私は一人の少年を、ストーキングしている。




いやいや、別に本当にストーカーしてる訳じゃない。ただただちょっとだけその少年の事が気になって、こっそりのそのそ後をつけ、じいっと見詰めているだけだ。同じ中学校小学校だったもので、あんまりにも彼が気になりすぎて、彼が目指しているという偏差値だけはバカ高い高校へと汗水垂らしながら勉強し、とうとう入学してしまい、学校でもじいっと見詰めてるとか、それだけだ。

いやそれもう十分じゃん! とか突っ込まれてもしょうがない事は理解している。おバカではあるが、大バカではないと、私は自分自身の事をそう自負していた。
けれどもしょうがない、だって私は、彼の事が気になるのだ。
なんだか見てるとドキドキと心臓が痛くなって、もう勘弁してくれと叫びたくなるのに、それでも私は彼を見詰めていた。
あのちょっとだっさいメガネとか、何で外バネしてんのとか突っ込みたくなる髪の毛とか、ちょっとさんあの人の何処がいいんですかホワーイ!? とか友人に突っ込まれるフェイスを見ているだけで、なんでだか幸せになってしまうのだよ!

人は多分、これを恋という。


自覚した瞬間、一体何年越しのストーカーを(敢えて片想いとかいわないって事で!)していたんだと私は頭を抱えてしまった。なきたい。寧ろなく。ドキドキして泣く!

何回かは同じクラスになった事があるというもの、いつも私がドキドキして、泣きそうな顔になってしまうものなのだから、あの何考えてるのか分からないちゃらんぽらん(に、見える)メガネ男には、「ププププププププリント先生が早くももももも持って来いっていってましたよ!」と自分でもあり得ない程ガチガチ歯が震えて、死ぬ気で逃げるという事しか毎回できない。
きっとメガネくんは、「あの人ってなんで毎回ガタガタ震えてて、なんだか妙な人間だなぁ」とか思われてるに違いない。想像するだけで泣けてくるけど、まともに話す事が出来るなら、こんな苦労していない。こんな一定の距離を開けてじぃっと彼を背後から見詰めるだなんてストーカー行為してません!


彼の名前は、村田健といった。(くっそ平凡だ!)(でもだめだときめく!)


そしてその噂の村田くんは、未曾有の窮地に陥っている。

「だからサァ、オナチューのよしみで金貸してくれっていってんじゃん」
「おぼっちゃま学校に通ってンだから、お小遣いいっぱいもらってんだろー?」

ガラの悪い不良少年ABは、どっかで見た事があるような、ごめん私村田くん以外の男子に興味がなかったから名前も覚えていないけど、オナチューって事はまぁそういう事なんだろう。
人生で初めて見ちゃったぜ家政婦状態カツアゲ現場の被害者が、自分の好きな人だなんて本気で泣ける。

村田くんは公衆便所の壁にべったりと背を付ける形で、めんどくさそうに首横をポリポリとひっかいていた。そんな一見すれば余裕シャクシャクなんだぜ! とでもいいたげに見える雰囲気に、「む、村田くんかっこいい!」と叫ぶ純粋さは、残念ながら私にはない。

確かにめんどくさいだけだろうけど、村田健という少年は、決して運動が得意な少年ではなく(体育の時間もバッチリなストーカーにまかせてくれ!)
どちらかというと、こんな争いごとも不得意な村田くんの脳内は、「めんどくさいなぁ、別にカツアゲされてもいいけどそれもなんか癪だしなぁ。こいつら鬱陶しいなぁ」なんて感じだろう。


そんな風にぼけっと村田くん観察をしている間に、不良ABのテンションは激しくヒートアップしてしまっている。オラ聞いてんのか! 金出せ金! かーね! かーね!
時々ちらつかける拳が、ぶっそうな事この上ない。

(………ど、どうし、よう)


止めに行くべきなんだろう。
「やめなよあんた達!」と叫んで、格好良く村田くんの前で両手を広げながらABを睨み付け、「うわぁありがとう!」と私に感謝の意を示し、「なんだこの人かっこいいぞドキドキ」なんて思ってくれる村田くんが脳内再生されていたけれど、私にはそうんな度胸はなかった。その上そんな実力もなかった。
さしずめ飛び出したところで、「なんだこのボケ!」とAにぼこんと殴られてあっけなくばたんきゅうとなってしまうに違いない。
そんな痛い思いをするくらいなら、始めっから飛び出さない方がマシだし、もっと事態がややこしくなる事もあると思う。

