「ほらほらお布団に入って」
「あったかくしてくださいよ、若だんな」

若旦那と呼ばれた年の若い青年が、「ええい大丈夫だよ!」と二人の兄やに言うも、彼らはまったくもって話を聞かない。ひょいっと二人してかるがると若旦那を担ぎあげ、「この間熱が出たばかりでしょう」とくるくる饅頭のように布団にくるむ。その足元にはきゃわきゃわと恐ろしい顔をした小さな鬼達が踊っていた。

若旦那を担ぎあげた男の一人、佐助はその鬼達、家鳴を踏まないようにとちょいと足を移動させる。そしてもう一人、ぱっと見ただけでも色男と分かる男、仁吉はひょいっと家鳴を一匹捕まえた。「いいか、若だんなのおひるねの邪魔をするんじゃないぞ」

「なにをいうか!」「失礼な!」「われらは若だんなのためを思い戯れているのですぞ!」「そうだそうだ! 一人じゃさみしかろうというものです!」 きゃわきゃわ

繰り返される甲高い声に、手代二人は顔をしかめた。若旦那は饅頭になりながらもくすくす笑う。時代は今より遠く、何百年も昔の江戸である。とある廻船問屋にて、この鬼のような顔をした家鳴、派手な身なりの屏風のぞき、猫女など数々の妖怪が登場する。

そしてこの、若旦那に甘く甘く、とろけてしまいそうな男二人、仁吉と佐助も妖なのである。

今日も今日とて体に弱い若旦那はコホコホ咳をつきつつ、幼馴染の作ったまずい饅頭を口にするのだ。





「おおい、仁吉や」 若旦那の部屋の外から、誰かを呼ぶ声がした。一体何事だ、と仁吉は顔をあげ、若旦那は布団の中からひょこっと顔を出す。「店の方かもしれません。それじゃあ、あたしはこれで」といいながら、仁吉はひょいっと足を出す。「きゃわー!」ずしんと間違えて、一匹家鳴をふみつつも去っていったあとに残った佐助と若旦那はぽけっとした表情で彼を見送った。

「なんだか仁吉、変だねぇ」
「さすが若だんな。わかるんですか」
「そりゃあ長い付き合いだもの」

仁吉は普段飄々としているが、長年付き合ってくれば見えるものもある。もちろん、妖怪である手代たちにとってみれば短い時間にすぎないのだろうが。佐助はどこかおもしろげな表情をしていて、若旦那は「なんだい、佐助は何か私の知らないことを知っているみたいだね」と布団からひょいと体を起こした。
佐助は有無を言わさず布団の中に送り込んだ。「……気になってしまって眠れないよ」 けれどもそんなもごもごとした若旦那の声に、佐助は苦笑して、若旦那の布団で戯れる家鳴達の首根っこをつかみながら、ぽいぽい遠くへと投げていく。きゃわー! きゃわー! 我も! 我も! と嬉しそうな声が響いた。

そうですね、と佐助は薄く微笑みながら、「まあ女ですね、女。おそらくですけれども」
「おんな!?」 と、若旦那はすっとんきょうな声をあげた。「一体誰なのさ」
ははは、と佐助は笑った。

「ただの勘ですからわかりません」








仁吉はいらいらとした気持ちを抑え込んだ。若旦那以外のことで、これだけ胸が揺さぶられるのは滅多にない。呼ばれた用事を終え、若旦那のもとへ戻ろうとしたとき胸の中で何かがごそごそと動いた。「きゃわきゃわ」この場で仁吉以外の誰もが聞き取れない声で笑う鬼が懐を暴れている。何か菓子がもらえるかと思ってついてきてしまったのかもしれない。
「何をしてるんだ」 仁吉は顔をしかめて家鳴に話しかけた。その瞬間だ。

「どなたかいらっしゃるのですか?」

優しい柔らかな声がする。仁吉よりもずっと低い場所に頭があり、着物をたすきにまくり、桶を一つ持ち、その中には濡れ布が入っている。「おや、さん」 仁吉はぺしりと家鳴を叩き、顔に笑みを張り付けた。彼女は新しく、この廻船問屋に働きに来た娘だ。よく働き気が利くと耳にする。そしてそれ以外の噂もまことしたやかに流れていた。その噂な仁吉にとって、決して悪いものではない。寧ろ喜んでしかるべきものだった。

