*フィル完結後未来妄想、友情?気味、激しい捏造矛盾には目を瞑るときっと幸せ






「すみません」


そう言われた言葉に、私はふと振り返った。「えっと……」 見覚えのない男の人だ。かっぽりと頭までかぶられている兜を見て、私はぱちくり、と瞬きながら後ずさった。
その人はハンカチを差し出していた。見覚えがある。私のものだ。そこまで考えたとき、あっと彼が言いたいことを理解したそれと同時に、彼も彼で、あっと気付くことがあったらしい。「すみません」 頭を下げながら、かしゃんと兜の視界を持ち上げた。顔にそばかすが散っている、青年だ。まだ若い。

「従騎士の、フィリップ・グレイです。ハンカチを落とされましたので」
「あ、は、はい。ありがとうございます」

びっくりした。みんな同じような格好をして、兜をしているから、誰が誰だなんてわからないけれど、従騎士に声を掛けられたのは初めてだ。いつもとてとて逃げるようにお城の中を移動しているものだから、はとっても足が速いのね、とよくお姫様方に笑われる。

ハンカチを受け取るとき、少しだけ躊躇した。それはおそらく、フィリップにも伝わった。彼はわずかに顔を逸らして、じっと私を見下ろした。「ごめんなさい!」 ひったくるみたいにそれを受け取った。それから勢い良く逃げ帰った。まるで猫が尻尾を見せて、ぴゃっと消えていくみたい。そんなふうによくよく笑われてしまう。
部屋に戻って、はー、と息を吐き出した。知らない人と話すとドキドキする。(フィリップ・グレイ) 確かそんなお名前だったかな、とそばかすだらけの彼の顔を思い出した。
なんだか少し、声が怖い人だったような気がした。











「フィリップ・グレイにハンカチを拾ってもらった? あらいやあね、そんなのもう捨てちゃいなさいな」

外周上がりの従騎士だなんて、ひどい話よ、とはたはた扇子をあおいで、くるくる髪を揺らすお姫様方を前にして、私は「はあ」と頷いた。ブリッジあがり。外の人だ。貴族の人ではないらしい。従騎士は、貴族でなくてもなれる。そのかわり、騎士になるには、貴族でなくてはいけない。騎士に付き従える人間だから従騎士、エスクワイア。騎士の人は今まで何度かお話したことがあるけれど、従騎士の人は姿を見かけるばかりで、全然よくわからない。

なんであんな出の人が従騎士になってしまったのかしら、とか、あの人、よくお城で見かけるのだけれども、何にも言わないしちょっと怖いわ、だなんて堂々としたヒソヒソ話を繰り返す彼女たちを見て、私はなるほどと頷いた。

(確かにちょっと、怖い感じの人だった)

目つきはあんまりよくなかった気がする。優しげな顔もしてくれない。ポーチの中には、あのとき彼が拾ってくれたハンカチが入っていたけれど、捨ててしまおうかな、と考えた。けれどもやっぱりやめておいた。捨てるも捨てないも、どっちでもいいような、そんな気がしていたのだ。



フィリップ・グレイは確かによく城にいた。
がっちりとした鎧と兜で眼前を覆っていたから、顔を見ることはできなかったのだけれど、なんとなくフィリップなような気がした。ぼんやりと、手持ち無沙汰につったっている。どうにも周りとは相性がよくなさそうで、暇で暇で仕方がない。なんとなく、その仕草から彼が考えていることがわかるような気がした。

私はフィリップが怖かった。だから毎回彼を避けるように歩いていた。お城のお姫様たちも、きっとみんな似たようなものだと思う。けれども、それが失敗してしまうときも中にはある。

ひょい、と曲がり角を曲がったとき、従騎士がいた。きっとフィリップだ。そう思った。反対を向いて、ぐるりと逃げ出してしまいたいのに、視界を覆う兜のせいで、彼がどこを向いているのかわからない。もしかすると、こっちを見ているのかもしれない。私はどくんちょと心臓を抑えこんで、そろそろと足を伸ばした。彼の前を通ろうとした。へっぴり腰になった。すっころんだ。ぺちょんっ、と廊下に嫌な音が響いた。


私はしばらく、倒れこんだ体勢のまま固まっていたのだけれど、フィリップの方は、さすがにそうはいかなかったらしい。がちゃん、がちゃんと鉄の鎧を揺らす音をして、「お嬢様、お怪我をなさいませんでしたか」 やる気のない声色だった。ぱぱっ、と廊下に突っ伏しながら、顔が真っ赤になったような気がした。声をきいてみると、やっぱりフィリップだった。


