結局、人間なるようにしかならない。一体いつ気づくべきなのか。だいたいそういうのは気づいた瞬間に終わっているし、もっと頑張ればどうにかなったのかも。なんてほっぺたを膨らます。鏡の中の自分はどんどん年が変わっていって、勝機はどんどん薄れていくのに、何が変わる訳でもない。

どうしたもんかなあ、と私はほっぺをふくらませて、最初に知ったときよりも随分丸くなった男の人の背中をことことと歩いた。「唐巣神父、今月、どう考えたって赤字なんですが」「ん? そうかい? でもこの間の除霊の報酬があったんじゃなかったかな」「それは先々月ですけどねっ!」

一体どれくらい物覚えが悪いんですか、それともわざとなんですか、とゴツッと拳で叩いてやった。唐巣神父はごりごり、と額をかいて、どっかと教会の椅子に座る。「神父、お行儀が悪いです」「ん、まあ」

二人一緒に椅子に座って、ぐきゅう、と情けないお腹の音を出す。「…………まあ、腹が減った、と言えないこともないねえ」「まあ、はい、そうですねえ」 私が唐巣神父の教会をお手伝いさせて頂くようになって数年。数字が赤から黒に変わることは一瞬で、毎度毎度、お互いの金銭管理の甘さには頭が痛くなってしまう。

お手伝いをできたら。そう思ってGS免許を獲得し、半分居候としてこの教会に住んではいるものの、実際問題、どこまで神父の力になっているかときかれたらよくわからない。住み始めた初めの年は、やれタバコはいけませんだとか、深夜の街に繰り出してはいけませんだとか、お母さんのようなことを言って神父の腕をひっぱっていけたのに、三十路を過ぎた今となってはすっかり昔みたいな不良少年のような行動はなくなって、嬉しいのにどこか寂しいようなしょんぼりする。
手のかかる息子がいつの間にか立派になって巣立ってしまったような気持ちである。

「思うんだけどね、くん」
「はい? なんですか」
「ちょっと相談があるんだが」
「いやです」

ノウノウ、と腕でバッテンを作って首を振った。唐巣神父は渋い顔をして、ううむ、とこの頃つけ始めた丸メガネを指でかく。「最後まで言ってないんだが?」「ここの教会から出て、別の事務所に所属しろっていうお話はききません」 問題外です、ときゅっと耳に指でせんをしてそっぽを向いた。ううむ、と難しい声を出す神父をちらっと見て、また慌てて視線を逃した。

確かに、私はシスターでもなんでもないし、神父と宗派だって全然違う。私がいることの方がおかしくて、この出るものと入るものの差がまったくもってうまらない教会にとっては、私なんていない方がいいのかもしれない。(でも) ダメなのだ。ここじゃないとダメだ。
そうじゃないと、ゴーストスイーパーになった意味なんてない。
「私みたいなおっちょこちょい、神父以外が面倒を見てくれるわけがありません」
「……そんなことは、ないと思うんだがなあ」

ううん、と神父は顎をひっかいた。そんな姿を見て、二十代の彼を思い出して、また三十路の彼を見て、私はきゅっと瞳を細めた。とんとん、と静かな音が胸に響く。きゅっと胸が痛くなって、けれども慌てて目を伏せた。(神父は、神父さんなんだ) たとえ、教会から破門されてしまったとは言っても、彼は神の教えを忘れようとは思わない。
彼は誰かを妻に迎える気は、きっとない。
だから。


     彼のことを好きだということを、絶対に隠さなくてはいけない




別に、神父だからと言って、全員が全員結婚できないという訳ではない。唐巣神父のことが好きになってしまったと気づいてから、こっそりと私は色んな資料を集めて調べた。教派によって違うし、そもそも彼は異教の召喚を行なって破門されているのだから、そんなことは気にする必要なんて全然ないのだ。
けれども実質的な問題は、彼の心の問題だ。いかんいかん、と全部の色欲から目をそらそうとして、何かがあればぎゅっと十字架を握りながら、「試練にあわせず、悪から救いたまえ!」だなんて涙ながらに丸くなってぶつぶつと呟かれると、こっちがいじめている気分になる。

