*過去捏造、矛盾には目をつむ以下略








「今日、俺は死ぬ気がする」

気のせいかなあ、とポットで片手のひらを温めて、はー、と長く青年は息を吐き出した。「馬鹿な」 吐き出す息はひどく寒い。彼の言葉を否定したわけではない。食料もない。援軍もない。繰り返される死と生の境目をリゲインは歩いた。包帯ばかりが目立つ腕を見つめ、静かな砂漠の夜を見上げた。「うん、馬鹿だね。騎士が、こんな世迷い事をいっちゃいけないねぇ」

死ぬのも生きるのも、王命においてだったなら、俺達はどうでもいいんだ、と彼はゆるゆるとポットの中身を揺らす。「別に、死ぬことはいいんだ。あんまり深く考えたことはない」 は妙な男だった。口の端をわずかにあげて、鼻の頭を指先でひっかくのが癖だった。「でも、そうだね、俺は今日死ぬだろうよ。いや、夜が明けてからなら、明日になるかな」

こいつが最後の一杯だと考えたら、戦場のうまくもくそもないコーヒーが、ちょっとはおいしく感じるね、と笑う青年は、彼と同じくアシュビーの騎士団で剣を習った友人だ。腐れ縁だと言ってもいいのかもしれない。隊の編成はいくども変わった。そのたびにとわかれ、次に会うときはまたお前かとお互い呆れた。「寒くなってきたな」 

はコップにコーヒーを注ぎ込もうとした。それからおっと、と一人で首をかしげていた。リゲインは彼の膝の間からポットを取り上げて、コーヒーをついでやった。ありがとう、とは半分だけの瞳で笑った。「リゲイン、君は死ぬなよ」

真面目くさった声だった。返答の言葉は知らなかった。
声を上げることができる人間は、彼らともう数人だ。はまだマシだった。「俺は明日、死んでしまうけど」 おそらく、彼の言葉は正しい。「君には死んでほしくないんだよ」

君は、こんなところで野垂れ死んじゃいけない



   ***





王の剣は、鬼神である。


誰がその言葉を呟いたかはわからない。リゲインは、長剣を振り回した。切れない。だから叩き潰す。相手が鎧を着ているのなら、中身をただ叩き潰す。そうでないのならば、顔面を狙う。脳みそを弾き飛ばす。骨を折る。砕く。剣が役に立たないのなら、スペアがある。ジャッと鉄を切る音をたてながら、マントの内から隠した剣を引きぬいた。これは間違った剣だ。騎士の剣ではない。騎士は、武器を敵にさらす。正々堂々と、正面で叩きとばす。

部族の男はぽかりと瞬きを繰り返して、崩れ落ちようとした。男の胸から剣を引きずり出す前に、別の槍がリゲインを襲った。短く舌打ちし、剣を捨てた。死んで硬い肉に、剣ががっちりと噛み合ってしまっていた。それから襲い来る槍を脇の下に通し、片手で受けた。できることなら、これはしたくはなかった。体の内は、守りが薄い。一歩間違えれば、一突きで死ぬ。それをわざわざ敵に見せるなど、言語道断である。だがうまくいった。「アアアアッ!!!!」 振り回した。槍を握りしめていたままの敵同士がぶつかり合った。しかし悲鳴も上げぬとは、あっぱれであった。


リゲインは戦った。奪って、奪って、奪って、奪った。けれど負けは目に見えていた。顔を真横に割かれ、ぼたぼたと流れて溢れる血が口にしみた。いくら彼一人が打ち負かそうとも、騎士の声が聞こえない。死んだ。多くの人間が死んだ。しかし立ち止まるわけにはいかなかった。降伏。ふとその言葉が頭に落ちた。いけない、それはいけない。王に、負けを認めることは許されてはいない。ちかり、と小さな思考が瞬いたが、目を背けたふりをした。「リゲインッ!」 男の声が聞こえる。まだ死んでいなかった。視界の端に映るは、驚くほど器用に槍を操っていた。「降伏しろ!」

