あめんぼあかいな、あいうえお


扉の前を通り抜けた。窓の外では、野球部がわっせわっせと声を掛けあっている。かきのき、くりのき、かきっけこ。











好きになるのなんて簡単だと思う。あんまり背は高くない。けれども力持ちで、社交的だし、にかっと笑う顔を見るとどきりとする。演劇部で、声がかっこ良くて、口元に釘をもって、とんてんかんと器用に金槌を叩いてる姿を校舎の窓から見下ろしていた。(かっこいいなあ) 堀ちゃん先輩、と言われて後輩に慕われている姿を見ては、すごいなあ、と全部が全部、いい方に持っていてしまってしまう。

堀ちゃん? かっこいいよね。ちっこいのに男って感じ。
堀くん? まあ普通だよね。ちょっと目つきが悪いかも。

演劇部の部長だったっけ、なんて首をかしげられたり、あんなにかっこいいのに、役者はあんまりしないんだな、なんていったり、男子と女子とで出てくる会話も全然違う。「ねえ、はどう思う?」 ふえ、と変な声が出た。「堀くん。文化祭の劇の役」 誰に決まるのかな、やっぱり演劇部の人かな、とこそりと隣の席の友人に声をかけられた。「えっ、ええっと」

口の中でごにょごにょと返事をした後、誤魔化すように息を飲み込んで、「どうだろうね」 こつこつと委員長が黒板に書く文字を見つめる。「ロミオ役はー」 名前の下に、正の字が出来上がる。じっと私はその様子を見つめていた。それから、右の斜め前の、彼の様子を覗き見た。
どうでも良さ気に、足を斜めにして、くるくると手元のシャーペンを回している。かつん、と手からペンが落っこちた。それをひょい、と拾う。ごつごつとした、大きな手を見て、思わずさっと目を逸らした。

大道具、照明、音響。

黒板に書かれている文字の続きを読む。まだ下には、誰の名前も書かれていない。くあ、とあくびする音がした。彼の声ばかり、耳の中でよく響く。
きゅ、と私は体を丸めた。いっこいっこ、委員長が投票の紙を開いていく。それじゃあこれは、とカツカツとチョークが黒板を叩く音が聞こえる。クラスのざわめきの中で、やっぱり彼の音がよく聞こえる。きんこんかんこん。チャイムの音だ。

ぷは、と私は息を吐き出した。







「堀くん、役には入らなかったねえ」
意外だったな、と明るめの声を出しながら、日誌に文字を書き込んだ。「ん?」 ぱたぱた、と堀くんは腕を伸ばして、黒板から白いチョークの文字を消している。HRで決まった内容が、黒板消しを動かす度に溶け込むように消えていって、堀、、と二つ並んだ日直の文字も、彼はささっと消してしまった。「ああ、役ね、文化祭」 演劇部も掛け持ちになっちまうしな、とあっけらかんとした声をきいて、しょうがないかあ、と笑った。

「部活じゃなにするの? 役者さん?」
「んにゃ、大道具」

トンカチばっか振り回してる、と代わりのつもりなのか黒板消しをぶんぶんして、自分が綺麗に消した黒板を満足気に見ると、彼はどっかと私の前の椅子に座った。「は、なんになったんだっけ」

かちかち、とシャーペンのおしりをおした。
「音響です」
「あー」

俺照明、とちょんちょん、と指をさす。しってる。照明にしたらよかったな、という言葉を言えるくらいなら、ばかみたいに長い片想いを患っていない。

三年になって、同じクラスになった。やった、と心の底から喜んだ。、と名前を覚えてもらったのはいつだろう。ほれ、プリント、と渡された数学のプリントを見て、ぱっと顔が真っ赤になるかと思った。
ときどき、おはようと挨拶をする。じゃあね、部活がんばって。
     あんた、声が裏返ってるよ、と友達に笑われた。

そんなにわかりやすいだろうかと不安になる。けれども大丈夫、堀くんにはバレていない。私が堀くんのことを好きなことは、堀くんは知らない。

私よりもほんのちょっとだけ高い背をかがめて、彼は私の手元を覗きこんだ。ふれー、ふれー、と野球部の声が聞こえている。数年前を思い出した。あめんぼ、あかいな、あいうえお。うきもにこえびも、およいでる。(かっこいい声だな) そう思った。誰だろう、とそのとき私は小さなドアの窓から、そっと中を覗きこんだ。真っ赤な夕日の中で、まっすぐに立って、大きく息を吐き出しながら、彼はじっと前を見つめていた。