(………と、いう言い訳を探してるんだな、これが)
ぶっちゃけこの場から死ぬ気で逃亡したい。けれども好きな人がよく分からない人間にからまれて、たぶん、困ってる。
どうしよう、どうしよう。
隠れる事が常となってしまっている所為で、丁度都合のいい、大きめな木に隠れながら、ビクビクと様子をうかがう自分が、もの凄く、いやだ。
(けど)

どうしろっていうんだ、私に。ぎゅ、と唇を噛みしめて、よし、逃げよう、誰も私が逃げた事なんて、分からない、と足下に力を入れた瞬間、声が聞こえた。

「お前等そこで何やってんのぉ? もしかして集団で違法行為とかはたらいてる?」

キキキ! と景気よく自転車のブレーキを踏む音が聞こえて、私は耳を疑った。
そしてそれは中学校時代一度だけ同じクラスだった、渋谷有利という少年だったからだ。







渋谷有利はただいま不良に絡まれていた。助けたはずの村田くんは、予想外の猛ダッシュに、私は思わず目をパチパチとしてしまったのは、彼が逃げてしまう事が意外だったのではない。そんなの予想の範疇内だ。何年ストーカーしてると思ってる(うん、自慢にもならない)

ただ私が意外だったところは、村田健が渋谷有利を放ってしまったからだ。
私のクラスに村田渋谷の二人がそろったのはたった一回だけ、中学三年生のときだ。その頃には、もうこれは恋だ! と気づいていた私は、じいっと村田くんを観察していて、その村田くんの視線の先だって知っていた。
それはなんと渋谷くんだったのだ。

私は渋谷くんと村田くんに、共通点なんて見いだせない。どちらかというと、正反対な性質な彼らは、友達でもなんでもなく、ただのクラスメートで、なんで村田くんが、延々と渋谷くんを見詰めているのかまったくもって理解ができなかった。ただただ、私と同じ理由ではない事を祈るだけだ。
そんな村田くんが、渋谷くんを見捨ててしまったのだ。驚きたくもなる。


二人がかりで詰め寄られた彼は、村田くんと違ってしっかりと二人の相手をしていて(といっても売り言葉買い言葉なだけなような気がするけど)もし殴り合いのケンカになっても、あんまり問題ないような気がする。運動神経は悪くなさそうだ。

私は木の幹にひっついたまま、延々と足踏みをしていた。どうしよう、逃げてもいいのだろうか。村田くんは逃げた。彼は私よりもずっと賢くて、きっとそれは正しい選択なのだと思う。
(どうしよう)
二度目の色んな意味の決断の時は刻々と過ぎていって、「ううう」と私が呻いても、可愛らしい小学生達のキャッキャという笑い声にかき消されるだけだ。
(にげ、よう)

そうだ、さっきもそう思ったじゃないか。なんの間違いもない、村田くんだって逃げた。私が逃げたって、何の問題もない。
だから、

ぐっ、と足に力を入れて、また渋谷くんたちを見詰めた。彼は、助けに来たのだ。多勢に無勢な状況に、「おかしいぞ!」と叫んだのだ。

「………かっこいいけどさ」

私は、本当は渋谷くんなんて好きじゃない。なんだかちょっと熱血だし、私でも知ってるくらい、学校で有名な野球バカだし、文字通りバカだし、なにより、村田くんに見られてるくせに気づかないだなんて、本当に腹が立つ。逆恨みだなんて分かっているけど、むかつくものはしょうがないのだ。
けれど、彼は、ちょっとかっこよかった。


「おい待て……テメ……っ!」

聞こえた彼の悲鳴に、すっかりと足下へ視線を落としていたらしい私はぐいっと顔を上げて、ずるずると公衆トイレの中へと連れ込まれる彼に、思わず息を飲んだ。
しっかりと婦人用マークがついている方向へと連れられる彼らに、えええ、と目が一瞬点になってしまったけれど、ごくりと唾を飲んで、「そうだ、私、丁度いま、トイレしたいんだ、そんだけなんだ!」

叫んだ、踏み出した、手を握りしめた。


ずんずんと進んで、トイレの前で深呼吸をして、ドキドキとなる心臓に手を置いて、力一杯叫ぶ準備をする。ふう、ふうと肩が上下に動いていて、ぶるぶる力一杯体が震えるのは、武者震いじゃない。ただビビッてるだけだ。
思いっきり息を吸って、トイレの中で、大声で、