まあとにかく、と彼を好きになってから、無理やりに教会の門をたたいて居候という立場をゲットして、まったくもって進展のないまま今に至る。(いや、寧ろその、頑張って隠そうとしてはいるから当たり前ではあるんだけども) なんだかなあ、と神父の分のお茶をいれて、まあまあどうぞ、と2人でずるずるティーカップをすすった。「くん、きみ、今いくつだっけ?」「もう二十はこえちゃいましたねえ」 けらけら、と笑っている場合ではない。と思いながら、とりあえずケラケラと笑っておく。

片思いも数年が続くと、ちょっとした病気みたいなものである。
「まあとにかく、今日のご飯は何にしましょうかね、二日ぶりですねえ!」
「…………正直、ちょっと色々と申し訳がないな、と思ってはいるよ」

うん、がんばるよ。だなんて頷きながら、除霊の礼にとたっぷりともらったお茶ばかりでおなかいっぱいにして、私と神父はぼんやり2人で教会を守っている。平和が一番ではあるけれども、やっぱりひもじいことは寂しい。けれども神父のそばにいることができて嬉しい。「えへへ」と私は笑いながら、神父の隣でパタパタと足を動かした。「若い娘さんが、お行儀が悪いな」なんてさっきの自分を棚にあげた神父の言葉に、はい、と笑った。

ぎい、と教会のドアが開く。






とりあえずと依頼をこなして、私と神父は数日ぶりのご飯にありついた。
まったく、ごはんというのはありがたいものである。もぐもぐ、とお互いおいしくほっぺをふくらませて、「私、神父さんっていうのは、お野菜しか食べちゃいけないものだと思ってました」と感想を漏らせば、唐巣神父は面白げに水を飲み込んだ。「まあ、もしあったとしても、私は破戒僧みたいなものだからね。そんなに気にしないかもしれないなあ」と、言っている彼を見て、だったら私にも手を出してくれないものだろうか、とほんの少し恥ずかしいことを考えてみた。

一つ屋根の下で暮らして、これだけ間違いがないというのも情けない話である。ふむう、と情けないようなため息を吐き出して、私はのそのそとお茶碗にお箸をつけた。「くん、どうした。食欲がないね。いつもはもっとがっつりといくじゃないか」「い、いきません!!」

年頃ですから、がっつりなんて効果音は使いません! と拳を握って、もしかすると唐巣神父が、一向に私に手を出してくれないのは、私自身に問題があるんじゃないだろうか、とものすごく嫌な想像をして、あーあ、と私は持ったお茶碗に頭を垂らした。なんというか、色気というものが足りないのかもしれない。


「いや、そんなことないよ! おねーさんなかなかいけてるとおもうけどなー!」
「うんそう……? 嬉しいなあお姉さん……」

だったら俺とケッコンする? なんて年の割には流暢な言葉をつかう少年の頭を撫でて、「おねえさん、きみとはちょっと年齢差がありすぎるなあ」と体育座りをしてみた。「アイの前にはそんなものかんけーないのさ!?」「お姉さんも少年みたいに、もうちょっと素直に生きていきたいなあ……」

きみ、中々の大物になりそうだね、となでりなでりを繰り返すと、えへへ、と彼は嬉しげに笑って、「おれ、もうちょっとしたらオオサカってとこに行くんだけどさ、おねーちゃんのことわすれないよー」なんて笑っている。そこらへんは少年の記憶力に期待することにして、そうだねえ、私も忘れないよー、だなんて笑いながら、ただおー、と呼ばれた彼の名前に顔を上げて、ぽんぽん、と背中を押した。ばいばい、と手のひらを振る。

