『もしよければ、誰か食べてください』



怪しい。どう考えても怪しかった。イオンはじっとそれを見つめた。ぼんやり眼のDXは、きゅう、とおなかの辺りを撫でている。ライアスは気にせずそのまま通りすぎようとしたし、六甲は分厚いゴーグルを撫でた。イオンが手を伸ばした。あっ、と六甲は慌てた。布の結び目をひっぱった。「イオンさま!」 ぱかりと蓋を開けた。「あ」 男たちの声が被った。

「おいしー!」

ほっぺたをころころさせる彼女を見て、ライアスは、「おい」と眉を寄せた。「まさかとは思ったが、お前の妹は拾い食いまでするのか」「……うん?」 やっとこさ覚醒したらしい。DXは寝ぼけまなこな瞳をわずかに広げて、妹の手にある弁当箱を見つめた。「うまそう」 食べた。「DXさま!」 六甲が慌てた。信じられねぇ、とぐらりとライナスは頭を揺らす。「腹が減ってたし」「そういう問題じゃねー!」

弁当だった。弁当だった。文字通りのお弁当だった。『もしよければ、誰か食べてください』そんな几帳面なメモ帳がちょこんと乗っていて、ランチボックスは可愛らしいくまさん柄の包みである。
中身はサンドイッチの詰め合わせらしい。フォークもなしで食べられる、お手軽な内容だ。ほっぺたをほくほくさせて、イオンはおいしー! とまた嬉しげに笑った。いつものことだけどそうじゃなくて。

ばたばた、と六甲は両手を揺らした。六甲はニンジャで、DX、そしてその妹に仕えるニンジャである。いや正確にいうと、一度クビになって、若様姫様と呼ぶことを禁止された。けれどもやっぱり六甲は彼らのそばにいたい。ではなく、「もし、何か問題があれば」 せめて自分を毒見役にしてほしい。毒が入っていたらどうするつもりなのだ。アカデミーの中で比較的安全であるとは言え、彼らはエカリープ領主の一人息子に一人娘だ。その上めんどうなことに、DXは王位継承権まで保有している。

「ん……? ああ、でもまあ、大丈夫みたいだし」

もうイオンは全部食べちゃったぞ、とぽんぽこ満足気にお腹を撫でる彼女を見て、また六甲はゴーグルをなでた。ついでにしょぼんと肩を落とした。たとえ何かが混入していようとも、びくともしないような鉄の胃袋を彼女たちは保有しているような気がしないでもないけどさておき。「あ、メモの後ろに何かかいてある」

なになに? とイオンはぴらりと紙をめくった。『食べ終わったら、そのまま元の場所においておいてください』 几帳面だった。









それから、ときどきその弁当箱を見つけるようになった。トラップ的にアカデミーの各地に設置され、尽くイオンが見つける。彼女の行動範囲に置かれているのか、はたまた彼女の食べ物への執着かは六甲にはわからない。慣れない制服に袖を通して、六甲はポテポテとルーディーに並んだ。「イオンちゃんが、最初に見つけたんだって?」 くるくる髪の少年は、女の子が通る度に、パチンとウィンクをして、愛想よく手のひらを振る。
そうしたくなる気持ちは六甲にはわからないが、律儀ですごいと思っている。半分もう癖だよね、とルーディーは笑っていた。
しばらく前まで、彼とマンツーマンになることはあまりなかったのだが、学期があけて、学生の身分でもあるようになった現在からしてみると、案外珍しいことでもない。

「はい、その、……そういうことは、なるべくやめてほしいのですが」
「拾い食い?」
「まあ」

平たく言うと、そのままだ。
けたけた、とルーディーが笑って手のひらを叩いた。「ふたりともしそうな感じがするよね!」 一応、主(?)を、馬鹿にされたわけだが、否定ができない。そもそも、彼にはイオンと同じ、あっけらかんとしたところがあるから、悪い気持ちで言っているわけではないのだろう。

六甲は首にかけていたゴーグルをつけた。それから、また首に直した。またつけた。現在、自分はルッカフォート兄妹の護衛ではない。半分奨学生でもある。だからこれは必要ない。そもそも、制服には似合わないとイオンに怒られた。でも慣れない。何度もゴーグルをつけて、外してを繰り返していると、ルーディーが笑った。「何してるの?」「いえ、その」 ときどきお前の言葉は歯切れが悪い。そう言われる。

結局、ゴーグルは外すことにした。「お昼はどうする? 僕、ライナスと食べるけど」「俺はDX様と。竜胆さまもいらっしゃるかもしれません」「だったらみんなで食べたらいいよ」

ぜひともイオンちゃんも一緒に、それで他の女の子達と一緒だったら嬉しいな、とくるくる人差し指を回すルーディーに、とりあえず六甲は頷いておいた。そのときだ。ふと、既視感を感じた。「六甲?」 駆けた。ひゅるりと窓から飛び降りて、男の腕をつかむ。「うえ?」 男はマヌケな声を出した。窓の外から、それが見えたのだ。
一体どこから飛んできたのか。学生服を着た男は、視線を上と下に移動して、ぱちぱちと六甲と目を合わせる。