「だ、男性トイレはあちらですっ、ででで出て行ってくだ」
「「うわああああああ!!!!!」」

響いた彼らの声は、個室からで、渋谷が便所の中に吸い込まれた! と意味の分からない台詞を吐きながら入り口に立ちすくむ私を突き飛ばして村田くんよろしく一目散で、必死の形相のまま逃げ出した。
突き飛ばされてしまった私は、ちょっと汚いけど、お尻と手のひらをトイレの床にべったりとつけてしまっていて、急いで立ち上がり、ポケットの中に突っ込んでいたハンカチで手のひらを軽くぬぐって、ただ一つ、ドアが開いたままの、一番遠い個室へと、声を掛けた「し、渋谷くん……?」

不良達が飛び出した振動で、ぎい、ぎい、と微かにドアが揺れる。
「し、渋谷くん、いるよね?」

何故だろうか、本当にそこに渋谷くんがいるのは、もの凄く不安になってしまって、さっき不良に向かっていく覚悟で、心臓が割れる程に響いていた振動が、さっきよりも、もっともっと激しく震える。
(いるよ、だって、ここに連れ込まれてたもん)

勢いよく、息を吸い込んで、扉の中をのぞいた。まるで誰もない、いいや本当に誰もいない空間に、「ひっ」と口から悲鳴が漏れて、不良達の、渋谷が便器の中に吸い込まれた! という言葉を思い出した。まさか、そんな訳ないよと蓋が上がった、ちょっと汚い便器に視線を投げて、また戻す。いない。

トイレの外へと駆けだして、「渋谷くん!」と自分でもビックリなくらいの声で叫んでも、何の返事もない。「渋谷有利くん!」
どこにいるんだろう、渋谷くんは、運動が得意そうだから、どこかへと逃げてしまったのだろうか。(便器の中に吸い込まれた!)
さっきの台詞を思い出して、ぶんぶんと力一杯頭を振る。そんな訳ない、そんな事あるはずない。

もう一度叫ぼう、と夕暮れ色に染まりかけた空へと向かって、力一杯駆け出しながら、大きな大きな声で、どすん!


誰かに力一杯つっこんでしまったらしい。「いてぇ」と響く声に、ごめんなさい! と顔を上げると、メガネに外バネ黒髪、友人に、どこがいいのと訊かれるような、

?」

私の名前知ってくれてるんだと感動することも出来ずに、がっ、と彼の服をひっぱって、出来ている身長差を小さくしようとして、大声で「渋谷くんが女子トイレに連れ込まれて!」 いなくなっちゃったの。

そこまでいうつもりだった。けれども、トイレに連れ込まれて! の台詞で、彼は目を白黒させながらも、後ろの警官のお兄さんに、「こっちです!」と声を掛けながら、「よし!」と私の肩を、強く叩く。


(いないんだよ)

ただ呆然として、足下に長く黒い影を作る事しかできなかった私は、彼ら二人組が、トイレの中へと急いで入っていく姿を、ただ眺めていた。(いないんだ)

(みつから、ないよ)

そう小さく小さく呟いたとき、「渋谷、大丈夫か!」と聞こえた、まるで渋谷くんがそこにいるかのような、公園中に大きく響き渡る村田くんの声が聞こえた。
まさか、と半信半疑でトイレの中へと駆け込むと、狭い個室の中で便器を背中にした、なんとも苦しそうな体勢をした渋谷くんに、村田くんが何度も声を掛けている。

私は思わず口をぱっくりと開けて、ただの自分の勘違いにもの凄く、恥ずかしい気持ちになった。








私はやっとこさ目が覚めた渋谷くんと一緒に帰る事になった。警察官と彼らが話をしているとき、なんとなく帰りそびれて、すっかりと暗くなってしまった道に、「俺送るよ」と渋谷くんが名乗り出た。
ほんのちょっと、渋谷くんかよ、村田くんじゃないのかよ! と思ったけれど、残念な事に私と村田くんの家の方向は正反対だ。これは流石にストーキングした訳じゃないけれど、帰りの道くらい、なんとなく分かる。


カラカラとタイヤを回る音を出しながら、渋谷くんは自転車を転がしていた。その隣を、私はなるべく早歩きで頑張っている。
渋谷くんは、私の顔をじいっと見て、「えーと、」と何度も言葉を濁している事から、あ、私の事わかんないのか、とすぐに分かった。

