私の実家はクリーニング屋である。



「パンツまで愛して」


実家はクリーニング屋である。だからどうしたと言われそうだけれども、つまり私の放課後は実家のクリーニング手伝いに明け暮れていた。小学生のときから店番に立ち、「あらあらお嬢ちゃん偉いわねぇ〜」と近所のおばあちゃん達によしよししてもらって、飴玉をもらいながら生活していた。ウマウマ。
中学校の校区は黒曜中学。ちょっと変わった制服をぽいっと脱ぎ捨て、今日も今日とて店番に立つ。「らっしゃいまっせ〜」 普通のいらっしゃいませにはもう飽きたので、このごろオリジナリティを追求している。

そろそろだ、と時計を見つめて、ごきゅりと唾を飲み込んだ。そろそろあの人がやってくる。そう、あの人が。


「これ、洗濯しといて」

奇妙に瞳が鋭くて、真っ黒な黒髪に、いつでもどこでも制服を着ている彼は、ぽいっと私の机の前に洗濯ものを投げ捨てた。いつものことだし、お客様なので文句は言わないけれど、袋に入れるだとかもうちょっと考えて欲しいもんである。彼は脳内ブラックリストだ。私は恐る恐る頷いた。彼は洗濯ものを渡すだけ渡して満足したのか、颯爽とかえっていく。普通ならばここでお客様のお名前だとかを確認しなければならないのだけれど、彼は常連のお客様すぎて、そんなもの考える必要はない。    雲雀恭弥。頭の中で、彼の名前を確認した後、洗濯物の中に紛れ込んでいるパンツをちょいっと取り出した。金持ちはパンツまでクリーニングなのだろうか。

けれどもそんなことはいい。並盛中、と何故だか中学の名前を刺しゅうされていたパンツをぽいっと投げ捨て、毎度のごとくな確認を一つして、長いため息をつく。白い、学校指定のYシャツだ。いいや、元白いYシャツだった。
「う、っひゃあー……」 べっとりと真っ赤な血が付着している。「こっわー……」 もちろん、これが彼の血でないことくらい、ぴんぴんと来て帰って行った彼を見ればわかる。分かりたくないけど。恐ろしい。



***

ブラックリストな男、雲雀恭弥は、一週間に一度、洗濯ものを出しにやって来る。その度にシャツは血染めの色だ。お客さんの雲雀さんがマッドサイエンティストだとか、もしかしたらとてつもなく体が弱い人で、一週間に一回は吐血するだとか、とりあえずそっち系の想像をして満足することにした。あれは他人の返り血であり、ボコボコに殴って満足するような……不良では……決して……ないと……思わなきゃ怖くてやってられませんよ!?

こなくこそこなくそ、と私は彼の血がついたシャツをぐしぐしと手もみする。まさか他の洗濯と一緒に混ぜる訳にもいかない。実はトマトジュースが大好きで、好き過ぎて毎回シャツにこぼしちゃうんですテヘ、なんてオチを期待してる。まさか犯罪行為でついた血染めYシャツをお店に出す訳はないだろう、と自分自身を言い聞かせて、私は戦々恐々と雲雀さんをお待ちした。カラカラカララン、涼やかな鈴の音と共に、モンスターが現れた。雲雀さんは私の手からぐいっと服を取り上げて、お金を出して、レジをチーンを打たせていただく。

そこまではいつもと変わらぬ、業務用の会話だった。服についた雲雀さんのタグを確認して、お値段を口にして、お釣りはいくらになります云々。「……ねぇ」「はい?」「きみ、中学生だよね」「はあ」 まるで猛禽類のような瞳で、雲雀さんはじっと私を見つめる。「中学生がバイトとはいけないね。咬み殺してあげようか?」 彼はぺろりと舌舐めずりをした。

よくわからないけれども不穏な響きがしたので、「え、ちょっとご遠慮します。っていうか、バイトじゃありませんし」「そうなの?」「ここ、実家なんで家のお手伝いですよ」
なるほど、と彼は頷く。

「君は手伝いが好きなのか」
「えっと……あんまり?」

あ、ちょっと正直に答えすぎたか、と慌てて否定しようとしたら、彼はなるほどなるほど。と頷いた。「咬み殺さないであげるよ。今日は機嫌がいいからね」 それだけ言って、彼は颯爽と去って行った。ところで咬み殺すって、なんだろう?