フィリップはこちらに手を伸ばしていた。これにひょい、と優雅に手をのせ、立ち上がり、スカートの皺を直して、ありがとうございます、とスカートをかがめる。どれだけ恥ずかしかろうと、痛かろうと、へっちゃらな顔をして、見苦しい姿を見せるにわけにはいかない。頭の中ではそうわかっていたのに、スカートの皺を直そうとした辺りで、二回こけた。スカートの裾が長すぎるのだ。殿方に足元を見せるわけにはいかないだなんて、なんて厳しいルールなんだ。涙目になった。

「見ないでください……」

鳴き声をつぶやいてみた。「はあ」 ぼんやりとした声だった。今度はフィリップの手をかりずに、私はバタバタと疾走した。逃げ足だけには自信があった。「妙にはえーな……」 だから、ぽそりと呟いたフィリップの台詞なんて、聞こえやしなかったのだ。


それから、フィリップを見ると、少しだけ嫌な思いをした。嫌というか、自分の失態を思い返して、さぞこの人は私のことを笑っている、もしくは呆れているに違いない、と思ったからだ。フィリップはよく城にいる。重たそうな鎧をきて、ぼうっと回廊に立ちながら、ひらひら蝶々が舞う中庭を見つめている。

フィリップからは、絶対に私に声をかけない。それが従騎士のルールだ。私はフィリップよりも、ずっと立場も、位も上で、もしかしたら私が男で、もっともっと早くに生まれていれば、王様になっていたかもしれなかった。そう考えたら、なんとなく心が大きくなっていた。むん、と前を向いて、フィリップなんて知らないぞ、とずんずん足を踏み出す。スカートを踏んだ。つんのめった。フィリップは相変わらず目線もわからないような兜で前を向いていた。赤面した。


頭を落として自分の影を見つめたまま、呟いた。「あの」
がちゃん、とフィリップが身動ぎするみたいに鎧を動かした。やっぱり怖い。「この間のことは、誰にも言わないでいただけると」 できるなら、今のことも。「はい」 ちゃんとした返事だった。「そもそも、言う相手もいませんし」


フィリップ・グレイは口が硬い。


本当にそうなのか、嘘なのか、お城から出ない私にはわからない。ときどき、私はフィリップに話し変えた。あいかわらず怖かった。騎士のような装飾は少ないのに、どこか鎧は威圧的で、話すときにはお尻のあたりに手のひらを回して、きゅっと拳を握らなければ、またすっ転んでしまいそうだった。

「フィリップ、その鎧、重くない?」
「重いです」
「兜、よく前が見えなくない?」
「見えません」
「いつもその格好なの?」
「違います」
「だったらなんで?」
「これが正式な格好ですので、この場にいるうちは着脱を許されません」

フィリップの騎士は、よく城に顔を出しているらしい。だからそのおつきのフィリップもやってくる。でもフィリップはあまりお城が好きじゃない。だから必要があるとき以外は、こうして蝶々を眺めている。「それ、とったら?」 ちょんちょん、と自分の鼻のあたりを指さして、私はフィリップに言ってみた。(あ、困った) 顔なんて見えない。でもなんとなくそう思った。「命令です」 フィリップはのろのろと腕を上げた。かしゃん、と兜の前がなくなった。

やっぱり、そばかすだらけの顔だった。それからちょっと目つきが悪かった。吹き出した。「なん……っすか」 それだけだった。
別に全然、怖くなんてなかった。フィリップはちょっとだけ顔を赤くして、すぐにかしゃんと兜を下ろした。彼は外周出で、貴族じゃない。外周出の従騎士は、フィリップが初めてで、先陣だった。フィリップがいるから、新しい外周出がやってくる。外周の従騎士候補生たちは、フィリップを崇めている。希望の星だ。そう言っている。

耳をすませば、彼らの声はよく聞こえた。きっと今まで私は知らないふりばかりを繰り返していたのだ。「様は、足が速いんですね」「よく言われます」と口元に手を当てて、誇るべきか、恥ずかしがるべきかを判断しかねて、ちょっとだけ耳が熱くなった。「速いっつーか、チキンなのかな」「チキン?」 あ、とフィリップは赤くなった。それから慌てて片手を揺らした。

