃあ、さん。帰りましょうか。せっかくなんで、空いた時間、どこかに寄りませんか?」と言ったとき、ケータイが震えた。
一瞬自分のケータイかと思ったのだけれど、違ったらしい。柳くんは鞄に手を伸ばして、がらがらがら、と鞄の中身を地面に落とした後、「えーっと、えーっと……」と手のひらを絨毯の上について、あせあせとしていた。私も慌てて一緒に膝をついて、なんだか一番最初に柳くんに会ったときみたいだなぁ、と思ったけれど、言わないでおいた。「柳くん、ケータイ」「わ、ありがとうございます」
誰からだろ、と柳くんは首を傾げて、ぱかっと画面を開けてみたのだけれど、渋い顔をした。文字が読めないのかもしれない。「差出人だけでも、見ましょうか」 さすがに中を見る訳にはいかないけど。柳くんは少しだけ考えた後、「じゃあ、よろしくお願いします」「うん」
ポチポチとボタンを何度かおして、差出人の名前を見た。「よしかわ、よしゆき」 知らない名前だ。高校か何かのお友達だろうか。柳くんはクスッと笑った。「ゆきですね。吉川由紀」「あ、そっか」 女の子だったらしい。
少しだけ恥ずかしくなって、ケータイを柳くんに返した。柳くんは、「そうか、何の用事かなぁ……」とぼんやりしていて、ケータイを鞄にしまおうとした後に、ズボンのポケットに入れた。私は少しだけ迷った後、言ってしまった。「彼女?」
そんな訳ない、と心の中ではそう思っていた。もしかしたら、こんな会話をして、それをきっかけにして、別の、けれども似たようなお話ができるのかもしれない、と私はひっそりと期待したのだ。柳くんは、少しだけ驚いたような顔をした。そうした後にいつもと同じように笑って、「違います。僕、もう振られてますから」 あんまりにも予想外の答えに、私はパキンッと自分の中の時間が止まってしまったような気がした。
そして、自分がひどい思い違いをしていたことに気づいて、じわじわと首元辺りが苦しくなった。心底恥ずかしくなった。「そ、そうなん、ですか」 (調子に乗ってたんだ) 柳くんみたいなかっこいい人と仲良くできて、きっと舞い上がっていたんだ。
なんだ、柳くんもひどいなぁ、勘違いするようなこと、しないで欲しかったな。いや、やっぱり調子に乗っちゃった、私が悪い。
泣きそうになった。
冗談抜きで、涙腺がぐすっと歪んだ。
うわあ、これは恥ずかしい、恥ずかしい、我ながらびっくりだ、と自分で茶化すように手のひらであおいで「あ、柳くんごめんなさい。ちょっと用事を思い出したんで、先に帰りますね」と、いつもどおりの声で笑った。目が多少潤んでしまったかもしれない。でも、柳くんは目が悪いし、分かる訳がない、と少しだけ安心した。そして立ち上がって、ばいばい、と手を振ろうとしたときに、柳くんがぎゅっと私の腕をつかんだ。「どうしたんですか、さん」
私は、「えっ」と小さく声を出して、困ったように彼が掴んでいる自分の手首を見つめた。「あの、だから、用事が……」 あるんで。声が尻すぼみになった。柳くんは、ぎゅっと私の腕をつかんだままだ。「それならしょうがないんですが、僕にはさんが悲しそうな顔をしているように見えるんですが」
ぎゅっと唇を噛んだ。「なんで、そんな」「だって、あ、泣いちゃった」「柳くん」「ほら、座って」「鼻水が」「ついてもいいです」 私がよくない。
ほら、座って、と柳くんは私を座らせた後、ぼろぼろ泣いている私を指ですくった。そうした後に、こまった顔をして、「あ、ポケット」と言いながらハンカチを出した。渡してくれるのだろうか、と思ったら、今度はハンカチで顔をふかれた。赤ちゃんにでもなった気分だ。「あ、ティッシュいります?」「い、いや……」 鼻水は今のところ出てないし。っていうか、私、自分でハンカチを持ってるのだけれども。「気にしないでください」 だから、私が気にする。
何で好きな人の前で、それも失恋した人の前で泣かなければならなんだろうか。シュールすぎる。柳くんによしよし涙をふかれながら、また胸が少しだけときめいた。こういうことはよくない、と手のひらで押しのけようとすると、柳くんが悲しそうな顔をしたものだから、私は手のひらの力を弱めて、柳くんのなすがままになってしまった。