咬み殺すの意味を知ったのは、それからまた数日経ってから。


ぼんやり街を歩いている最中に、ばかばかぼこぼこ、不穏な音が響いたのだ。なんだなんだ、と私はにゅっと顔をのぞかせた。路地裏の向こう側では、不良達の喧嘩が繰り広げられている。ちょっと考えれば分かることなのに、そのときの私は何にも考えていなかった。ちゃらんぽらんな脳味噌だったのだ。大バカ者め。

けれどもそこで繰り広げられている光景は、喧嘩じゃなかった。どっちかというと、一方的に嬲られているだけだった。
見覚えのある黒髪の少年が、髪の毛と同じく、真っ黒く細長い、妙な武器を両手に持ってぐるんぐるんと回し、逃げ惑う男の人にボコすかと武器をヒットさせる。殴られていた男性の頭から、ぶしゅーっと噴水のように血が噴き出した。「う、うおおお!?」 私は腰をへたっとさせた。雲雀さんはと言うと、真っ赤な血でほっぺたとシャツを染めて、首をかしげながら私を見る。そしてああ、と頷いた。「クリーニング屋の女か」 そして正しく形容した。

彼は適当に男性をぺしっと足で殴り、ぴぽぴぽとケータイの番号を打ちながら、電話向こうとお話する。短い言葉で、さっさと来なよ、とそれだけ言い切り、ぶちっと切った。そして相変わらずへたり込んだ私の脇をぐいっと持ち上げ、ついでとばかりに背に乗せた。「……えっ!」 ちょっとお待ち!

そんな風に抵抗できるはずもない。私はすっかり腰の力が抜けてしまっていたのだ。けれどもどうにか口元だけは自由に動く。「倒れてます! あの人倒れちゃってます!」 けれども出てきた言葉はどこかおバカな言葉だった。見ればわかるわ。
雲雀さんは「救急車は呼んどいたから」とそれだけ言ってすたすた歩いた。よくぞまあ、そんなに返り血べったりで街中を歩けるものである。信じられん。

救急車が呼ばれているというのならば、ヨカッタヨカッタ、と思いつつ、今現在の私は、一体なんで雲雀さんのお背中に乗って、タクシーよろしく移動しているんだろう、と疑問で胸がいっぱいだ。おろしてください、と言える雰囲気なのか、言ってもいいものなのか。どっち。の、料理ショー(とか言って自分自身の心を解きほぐしてみる) 

雲雀さんは学校に向かっていた。私が通う黒曜中ではなく、並盛中だ。校区が違うので、足を踏み入れた……入れた? いや自分では踏んでいないので、入ったのは初めてだ。彼は相変わらず真っ赤に血濡れたまんま、わがもの顔で校内を突き進む。途中生徒たちがおびえたように道を開けた。そりゃあ、どこぞの殺人犯状態だもの。きっと怖いに違いない。そしてその生徒たちが、雲雀さんを見た後、私を見て、ガクガクと震えているのは何故だろうか。さながら次の獲物状態だろうか。そして今気付いてしまったのだけれど、やっぱり私は獲物なのだろうか。店員とお客様として、健やかな関係を築いていたと思っていたのは、どうやら私だけだったようだ。とか自分自身を思考でいっぱいにしないと涙が出た上にちびっちゃいそうだ。ぶるぶるするぞ畜生め。

雲雀さんは、応接室、と書かれた部屋のドアをからりと引いた。そしてソファーの上に、ぼすんと私を乗せた。彼はおもむろにシャツを脱いだ。ぎょえっ、と私は口から出そうになった悲鳴を、ごくんと呑み込んだ。なんということでしょう。どこぞのビフォーアフターのナレーターの声が頭に響く。脱いだ。何故脱ぐ。お腹がむっきりと割れている。目の保養だった。
雲雀恭弥は上半身を裸にして、ソファーにねっ転がっている私の横に、とすりと片手を乗せて、覆いかぶさった。何が起こるんだ、と考えていいやと気づいてしまっている自分がいる。いや、早いですって、駄目ですって。たとえあなた様がイケメンでも、そういういきなりそう言う行為はいけないと、本当にいけないと! と心臓がどくどくしてくる。雲雀さんの端正な顔が目の前に降りてきた。彼はゆっくりと口元を動かした。耳に息が拭きかかりそうになる。「あのさ」 ひぎゃあ 「シャツ、汚れたから洗濯してくんない?」 うん?