「スラング?」
「いえ」
「スラングなのね、初めて聞いた」
びっくりした、と目を丸めてみると、ぽりぽり、とフィリップは居づらいような顔をして、ほっぺたをひっかいた。フィリップといると、いろいろ知らないことを知る。



バルコニーからひょいと体を乗り出した。(ずっと、このお城にいるのに) なんで目にもくれていなかったんだろう。あんまりにも当たり前の光景だったからだろうか。従騎士達の演習を、私はじっと見下ろした。銀色の鎧が、きらきらと光って、軍旗がはためく。(フィリップ、いるかな) いるかもしれない。自身の騎士についているとき以外は、王城で合同訓練を行なっている。そう彼は言っていた。従騎士がいる場所と、私がいる場所とでは、厳密に言うと同じ王城とは言え、全然違う。だから普段は彼らに会わない。(あ) いた。フィリップだ。


フィリップは、いつもの重苦しそうな鎧を脱いで、軽装だった。それでも、軽い鎧をつけていたけれど、顔が見えるそれは全然違う。鎧は好きか、ときいたときに、全然、と彼は答えた。でも、俺にはこれが必要だ。

フィリップは、誰かに指示をとばしていた。でもすぐに違う誰かにどやされた。はいっ! と勢い良く返事をした。たぶんそうだ。舞いあがる砂埃の中で、きらきらとフィリップは輝いてた。私はぼんやりと太陽の下で丸々みたいにバルコニーにもたれた。


フィリップを見つけることが楽しかった。フィリップはいつも同じ場所にいるわけじゃない。転々と場所を変えて、やっぱり中庭を見つめている。人からは目立たない場所に立って、ぴくりともしない。と、思えばあくびみたいな仕草をこっそりとしている。「フィリップ!」と私はこそこそフィリップに近づいた。フィリップは、いつもみたいに兜を上げた。こんにちは、と挨拶をしあって、どうでもいい話をした。「全く嫌になっちゃうわ」 女の人の声が聞こえたけれども、これは私の声じゃない。

私とフィリップは、そっとお互い瞳を合わせた。それから一緒に口をつぐんだ。「あの外周出。あんな人がいたら、従騎士候補生が、いつかは外周で埋まってしまうわ!」 信じられませんわ、なんであんな人を認めたのでしょう。夫となる騎士の従騎士が、外周出なんてなったらどうしましょう。きっと言葉も通じないわ。粗雑な態度に仕草で、きっと見ていてゾクゾクするんでしょうね。


どうでもいいうわさ話だ。お姫様達は、お菓子を摘むみたいに簡単に言葉を落として、ひなたぼっこに消えていく。しんとした。「フィリップ」 呟いた声は、妙に枯れていた。「ごめんなさい」 ぎゅっとドレスの裾を握った。フィリップはあくびをして、目尻の涙を片手で拭った。「別にどうでもいいですよ。ほんとのことだし」 アカデミーから言われ慣れているし、と呟いたあたりで、フィリップはほんの少し言葉を止めた。違う。違うのだ。


「ハンカチを」
捨ててしまおうとした。

     フィリップ・グレイにハンカチを拾ってもらった? あらいやあね、そんなのもう捨てちゃいなさいな。
そんな言葉にええそうね、と頷いて、簡単に捨てようとした。「拾ってもらったのに」 ちゃんとお礼も言っていない。私だって、ほんとはみんなと一緒なのだ。フィリップは瞬いた。それからまたポリポリとほっぺをひっかいた。「言ったでしょ」 俺、覚えてますけど、とどうでも良さげにつぶやかれた言葉をきいた。

様は、俺にきちんと礼を言ったよ」

それは絶対に確かだ。
そう言われた言葉に、ぼろりと涙が出た。



   ***



悲しかった。
自分が悲しかった。そんなの言葉だけで、心なんてちっともこもっていなかった。一番初めにもどって、ハンカチを拾ってくれたフィリップに、ありがとう、ときちんと面と向かって頭を下げたかった。でももう遅い。私はパタパタと逃げて、今だって逃げてしまった。足が速い。よく言われる。チキンなのだ。フィリップはそう言った。

自分の部屋でえんえん泣いた。夕ごはんも入りません、と鼻をすすって、体調が悪いんです、と嘘をついた。フィリップに拾ってもらったハンカチはテーブルの上においてある。申し訳なかった。こつんっ、と窓に何かが投げつけられた。

