■ 光子郎の妹。時間軸的に02少し後くらいかそこら。ナチュラルにテントモンがいる。




優しいお父さんとお母さんとお兄ちゃん。お兄ちゃんは妹の私に対してもずっと敬語で、ちょっと他人行儀なんじゃないの、と思うことしばしば。それもまぁ光子郎はんのええ味出しとるとこでっせ。とテントウムシなのかなんなのかわからないうちの第五の家族の関西弁がうまいわぁうまいわぁ、と本日の晩御飯のシチューを口元にいれながら、いつだか言っていた。

まぁいいですけれども。そこが確かにお兄ちゃんの味ですけれども。ずるずるお茶を喉に流しこみ、何故だか神妙な顔つきをする家族三人をちらりと上目遣いで眺めた。「僕が」「私が」時々こぼれる声に、いったい何を主張しとるんだとテントモンの背中をよしよし撫でてみると、「やめてぇなはんくすぐったいわぁ」と甲殻虫の体をぐいっと動かす。「くるしゅうないくるしゅうない」


さん」

ふいに、覚悟を決めた男のような顔でお兄ちゃんがこっちを向いた。なあに、と私は首を傾げながら、お兄ちゃんを見た。中学校に入ってから随分と身長がのびたような気がするけれど、それでも周りの男子よりはちっちゃいらしい。本人は気にしていないようだけど。
私はぼけっと、いったいなんだろうなぁ、程度の気持ちで次の言葉を待った。


さん、僕はさんの本当の兄じゃないんです」


特になんの構えもなく投げつけられた言葉は予想以上に重く、痛恨のストレートだったのだ。






いやあ、それはないだろう。
とっくの昔に日は沈み、まっくらな空がクリアにうつる。開けられた窓からひゅんひゅんとほっぺたへと風が撫でた。「さん、さん!?」 ドンドンドン
背後からお兄ちゃんがどこどこ扉を叩く音が聞こえる。「ちょっと待ってくださいさん、部屋にこもるところまでは理解できるんですがさん!?」 ドンドンドン 「なんでそれが僕の部屋なんですか!」 
それは鍵がかかる部屋がお兄ちゃんの部屋だけだから。


私はひどく冷静に先ほどのセリフを咀嚼した。それってなんの冗談なの? 珍しいね、お兄ちゃんとごくごくお茶を飲んでいると、冗談じゃないんです、と鎮痛な面持ちで彼は呟く。いやいや、と食卓を眺めてみた。お母さん、お兄ちゃんが変なこといってる。けれども母も困ったように笑うだけで、「本当です、さん僕は」
席を立つ。? お父さんがきょとんとした声を上げた。とことことこ。だかだかだか。さん待ってください。お兄ちゃんの声が聞こえてもきわめて冷静に。冷静に。
お兄ちゃんの部屋へ滑り込む。鍵をかける。窓を開ける。空を見つめてみる。ドンドンドン。さん!? お兄ちゃんが扉を叩く音だ。


つまりこれってどういうことだろう。

確かに昔っからよく言われていた。光子郎くんとちゃんって、似てないねぇ。でも男の子と女の子だからね。これくらいかもね。そう言われてこんなもんかなぁ、と思っていたのだ。けれども違ったらしい。
つまりこれってあれだろうか、私だけこの家族の中でのけものだったんだろうか。お父さんとお母さんの子どもはお兄ちゃんで、私だけ別の人から生まれた子どもで、そんなことを今まで全く知らず、ずっとずっとみんなは知っていて、知らないふりをされていたんだろうか。

そう考えると悲しくなって、人生ってドラマチックなんだなぁ、と心の中のどこか遠くでそう感じている自分がいた。お兄ちゃんは本当のお兄ちゃんじゃなくって、ただそれだけじゃないか、と思っても、ふいにぼろっと涙がこぼれた。理由なんて自分でもわからない。けれどもぼろっと。

そのときだった。ぶんぶんとまるで蚊が飛ぶような羽の振動音が聞こえ、ぎょっとして瞳をこじ開けると、赤いボディの大きな虫っぽい何かが、窓をひょいっと通った。「はん泣いとるんか」 関西弁の虫は可愛らしく小首をかしげて、「なんや泣き方そっくりやなぁ」 誰のことだ。

出て行ってくれ、と言いたくて右手で目をこすり、左の手のひらをばたばたふると、「はいはいどいてぇなぁ」とまったく通じない様子で彼は私の隣へちょこんと座った。
そのあとにきょろきょろとあたりを見回した後、ドアへと閉じられた鍵を見て、「なんや懐かしいなぁ」と含み笑いのようにかしかし体を揺らす。

「なにが」
「やって、鍵や。こんなん光子郎はん使わへん」

そうだ。それは前々から不思議だったのだ。お兄ちゃんの部屋はいつも扉が開けられていて、私がコンコン、とノックをすると、「いいですよ、さん」とお兄ちゃんの声が聞こえる。そして扉を開けるのだ。いつも思う。なんで私ってわかるんだろう。さん、と必ず彼は私の名前を呼んだ。

ぼろぼろっときたとき、手のひらなのか何なのかわからないような手で、彼は私の顔をちょろっと撫でた。「光子郎はんもなぁ、昔、なやんどったんやで。おかあはんと、おとうはんの、ほんまの子どもじゃあらへんって知ってな。苦しかったやろうなぁ」
テントモンの声に、私は驚いて顔を上げた。「お兄ちゃんが?」 私じゃなくて、お兄ちゃんが。

