1 私から


「それじゃあちゃん、よろしくね」
私は苦い顔をして、彼女から封筒を受け取った。


お願いがあるの、と友人に頭を下げられた。昔から気の弱い友人はときどき私に頼みごとをする。たとえば、先生に用事と伝えてだとか、男の子に話しかけてきてだとか。今日もどうせ、そんな頼みごとなんだろうなあ、と適当に頷き、中身を聞く前から了承した。彼女はぱっと花が咲いたように微笑んだ。そして、お願いの内容を口にしたのだ。


「お願い、ラブレターを届けて」



ほんのちょっとだけびっくりした。男の子に話しかけるのでさえ戸惑っていた彼女が、よくもまあ、というところである。ラブレターの代行人とは、多少恥ずかしい気がしないでもないけれど、そう軽く頷いたのが駄目だった。彼女はぱっと顔を輝かせて、すでに用意していたらしい手紙をきゅっと私の手に握らせる。その宛名を見た瞬間、くらりと一瞬意識が遠くなった。Dear 雲雀恭弥様。うっそん。
「いや、いやいやいや、ここ、これはちょっと……ないんじゃないですか……」
「ね、届けるだけ、届けるだけだから。応接室のドアの間からね、そっと入れておいてくれたらいいから!」

ちゃん、おねがい、おねがい。きゅーっと瞳を瞑りながら、小さくなってぶるぶる震える彼女を見ながら、私はにがにがしい顔をしながら了承した。ぱあっと彼女は微笑んで、その顔とは対照に、私は重っくるしく頷いた。「うぐー……」

そして次の日、朝早く学校に行き、応接室のドアの、ちょっとした隙間から、彼女のラブレターを差し込んだ。さあ、仕事は終わったぞ、と胸をはったとき、「……ちょっと」 誰かに声をかけられた。びくん、と肩はバカみたいに跳ね上がった。振り向くと、黒髪で、中々かっこいい学ランの男性がこっちを見ている。(学ラン?)
この学校で、学ランでリーゼントじゃない男の人なんて、一人だけだ。(雲雀先輩!)
体は勝手に動いていた。端的に言うのならば、私は力の限り逃亡していた。

「どうだった? どうだった?」 何にも知らず、彼女はのんきに確認してきた。私は力なく頷く。そんなことより咬み殺されたらどうしよう。顔を見られてしまったかもしれない。雲雀先輩の凶暴さは、この学校なら誰しも知っているのだ。
どうしよう。どうしよう。
そう思い続けて、3日が過ぎた。日々はなんともなしに過ぎて行く。(……あれ?) 案外、大丈夫なのかも?
そう思っていた矢先に、「ちゃんちゃん、これ……」とほんの少し照れながら、友人が手紙の封筒を口元に持っていく。

「え? こ、これって……嫌だよ! 一回きりって言ったのに!」
「……だめなの?」
「……だ、だめ!」
「そっかあ、じゃあこれ、捨てることにするね」

くしゃり、と丸める一歩手前の格好を、慌てて止めた。彼女はじっとこっちを見てくる。何やら期待している瞳だ。私はうっと言葉につまった。「わかった、わかったよ!」 瞬間、彼女はぱっと花のように微笑んだ。ううん、だまされてる。と思いながら、彼女の頼みを素直に聞くことにした。彼女の笑みに弱いのだ、私は。(まあ別に、私のラブレターでもないんだし! 別に、ばれても問題ないか!) 半分ヤケである。

これくらい、なんてことない。多分。この間はちょっとタイミングが悪かっただけだ。息を吸い込む。さっと行って、さっと帰ってくれば大丈夫かもしれない。この間もちょっぴり見つかったけれど、放置だと言うことは、雲雀先輩は案外普通の人なのかもしれないし。ふはあ、とため息をしたあとに、多分初めて近くで見た雲雀先輩のことを思い出した。

見かけは案外普通だった。というか、どちらかと言うと。(……かっこよかったなぁ) ほんのちょっと、あの人に興味がわいた。あの子がラブレターを出す気持ちが分かる気がする。



「ねえ、雲雀先輩って、かっこいいね」
「そう? ああ、うん。確かにかっこいいかも」
「あれ? 好きなんだよね?」
「うん、好きだけど、人間顔じゃないよ、中身だよ。雲雀先輩は優しいんだよ」