です。中三のとき、一緒だった」
「あー! あー、あー……?」
「あ、や、覚えてないなら無理にリアクションしなくても」

うん、覚えてない、ごめんな、とすっぱりいいきってしまう彼にはほんの少し好感が持てたけど、やっぱりぐちょぐちょになっている学ランに、もの凄く泣きたいような気分になってしまった。
だって、私が村田くんみたいにさっさと警官でも何でも呼びに行っていたら、彼がこんな格好になる必要も、まったくなかったのだ。
そんな私の、恥ずかしいを通り越して死にたくなるような気持ちに気づかず、ひどくあっけらかんと、渋谷くんは口を開いた。


「それで、あー、よく分かんないけど、君も俺の事心配してくれてたんだって? ありがとう」

ありがとうじゃないよ、私まったくもって何もしてないよ。行動したのは渋谷くんと村田くんで、私はぐちゃぐちゃと妙な事をしていただけで、ぐ、と思わず喉の奥が何かにつっかえたような、あと一歩で涙が溢れてしまいそうな状況になってしまっているけど、それを頑張って飲み込んだ。
渋谷くんの前で大泣きしても、彼はきっと困ってなんなんだコイツ、と思うだけだと思う。

「ち、ちがい、ます。私、ずっと見てて」
「見てて?」
「村田くんが、カツアゲされそうになったのも、見てて、恐くて、見てるだけで、それだけで」
「しょうがないって。女の子だろ?」
「しょ、しょうがなく、ないです!」

ほんの少し、声が裏返ってしまったけれど、思いっきり叫んだ。彼にあたるのは八つ当たりの他ない事は知っていたけれど、村田くんに気に掛けられてるくせに何故だか飄々としていて、なんでも上手くこなしてしまいそうで、私なんかより、ずっとずっと、みんなの中心に立っている彼が、もの凄く、羨ましくて、きらいだ。だいきらいだ。

ぼとっ、と道へと一粒落ちてしまった小さな水たまりを、これ以上たくさん流さないように、と服の袖で力一杯ぬぐった。ごしごしと顔が痛くなるくらいぬぐっても、軽く震える喉が止まらない。
そんな私に気づいていないのか、渋谷くんは、ううん、と頭をひねっていて、そうだなぁ、と言葉を出した。

「俺もさ、最初はまぁほら、逃げちまえめんどくせー! って思ってたって。でもさぁ、村田とバッチリ目があっちまってさ、あーこりゃ逃げらんねーなーってなっちゃっただけで。だからなんつーの? がそういうの気にする必要もないっつーか、分かるコレ? ………ってお前なに泣いてんの、ちょ、俺なんかアレな事した!? うわごめん!」
「ううう、し、渋谷くんの、ばかぁ」
「え、なんでそうなっちゃうワケ!」

ぼろぼろぼろと止まらない涙が本当に恥ずかしい。誰かに見られてしまっている事が恥ずかしかったし、それ以上に、きっといい人に違いない渋谷くんに、うっすらとそれが分かってるのに、延々と腹を立てている自分が、もの凄く恥ずかしい。
なんで渋谷くんは、こんな中途半端にいい人なんだろう。もっとイヤな人だったら、「ちくしょう村田くんの視線に気づけバーカ!」と心の中で悪者にしてやるのに、渋谷くんは、ちょっとおとぼけている、普通の男の子だ。

「し、渋谷くんの、あんぽんたん……」
「………俺アンパンマンの方が好きなんだけどぉー」
「わたし、ずっと、村田くんの事見てて、それで村田くんは渋谷くんを」
「マジで!? 村田の事好きなの!」
「なんでそんな中途半端に鋭いんだこのバカー!」


おっどろいた! と文章をそのまま顔に表したような表情をした後に、彼は「そんな事なら俺協力してやるよ」とにっかり笑った。
そんな笑顔を見ると、またぼろぼろと泣けてきて、「渋谷くん、嫌いでごめんなさい」とひっくひっくとぎれがちな言葉に、「俺嫌われてたの?」と今度は鳩が豆鉄砲をくらったような表情をした。
くるくる変わるその表情に、思わずぷぷっ、と笑ってしまって、彼の質問に、私はううん、と首を振る。

「今はもう、嫌いじゃないよ」


だって渋谷くん、いい人だから。




2008.08.09
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村田は男子こu、げふ、げふ、げふ。