「手をつなぐまでの話」



テニス部の忍足に、妹がいるらしい。そんな噂を聞いて、ええ? そうなの? とパチパチ瞬きを繰り返したのは、まぎれもない忍足侑士本人だった。
「なあがっくん、俺って妹がおったらしいで。ビックリやな」「しらねーよ」 




「忍足さん、お兄さんまだ試合に勝ったんだってね! おめでとー!」

クラスメートの善意のお知らせに、私は頬をひきつらせながら手のひらをふった。うん、そうらしいね。でも別にお兄さんじゃないからわからないなぁ、とお決まりの返答をしてみても、「またまた」と言われてしまう。またまたってなんだよまたまたって。

     私の名前はおしたりと言う。
にんそくじゃなくて、おしたり。忍足。小学校までは、出席の度に間違われていたのに、中学に入ってからというもの、間違われることはめっきりなくなった。なんてったって、この名字は有名なのだ。氷帝学園中等部テニス部レギュラー、忍足侑士。女の子からはキャーキャー慕われていて、人気者。
一応、念のため、もう一度念押しさせてもらうけれど、私とうわさの忍足さんは何の接点もない、赤の他人である。遠い親戚だとか、そんなオチもない。もちろん会ったことすらない。だというのに、この名字の所為で、勝手に私は忍足さんの妹扱いだった。何でちゃんは関西弁じゃないの? と訊かれたこともあるけれど、逆に訊きたい。なんで関西弁なの……?

まあとにかく、私は忍足という名字であっても、噂の忍足先輩とは何の関係もない他人であることを、胸を張って主張できる。OK、問題ない、完璧だ。そうだったのに。今日までは。




「妹やぁー!!」

がらがらーん、と扉が開く音とともに、見覚えのない男の先輩が、にゅっと顔をのぞかせた。その後ろには、これまた覚えのない小さい男の先輩。上靴の色が違うので学年が分かるのだけれど、本当に年上なのだろうか? と私は他人事ながら気になってしまった。

上級生が教室に入ると、なんだか目立ってしまうという鉄板の法則がある。けれどもこの場合、その法則を遙かに超えて、彼らは目立って目立って、×10くらい目立っていた。ついでに言うと廊下にもギャラリーができている。「がっくんがっくん、この中に俺の妹がおんねんて! ときめくわぁー」「しらねーよ、ちょっと俺帰りたいんですけど!?」「いややん、俺とがっくんの仲やん」「きっも」「多少傷つく」

何やら漫才をしているらしい関西弁の先輩。意味がわかんない、と私は教科書で顔を隠した。あんまり関わり合いになりたくないタイプだ。私は部屋の端っこで静かに読書をするような生活を求めるタイプなのだ。ざわざわとクラスメートたちの声が聞こえる。そして気の所為か、ちくちくと私に向かって視線が突き刺さり始めた。

一体なんだというのだろう、と顔をあげてみる。するとそこには、さきほどの眼鏡で関西弁の男の人が、じいっとこっちを見下ろしていたのだ。私はびっくりするあまり、勢いよく立ちあがって椅子をひっくり返してしまった。「おい侑士、可哀そうだろ、あんま見てやんなって」「ちょっとがっくん、何で俺が見たら可哀そうやねん」 (……侑士?)
私はぞぞっと嫌な予感がした。眼鏡の男の人は、暫くがっくんと言う先輩と言い合いをした後、もう一回私を振りむいた。そして万遍の笑みでぱあっと両手を広げて言ったのだ。

「おお、生き別れの妹よー!」




「いやありえませんから」

ビシッと私はつっこませていただいた。周りの視線が痛いので、私たちは教室から抜け出した。場所は使っていない空き教室である。がっくん、向日先輩と言うらしい。彼が机に座っていた小さな体をばたばたと暴れさせながら「ほらな、ほらな、ありえねーって言っただろ!」 うむ。ありえねー。
っていうか関西弁の兄なんていた覚えがない。

けれども忍足先輩はと言うと、「ええ、ほんま? そういうのやったら面白いかなぁって思ったんやけど。……もしかして俺ら親戚やったりとか」「ないです。母に確認しました」「お母さんもきみに秘密の生き別れの兄妹かもしれんで?」「市役所に行って戸籍確認してきました」

なのでありえないです。とぱたぱた手のひらを振ると、向日先輩が、「おい侑士、この子びっくりするくらいしっかりしてるぞ……お前の妹とかマジありえねぇって」とある意味忍足先輩に失礼なことを言っている。忍足先輩はというと、ほーかー、ほーかー、とうんうん唸って腕を組んで、「なんや、つまらへんオチやったなぁ」とぼんやりと呟いた。オチで人の出生を決めないで欲しい。
でもまあ、と忍足先輩はすぐさま復活した。