おお、この友人は中々いいことを言う。それにしても。
(雲雀先輩が、やさしい……?) そういう噂は、あんまり聞かないなぁ。


2 僕から


僕はくあっと欠伸をした。委員長、おはようございます、おはようございます! と頭を下げる風紀委員の間を適当に頷きながら通って、応接室にむかう。眠いので、ソファーでひと眠りしてもいいかもしれない、と思い、廊下をぽてぽて歩いていると、女性徒の後ろ姿が見えた。「……ちょっと」 僕は思わず声をかけた。なんてったって、その女性徒は応接室の扉あたりをごそごそといじくっていたからだ。何やってんの。

女性徒は、びくんと肩をとびはねさせた。そして僕の顔を信じられないとでも言うように見つめて、顔を真っ青にさせた後廊下を逃げ去って行く。廊下は走らない。ちょっと待ちな、といつもの僕だったら即座に追いかけていたのだろうけど、眠いのでやめておいた。

さっきの女性徒を忘れることにして、僕はガラリと扉を開く。そのとき、扉の間から一通の手紙がこぼれ落ちた。軽い音を立てて床にねっ転がっている封筒を、僕は持ちあげた。Dear 雲雀恭弥様。(さっきの女性徒か) ぴりぴりと口をやぶって開く。

      雲雀先輩のことが好きです。恥ずかしくって名前も名乗れなくてごめんなさい。

そう、女子らしい筆記と、色合いと共に書かれている。裏返してみても、本文に記載されているように名前は書かれていない。僕はその手紙をくしゃくしゃと丸めて、「人に手紙を出すときは、きちんと名乗らないと」とひどく常識的なことを言いながら、ゴミ箱に放り投げた。


      雲雀先輩がかっこよくて、遠くで見るだけでドキドキします。

次の日、僕は新たにドアの隙間に入れられていた手紙を見て、ため息をついた。ゴミが増える。前と変わらずくしゃっとして、ゴミ箱にジャストミートした。

      先輩とお話したいです。

手紙は続いた。僕はげんなりしながら、いつものごとく中身を確認して、……確認して? 確認なんてする意味もない。宛名もない手紙を相手するほど、僕は暇ではないのだ。ただこの手紙という古風な方法に、ほんの少し興味を持った。多少ストーカーめいているような気がするが、このあいだちらりと顔を見た女性徒を思い出した。犯人はあいつだろう。何故こんなことをするのか、と考えてみたけれど、手紙にははっきりと書いている。僕のことを好きらしい。ふーん、物好きだね。と思ったそんな僕と話をしてみたいという彼女は面白いかもしれない。
(とりあえず)


捕まえることにした。
次の日、にゅっと応接室のドアから差し込まれた手紙を、ぼくはぐいっとひっぱった。「うわあ!?」とドアの向こう側で驚きの声があがる。気にすることなくドアをガラリと開けると、その主はぼふりと僕の胸の中に飛び込んできた。案外小さい。そういえば先輩と書いてあった。後輩だろう。

彼女は信じられないような眼で僕を見つめた。僕は気にすることなく、彼女の腕を掴んで応接室のソファーに連れて行く。ぼふん、と座らせた。僕はその正面に座る。彼女はガチガチに固まっていた。「お話したいんでしょ?」 なので僕は訊いてみた。彼女は「えっえっ、え、え?」とまったくもって言葉をなさない野生動物のように、同じ言語を繰り返す。けれども面白いので、僕はその様子をじっと見つめた。「適当に、なんか話して」「えっ、え?」
僕とお話したいんでしょ、ともう一回繰り返すと、野生動物は何やら天井を見つめて、昇天したそうな顔をした。「黙らないで」 僕がトンファーを取り出すと、「話します話します、いくらでも話します!!」と言いながら、バタバタ両手を動かした。
まあ、野生動物が話す内容は、中々に面白かったので、今度も話させようと思った。


3 私から


「お話したいんでしょ?」
一体なんのことだろう。私はソファーに座り込んだまま、目の前の雲雀恭弥を見つめた。意味がわからないと呆然としていると、武器をしゃきんと取り出した。はんぱねぇ。私はガクガク震えながら、取りあえず色んなことをしゃべった。今日の天気の内容からお弁当箱の中身まで、話せることは全部話した。ちなみに私が頑張っている間、雲雀先輩はくあーっと欠伸をしていたので、多分まったくもって聞いていないと思う。おいおい。


