※翡葉さんが限を監視してたとき、箱田くんのお母さんがいなかったら、いったいどうやって食生活回してたのかな、というありえないほど捏造
※10巻ネタバレ/捏造あります。




「のり弁ひとつ」


この頃お店にイケメンがやってくる。




「はいはいのり弁おひとつー」 心の中で、のり弁お好きですねえ、お客さん、と呟いたけど、さすがにそんなことはおくびも見せず、がさごそお弁当の在庫をさぐってはいどうぞ、とお会計。彼はすっと整った瞳をほんの少し和らげて、のり弁を受け取った。のり弁そんなに嬉しいの?

色素が薄い姿は、まるで外国人みたいで体格もいい。いつも同じコートを羽織って、だいたい同じ時間にこんにちはとやってくるのだけれど、いったいこの人は何者なのか、とちょっぴり気になってしまうが、そんなことをいちいち気にしていたらやってられない。

彼はのり弁を袋に入れて、そのまま颯爽と去っていった。「ありがとうございますー」とへこりと頭を下げた端で、「きゃあああ」とパートのオバチャンたちが黄色い声を上げる。「今日もかっこよかったわねぇ、のり弁さん!」「目の保養ねえ、のり弁さんは!」

おうちに帰ったら旦那さんがいらっしゃるであろうおばちゃん達は、のり弁さんがやってくるたびフィーバーする。のり弁さん、罪なお人よ……っていうかなんか勝手にあだ名を付けられてかわいそうだなぁ、と思いつつ、やっぱり私ものり弁さんがやってくると嬉しいのだ。
(のり弁さん、なにしてる人なのかなぁ、ほんとに)



バイトも終わって鞄をかついでアパートに帰っているとき、私はふと奇妙な人影を発見した。とある学校の前を通り、帰宅するのがルートなのであるけれど、がさごそがさ、とまるで木の上に登っているような音が聞こえた。鳥でも木の枝に止まったのだろうか。そう思いつつも、夜の学校が近くになると言う所為で、なんだか怖い。ごくっと唾を飲み込みながら私は顔を上げた。確認してしまえば、後は怖いものなんてなくなってしまうのだ。「え」「あ」「えええ!!!」「あ、ちょ、静かに、静かに!」

「ええええー!」とそれでも勝手に口が叫んでいる。のり弁さんは慌てたように木から飛び降り、「静かに言っていってるだろ……!」と一瞬乱暴な口になりながら、ぎゅっと手のひらで私の口を閉ざした。むぐむぐする。襲われる。たとえイケメンといえども、それは勘弁である。

ぼろっと涙が出てきたとき、のり弁さんはハッとした表情をして、手のひらを放した。「あ、い、いや君に危害を加えるつもりは……あれ、どっかで会ったことが、いやすまない。怪しいものじゃないんだ」 十分怪しいっつーねん。というツッコミもさておき、私が彼を疑わしげな目で見ていたからだろうか。のり弁さんは、あわあわ両手を動かして、「違うんだ!」 自分が必死に怪しくないと主張する。

「その、俺は、夜中に木に登るのが趣味なんだ……!」


それは彼の中で怪しい人とは言わないのだろうか?



私はぽかんと口を開け、あんまりにも彼のぶっとんだ台詞に、「ああ、趣味ならしょうがないですね」と頷いた。「そうそう、しょうがないよね」とのり弁さんはニコッと微笑んで、嘘くさいなぁ、と思いながらその場をそそくさと離れていった。そして次の日。のり弁さんは私の顔をお弁当屋さんで見て、あらん限りに瞳を開けていた。

「……あ、今日ものり弁ですよね。まいどありがとうございますー」
「あ、あれ、ちょっときみ、もしかして」
「木登りが趣味とはなかなかに健康的かと思います」
「もしかしなくともやっぱり君だった?」

あっちゃあ、というふうに、彼はぽりぽりと頭をかいた。いつもは涼しげな顔をしているのに、さすがにちょっと焦っているらしい。私はなんだかおかしくなって、クスッと笑って「毎度ご来店、ありがとうございます。また明日も来てくださいね」 彼は少しだけ拍子抜けをしたような顔をした後、僅かに苦笑した。そして「ありがとう」とお弁当を受け取って、片手をひらひらさせながら扉から去っていく。「ちゃんちゃんどういうことのり弁さんとお話なんてずるいー!」「ずるいわずるいわ、私も紹介してー!」

私は左右からぎゅうぎゅうにおばさま方に人気になりながら、はははー、と苦笑いして、「いやいや、紹介できるほどの大層な仲じゃないですよう」 おばさまキラー、のり弁さん。と心の中で新たなあだ名をつけながら、次の日ものり弁さんを待った。のり弁さんは少しだけ苦笑いしながら、やっぱりのり弁を頼んでいった。



