気がついたらイタリアにいた。

いや、正確に言えば、そのときの私はそこがどこかなんてことはまったくもってわかっていなくて、周りでぱちぺちゃ聞こえる言葉が、異国の宇宙語であることをただただ一人理解した。「お、おう、お……」 日本じゃない、少なくとも日本じゃない。時代錯誤な格好をした彼らの端正な横顔を見て、へたへたと一人噴水の端に腰をかけた。外国人さんってなんでみんな美人に見えるんだろうかっていうか、今じゃ私がこの国での外国人である。ヘルプミー。


ここはどこでしょうか。
助けてください。
ちょっと一緒にお話しませんか。


そんなお誘いの文句を口にしたくても、(周りからすればきっと)一人妙な格好をして、ドレスの貴婦人さんを見つめた。警察に通報されたらどうしよう。むしろそっちの方がいいのかもしれない。でもなんかちょっとやだ。
うー、うー、うううー、と唸って小さくなっていた私は、不審人物さながらであったのだろうけれども、同時にどこか体調不良のお方にでも見えたのかもしれない。ぽんぽん、と誰かに肩を叩かれた。顔を上げるとシーザーがいた。「ヒイッ」

シーザーサラダのシーザーではない。シーザー・A・ツェペリのシーザーだ。家の本棚に収まっているはずの漫画のキャラクターにそっくりすぎる男性が、私の肩を叩いてる。さすが本場の男の人がそういう格好をするとかっこいいなあ! そんな一瞬の興奮ののち、ひどく動揺した。何を言っているのか全然わからない。

多分大丈夫か、とか、どうしたんだい、とか、そんな感じの言葉を言っているようなきがする。けれどもそれって自意識過剰なんじゃないだろうか。ちょっとそこは邪魔だからどいてくれないか、もしかすると、そんなことを言っている可能性だってあるわけだ。私は、「おう、おう、おおう……」と口元をへたつかせた。たすけて。シーザー(仮)はタレ目な瞳を細めて、少しだけ困ったような顔をした。

たすけてください!

もしかして、今現在、それを主張しても構わないタイミングなんじゃないだろうか。イタリア語(仮)はまったくもってわからないけど、英語くらいならなんとかなる。英語って通じる? 大丈夫? 大丈夫だ、ジョジョだってワシントンに行ったりドイツにいったりしてたけど言葉に困ってなかったし、いやそれは漫画だから?

「た、たす、たす、たす……」 たすけてください、ここはどこなんでしょうか。そう問いかけたいのに、全然声がうまくでない。言語が違う人に問いかけることが、こんなに怖いことだとは知らなかった。もうちょっと、もうちょっとで言えるのに、と口をぱくぱくさせて、でも勇気なんて全然出なくて、私は結局小さくうずくまってしまった。
相変わらず、何を言っているのかわからないイケメンさんも私に対してさじを投げてしまったらしく、ふう、と軽いため息をついた。(ちょっとくらい、言葉の意味がわかったら、話しかけられたのに) 今からでも遅くない、と思うのに、声を出そうとすると心臓がドキドキしてうまくいかない。

イケメンさんは、それじゃあとばかりに手を振った。あっ、と顔を上げた。「シニョリーナ」 なんか言った!


「ヘルプミーッ!!!!!!!!!!」


そいつはわかるぜヘルプミー! と叫びながら、私はガバッとシーザーの腰に抱きついた。ムキムキだった。







私はシーザーのお世話になることになった。
とにかくここはイタリアで、彼の名前はシーザーで、その上現代じゃない。その事実に気づいてしまったとき、とりあえずオーマイゴットと叫んでおいた。そんな私を見て、シーザーは不審げな瞳を向けていた。残念ながら、自分の心情すべてを流暢に言葉で表せるほど私の英語のスキルもコミュニケーション力も高くはなかったのである。

シーザーに紹介してもらったお店で働いて、またまた教えてもらった下宿で眠った。ときどき、シーザーはお店にやってきた。「元気にしてるかい?」という彼の言葉を聞き取れる程度には、なんとなくイタリア語はわかってきた。






ちょっとくらい、外に遊びに行こう。そうシーザーが言うものだから、私はシーザーに手をひっぱられて、初めて出会った噴水に座った。ぴちゃりぴちゃりと溢れる水の線が綺麗で、ぱたぱた空を飛ぶ鳩を見ると、ちょっとだけ楽しくなった。
シーザーはなんとなく良い感じな口説き文句を言っているような気がしたのだけれど、さすがにちょっとそこまでヒアリング力は高くない。いやあ、全然わかりませんなあ、とぼんやり顔で見つめていると、シーザーは大きな指で、私の顎を触った。それからちょんとキスをした。

別に、シーザーからすれば、こんなことは当たり前なんだろう。
彼は結構手がはやくて、でもフェミニストな人なのだ。けれども私は違う。こっちは日本人の現代人で、彼とのキスの価値観なんて、まったくもって違うにきまっている。

そうわかっているのに、なんかちょっとだめだった。私はシーザーの袖をにぎったまま、多分ぽかんとビックリ顔をしていた。それからどんどん顔が真っ赤になった。赤面した。
思わず両手で顔を覆った。そうすると、シーザーはまた不思議そうな顔をした。なんとなく、彼のほっぺも赤くなった。パタパタと鳩の羽ばたきを聞きながら、二人一緒に、噴水の端で赤面した。







シーザーが、ジョジョに出会ったらしい。傷だらけのシーザーを見て、なんでなんでと問いかけたら、多分きっと、そういうことなんだろう。考えないようにしていた。死んじゃう。シーザーが死んじゃう。
「いかないで」
出た言葉は、それだけだった。今からシーザーは、ジョジョと一緒にリサリサさんがいる島へ、修行に行ってしまう。それからたくさん大変なことがあって、きっと、もう二度と出会うことなく、彼は私の前から消えてしまう。

「なんでそんなに悲しげにしているんだい?」

シーザーは、私が波紋のことなんて、彼の父親のことなんて知らないと思っている。でも知っている。「しんじゃう」 全然うまくいえない。「シーザーが、しんじゃう、いなくなっちゃう」 バカみたいにカタコトな言葉で、シーザーの服の裾を握った。シーザーは笑った。「まさか、そんなわけがないさ」

またすぐに戻ってくるよ。そうシーザーは約束した。きみのもとに戻ってくる。


本当だろうか。
私は待つことにした。大きなシーザーの手のひらとからめて、もう一回キスをしながら、彼を待つことにした。シーザーは旅立ってしまう。さようならの言葉はこれだけで、私の前から消えてしまった。
でもシーザーは約束してくれた。


私は今、彼の帰りを待っている。
またせたねとキザに口笛をふいて、指先でこそりと私の首元を触ってくれる日を待っている。







2013/01/23
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