なんてことはなく、ただたんに真っ赤に汚れたYシャツを洗濯して欲しかっただけらしい。残念だとかそうではないとか以前に、真っ白になりつつ、しゃこしゃこシャツを手洗いする。しゃこしゃこ。石鹸しかないが、まあ問題ない。時間が経ってからのものよりも、すぐさま洗った方が落ちやすい。雲雀さんは、どこから持ちだしてきたか金だらいを応接室に置いて、しゃこしゃこ桃太郎のお婆さんよろしく、洗濯をする私をじーっと見つめていた。「あの、楽しいですか?」「わりと」 それはよかった。



「僕専属の洗濯女になればいい」

彼は真顔で言いきった。ちょっとお待ちなさい、と私はパタパタ手のひらを振る。よしよし、綺麗になりました、あとは自分で乾かしておくんなせぇ、と相変わらず上半身が裸のままの雲雀さんにシャツを渡すと、彼はとても真面目な顔のまま言いくさった。「クリーニングの仕事は実家で間に合ってますんで……」「前に手伝いは好きじゃないと言っていたけど?」「言いましたけど」
だからって、なんで雲雀さん専用にならなきゃいけないんだ。

彼は私から渡されたシャツを見つめ、ふん、と鼻を鳴らす。「君はまったく理解していないようだ。何で並盛の校区である僕が、わざわざ黒曜中の校区のクリーニング屋まで足を運んでると思ってるんだい」

確かに言われてみれば不思議なことだ。私はうん? と眉をひそめた。彼はどちらかと言うと冷たげな顔をしたまま、冷静に呟いた。

「君が目当てだった」
「え」
「君の家のクリーニング屋が、一番よく血が落ちる。その腕は誇っても構わない。まったく便利な人間だ」
「人をクリーニングしか価値のないような言い方せんで下さいよ」
涙が出てきちゃうだろうが。


***

なんだかんだと言ううちに、結局私は並盛中の雲雀恭弥専用の洗濯係となったのだ。お給料もあげちゃうよ、という言葉につられた訳では、断じて。断じて……秘密のアッコちゃん!
もちろん、黒曜中から遠いので、お仕事は放課後の間だけ。相変わらず、雲雀さんは上半身を裸にして、金だらいでしゃこしゃこと服を洗う私をじっと見つめている。がらりと扉が開く音がした。視線を向けてみると、草をくわえたリーゼントの男の人が、「委員長」と言って入って来て、「(ギョギョッ!?)」という感じの顔をする。ぶはっと口元から草が発射された。「やあ草壁」と雲雀さんはなんてことなしに、上半分裸のまま返事をする。

しゃこしゃこ。
私は巻き込まれたくないので黙々と手を動かしていた。草壁さんというリーゼントさんは、激しく動揺していた。そりゃあ、男女が密室空間で、そして片方が半分裸となれば驚きもするだろう。私も初め驚いた。ビックリだよ。一番びっくりなのは、半分慣れ切ってまったくもって平静を保つ自分自身だよ。「そ、その、委員長、そちらの女性は……?」「ああ、黒曜中の生徒だからね。知らないのは無理もない」 いや、雲雀さん多分違う。草壁さんはそういうことを聞きたいんじゃない。

やはりと言うか、草壁さんは頭を抱えて、ふらりとした。一瞬頭が重くて揺れたのかと思ったけれども、さすがにそうではないだろう。

「その……黒曜中の生徒と、委員長は、何故……」
「こいつは僕専用だから」
「(洗濯女という意味ですけどね)」
「せ、専用!?」
「パンツも見せたことのある仲さ」
「(クリーニングを毎度ご利用ありがとうございマッスル)」
「ぱ、パパパァアアン!?」

な、な、な、と彼は頭をぶるぶると振った後、「ふ、ふふふ、不純異性交遊は、ほどほどに……!!!」 
それだけ言い残して、草壁さんは去って行った。不純じゃないよ。とても純だよ。ごうんごうん洗濯機をまわしてピカピカ綺麗な交友だよ。

去って行った草壁さんを気にすることなく、雲雀さんは相変わらず、どこかぼんやりとした顔付きで、私の手元を見つめている。「面白いですか」「割と」「それはよかった」 前にもこんな会話をした気がする。雲雀さんは相変わらずの裸のまんま、膝に肘をつき、手のひらに頬を乗せた。「ねえ、君」

「これから毎日、僕のパンツを洗ってくれないか」
「はいはい、まかせてくださいな」

っていうか、前からしてるし。適当に返事をすると、彼はどこか不満そうに眉をひそめた。そのとき私は、ふと思ったのだ。「なんか今の、プロポーズっぽかったですね」 これから毎朝、僕に味噌汁を作ってくれ。と言ったような。
まあ冗談ですけど、とカラカラ笑うと、彼は再び不機嫌そうな顔をして、「咬み殺す」と静かに呟く。何を言っているのだこの人は、と顔をあげた。すると、雲雀さんの顔が、予想以上に近かった。どうせ今回も、妙な意味合いだろう、と無視して手元に集中すると、ふっと首元に生温かい息がかかる。がぶり。「ぎゃあ!」 

     びっくりなことに。

咬み殺された。ちょっと痛い。



2011/07/09
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遅すぎる出来上がりで申し訳ない……