自分でもよくわからない奇天烈な状況だからか、涙も少しずつ乾いてきて、私はじっと恨みがましく柳くんを見つめた。柳くんは何を思ったのか、へらりと笑って、「泣いてるさん、可愛いですね」「…………!!!!」 色々声が出てこない。
もうなんなんだろうか、この人はなんなんだろう。今度こそ私は怒って柳くんの両手を押した。「こういうことは、よくないと」「ん?」「よく、ないと!」
何で? というように柳くんは小首を傾げた。かっこかわいい。「だから、柳くんは、かっこいいので」 続きの台詞なんて、恥ずかしくて言える訳がない。「あっ、さんは、可愛いですよね」「だ、だから、そういうのが、よくないと!」
よくない。
ぬか喜びをさせる言葉は、本当によくない。「柳くんは、罪づくりだ……」「はあ」 絶対よくわかってない。またじわりと涙が溢れそうになったとき、柳くんが私の両手をゆっくりと握りしめた。そしてやっぱり困った顔をして、「あの、もしかして、すごく勘違いされているような気がするんですが」
「はい」
「僕、さんのこと、好きです」
「友達としてという言葉が抜けていると思います」
「いや、僕、そこまで鈍くないですよ! 確かにちょっと鈍いかな、とか言われますけど!」
「やっぱり言われるんだ!」
柳くん鈍いよね、と言葉を繰り返したとき、柳くんはちょっとだけ怒ったように、いいや、やっぱりすねたように、ぷくっと頬をふくらませて、「さんだって」「柳くん、ほっぺた、かわいい……」「き、聞いてくれてない……」
うー、と柳くんは喉をうならせた後に、「あの、なんだか流されちゃったみたいですけど、僕、さんが好きです」 きゅっと手のひらを握りしめられた。
一瞬何を言われているかわからなくて、数秒遅れた後に、かっと頬が熱くなった。柳くんに手のひらを握られたまま困ったように視線を逃して、「あの、でも、さっき、振られたって」「え? あ、高校生のときです。もうすでに付き合ってる人がいたみたいで」
えへへ、と柳くんは笑っているけれど、えへへで済む話題なんだろうか。「振られた人と、連絡とってるの……?」「はい! あ、あと吉川さんの彼氏の石川くんとも、この間遊びました」「振られた人の彼氏さんともお友達なの……!?」 混乱してきた。自分には想像もできないような状況である。気まずくなってしまわないのだろうか、と思うのは、私の器が小さいのだろうか。
とっても良い人なんです、と嬉しそうに笑う柳くんを見ていたら、そういうこともあるんだろうなあ、と私も笑ってしまった。柳くんはじっと私を見つめた。私もじぃっと柳くんを見た。そうした後に、私は柳くんに告白されてしまったのだと思いだした。またじわじわと顔が赤くなって、無意識に彼の手を握り締めると、柳くんも、ぎゅっと握り返してくれた。ほんの少しだけ落ち着いた。「あ、あの」「はい」「私も」「うん」「すきです」
言ってしまった。
喉から擦り出すみたいな小さな声になってしまったのだけれど、柳くんはしっかりと聞いてくれたらしい。彼はじわじわと顔を喜ばせて破顔した。「本当に?」「ん」「嬉しいです」 私も、「嬉しい……」
ぎゅうっとお互い手のひらを握って、顔を上げると、照れたように笑いあった。
「お付き合いしませんか、さん」と呟いた彼の声に、私はうんと頷いた。
***
それからほんの少しだけ経って、明音くんはちょっとだけ困ったような顔をしながら、「さん」と握った手のひらをぶらぶらさせた。
どうしたんだろう、と彼の顔を見上げると、どう言い出そうかと迷っている風に、んん、と眉を八の字にして、「あの」「はい」「僕の友達に、会いませんか?」
なんでだろう、と彼の顔をじっと見つめると、「あの、高校の友人が、さんに会いたいって」 それは随分、仲がいいんだなぁ、と瞬きしたとき、ふと私は二人の人の名前を思い出した。「吉川さん?」「とか」「……石川くん?」「も」
とか、とか、も、とかいうことは、他にも人がいるんだろうか。私が不安げに顔を上げると、明音くんは片手を振って、「あ、嫌ならいいよ」「ご迷惑じゃない?」 明音くんはパチリと瞬きをした。「全然」 そしてにこっと笑った。
それじゃあ、と私も笑って、「失礼しようかな」「うん」 あかねくんは、嬉しそうに首を傾けた。
こつん、こつん、と二人一緒にアスファルトに足音を響く音が聞こえる、私たちは、ゆっくりと歩いていった。
こつん、こつん。