家に帰って、またぼんやりとご飯の準備をしていると、神父に「どうしたんだい?」と首を傾げられた。「プロポーズされました」だなんて、とりあえず断片的な情報を出してみると、「えッ!?」と神父はボトッと湯のみを落とした。ごろごろ転がる茶碗とこぼれるお茶を見て「あーあー」と言いながら私はふきんを取り出した。ごしごしテーブルをふきながら、「神父、濡れちゃいませんでした?」と首をかしげると、いやいや、と神父は首を振った。

「いやその、くん、その、プロポーズと言うのはだね」
「ああ、ケッコンする? って訊かれたんですが」

微笑ましい言葉である、とふきふきすると、神父は慌てたみたいにメガネをちょいちょいと片手でいじった。「いや、そうか、くんにもそんなことを言う人が、うん」「なんですか、そんなに意外ですか、ご不満ですか」「いやいや、そういう訳じゃないんだがね、うん」「近所の小学生の子なんですけどね」「うんッ!?」

神父は暫く真顔で固まった。もしかすると、ちょっとはそういう意味で驚いてくれたのかもしれない、とほんの少しの期待をして彼を見ると、唐巣神父はたいそう真面目な顔をして、「それはそれで、禁断の道だな……いや、愛があれば私は」「ええいっ! ツッコミが間に合わんっ!」 なんでやねーん! と一応師匠に思っきりにつっこんだ。なんでやねん。なんでやねん。







「神父、髪の毛切りますか?」

ちょきちょき、とハサミを持ち出しながらにやつくと、ぎくりと唐巣神父は後ずさった。「いや、くんの……こう……ハサミ使いは独特だからな」「ハサミに独特も何もあるのでしょうか」「もしくは個性的とも」「ものすごく言葉を選んでくださってありがとうございます」

神父が言いたいことは、なんとなくわかる。前に一度、がっつりと失敗して神父の自慢の前髪を切り落としてしまったのである。「しかしですね唐巣神父、うちはお金がなく、懐が寂しい教会でして、散髪に行くお金を捻出することも難しく、かと言ってざんばらな髪型にして、せっかくの除霊のお客様が消えていかれたらもともこもないと思うのです」「くん、きみね、迷える子羊をお客様とはね……」

金勘定が目的ではないんだから、と呆れたようにため息をつく神父に、まあそこは言いすぎた、と頷きながら、じょきじょき、とハサミを何度も動かす。「とにかく、別に神父もいちいち見かけを格好つける年も過ぎたんですから、前髪がちょっと短くなるくらいなんですか!」「いや前髪は重要だと思うんだがね、前髪は」「このごろちょっとずつ後退してきてるくせに」「くん!?」

言っていいことと悪いことというのが世の中にはね!? という神父を無理やりに座らせて、首元にケープを巻いて、ちょきちょきとはさみを動かす。「くん、そういえば、きみはいくつだっけ」 そうといかける神父の言葉に、「三十路をこえちゃいましたかねえ」と笑った。ちょきちょき、と髪の毛が落ちていく。

ほんの少しずつ、鏡の中の自分は変わっていく。若いときのような勝機はもうないし、もしかすると、なんていう希望なんて持っていない。
けれども神父のそばにいたい。そう思う。

彼は誰かを妻に迎える気なんてないし、好きになる気だってない。だから、私が彼を好きなことはバレてはいけない。ずっとずっと、隠さなければいけない。
「はいできました」 なんて言って笑いながら、よしよし、と神父の頭を撫でた。「唐巣神父、老けちゃいましたね。昔はすごくかっこよかったのに」「きみねえ」
一応師匠に、そういうことはだねえ、と口元の皺を深くさせた彼に笑った。そろそろ、教会のドアが叩かれる音がするに違いない。
いつの間にか2人の教会は、3人になって、また人が増えていく。「ピートくんのご飯の準備をしなくちゃですね」 吸血鬼とはいっても、やっぱりご飯があった方が嬉しいに決まってます。なんて笑うと、そうだね、と唐巣神父は笑った。

私達はちょいとお互い冗談みたいに手をとって、二人一緒に教会の窓を開けた。
ずっとずっと、変わらない朝の空気だ。





2012.11.09
back