けれども仁吉は必要以上に関わりにならぬようにと顔を引き締めた。この頃めっきり寒くなった。水仕事は大変だろう、と心は揺れるのに、話しかけることはできない。「それじゃあ、あたしは」と気のない返事をして、くるりと背中を向ける。
背を向ける瞬間、のほんの少し残念がったような、悲しそうな表情を見てしまった。仁吉は眉をひそめた。「それじゃあ、私も」と言いながら水をかえにと去って行こうとする彼女の声が聞こえる。

「おお? どうしたので?」
懐の中で家鳴の声が聞こえた。ぎゅうっと絞めつけられたような胸に、仁吉の体は勝手に元の道へと戻っていた。そしてひょいとを背後から覗き込むと、その手に持たれていた桶を取り上げた。はぎょっとしたような表情でこっちを見た。仁吉は顔をひきしめたまま、すたすたと歩いていく。「おいでなさい」 そう一言だけ付け足し、矛盾したような気持ちを考えた。


仁吉は理解している。
おそらくこれは、人でいう恋なのだ。
ばかばかしい、と手に持つ桶の重みを感じた。人と妖の恋慕など、酒のつまみにもなりはしない。千年もの間、人へと恋する妖を見て、何故あんな無駄なことをと理解ができぬ感情で見つめたではないか。それを今の自分は繰り返しているのだ。
苦々しく思う反面、つきはなしてしまいたくなる。そうしようとしているのに、結局体は反対のことをする。

が、廻船問屋で噂されていることをしっている。彼女の気持ちを自分は理解している。(ったら、仁吉さんのことを恋しく思っているみたいなのよ)女たちがそう噂をしていることを、よすぎる耳はよくよく捉えた。

自分だって長く生きた妖だ。そんなもの訊かずとも、惚れた女のことくらい、手に取るようにわかる。ほら、今あたしの後へ、ちょいと目をやってごらん。そっけない言葉しか渡していないというのに、後ろのこの子はまるでこれ以上ないという幸せのように嬉しそうにくっついてくる。
それがほんの少し嬉しく感じるのに、これじゃいけないと眉をひそめる。
なんてなんて、馬鹿馬鹿しい。





私がお勤めさせていただいている廻船問屋で、仁吉という手代の人がいる。すっと整った鼻梁で、いい男で、それはそれはもてるのだ。初めて見た瞬間、はあこんな人もこの世にいるんだなぁ、とぽーっとしてしまったのを覚えている。なるほど、この人に惚れる女の人は大変だ。なんせ周り全てが恋敵なのだから、と思っていたら、いつの間にか私も、仁吉さんを見るたびに、ほーっとしてしまうのだ。魂が抜けてしまう。

それは本当に同じ人間なのかと思うほどで、私は面食いだったのだろうかと正直辟易としてしまう。仁吉さんを見ていると、ぼんやりしてしまって馬鹿みたいに針を指にさす。「いたいっ」と涙目になる度に、「は本当に仁吉さんが好きねぇ」と周りは笑うのだ。その度に、顔が真っ赤になって熱くなる。

つり合わないことくらい分かっている。仁吉さんは若旦那のことが大好きなことを知っているし、別にお付き合いしたいだなんて思っていない。そしてそれよりも、私は仁吉さんに嫌われているのだ。それはそうだ、と自分自身苦笑してしまう。

こんな平凡な女に好かれても困るだけだ。私と話すときだけ仁吉さんはそっけない。周りも不思議そうな顔をする。けれども仁吉さんはやっぱり優しいから、こんな風に手伝ってくれるのだ。ありがとうございます、と言えばいいのに、余計なお世話な言葉だと思われそうでどうにも喉につまる。

嫌われている。そう分かっているのに、彼が相手をしてくれることが嬉しくて仕方ない。仁吉さんの背中を見ているだけで、ああ私は幸せだなぁ、とほんのりと胸が温かくなるのだ。





拷問のようなものだ。相手もこちらも想いが通じ合っているはずなのに、それを伝えることなどできない。仁吉はぎっちりと奥歯を噛んだ。せめてこちらの一方的な思いなのならば、諦めることもできる。けれども自分が話しかけるたびにあんな嬉しそうな顔をされたら、どうしようもないじゃないか。

仁吉は若旦那の部屋へと向かおうとしたとき、障子の向こうから声が聞こえた。「、あんた本当に仁吉さんが好きねぇ」 仁吉はパチリと瞬きをした後、まぁいつものこととそのまま通り過ぎようとした。けれども、すぐさま泣きだしそうなの声も一緒に聞こえたもんだから、その場にとどまってしまったのだ。