気のせいだろうか。それとも、夜目に慣れない鳥が、窓に体をぶつけたのかもしれない。こつん、とまたぶつかった。石だ。フィリップは、投げナイフが得意だ。石だって器用に投げてみせる。そう言っていたことを思い出して、慌てて窓をあげると、もう一度石を振りかぶってなげようとしていたフィリップと目が会った。「フィリッ」「シーッ!」 ちょんちょん、と口元に人差し指を置いた彼の意図にはすぐ気づいた。

貴族の令嬢の深夜の部屋に、婚約者でもなんでもない男が訪れる。それは他のお姫様方にとって、楽しいことこの上ないスキャンダルになりそうだ。私はあわあわと口を押さえている間に、フィリップは器用に壁に生える蔦を登って、ひょいとベランダにやってきた。「フィリップ!」 今度は声を抑えて叫んだ。フィリップはいひひ、とイタズラが成功した子どもみたいに笑っていた。

私よりもずっと高い背でフィリップは見下ろして、「様、すっげえ速いし」 あんなのおいつけねーよ、と呆れるみたいに笑うフィリップを見ると、ひどく恥ずかしくて顔を伏せた。「ではなく、フィリップ、なんで私の部屋を知ってるの!」「前に自分で言ってたろ。ベランダから見える噴水が綺麗な場所だって」 確かに言った。言ったけれども、「か、壁をのぼってくるだなんて」 常識はずれだ。信じられない。

フィリップはうんうん頷いた。「俺も最初はすっげえ思った」 もしかすると、やっぱりフィリップと私はまったく違う言語を使っているのかもしれない。受け答えが、激しくおかしい。「馬鹿とつるんでたら、自分も馬鹿になるって知ってるか?」 私は困って口元をへの字にした。

「俺なんてまだマシな方だ。知り合いの馬鹿は何もない壁にへばりつくことができる」
「に、ニンジャ……?」
「も、いる」

適当に言ったのに、まさかの正解だった。とにかく、そんなことはどうでもいい。「なんできたの」 とにかく必死に困り果てたような声を出した。フィリップは腕を組んで、じろりと私を見下ろした。目つきが悪くて、最初みたいにびくりとはねた。「ボロ泣きしてるやつをほっとけねえだろ」「ぼ、ぼろなき……」 今またはじめて聞く言葉を聞いたような気がする。とりあえずニュアンスだけ伝わった。

「してません」
「いいやしてた」
「してないったら」
「鼻水出てるぞ」
「出してませんっ!」
「……いや今鼻すすっただろ」

ほれティッシュ、と渡されたそれを、片手で握った。じっとそれを見つめている私を見て、フィリップは、「あ」と申し訳な下げに頭をかいた。それからすぐに私の手からそれをひったくろうとした。そうなる前に、私はぶーん! と鼻をかんでやった。すっきりした。ゴミはちゃんとゴミ箱にポイである。フィリップが呆れたような顔をしていたけれども、いいのだ。私は決めたのだ。「フィリップ、あんな人達、チキンなんです!」 生まれてはじめて、スラングを叫んでみた。「あんなチキンな人たちが言うことなんで、フィリップは全然気にしなくってもいいの!」

無言だった。
はたはたと、夜空の向こう側でカーテンが揺れた。ぎゅっと拳を握ったとき、フィリップは笑った。静かにしないと、と自分で言ったくせにゲラゲラと大声で笑って、慌てて口元を押さえた。「様、それ意味ちがってますよ」「え?」「チキンってのは、臆病者っつー意味」 彼の言葉の意味をやっとこさ理解したとき、私はひどく赤面した。それからちょっと小さくなった。全然、違う意味だと思っていた。

フィリップは言った。「様、俺なんかのマネなんてしなくていいよ」 一瞬、否定の言葉かと思った。でも違った。
「あんたにはあんたの世界があるし、俺には俺の世界がある。生まれた場所は、後からどうあがいても変わんねぇんだ。俺は外周生まれで、貴族でもなんでもない、元はアカデミーの奨学生のフィリップ・グレイで、ただのフィルだ」

この事実は、どう変えたって変わんないよ、とにかにかとフィリップは笑った。どこか嬉しげだった。「でもまあ、昔はそうじゃなかったけど、今じゃあんたたちの言葉の意味も半分くらいはわかる。相変わらず、敬語は下手くそだけどさ、うまくなる。俺はもう従騎士だから」