「なあなあ、俺らせっかく同じ名字な訳やん? やったら今日から俺のこと、侑士おにーちゃん★って呼んでもええねんよ。これも縁やと思って、な?」
「嫌です」
「間髪いれず!?」

やだぁ、この子つっこみの才能あるんじゃないの〜、となぜか忍足先輩は標準語でしなをつくりながら向日先輩の胴体にアタックする。向日先輩はと言うと、どこからか取り出したケータイゲームを一心にプレイしながら、「あ、ちょ、今棒がくるから侑士うざい。ちょっと待っ……あー、ミスった侑士死ね」「こまめに罵らんといて!?」 テトリスでもプレイ中だったのだろうか。

向日先輩は、はふー、とため息をついて、DSの画面をパタリと閉じた。そして「えーと、忍足さん? じゃあまあ帰ろうか」「はい帰ります」「待って! おいていかんといて!」
待ったってー! と忍足先輩が私と向日先輩の間に割り込んだ。ガラガラとドアを開けて、それじゃあ教室に戻りますか、というとき、忍足先輩が、「そういえば」とぽんとパーとグーで叩いた。

「きみ、名前なんなん?」
「そこからですか」


私からすると、忍足先輩は変な人でした。の一言で収まる出来事だったのだけれど、周りからすればそうじゃない。「やっぱり忍足さんって、先輩の妹だったんだね! 違う違うって言ってたけど、照れてたんじゃないの、もう!」と言ってなぜか嬉しそうな顔をするクラスメートや、「生き別れってどういうこと? そういうことなの?」と、忍足先輩の適当な台詞で色んなことを想像する友人たちに、私は長いため息をついた。

今日も今日とて、女の子たちに「忍足先輩の好きなものって何かなぁー! 教えてー!」と円陣を組まれて圧迫される。いじめかと思った。ふと一瞬、廊下の向こう側で、忍足先輩を見つけた。こっちを見てぱたぱたと手を振っている。きゃー! と女の子たちが悲鳴を上げた。忍足先輩は、そんな彼女たちを見てどこか満足げに微笑む。先輩が去った後、女の子たちは先ほどよりも勢いよく、「ねぇねぇ、忍足さん、教えてよぉー!」
知らんがな、という返答は許してくれそうにないので、適当に答えることにした。「……吉本新喜劇?」


そして学校には熱烈なるお笑いブームがやって来た。


「今日の吉本見たぁ〜? 誰が好き〜? 私はやっぱりめだか〜」「やだぁ〜私は花子〜」「私なんてNGKに行ってきちゃったわよぉ〜オール阪神巨人見てきちゃったわよぉ〜!」 なんて会話をする女子中学生(関東人)を見る日が来るとは思わなかった。流行らせた本人としてはなんとも複雑な気分である。

もごもごベンチで一人ご飯を頂いていると、後ろからにゅうっと影が降りてきた。私のご飯のサンドイッチを一つまみとりあげ、ぱくりと口にする。「サンドイッチが」「おっ、うまいなぁ、ちゃんが作ったん?」「サンドイッチが」「それにしたっても、この頃妙にお笑いブームやね。関西人としては嬉しいわー」「サンドイッチが」「東京のもんはもっとお笑いを勉強すべきやわ」「サンドイッチが」「あっちとこっちではな、ツッコミの速さがちゃうねん。もっと素早く、えぐるようにやね」「サンドイッチが!!!」「どんだけ根に持ってんの!?」

忍足先輩のおごりで、購買のパンを買って頂けたのでとっても満足である。もごもご。
ちゃんは幸せそうに食べるんやなぁ」「もごもご」「お兄ちゃんとしては返事くらいしてほしいわ〜」「(笑)」「今なんで鼻で笑ったん……」




「なんでやねん!」


さて、お笑いブームも熱烈の一歩。
ふと私が階段を歩いていた瞬間、男の子の手刀が目の前を待った。「え、うわっ」 顔に迫りくる手のひらに驚いて、一歩後ろに下がってしまった。すっかり下が階段であったことを忘れて、私は片足を一瞬ふらふらさせた後、「うひゃっ!」 すっころんだ。アッと男の子たちがこっちを見ているけれどももう遅い。ゆっくりと過ぎていく時間の中で、あー、適当に吉本新喜劇なんて言うんじゃなかったー、と後悔した。落ちていく時間とは、案外長いものなのだ。「うおっ」「おおうっ」 ぽすりと誰かに受け取れた。階段上の男の子達が、ほっとしたように息をついた。