その言葉を、テントモンは勘違いしたらしく、「そうや、ちっこい体で悩んどったわ」とうんと頷いた。

なんだ、と安心した反面、それはものすごく嫌な気持ちなのだと気づいた。私じゃなくてよかったと考えたのだ。けれども、けれどもそれ以上に愕然とした気持ちになった。だって、だって結局「お兄ちゃんは、違うんじゃないか……」私のお兄ちゃんじゃ、ないんじゃないか。

おかしいって思ったのだ。私はパソコンなんて全然得意じゃないしがさつだし、お兄ちゃんみたいに気が回らないし、まったくもって子どもだ。血が繋がってないから。やっぱり違うのか。
考えると、「うー」っとまた涙が出てきて、テントモンが困ったようにわたわた両手を動かした。「光子郎はん」とわたわた手を動かしたまま部屋のカギを開けようとして、それはダメだと彼をはかいじめにする。「うひぃ、はなしてぇな!」 はなすもんか。


ぼろぼろ涙がこぼれるもので、上手く声が出なかった。おにいちゃん、と心の中で叫んだ。テントモンの背中がつるつるとしていて、ぽとぽと私のしずくがそこへとこぼれた。「なんですか」 ふいに、ドアの向こうで彼の声がした。
まるで私がおにいちゃん、と呼びかけたセリフに呼応するようで、なんでこの人は、こんなに分かるんだろう、とまた涙がこぼれた。「さん、さん、僕は昔、とってもとっても苦しかったことがあります」
ごめんなさい、どうでもいいことかもしれないですけれど、聞いてください。

ごつん、とドアに何かがぶつかる音が聞こえた。なんでだろうか。お兄ちゃんが両手をドアへとつけて、ごつん、と額をドアへとくっつけている様子が見えるようで、私はドアをじっと見つめた。

「僕の、本当の両親は、事故で死んでしまったそうです。もし僕の両親が生きていて、それと、今とどっちが幸せだったかなんてわかりません。だって、比べようがないじゃないですか。でも、僕は」

何かを言いかけた言葉が、ぴたりと止まった。ごんっ、と、またドアが柔らかく叩かれ、彼自身も何をいいたいのかわからないようにぐるぐると言葉を回す。

「なんていえばいいんでしょうか。今考えたら、馬鹿みたいでした、きっと。何をすればいいかわからなかったですし、どう接したらいいかもわからなかった。知ったとき、崩れていく気がしました。僕は、わからない、悔しかった。何が悪いのかもわからなかった。僕が、どんどん、カラ回りして」

兄らしくない言葉だった。いつものお兄ちゃんなら、もっと上手く説明する。こっちが、バカバカしくなるくらい、すっきりまとめ上げた言葉を吐くのだ。ほんのすこし。ほんの少しだけ、お兄ちゃんの語尾がゆるんだ気がした。気のせいかもしれない。気のせいじゃないかもしれない。「……カラ回りは、僕は、カラ回りは、もう、嫌なんです」
だからなんだ。

「だからなに!」

強く、言葉を吐いていた。腕の中のテントモンが「はん」と慌てたように暴れて、それでもぎゅっと力強く抱く。「さん」お兄ちゃんが呟いた。
「僕は、さんとカラ回りしたくありません」

「でも、お兄ちゃんじゃないんじゃん!」
「そうです、でも僕は、泉光子郎で、あなたは」
「違うよ」
「違いません」
「違うったら」
さん」
「違う」



意地はっとるだけなんやろ、とテントモンが囁いた。そうだ、でも、違う。血がなんだ、といえるほど私は豪胆ではないし、ただの子どもで、お兄ちゃんは大人だ。子どもな大人だ。、とドアの向こうから声が聞こえる。開けてください。コンコン。ちいさくノックの音が聞こえた。

私はゆっくりと手を伸ばして、チャチな手製のカギを開けた。その瞬間、ドアはほんの少しだけ開いて、ばたばたと暴れたテントモンが廊下の向こう側へと体を移動させる。ひょっこり現れたお兄ちゃんは、私を見て、困ったような顔をした。そのあと手をのばした。お兄ちゃんにしては荒っぽい、ぐちゃっとした手つきで私の頭を撫でて、そのあとお兄ちゃんらしく、優しく撫でてくれた。
そんなことをするもんだから、唇をぎゅっときつくひき結んでいたのに、また涙があふれてきて、うわあ、と声を上げて泣いた。「おにいちゃあん」と涙の所為で上手く呂律が回らないのに、お兄ちゃんは「はいはい」と慣れたように私をぎゅっと抱きこんで、背中をトントンと叩く。

ひどい話だなぁ、と思った。どうでもいいじゃないか。そんなこと知らなくたってよかったじゃないか。血がなんだってんだ! と心の中で一回叫んだあとに、やっぱり、私はお母さんとお父さんの子どもでよかったと考えた。お兄ちゃんもそうだったらよかったのに。そうしたら、ひとりぼっちにならなくていいのに。お兄ちゃんの本当のお父さんとお母さんが、生きていてくれたらよかったのに。

それでも、お兄ちゃんがいてよかったよ、と呟くと、お兄ちゃんはほんの少しだけ嬉しそうに、そうですか、と呟いた。そうですか、ともう一回、静かに深く頷いて、うん、と笑った。





2009.08.11
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8月になるとデジモン熱が毎年上がるので。 光子郎の妹話の長編設定だれか書かないかなぁ(他人まかせ) 管理人が書いたらこのままタケル夢へと移行しそうだ。