「何度もいいますがち、ちがいます!」「そんな隠さなくてもいいのよ」「だから、私」「好きなのよねぇ?」 また違う女が問いかける。とうとうは根負けしたように聞こえた。「そうですけれども」とかすれるような小さな声が聞こえる。わかっていたこととは言え、どかりと心臓が飛びあがった。(おさえつけなければ)

ふーっと息を吐き出してそのまま聞かなかったことに、というように足を踏み出そうとする。けれどもその瞬間、「あれま仁吉さん、若旦那のところへ行ったんじゃないの」と背後から話しかけられた。

年をとった女は固まる仁吉を不思議そうに見つめたまま、や女たちが騒いでいた部屋へとカラカラ障子をあけて入っていく。「あんたたち遊んでるんじゃないわよ」と叱りつけながら、女数人が真っ青な顔をしたまま障子を見つめていたものだから、不思議そうに眼をしばたたかせた。

仁吉は恐る恐るというように、畳の上へ座るへと目を向ける。可哀そうなほどに青い顔をして、ぽとりと手の中の布を膝の上にこぼした。仁吉は瞳を少しつむった後、彼女らに頭を下げてその場を去った。すたすたと。これは、とても動揺しているのかもしれない、とこころもち歩く速さをはやくした。





「……ごめんね、
「ごめんなさい」

口ぐちと謝る彼女たちに、私はいえいえ、と手のひらを振った。けれども力ない笑みは自分自身理解している。彼女たちも悪ふざけがすぎたのか、と黙々と布に針を通した。わかっていたことだ。明らかに、自分は見え見えだったではないか。だからこそあれほどに仁吉さんに避けられていたし、嫌われていたのだ。

悲しくないと言えば嘘となる。絶対にないとは思っていたけれども、もしかしたら好かれているかもしれないと百回にいっぺんは考えたことはある。けれども。

「ああ……私厨の方に行きますね」

ほんの少しくらい、泣いたっていいのかもしれない。きゅっと唇をかんで立ち上がった。特に誰も何も言わず、見過ごしてくれたのは嬉しかった。



ほんの少しだけ泣いた後、さぼってしまってはいけないと顔を洗いに水汲みへと向かった。するとぼんやりと仁吉さんが腕をくんでつったっていた。なんて間の悪い、とトコトコ胸の方が早鐘をうつ。どうしたもんか、と逃げ返そうとしたとき、先に仁吉さんに気付かれてしまった。ここでわざわざ踵を返すのも不自然だ。瞼の上に手のひらを反対にしておいて、軽く仁吉さんに会釈する。

「ここで何を?」 てっきり若だんなのところへ向かったのかと思いました、というように軽く訊いてみると、仁吉さんは意外にもきちんとした返事をくれた。「若だんなのところへ行く前に、頭を冷やさないとと思いまして」 ここで顔を洗っていました。

はあなるほど、と私は軽く返事をした。その後でおなじように軽く顔を洗わせてもらった。ぴちゃぴちゃしたたる水の音を聞いて、はっと冷静になる。そうだ、さっさと逃げないと。尻尾を向けるように、私はその場を去ろうとした。そのとき、珍しいことにも仁吉さんが、「さん」と声をかけてきたのだ。「はい」と反射的に返事をしてしまった。「あなた、あたしのことが好きなんですって」

これにははい、とは言いづらい。口をもごもごさせていると、何やら仁吉さんの体がすぐそばになった。何事だろう、とぎょっとしたとき、ふいに手を取られた。そのことに気付いてしまったとき、色んなものが頭の中を駆け巡り、妙な汗がだらだら流れる。これはまずい。そう思うのにはなせない。これはいったいなんなんですか、と尋ねたいのに声がでない。干からびてしまったようだ。喉の奥がひくひくとしている。頭の中の思考もぐらついてきた。仁吉さん、一体、これは、仁吉さん、手が、にきちさ




これは一体なんなんだろう。仁吉はの手を握りしめたまま、ぼんやりと固まった。先ほどまで水を触っていたせいか冷たい。肉があまりついていない、小さな手だ。なんとなく、仁吉はその手を握ってみた。「ひうっ」が妙な声を出した。そのことがなんだか面白くなって、親指をさすってみる。「ひえっ」指をからませてみる。「ひー……」絡ませた指を、きゅっと握ってみた。「〜〜〜!!」