そしてまた今日も、友人から手紙をもらってしまった。どうしたもんか、とぼんやりしてると、丁度真正面の廊下から、雲雀先輩が歩いている。さて、取りあえず会釈しようとしたときに、彼はにゅっと私の腕を掴んで、「今日の分は?」と首を傾げた。一瞬何を言われているかわからなかったけれど、手紙のことかと慌てて鞄から手紙を取り出す。先輩はその場でカサカサと開いた。彼はうんと頷いた。「わかった」 何がわかったんだろう。

「明日の土曜日、10時に学校の校門前で待っといて」
「は?」
「それじゃ」
「ちょっと!」

先輩、ちょっと!
何で先輩と待ち合わせなんてしなきゃならないんだろう。どうしたもんかと頭を抱えたけれども、私の否定の言葉を、彼はまったくもって聞いてくれない。行かなければ何をされるだろう、と考えると胃が痛い。選択肢なんて残っていないので、私は次の日、校門前に向かった。ついでに準備のいい友人から渡された月曜日の分のラブレターは、鞄の中に納まっている。

雲雀さんはぶんぶんバイクのエンジンをかけてこっちを見ている。ぽかんと開いた口がふさがらなかった。「後ろに乗って」 有無を言わせぬ口調だった。
ヘルメットを受け取り、恐る恐る後ろに乗っかる。

「ちゃんと捕まって」
「はい!」
「水族館でいいよね」
「……はい?」 


4  僕から


      雲雀先輩と、デートしてみたいです。

手紙にはそう書いてあった。僕に向かって、どうどうとそれを渡すということは、それだけ僕と出かけたいということなのだろうか、と思って、面白半分に誘ってみた。どこに行けばいいのかなんて分からないので、水族館でいいだろう、と決めて、入場料を払い、中に入る。ぷかぷかと浮いている魚を見ると、無性に咬み殺したくなる。

隣の野生動物は、ぽかんとして水槽を見つめるばかりだった。僕は思った。「まぬけ顔だね。そうだ、君はたぬきに似ているよ」 彼女はげっそりとした顔で僕を見た。それが本当にたぬき面だったので、僕は面白い気分になって笑ってしまった。つん、と鼻をつついてみた。するとたぬきはポッと頬を赤くさせて、パタパタと手のひらを顔の前で振る。「なんだい、たぬき」「たぬきじゃないですって!」

僕は適当に口元をつりあげて、再び魚を見つめた。一体こんなものを見て、何が楽しくなるのか分からない。くあっと欠伸をする。たぬきがそんな僕をちらりと見つめた。僕はふと思い出した。「今日の分は?」 たぬきはパチパチ瞬きを繰り返すと、鞄の中からいつもの手紙を取り出す。書かれていた内容を見て、僕はふんっと鼻で笑った。
けれども実践してやることにした。

たぬきの顎をちょいと掴み、軽くキスをする。瞬間、いきよいよく頬をひっぱたかれた。意味がわからなくて、僕は手紙の内容を、もう一度思い返す。

      雲雀先輩に、キスして欲しいです。


5 私からと


私は雲雀先輩を押しのけるようにして逃亡した。一体なんで、こんなことになったのか分からない。たとえ明日かみころされようが、しょうがない。別にいい。怒るのは当たり前だ。けれどもその前に、ひどい罪悪感が胸の中で広がった。これじゃあ、まるで普通のデートだ。そんなのは、ラブレターを届けてくれと言われた友人に対する裏切りだ。

私は明日、彼女に会ったら、すぐさま土下座をしようと思った。決意した。月曜の朝、登校途中で友人に出会った。「あの、あの、あのさぁ」ともごもごする私を、彼女は不思議そうに見つめていた。決意をした、だなんてカッコイイことを考えたくせに、やっぱりうじうじしていた。結局言い出せないまま、学校の校門にさしかかる。「あ、雲雀先輩」 友人は、嬉しそうに声をあげた。えっ、と私は体をちぢこませる。けれどもそこに雲雀先輩はいなかった。

口元に草をくわえて、激しいパッションを感じる髪型、そして学ラン。校門前で遅刻当番をしているらしい彼を見て、友人はポッと目をハートにする。「雲雀先輩、相変わらず素敵だなぁ」 ちょっと待って。「あれ、雲雀先輩じゃないよ?」「え、でも学ランだよ?」