「ほ、堀くん」
「……ん?」

ぎゅ、と飛び跳ねそうな心臓を抑え込んだ。「あの」 ばれていない。嘘だ。ほんとはバレてほしい。かきかき、と油が足らない機械みたいに体がうまく動かない。堀くんは、とんとん、と机の上を指先で叩いていた。そんなに大きな背じゃない。なのに手のひらは、私よりもずっと大きい。「見たかったなあ」 へろへろと、喉の奥でうまく空気が出せなくて、ちっちゃな声だ。「演劇部の」 かっこいいと思うし。
ぴくん、と彼は片目だけを大きくさせた。

わっせ、わっせ。
オレンジの光が、私の手元を照らしている。死ぬと思った。首元から嫌な汗ばかりがでて、肩を小さくさせながら体が縮んでいく。「あー……」 とん、とん、と堀くんが人差し指叩く音が聞こえた。「ああ」 こくん、と彼が頷く。

「ああ、うちの鹿島のことか!」

なるほど、とパチンと手のひらを合わせた彼を見て瞬いた。「鹿島な、鹿島。あいつ、かっこいいよな。去年の文化祭見れなかったのか? 今年もかっこいいぞ。王子様役だ」 まあ来てくれよ、とにかっとした笑みを見て、崩れ落ちた。

「う、うん、見に行く……」
「まあ、さすがにそろそろその馬鹿を迎えに行かなきゃなんねーわ」
「あ、部活だよね。ごめんね遅くて」
「こっちこそな。相手がだと楽だわ」

ふぎゃ、と手の中からシャーペンがおっこちた。「日直。真面目だし」「う、うん……」 そりゃそうだ。
鞄を抱えて、ほんの少しネクタイをゆるめた彼に、堀くん、言ってらっしゃい、と片手を振った。「じゃあな」と彼もパタパタと手のひらを振る。来週はもう、別の人が日直だ。「文化祭、がんばろうね」 見に行くね、期待してる、とドアをくぐり抜ける彼の背中に声をかける。返事代わりに、ひらひらと鞄を後ろに抱える指が揺れていた。

「ああ……」
よかった、と思う反面、よくなかった、と小さくなった。「ああー……」 あめんぼ、あかいな。彼の声がきこえる。「卒業、したくないな……」 同じクラスになれて幸せだ。けれども、もうちょっと。




   ***




「おい鹿島!」
がつん、と一発尻を蹴った。すまない、お姫様方しばしの別れさ、と相変わらずのイケメン声でまとめ上げる後輩に、
「お前やっぱりまだ行ってなかったのかよ! さっさと一人でもいかねーか!」
「お姫様、待っててくれよ! 必ず逃げ出して見せるから!」
「堂々のサボり宣言はやめろと何度!」

へらへらへらっと笑うそいつの服をひっつかんだ。「先輩、スカートめくれる、スカートスカート」「下にズボンでもはいてこい」「なるほどそれはいいアイデア」 アホだと思った。なんでこのアホは、アホであるのにこんなにかっこいいのか。そして女子なのか。

「……先輩?」
んん? と鹿島が勝手に人の顔を覗きこむ。「なんか、ごきげんですか?」「普通だ」「あれ逆に不機嫌です?」
先輩、演技がうまいから、わかんないなあ、と呟く後輩に、お前はなにを言っている、と一喝する。「うるせえ、練習だ。本番楽しみにしてるやつもいるんだぞ」
この学園のお姫様達のことですね、とへらへらする後輩にガスッと一発ケリをいれた。でもまあ、「間違ってねーな」「ならなぜ蹴りを」 いや別にいいんですけどね。


オレンジ色の教室だ。
「お前がイケメンすぎるのが悪い」
ぽとんと言葉を落として、ぎゅっと熱がのぼる耳をごまかした。ごまかすのは得意だ。(勘違いしそうになったじゃねえか)
恥ずかしいやつだな、と呟いた言葉は、自分自身に向かってだ。


2014/09/09
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