「どうぞ、のり弁です」
「はい、ありがとう」
「お仕事順調ですか」
「ぼちぼちだね」

毎日ちょっとの会話をかわして、それじゃあね、と手を振って去っていく。ずるいずるいと言われるハーモニーは聞き慣れて、そんな彼との会話が嬉しくなっていたとき、彼女はやってきた。「おー、ここが翡葉のいきつけねー!」「きょろきょろするな。っていうか何でついてきたんだアトラ」「いーじゃんいーじゃん。お互い同じお仕事任されてる仲じゃん? おお、おいしそー!」

翡葉さんにくっつくようにやってきたチョコレート色の肌をして、活発そうな女の人はニコッと人懐っこい笑みを浮かべながら、「それじゃあ私、唐揚げ弁当三つに、焼肉弁当二つ、魚弁当四つね!」「あ、俺はのり弁で」「お会計は一緒でよろしくぅ!」「……ちょっと待てそれは俺が払えって意味か」

いーでしょあんた頭領からいろいろもらってんでしょ、それはお前も同じだろとお互い喧嘩をする彼女達の姿を見て、私は無心でレジを動かした。ちきちきボタンを押して、お値段を言って、お金をもらって、お釣りを渡して。(あ、そっか)

そりゃあ、のり弁さんは、あんなにイケメンさんなのだ。彼女の一人くらいいたって不思議じゃない。というか、いない方が変だ。ほんの少しだけ顔を引きつらせて、「それじゃあありがとうございました」といつもどおりに私は言った。同じくいつもどおりにのり弁さんはひらひら手のひらを振った。彼の名前はひばさん、と言うらしい。でもまあ、私が彼の名前を知ったところで、なんの意味もないことなのだけど。

ぼえーっとレジを見つめていると、いつものパートのおばちゃんが、ぽんぽん、と左右から私の肩を叩いた。「残念ねぇ、ちゃん」「まあまあ、他にも男はいっぱいいるから。うちの息子紹介しようか」「あの、息子さん確か小学生じゃありませんでしたっけ」 私それはちょっと犯罪になるんですが、と呟いたら、ぱしこん、と背中を思いっきり叩かれた。そうされて、私は自分がものすごく落ち込んでいることに気づいたのだ。おお、なんてこった。



てくてく帰宅していたときだ。学校の前を通ったとき、ひばさんはいた。相変わらず木の上に座っていて、もぐもぐお弁当を食べていた。あれ、彼女さんは? というか、今日も趣味は継続中なのだなぁ、と彼の不思議っぷりを観察していると、ふとこっちに気づいたひばさんが、おいでおいで、と片手を振った。いや、おいでと言われても。

私が眉をハの字にして困った顔をしていると、彼は何を勘違いしたのか、「今日のすることは終わったから別にいいよ」「……はあ」 することって何をしてるんだろう。ひばさんってアリの行列の観察とか似合いそうだけど。

それでもぼんやり、ひばさんを見上げていると、彼はすとんと軽い動作で木から飛び降りた。「前々からいおうと思ってたんだけど、ここは夜、通らない方がいい。……変な人とか出て、危ないから」 変な人とはひばさんのことでしょうか。と思っけれども、やめておく。「はあ、のり弁さんは……」「のり弁?」「あ、えっと、その、いつものり弁を買っていくから、お弁当屋さんのあだ名で……ごめんなさい」

え、まいったな、と少しだけ困った風に頬を書いた。「俺、そういうの考えるの面倒だから、毎回同じの買っちゃうんだよね」「あの、勝手かもしれないですけど、同じものばっかりより、他のものを買った方が体にいい……あ、や、彼女さんがいるなら余計なお世話でした」
あはははー、と照れて片手をふりふりしていると、ひばさんはきょとんとしたように私を見た。そして眉をひそめて、「彼女って?」「え? あのこの間一緒にお弁当買いに来てた」「勘弁してくれ!」

一回思いっきり叫んだ後、「……勘弁してくれ……」とはふうとため息をつきながら、彼はふるふる頭を振った。そこまで? あ、そうなんだ。とちょっとだけほっとして、「あ、じゃあのり弁さんは」「ちょっと待て。そののり弁さんってのはやめてくれ。俺の名前は翡葉だよ」「はあ、ひばさん」 知ってるけど。

彼は少しだけいたずらっ子のように微笑んだ。「あ、今どうやって書くんだって思ったろ。ちょっと待って」 そう言って、服の中から小さな手帳を出して、“翡葉” 
ぴりっと破った紙を、ひょいと私に渡した。「へえ、珍しいお名前ですね」「うん。だからのり弁さんはやめてくれよ」「あはは」

次の日、のり弁さんはのり弁さんじゃなくなった。
「唐揚げ弁当一つ」

おばさんたちが、目を丸くしていて、そんなさまを彼はくすくす笑っていた。「同じものばかり食べてちゃいけないらしいからね」
翡葉さんは誰ともなしにつぶやいて、お会計を出した。私は思わずくすくす笑ってしまった。
ひらひら片手を振って去るさまが、おお、かっこいいなあ、とペチペチ自分のほっぺたを叩く。
なんだかちょっとうれしい。