手のひらを触っているだけなのに、何故だか仁吉の方も自分がよくわからなくなってきた。これはとてもいいことだ、と意味がわからず思い、何がいいことなんだろう、とまた考え直す。の顔は真っ赤になって、瞳がくるくると回っている。ちょいちょいと手を握りながら、親指をいじる。の声を、ずっと聞いていたい。
いっそのこと、ともう少し手を伸ばそうとした瞬間、カサカサと妙な音がした。



「おお? なにをしてらっしゃるんで?」
「今日は若だんなのところへ行かないのですね」
「では我らは一足先に」
きゃわきゃわ



どこで見つけたのやら、戦利品の菓子を背負った家鳴たちは若旦那の部屋へと向かっていく。仁吉はさきほどの妙な気持ちがどこかへふっとんでいったのを確認したあと、の手のひらをぱっとはなした。
はヘタヘタと力を失いその場に膝をつき、真っ赤な顔をしたまま、目がうるんでいる。仁吉はきゅっと気持ちを引き締めると、そのままに背を向けた。何をしていたんだ、あたしは、とさすがの仁吉も自身を恥ずかしく思い、苦々しい気持ちになった。

いつかまた、自分の気持ちが破裂してしまいそうだ、これじゃあいけないと。今度こそと念入りに気持ちを蓋にしてぐるぐると紐を巻いて封印する。次はもうない。妖と人との愛だの恋は不毛な行為だ。あだ花のようなものだ。仁吉はすっと前を見据えた。



ただそこに、はぼんやりと自分の手を見つめた。夢だったのだろうか。そうかもしれない、自分は化かされたのだ。けれども。
息を吐き出し、きゅっと手のひらを抱きしめる。幸せな夢だった。






「そういえばね、佐助」
「なんでしょう、若だんな」
「この間の、仁吉が変だという話だけれど。女だってね」
「ああ、どうなんでしょうかね」

若だんなはぽい、と幼馴染のつくったまずい饅頭を口にふくむ。そして渋い顔をした。ある意味芸術的なまでのまずさである。佐助はそんな若旦那を心配げに見つめてから居住まいを直す。

「それって人かしら?」
「それはまぁ、わかりませんけれど。人と妖の恋というものは滅多なことじゃ咲きませんし」
「そうなのかい? 私はかまわないと思うけれど。人でも妖怪でも」
「まぁ若だんなならそう思うかもしれませんけどね」

佐助は苦笑した。この若旦那の出生は極めて稀である。なにせ大妖怪の祖母と人間の間で生まれた子なのだから。「仁吉はね」と若旦那はまたまた渋い顔をしながら饅頭を飲み込む。「案外我慢が似合わない男だと思うんだよ。だから人でも妖怪でも、結局最後は手に入れてしまうんじゃないかなぁ」

それはどうだろう、と佐助は考えた。そうかもしれない。なんせ千年もの片想いをやってのけた男なのだ。諦めの悪さは折り紙つきだ。
そのとき、どこからやってきたのか、新しい家鳴達がきゃわきゃわと菓子を奪い合っている。「これこれ、仲良くしなさい」と言いながら、若旦那は菓子をやる。家鳴達は、それもまた争いつつも、菓子に飛びつく。

その中でさきほど外からやってきたらしい家鳴が、「手代の仁吉さんのお話ですか。我は見ましたよ」とでもいうように胸をはった。そこから2匹ほども「我も」「我も」と主張した。
何をだい? と若旦那はその家鳴達を覗き込む。


「さきほど人の女と仲睦まじく手を握っていましたよ」
「握っておった握っておった」
「それはもういやらしく」

きゃわきゃわと嬉しげに報告する家鳴を見て、若旦那と佐助はお互い目を合わせて苦笑した。「ほらね」と若旦那は饅頭を口にほうりこんで、まずい味なはずの饅頭が、ほんのちょっぴり、おいしく感じたような気がしたのだった。



2010.12.28

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お約束のしゃばけ夢です。某方に捧げます(笑)変換名とかタグはお好きに変えてください〜。私のあとがき部分を削っていただいてもかまいません。
2巻を改めて読み返してみて、仁吉ワールドね……とにやにやしてしまいました。
時代設定やら、お互いの呼び方やら舞台やらが知識がなかったり初めてだったりでものすごく不安です
知識のなさを痛感しました……!!