どうやら私たちは勘違いしていたらしい。友人は、かーっと顔を赤くした。それじゃあ私、全然関係ない人にラブレターを届けてたんだ。とへたへたと座り込む。あんなこともこんなことも書いちゃった、とぷるぷると首を振った。「どんなこと?」 ちょっぴり怖くなりながら、私は訊いてしまった。訊かなきゃよかった。

二人一緒に校門前でへたり込んで、彼女が雲雀先輩だと勘違いしていた男の先輩が、「どうした、大丈夫か」と声をかけてくれた。なるほど、たしかに優しい。ほんの少し前に、人間顔じゃないよ、中身だよ。雲雀先輩は優しいんだよ、と言っていた友人を思い出した。

けれども私は気付いてしまった。雲雀先輩は、手紙を渡した通りのことをしてくれてたんだ。手紙の主を、私だと勘違いして、相手をしてくれてたんだ。雲雀先輩って、優しいかなぁ? と首を傾げた少し前の自分に、コラー! と言ってやりたい。優しかったんだ。なのに私は彼をひっぱたいてしまった。

(どうしよう)
人を殴ったのは、多分初めてだ。しかもあんなに思いっきり。
(ごめんなさいって)
あやまらなきゃ。

そう思うのに、会いに行く勇気がない。頭を振った。でも謝らなきゃ。ふと、私は思いついた。彼女から、あまった便せんをもらった。
教室の机で、くるりとペンを回した。そして、さらさらと。


***


意味がわからなかった。キスしてくれと言われたのに、なんで殴られなければいけないのだ。僕は頬を押さえた。別にもう、痛くなんてない。痛かったのも一瞬で、あれくらい大したこともない。なのになぜか腹の奥の方でダメージがあった。応接室で待っている。何を待っているか、自分自身気づいていたが、やっぱり気づきたくはない。たぬきの顔は分かっている。僕ならすぐに、あいつの名前もクラスも調べられる。けれども、そうするのは気がひけた。会いたくない。腹の底で、ダメージがあるから。

めんどくさい、やってられない。そう思ってソファーにダイブしようとしたとき、ことん、とドアの隙間から、何かが差し込まれた。すぐさま、誰かが去って行く足音がする。僕は素早い動きで、それを拾った。

      ごめんなさい

便せんは同じなのに、僕が何度も捨てた手紙と字体が違う。何がごめんなさいなのか。こいつは一体なにがしたいのか。直接確認をしたいような気もしたし、会うことはためらわれた。会いたくないのだ。何度も言うけど、ダメージがあったから。だから僕は適当なペン立てからボールペンを取り出して、カリカリと文字をつづった。そしてドアに挟んでおいた。風紀委員たちが不思議な顔をしていたけれど、「それには触るなよ」と僕が一喝したら、分からない顔をしながらそのままみんな去って行った。



      何がごめんなさいなわけ。っていうか、字体が違うと思うんだけど
      あれは、私の友人が書いてました。
      はあ?
      友人の手紙を、私が届けてたんです。
      じゃあきみは、中身は知らなかったの?
      はい。
      ふうん。面白いね。さすがたぬきだ。
      たぬきじゃありませんったら!
      じゃあ、野生動物だ。



ぽろぽろと言葉をつづって行く。私は、僕は言葉を書いた。手紙で会話をした。一言一言、短い言葉をつづった。

「今日はテストがありました」「そう、どうでもいいね」「そして今日の夕ご飯はハンバークでした」「ふうん、うらやましい」「あれ、雲雀先輩はハンバーグが好きですか?」「ほどほどに」

ごめんなさいから始まった言葉は、まるで何かの会話のようだった。「ねえ、野生動物」 雲雀恭弥は、紙につづった。「なんですか?」 と、彼女は紙で答えた。

「今更だけど、君の名前はなんなの?」
「今更ですね!」
「そうだね」
です。
「ふうん、ねえたぬき」
ですって!」

「水族館に行こうか、たぬき。そしたら今度は名前で呼んでやるよ」


えっと。ほんの少し頬を赤らめて、彼女は呟いた。そして便せんを口元に当て、へたりと縮まる。便せんから、優しい匂いがした。どこかで嗅いだ匂いだ。
多分、あの人の匂いだ。





2011.07.12
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_(:3 」 )ノ_ ヒバリサンムズカシイヨ