「なんやのちゃん。危ないわぁ。俺がたまたまおらんかったら危なかったでー」 いやたまたまちゃうねんけどな。ちゃんに会いに来たんやけどなー、と忍足先輩はカラカラ笑った。そして階段上の慌てる男子達を見て、「ん、なんやお前らなんかしたん? あかんで気いつけー」「はい! すみません!」「俺ちゃうって」「ごめん、忍足!」

忍足先輩に謝った男の子たちに、ちゃうちゃう、と忍足先輩は首を振った。彼らはハッとしたように私に頭を下げて、気まずげにそのまま逃げていく。「まああれやね。ちゃんも、ぼーっとしとったらあかんよー。いっつも気いぬけたような顔しとるからなぁ」 アブナイアブナイ。そう言って忍足先輩は私の両脇を抱え込んだまま、ぷらぷらする。
ありがとうございます、と言うべきなのに、気を抜けたような顔とはなんだ、と私は唇を尖らせて、ばたばた足を動かした。離しておくれ。
「あ、ちゃん、一応一緒に保健室行こうか。足がぷらぷらしとるよ。ほらほら俺の背中におぶさりー。ええなあ、兄ちゃん妹背負うの夢やったんや」
「なんでやねん」
「と、唐突になんですのん……!?」





「……部外者は立ち入り禁止だ。さっさと戻してこい」
「部外者ちゃうで! 俺の妹やで!」
「先輩とはとっても部外者なんで帰ってもいいですか?」

っていうか帰らせてください。とばたばた忍足先輩の腕の中で暴れていると、「何言ってんのちゃん!? いつもどおり侑士兄ちゃんって言うてええねんで! 恥ずかしがらんと!」
とりあえず忍足先輩の言葉を無視して、薄い色素の髪の毛と瞳の先輩をじっと見つめた。彼は私の言葉の全てをくみ取ったかのように、ゴクリと唾を飲み込む。「……誘拐してきたのか」「されました」「ちゃうもん! ちゃんが俺の雄姿を見たいって言うたんやもん!」「言ってないです」「今日の俺の夢の中でや!」「そんなところまでの出演に責任は持てません」

とりあえずさっさとそいつを返してやれ、と先輩はパタパタと手のひらを振った。ぎゅうっと忍足先輩は私を抱きしめて、「いややいやや! 侑士の雄姿を見てくれるまで返さんで! プププ」 

自分のギャグに微笑んだ彼は頭からテニスボールの籠に突っ込まれた。



「……なんだよくわかんねぇが、すまねえな。うちの部員が。俺は部長の跡部だ」
「忍足です、はじめまして」

跡部先輩は、あーん? と眉をひそめた。私は慌てて「違います、名字が同じだけなんです」とパタパタ両手を振る。なるほど、と先輩は頷き、「妹な、なるほどな」と顎をひっかく。「諦めへんでぇー!!」と籠からがばっと顔をあげた忍足先輩は、向日先輩とまた知らないポニーテールの男の人二人に拘束され、ずるずるとコートに連れ去られて行っていた。

跡部先輩は、そんな忍足先輩をちらりと目の端で確認し、ふん、と鼻から息をついた。「まあ、バカな奴だが」と先輩は一つ言葉を置き、「関東に来て、多少寂しいんだろうよ。適当にかまってやってくれ」 それだけ呟き、私に背中を向けて去って行く。パタパタと背中越しに片手を振っていた。その瞬間、フェンスの向こうの女性徒達から黄色い悲鳴が上がったので、私はびくんと肩を跳ねあがらせた。



「あれ、ちゃんまさか待ってくれてたん……!?」

校門前で感動に手のひらをわななかせる忍足先輩を見て、私はパタンと本を閉じる。そしてふん、と視線を逸らした。忍足先輩と一緒に帰っていたらしい他のメンバー達は、「それじゃあなー」と忍足先輩に適当に挨拶をして去って行く。先輩はそっちに「せやね、またなー!」と手を振り、また私を見た。「も、もしかして俺の雄姿、見ててくれ」「丁度本を一冊持ってましたから」「てないみたいやね! まあええけどね!」

私は本をごそごそ鞄にしまってとなりでチャカチャカ眼鏡をいじっている先輩を見た。先輩は、じっと私が見上げていることに気付くと、ぱっと笑って、「ほいなら帰ろうかー」と私の前を歩く。左手がこっちに向いて、ひょいひょいと踊っているように見えた。私はほんの少し考えたあと、その手を取った。「先輩」「うん?」「この間、ありがとうございます」

なんのことやぁ? と首を傾げる先輩に、「なんでやねん」と言い直して、ゆっくり私に歩幅を合わせた彼について行った。

2011/07/13
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唯一お題に沿って……る……?