たまに外で食べるご飯は、サイコーというものだ。
ティ・ティ・トリッドリットは、ふむうむ、と甘ったるいジュースを飲んで、ぷふっと息を吐き出した。満腹だ。ぽんぽん、とお腹を叩いみる。薄っぺらい。「…………太らなきゃなー」 これがまた面倒くさい。けれども仕方がない。トリクシーと、ティ・ティは、しっかりとつながっているのだから。









ティ・ティ・トリッドリットは天啓を持っている。双子の妹と、いつでもどこでも通じ合う。彼女の考えていることがわかる。とは言っても、距離が遠すぎると役に立たないし、感情自体はいつでも伝わり合っているけれども、考えている思考全てが通じ合うわけじゃない。感情が高ぶったときとか、伝えたいことを集中しなければいけない。そしてなんとも不思議なことに、太っているときの方が、その感応度が高くなる。だからティ・ティは太っていないといけない。研究所との取り決めで、契約だ。
妹のトリクシーも夜中にわざわざ太るお菓子を食べながら、やってらんないわ、と考えている。僕だってそうだ。女の子にもてなくなるし、動きだって重くなるし、やせている方がありがたい。今日みたいにお見合いとか、パーティーの前にはダイエットで挑まなきゃならない。それって結構大変だ。トリクシーとのテレパシーをぎゅんぎゅん使えばお肉が落ちるのはすぐだけど、それはお互いに疲れるし、無理はなるべくしたくない主義である。

ティ・ティはダイエット終了後の、慣れない、けれども懐かしい自分の体を見た。「僕って結構かわいいんだけどな」 それは知ってる。にこにこしてれば、女の子達がキャーキャーやってくる。トリクシーはちょっぴり白い目でこっちを見ているし、妹のくせに口うるさいけど、心のそこでは、しょうがないわね、と彼女が思っていることをティ・ティは知っている。生まれたときから文字通りに一心同体で、めんどくさすぎるくらいに、お互いを熟知してる。

「この体とも、おさらばか」

ばいばい僕、と自分のお腹に向かって手のひらを振ってみた。そして、さっきまで黙々と食べて並べていた皿の山を見て、わーお、と心の中でつぶやいてみた。すっかり大食いなのが癖になってる。ついでにいうと、ダイエット明けだから、口が寂しくなってたのかも。「うん、おいしかった」

実家に一人で帰って、それから王都フォーメリーに戻ってきて、適当な店に入った。ティ・ティのような貴族の子どもが一人で街をうろつくことをアカデミーが禁止しているのは中等部までだ。高等部になれば、護衛志望の生徒を金魚のフンみたいにして街を歩く義務はなくなる。それでもまあ、金持ちの子どもはいつでもどこでも過保護なので、あくまでも義務と強制がなくなるだけで、推奨はされていない。この歳になれば、そこまで簡単に誘拐もかどわかしもされないと思うけど、人間何があるかわからない。とりあえず、ティ・ティは剣帯する鞘を軽くなでた。学園まであとちょっとだ。それにしても。

「おいしい」
王室御用達の食事とは、また違った味わい深さだ。「僕としたことが、こんな店を見落としてただなんて」 どうせ太るなら、おいしいものを食べてたっぷりと太りたい。これは定期的に来よう。また来よう。トリクシーや、DXや、ライナス達をさそってやってもいい。DXの妹のイオンなら、はちみつ色の瞳をキラキラさせて、かたっぱしから料理を頼むかも。「フィルはもう知ってるかな」 ルーディーなんかに教えたら、女の子とのデート場になってしまうかもしれない。

寂れた定食屋と言えば聞こえは悪いが、食事をするには落ち着いていて、味までサイコーだなんていい場所じゃないか。ふんふん、とティ・ティは頷いた。それからまた満足気にお腹を叩いた。「お客様、お皿をおさげしても構いませんか?」「ああ、どうぞ」 エプロンをつけた、可愛らしい女の子だ。ルーディーだったら絶対にナンパしてる。