「……きみ、上から?」
返事はしない。
「ろっこー!」
頭の上で、ルーディーが叫んでいる。「きみ、ちゃんとドアから移動する癖をつけた方がいいよぉー!」 善処しよう、と考えた。


「あ、いつも一緒にいる黒髪の」

ゴーグルくん、と男は六甲の首元にひっかかったゴーグルを見つけた。「それがないと、ちょっと雰囲気が違ってわかんないね」 へにゃりと笑うその顔は、どこかで見たことがある。いや、名前は知らない。けれども護衛のためと、ある程度、アカデミーの生徒の顔はすでに叩き込んであった。

その男は、片手に可愛らしいくま柄包みのランチボックスを持っていた。



   ***


「お礼がしたかったんだ」と男は恥ずかしげに頬をひっかいた。
残念ながら、言い訳ができるほど、よくある柄の包みではない。。そう名乗る男は、妙に長い背丈の男だった。大きな手のひらの中に似合わない弁当箱を持って、照れくさそうに頬をひっかいた。「ルッカフォートにね、感謝してるんだよ」 もちろん妹の方だよ、と今度はもっと恥ずかしげに笑う意味は、やっぱりよくわからない。

「スピンドル事件があったろ? 言ってもいいのかな、君はいなかったけど、知ってるよね。俺は騎士の家系だけど、本音を言えば、なりたいなんて思ってもいない。できることなら、料理人になりたかった。でもね、女だてらに前を向くルッカフォートは本物の騎士だと思った。お姫様みたいな姿なのに」

ああなりたいって、ちょっとは人生に気合を入れようと思ったのさ、と弁当よりも、大剣が似合うような顔で、は照れ隠しに八重歯を見せた。「でも、直接言うのは恥ずかしいから、せめてもの感謝の印をと思って」 彼女は食べることが好きって言うから、もしかすると食べてくれるかもと思って、彼女が行く先々に弁当を置いてみたんだ。

その行為は、なるほど、とすぐさま頷いていいものか、首をかしげていいものか。つかない判断を誤魔化すように、六甲はやっぱり慣れないゴーグルを顔につけた。「そしたら、ちょっとずつ目的が変わってきちゃってさ。彼女がおいしそうに食べてくれるものだから、どんどん気合が入っちゃって、すっかりただの日課になった」 彼女はおいしいって言ってた? と大きな体を小さくさせるに、六甲はこくりと頷いた。おいしー! フィルの母親から貰うクッキーを頬張るみたいに、イオンは幸せ気だった。
「だったらよかった」

俺も、まさかホントに食べてくれるとは思わなかった。とぽりぽり頭をひっかく彼は、なんだか変だ。それは六甲にもよくわかる。「六甲ー!」 きちんとドアと階段をつかってやってきたルーディーが、息を荒げながらこっちにやってくる。「きみ、教科書も忘れていったろー!?」 ホントだった。

「すみません、ありがとうございます」
「ごめん、俺はこれで」
「あ、はい」

今日の分があるから、といそいそと消えていく大男の背中に声をかけるべきか否かを考えて、やめておいた。「誰? 知り合い?」「今知りました」「へー」 六甲って、よくわかんないとこあるよね。DXと同じく、とオレンジ色の瞳をあははと緩める学友を見て、やっぱりイエスとノーとも言えず、六甲はきゅっと拳を握りながら、あわあわと考えた。



   ***



「今日ねー! R・ケリーにほめられちゃった!」

私もちょっとずつレディーに近づいてるのよ、とぺたんと頬に手の平をあてて、大股で歩く彼女の隣で、コクコク、と六甲は頷いた。イオンが楽しそうでなによりだ。「あっ」 ぽとん、と彼女の肩が、大きな体躯の男とぶつかった。「ごめんなさい」 あちらが顔を向ける前に、イオンはひょいと顔を上げた。「大丈夫」 体のサイズに合わないくらい、優しい笑みだった。それからちらちら、と彼は六甲に手を振ったから、六甲もペコリと頭を下げた。

消えていく男の背中を見ながら、「六甲、知り合い?」「まあ」 ルーディーと同じことをきかれた。「それに近いかもしれません」「ぶふ」 くふふ、とR・ケリーに褒められたらしい淑女は口元に拳をあてて、むふむふと笑う。

「なんでしょうか」
「なんでもなーい」

早く行かなきゃ授業に遅刻しちゃう、と、青い制服のスカートが翻る。「もっとできたらいいね!」 イオンは笑った。「ともだち!」

どうだろう。「はい」 こう言うと、イオンが嬉しげに笑うことは知っていた。それはやっぱり想像の通りだった。「素直でよろしい」 イオンは六甲の手をとった。「今日のクマ弁当はなにかなっ! どこにあるのかなー!」「イオンさまが見つけやすい場所だと思います」「ええ、なにそれ?」

至って本気の自分の台詞に、イオンはけたけたと声を上げた。
説明をしようとして、まあいいか、と六甲は口を閉じた。なんにせよ、彼の弁当が美味しいことは変わらないからだ。


2013/03/27
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