広がる緑の中にぽつりと混じるピンク色の果汁を見つけ、思わず微笑んでしまったとき、カサカサとその中をはい回る物体を見つけてしまった。





「こーらー師叔!」
「むむっ! 見つかってしまったか」
「見つかってしまったかじゃありません! さっさとそこから降りてきなさーい!」

崑崙山、元始天尊様の一番弟子であるはずの彼は、今はどこかのゴキGよろしくカサカサと動き、ついでに腕の中にたくさんの桃を抱えて、意地汚く枝にはっついている姿は、本当に何を考えているんだと頭が痛くなりそうだ。
もう一度私は「さっさと降りてきなさい!」と叫ぶと、彼はウサギの耳のような帽子をぴろぴろと動かして、やっぱり桃を抱えたまま「は冷たいのう」と呟きながら、軽い動きでストンと地面に飛び降りた。
その腕には、やっぱりとたくさんの桃を抱えている。

「あのですね、欲しいんならちゃんと私にいってくだされば、差し上げますと何度いったら分かるんですか」
「頂くのではなくこっそり頂戴する。このすばらしさが分からんとは」

ふうう、と頭をふるふると振る彼が無性に苛ついて仕方がない。太公望師叔は、いつまで経ってもおちゃらけが直らないのは、いかがな事だろう。
まだ若い道士だとは分かっていても、コメカミがぴくぴくと引きつるし、手に握りしめたジョウロの中身がちゃぽんと揺れて大変な事になってしまいそうだ。


「師叔、桃をもぎ取る場所は、きちんと決まっているのです。ただ闇雲に盗られては、困ってしまうではありませんか」
「それじゃあわしがその場所を覚えたらいいのかの」
「そういう問題じゃありません。いいですか師叔。私はあなたが生まれる以前から、ずっと桃を育てているのですよ」
「はんっ」

鼻で笑うその仕草に、とうとうぷちんと来てしまったのか、手に持つジョウロの中身がばしゃあ! と溢れその先からはピンク色の水が吹き出た。溢れたピンクの水を囲むようにしゅるしゅると茶色の木がどこからともなく現れて、ずんずんと大きくなる。驚いたように、ぽろぽろと師叔の腕の中から桃が零れ、慌てたように叫ぶ。「やめい! その宝貝をしずめんか!」「あ、うわ、わ!」


ざわざわと揺れる桃の葉がピンクの光を包み込むように小さく小さく変えていき、足下の土がその不可思議な液体を吸い上げる。ほう、とついたため息に、師叔は呆れた顔で、「まったく、未だに宝貝を使いこなせんとは。生まれる前が聞いて呆れるのう」もう一度、鼻で笑われた。

それはまったくもってな事だけれども、修行もせずに遊び回っている師叔に一番いわれたくない台詞だ。

「今から剪定をしますんで、どっか行ってください」
「わしも手伝ってやろうか」
「結構です。師叔には分かりません」


だてに、ずっとこの木々と向かい合っていた訳じゃないのだ。なんとなく聞こえるような声に、どの枝が古いのか、重いのか、どの桃が虫に食われてしまっているのか、それが分かるのは私だけだ。
さっさと邪魔な人はどっかいってください、としっしと左手で追い払うポーズをすると、ううん、と唸った後、地面へと零してしまった桃を、彼は拾い上げた。


「おぬしはいつ来ても、ここにおるのう」
「元始天尊様から、桃園の世話を任されておりますから」
「仙人のくせに、弟子もおらん」
「弟子を世話する時間はありません」
「暇そうだのう」
「ひ、暇じゃないっていってるでしょー!?」


ケケケ、とお世辞にも格好いいとはいえない笑い方で、彼はくるくると回りながら追いかける私に背を向けて、サカサカと逃げる。
やっぱこいつゴキGだ! と思ったけれど、若い子のテンションにはぶっちゃけついていけない。ハッ、と軽く肩で息をついている私を見て、「スタミナ不足だのー」とケタケタ笑う彼は、道士というよりも、悪魔の方が似合ってるんじゃないだろうか。

「余計なお世話です!」
「今度、わしの友人を連れて来てやろうではないか! は、いっつも暇そうにしておるからなー!」
「暇じゃないっつーのー!」


どんどん小さくなる彼の背中に、とうとう地面に手をついて、ぽたぽた流れる汗を、腕でぬぐった。「………暇じゃないっつーの…」
彼がやって来る事で、ほんの少し明るくなる自分の気持ちを認めたくはないが、ほんの少し、誰かと話をしたいと考えていた私の気持ちを、(………見抜かれているような、気がする)

「師匠、仙人付き合い、難しいです」と呟いた私の声は、さわさわ揺れる桃の葉のささやきに、吸い込まれてしまった。



2008.08.10
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