彼女は細い腕で、持ちづらそうにティ・ティが食べた皿達を持ち上げた。食べた側から言うのはなんだか、少し申し訳なくも感じた。「ごめんね、すっごくおいしかったから、食べ過ぎちゃった」「いえ」 女の子はバランスを保ちながら、にこにこと笑った。「お客さんが美味しそうに食べてくださってるのを見て、すごく嬉しかったですから」

ありがとうございます、と頭を下げられた。「また来るね」「本当ですか、ありがとうございます!」
定食屋の娘は、ひまわりみたいに笑って、とてとてと店の奥に消えていった。
うん、また来よう。



街においしい食べ物屋がある。その事実を伝えなくても、アカデミーで顔を見合わせたトリクシーは、ふふん、と鼻で笑うように口の端をあげた。我が妹ながら、太っても細くても、僕に顔がそっくりだ。

「兄さま。おいしいお店を見つけたんでしょ。そんな思考だったもの。食べ過ぎはよくないわ」
「なんだよ、せっかくお前も連れて行ってやろうと思ったのに」
「誰ももう食べるな、なんて言ってないでしょ。行くわよ、ちゃんと連れて行って」
「できることなら、イオンちゃんみたいな妹がよかったな」

むん、とおもいっきり睨まれたので、慌てて両手を上げた。




それからティ・ティはもぐもぐと深夜のおやつを食べながら、あの定食屋を思い出した。暇があればまた行こう。カレンダーを見つめた。(僕って家庭の味に飢えてるのかな?)なんとなく考えてみた。別にそんなわけではないと思う。けれども色んな思考を繰り返すのはティ・ティの癖だ。ときどきしすぎて、頭の中身を共有しているみたいなトリクシーに怒られる。
休みの日がやってきた。トリクシーは、残念ながら都合が悪いらしい。それならしょうがない、とティ・ティは一人でまたあの定食屋に向かった。誰かを誘おうと思ったものの、もう一度くらい、あの味を一人でしっかり楽しむのも悪くない。「いらっしゃいませ!」 華やかな声だった。あの女の子の声だ。

ティ・ティは、とん、と一歩足を踏み出した。娘はにこりと笑った。「久しぶりだね」 そう言って、よく朗らかだと勘違いされる笑みを浮かべてみた。ティ・ティとしては、わざとその類の笑みを浮かべているのだけれども、他者との関係が円滑に進むのなら、何の問題もない。娘は眉をひそめた。「あの、えっと」「ああ僕、この間も来たんだけど」「……えっ」

手に持っていた盆を、ぺたんと彼女は口元に当てた。驚いてるような顔だった。一体何をそんな驚くことがあるんだろう、と思って、よくよく自分の体を見てみた。でっぷりと太っている。制服のサイズは特注だ。ズボンなんてぴちぴちで、ほっぺもぷくぷく。俗にいうデブキャラだ。アカデミーにいる短い間に頑張って、サイズはすっかり元の3倍になっている。
「ご、ごめんなさい、忘れていたみたいです」 上ずったみたいな声だ。女の子の思考が、ティ・ティは手に取るようにわかった。あらやだ、なあにこのおデブさん。びっくりよ。お呼びじゃないわ。うーん、とこめかみに指を置いた。まあ、しょうがないことだよね。

アカデミーでもよくあることだ。スマートに痩せていれば、可愛い可愛いと女の子達がキャッキャと寄ってくる。本当のことをいうと、大人のお姉さんの方が、その数はちょっぴり多い。ときどき髭面の親父までもがやってくるが、さすがにそっちは勘弁したい。けれどもふっくら、ぽっちゃりを通り越した外見になってみると、ティ・ティをちやほやしていた女の子達は、一様に眉をひそめる。特殊な趣向の方を除き。