***

けれどもまあ、そういう日々は終わりが来るものである

***



ある日、翡葉さんがお弁当屋さんに来なくなった。


あれ、どうしたんだろう。ちゃん知らないの? とおばさん達に訊かれても、やっぱり知らない。
次の日も来なかった。
私はほんの少しそわそわして、その日、学校の前を通って帰ることにしたのだ。もしかしたら彼がいるかもしれない、と少しだけ期待して、まっすぐ家に帰るだけだから、別に変でもなんでもないよ、と自分自身言い訳した。


翡葉さんは、木の上にいなかった。学校の塀にことんと背を預けていて、座り込み、顔を下に向けていた。「…………翡葉さん?」 どうしよう、と思ったのだけれど、私は彼に声をかけていた。翡葉さんは、のろのろと顔を上げた。そして、ああ、というようにぼんやりとした顔のまま頷いて「ここは通るなって言っただろ」とそれだけつぶやいて、また顔を伏せた。

私は恐る恐る、彼の隣に座り込んだ。翡葉さんはなんにも言わなかった。なんだか悲しそうだった。そのまま暫くたって、「悲しいことがあったんですか?」と彼に訊いた。彼はやっぱり暫く間を置いた後、ふるふると首を振って、「慣れたことだから」「……はあ」 その割には、やっぱり沈み込んでいるように見えた。

二人で一緒に座り込んで、ぼんやり空を見上げていた。お星様がちかちかしていて、くるりと一つの星が流れる。隣の翡葉さんを覗き見たら、彼は少しだけ苦しそうな顔をして、ぎゅっと眉をつむった。「いや、すこし悲しいかもしれない」 相槌を打つのはやめておいた。

「俺は、あいつのことは嫌いだったんだ。でも、死ねばいいとまでは思ってなかった。あいつは……」 馬鹿だな、と最後にちょっとつぶやいて、瞳を伏せた。彼は泣いてはいなかった。ただ、落ち着いた顔をしてた。けれどもやっぱり眉をひそめて、「馬鹿だな」と、もう一回。

私は気づいたら翡葉さんの頭を撫でていた。よしよし、と私よりも背が高い彼の頭を撫でていて、彼はぎょっとしたように目を開けていた。それでもよしよし、と子どもを相手するみたいに私は撫でて、折り曲げた膝の中に、顔を入れて、眉をちょっぴり下げた。何を言っていいのかよくわからなくて、よしよし、と撫でたのだ。

翡葉さんは瞳を少しだけ開いた。そして私を見た。彼はゆっくりと撫でている私の腕をつかんで、ぐいっとこっちに寄せると、その勢いのままぎゅっと両手で抱きしめた。耳の頭に、ちゅっと何かがあたって、それが唇だと気づいたときに、うわあああ、と顔が真っ赤になった。慌てて彼の胸板から顔を引き離すと、翡葉さんは今度は私の口に、一回ちゅっとした。そしてさっきと同じく、少しだけ目を開いて、のろのろと私から手を引き離すとごまかすように眉間にシワを寄せて、「気の迷いだ」それだけポツリと呟いたのだ。「そうじゃないと、困る」

今度はこっちが目を見開く番だった。翡葉さんはのろのろと立ち上がった。そしてさっきのことをなしにするみたいにすたすたと歩いて私に背中を見せて、そしてゆっくり振り返った。「もう、俺はあそこへ行かないから」「あそこ……?」「いろいろとこっちにも都合があってね。弁当はいらなくなった。それじゃあ」

彼はひらひら手のひらを振って、去っていく。いつもと同じ、お弁当屋さんから帰るときみたいだった。私はぼんやり翡葉さんを見送った。彼は本当に、ピタリとお弁当屋には来なくなった。おばさんたちは残念な顔をしながら、新しいイケメンに恋をして、「ちゃんも頑張んなさいよ」とパシンと背中を叩く。


さて、ここで私と彼のお話は終わりだろうか。
ここでもうちょっとだけ、お話を付け足しておこうと思う。



うちのアパートは安い。それは曰くつきであるからとか、夏は熱く冬は寒いという涙が出てくる構造であるとか、いろんな理由があるわけなのだけど、とにかくやすい。だからひっきりなしに新しい人が入ってくる。ついこの間も新しい人が入ってきて、随分大人数らしく、ときどきドタドタと聞こえる足音だとか、庭でぶんぶん暴れている姿が見えるのだけれど、家賃が安いからしょうがない。と私は納得して日々を怠慢に過ごしていた。

それじゃあ、バイトの時間だぞ、とガチャリと扉を開けたとき、ちょうどおとなりさんも外に出たらしい。同時に響いたドアの音に、お互い目線をあわせてみれば、ドアノブを握ったまま、ピタリと私たちは固まった。部屋の中から、「おーい翡葉ー、入り口つかえてんぞ、狭いんだからさっさと出ろー」という不満気な声が聞こえる。けれども翡葉さんはなんとも言えない表情のまま固まっていた。「おい翡葉ァー」


とりあえず、お互いほんのちょっと頬を引きつらせて、「「あはははは……」」 と、二人一緒に笑ったのだ。





2011.08.26
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翡葉さんもっと隠密に行動しようよというツッコミはそっとみなさんの心の中にしまっておいてください(滝汗)
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