断る。
「死ぬな!」
自身は騎士だ。
「アンナ様はどうなる!」

しん、と音が消えた。ぐしゃぐしゃに、前が見えなかった。は叫んだ。「クレッサールの民よ!」 血だらけの声だった。「金の髪の男は、リゲイン・ルッカフォート! 高第二位将軍、リゲイン・ルッカフォートだ! 彼の首の価値はいかがなものか! 高いぞ、この男の首は高い! さあ殺せ! 力の限り殺してやれ! 誰だ? 抜け駆けをするものは誰だ? クレッサールの民は、敵の首のため、仲間で争うか! お前か? お前だな? 違うか、ならば誰だ、リゲインを殺すものは誰だ。殺せぬか、殺せぬのか、そうであるのならば     


「この男に、降伏を認めろッ!!!!」


お前は生きろ。腹に幾本の剣を抱えて、は叫んだ。鼻の頭をひっかく癖がある、ただの男で騎士だった。腕は既に半分ない。どうやって槍を操っていたのかすらわからない。いつの間にか、足がちぎれて、もう片方の手はいつの間にか、親指と小指が消えている。伊達男の顔は、半分崩れて、見る影もなかった。リゲインは生きた。クレッサールの部族長達は、彼の降伏を認めた。
捕虜となり、その代わりとなる身代金すらも払われず、無意味な生を終わらせようとする前に、リゲインは逃げることを許された。彼の見事な戦いぶりに敵国の民は敬意を表し、砂漠の神に彼の裁定は委ねられた。
食い物すらもなく、彼は砂漠に置き去りにされた。運さえあれば、彼は生き延びることができた。そして彼は、ただ一人生きることを認められた。



君は、こんなところで野垂れ死んじゃいけない


自分にできたことは、王を殺して逃亡する。ただそれだけだ。
捨てようとした剣を守り、傭兵となった。旅をし、火竜を封じた。幸せな家庭を築いた。
そうして年をとって、ふと、顔の古傷が痛むときがある。家のソファーにうずくまり、鼻の頭を指でかいた。そうして、瞳をつむった。



   ***



「テオ、きみの剣は下手くそだ」

ふふ、と面白げに笑われて、テオドリックはぷくりとほっぺをふくらませた。協会の庭ですぶりをしていると、いつもこうだ。「なんだよ、お前の方が下手くそだろ」「そんなわけない。君よりは上手いさ」 うますぎるくらいだね、と少年は膝に肘をついて、ぺたりと頬に手のひらをあてた。「いっつも口ばっか」「手を出したら大変だもの」

そもそも、君は気合が入りすぎているんだ、とポリポリと少年は鼻の頭をひっかいた。顔半分には妙な傷がある。痛くないのか、ときいてみたら、生まれたときからついていたから、と前に彼が言っていた。「気合はいれるものだろ。抜いちゃだめだ」「そんなことないさ。何事も適度だ」

こいつはいつも訳がわからないことを言う。テオはつんっと唇と尖らせて、無視をすることにした。相手をすれば、どんどん余計なことばかり言ってくるに違いない。
なのにやっぱり、ぽりぽり鼻の頭をかいて、そいつは呆れたみたいに声を出した。「だからテオ、それじゃあ駄目だよ。もうちょっと右手から力を抜いて」 うるさい。

「文句があるなら、お前も一緒にすればいいだろ!」
「ごもっともだ。でも面倒くさいから見ているだけにする」
「もー!!」

お前、なんなんだよお! とぷんすか怒ると、そいつはまた楽しげに笑った。ひょろひょろと、鳥の声が聞こえている。ぱさりと木の枝が揺れる音を、なんとなく二人で声を止めて見上げた。「ここはいい街だねえ」「当たり前だろ、リゲイン様が領主なんだ」「納得だ」

いい街に決まってるね、頬に手のひらを当てたまま、大人ぶった顔をするものだから、あとでぶん殴ってやろうと思った。俺よりちびでガキなくせに、まったく、生意気なやつだ。




2013/03/28
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