別に、ティ・ティとしては、そんなものどうでもよかった。こんなふうにぷっくりとしていることで、ティ・ティを勝手に“優しい人”と勘違いしてくれる可愛らしいお馬鹿さんだって多い。太っている人間は、得てしておおらかに見えるものである。それにティ・ティはトリッドリットの家系だ。高位貴族で、その上王位継承権まで持ってしまっている彼の周りには、名前をひけくらかせば、わさわさと人が寄ってくる。別にそのことをティ・ティは悲しいなんて思わない。なんてったって、トリッドリットということを含めて、ティ・ティはティ・ティであるからだ。それに友人だってちゃんといる。自分と同じく、特注サイズじゃないと服を着れない妹だって。



でもなんでだろうか。その日のご飯は、はじめに食べたときよりも、あんまりおいしくなかった。二度目でもう食べ飽きちゃったのかも、なんてちゅるちゅるとスパゲッティーをすすって、ティ・ティはぼんやり眉をひそめた。社交辞令なのか、お名前をお聞きしてもいいですか、と聞く店員に、「ティ・ティ」と答えておいた。こんな場所で苗字まで名乗って、崇められたいほどティ・ティは馬鹿なやつじゃない。

あーあ、とあくびを一つしながら、ティ・ティはアカデミーに帰った。そうして妹に怒られた。「私も連れて行ってって言ったでしょ」 ぷんぷんにほっぺを膨らます妹に、「しょうがなかったんだって」と丸っこい自分の手のひらを振って謝った。そうしたら、トリクシーはじっとティ・ティを見つめた。「何か嫌なことでもあった?」 言いたいことがあるんなら、口に出して。そうじっとこちらを見つめる彼女に、ティ・ティはちょっとだけ肩をすくめた。自分の妹は、こんなふうに口やかましいのだ。


   ***


長い休みの日には、ダイエットをして、トリクシーと一緒に帰ることにしている。お腹のお肉もすっきりすると、手足が自由で動きやすい。持っていく服もすらりとしたズボンに、普通サイズのネクタイジャケット。ぽんぽん、と慣れた手つきで鞄につめて、トリクシーと並んだ。「兄さま、噂の定食屋に行きましょうよ」 げんなりした。

「なによ、文句があるんなら口で言ってって言ってるでしょ」
こっちの気までめいっちゃう、と頬を膨らますトリクシーも、いつもの三分の一のサイズだ。普段の方が、今よりずっと頬が膨らんでいる、なんて思ってもなるべく口には出さない。頭でも考えないようにする。「兄さまだけずるいわ。連れて行ってくれるって約束したのに」 頭のカチューシャを直しながらの妹の言葉をきいて、結局、この妹は食べることが大好きなんじゃないか、と疑いたくなった。太るのにだって、案外抵抗もないんじゃないか?

「まるでイオンちゃんみたいだな……」
「何かいった?」
「なんでも」

肩をすくめた。
きっとトリクシーも、一度行けば満足してくれるだろう。なるべく余計なことを考えないようにした。この口うるさい妹のお腹が、さっさと膨らんでくれたらありがたい。ドアを開けて、足を踏み入れようとした。でもなんだか、少しだけイヤだった。「兄さま、はやく」「わかってるよ」 カララン、とドアベルがなった。「いらっしゃいませ!」 前とおんなじだ。

エプロンをきた、今のトリクシーと同じくらいのサイズの可愛らしい女の子が、ぱたぱたとお盆を持ってやってくる。「落ち着いた店ね」 後ろでトリクシーが呟いた。あっ、と彼女が瞬いた。「この間のお客さんですね」 返事代わりに口の端を上げた。なんだよ、前と全然違うお出迎えじゃないか。

やっぱり細い方がいいってわけ? なんて妙にやさぐれた気分で案内された席についた。メニューを見て、トリクシーがどんどん料理を注文する。「おいトリクシー。太るのはアカデミーに帰ってからだぞ」「わかってる」 絶対わかってない。

店員はあの女の子一人だけなのだろうか。あわあわ何度も往復して、調理場から暖かな湯気が溢れてくる。「あらおいしい!」 スープを飲み込んで、ほわりと頬を緩めたトリクシーの言葉に、女の子はにこりと笑った。その正面では、まあそれほど、とティ・ティは思った。トリクシーは、訝しげにティ・ティを見ていたけれど、無視をすることにした。