ぶつくさ言ってるガキじゃない、と笑うフィリップを見ると、どこか悲しくなった。フィリップは夜空の下で困った顔をして、ちょんと私の手をひいた。「あんたはあんたでいいんだ」 何が悪いわけでもねぇんだよ、という彼の言葉の意味は、きっと半分もわかっていない。ぽろぽろと涙が出た。フィリップは、私が私のままでいいと言う。彼と仲良くなりたかった。だから、彼と同じになろうとおもった。でも、そんな必要はないのだと笑っている。それが少し悲しかった。フィリップが悲しくて仕方がなかった。

フィリップが、また慌てて私の手を握った。あわあわ両手を握って、騎士みたいにバルコニーに片膝をついて私を見上げた。ぽたぽたと足元に涙の粒がこぼれていた。「フィリップは」 胸の中でぐるぐると回る言葉を、少しずつ表に出した。「自分が下だって言ってる」 そのことが、ずっと変わらないと言っている。
パッとフィリップは瞬いた。そんな彼の顔を見ていると、泣いている自分が情けなくって、ぐっとほっぺたを引き寄せるような顔をして、泣いたり、喉を震わせたりするのを我慢した。そのかわり、ぎゅっと彼の手を握った。「心配してんの?」 わからない。そうかもしれない。「問題ねえよ」 ひどく、嬉しげな声だった。

「昔からよくあることだ。アカデミーでも、外周生まれだって馬鹿にされた。ちょっとくらいはむかついてたけどさあ、半分以上どうでもいいって思ってたんだよな。そしたら知り合いの馬鹿に」

ぴたりとフィリップは言葉を止めた。馬鹿。さっきも聞いた言葉だ。同じ人なのだろうか。「見下されるのになんか慣れるなって言われてな。最初はすっげぇ恥ずかしいやつだって思ったし、意味もわかんなかったけど」 ちらり、と一つ、星が流れた。

「大丈夫、今は結構、むかつくようになった。やっぱり全然慣れねえよ!」

フィリップは、私の腕をひっぱって、ぐしゃりと頭を撫でた。






あれからも、フィルと私は、こっそりとした友情を続けている。ときどき隠れるように会って、知らないスラングを聞いて、問いかけると、彼は顔を真っ赤にしながら片手を振った。思わずうっかり出てしまうときがあるらしい。
あるとき、見覚えのある貴族とフィルが会話をしているのを見かけた。ものすごく横に大きくなったり、気づけばすらりと細かったりと、紳士的であるけれども、彼をどう判断したらいいかわからない、だなんてあの貴族のお姫様方を困惑の渦に巻き込むことができるのは、彼くらいなものである。「ティ・ティさん!?」「ああ、

久しぶりだね、とふくよかな手のひらをひらひらさせる彼に、フィルはきょとんと瞬いた。「ティ・ティ……様、……様と知り合い……なんですか?」 随分とってつけたような敬称と敬語である。別にいいけど。パチパチ、とティ・ティさんは大きな顔の中の、可愛らしいつぶらな瞳を瞬かせて、「そりゃそうさ」と頷いた。「僕ら、親戚だもの」 ちょっと遠めではあるけれど。

そういえば、私はきちんとフィルに自己紹介もしていなかった。「フィル、いい? ちゃんと覚えるのよ、私の名前はね」と自分でもちょっと言いづらい、長ったらしい苗字と愛称を口にすると、フィルはぽかんと口を大きくさせていた。一体、フィルはどう言うんだろう。ときどきうっかりなくなってしまう敬語がなくなって、とってつてたみたいな敬称もなくなって、尊敬するみたいに名前を呼びかけてくるのだろうか。ううむ、と私は彼を見上げた。彼はやっぱり信じられないものを見るように私を見下ろした。

、お前の名前、そんなに長かったのかよ」

めちゃくちゃ言いづらくねえ!? と飛び出た感想に、ぶふっとまずティ・ティさんが吹き出した。遅れて、私も顔を伏せて頑張って息をとどめた。げほげほ、と咳を繰り返している間、フィルはひどく顔を赤面させて、「な、なんだよ……」と唇をアヒルみたいに尖らしている。「そんなに俺、変なこと言ったかよ?」「ううん」 ふるふる、と首を振った。


「実は、私もずっと、そう思ってた!」


2013/03/26
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