「素敵なお店じゃない。さっさと連れてきてくれたらよかったのに」
「この間は、お前が来れなかったんだろ」
僕はちゃんとさそったぞ、と行儀が悪くテーブルに肘をついて、フォークでゆびさしてやった。

「なによ、それから何度も連れて行ってって言ったでしょ」
「ふう、食い意地をはった妹を持つと兄は大変だ」
「誰のこと? DXさんとイオンさんかしら」
「あそこはあそこで楽しそうでいいけどな」

ふくっ、と視界の端で肩を揺らす少女がうつった。ふくく、と精一杯に息を吸い込んで、お盆を顔にあてて、笑うのを我慢しているその様を見て、あらやだ、とトリクシーはほんのちょっと頬を赤らめた。「恥ずかしいところを見せてしまったわね」「いえ」 お二人は、ご兄妹なんですか? と店員は首をかしげた。

「ええ、双子なの。私が妹でトリクシー。こっちが兄のティ・ティ」
「トリクシー」

別にいちいち名乗らなくっても、もう彼女は知っている。そのはずだ。ティ・ティは眉をひそめて、片手を伸ばした。「ティ・ティ?」 きょとり、と女の子は首をかしげた。「この間いらっしゃったお客さんと、同じ名前ですね」 偶然です、となんだか楽しそうに盆を抱きしめる彼女を見て、ティ・ティは幾度か瞬いた。


「この間?」
「はい、数ヶ月前に」
「それって、僕と同じ年頃で、僕と同じ髪色だった?」
「ええ、そうです」

お友達の方ですか? と彼女はあっけらかんと問いかけた。「それ、僕だと思うけど」 ちょんちょん、とティ・ティは自分の顎に指を置いた。「え?」「だから、僕。この店に来るのは三回目」 この間も来た。そう言ったら、忘れていたみたいだと彼女は困った顔をした。それから、ティ・ティの名前を聞いた。こっちに気を利かせたに違いない。そうティ・ティは考えていた。違った。あれは確認だった。ティ・ティの名前を聞いて、誰だろうと確認したのだ。


うっかりしていた。ここはもうアカデミーじゃない。ティ・ティのあの姿と、今の姿と、イコールで結び付けられる人なんてきっととても限られてる。女の子はきゅっと瞳を見開いた。それからじわじわと耳元から顔を赤くした。「あ……」 ぽとん、と視線を足元に落として、そのまま体を小さくさせた。「お、同じ方、だった、んですか……」
消え入りそうな声だった。

ティ・ティはじっとその子を見つめた。
トリクシーが、じっとりとした目をこちらに向けている。「な、なんだよトリクシー、うるさいな」「何もいってないわよ」 私、ティ・ティがいくらそういうことを考えようとも、言わないようにしてるから、と妹のくせに、姉ぶったような顔をするそいつを、じろっと睨んだ。ティ・ティとトリクシーは、胸のうちでつながっている。考えていることは、集中しないとわからない。けれども気持ちはいつもわかる。がっかりしたとき、うれしいとき、きゅんとしてしまったとき。

「うるさいなあ!」
「だから何も言ってないでしょ」

兄妹喧嘩の最中にも、店員はごめんなさい、ごめんなさいと頭を下げていた。「別にいいよ、気にしないで」 そもそも、うっかりしすぎていた自分も悪い。さぞや彼女は困惑しただろう。「びっくりしたよね」 問いかけてみた。彼女は少しだけ考えるようにして、「とっても」と照れたみたいに笑った。「だよね」

なんだかおなかが減ってきた。
「悪いけど、注文追加、お願いできる? パスタは山盛り、ピザはチーズをたっぷりと」「兄さま、太るのはアカデミーに帰ってからよ」「わかってるったら」 それじゃあよろしく、と店員に口元を上げた。彼女はエプロンから伝票を取り出して、念のためと慌ててメモをとった。「わかりました!」 くるり、と背中を向けようとしたとき、「ついでに待った」 注文は、もう一つだ。


「できることなら。君の名前を教えてよ」




2013/03/26
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