「拾ってしもうた」
はっはと笑いながら、奇妙に静かな赤子を三日月が抱え、本丸の扉を叩いたのは、つい先刻のことである。









青い衣が、しゃらり、しゃらりと音を立てるような優雅さで男が左右に揺れていた。あぐらをかきながらゆらゆらと畳の上でバランスを作る。膝の中には赤ん坊だ。ほぎゃあ、と泣けば可愛らしいものの、ぴくりともしない。「……ね、ねえ。生きてるの、それ」 つい、思わず。つっこんでしまった。「蛍丸、違う。そこじゃない」 そう、そこじゃないのだ。居づらそうに正座を崩し、直しを繰り返す和泉守に対して、「兼さん……! 兼さんおちついて、僕も突っ込みたいけど……!」 思わず着物の裾を掴んでいた。

上座には、すやすや眠る赤ん坊を抱えた三日月が、「おお、よちよち」と言いながら相変わらず左右に揺れている。その周りに、年配の刀剣が囲み、その後ろにはさらに大きな大剣や薙刀が座り込む。いくら部屋が広いとは言えど、まさか一つの部屋に幾人もの男たち全員が押し込めるわけがない。畳から飛び出し、藤四郎の子ども達が、いったいぜんたい、とぽそぽそつぶやきつつも、障子の外から様子を伺っている。そんな空気に耐えきれないものは縁側から飛び出し、よいやさ楽しげに池で遊び回っていた。主に亀と戯れたりとか。

「まあ、その辺りを探索しておったらな。ほぎゃあ、ほぎゃあと聞こえたものでな。今はすっかり静かになってしまったが」
「……三日月さん、犬猫でもあるまいし、拾ってきたではないでしょう」

烏帽子を揺らしながら大太刀に怒られている。でもまったく悪びれた様子はない。「はっは、石切丸よ。この子は現し世からの迷い子だ。それを捨て置くのは、犬猫よりもつらかろう」
ほれ、こんなにふくふく……していないな? しておらんな? 産まれたばかりか? とつんつこ不思議げに赤子の頬をつっついてはいるが、そこは問題ではない。そこをつかれてしまっては、と上げた膝がどこに行くでもなく、石切丸は額に手を置く。ため息が出たが、慈悲の心は人一倍だ。

「もとの親もわかりはしない。とすれば、我らで育てるしかあるまい」

まあ、なんとかやってはいけるだろうよ、と呵呵と笑うじじいの言葉に、ざわつく部屋が、しんと静まりかえった。それが返答と受け取ったのであろう。三日月はふむ、と頷く。そして、「……ところで、赤子とはどのように育てればいいのかな?」

そのときまじかよ、と思ったのは私だけではない。


***


そう、私だ。
私はこのときのことを『全て』知っている。けして、天才の赤ちゃんだったとか、記憶力が人一倍いいとか、そういうわけではない。いやある意味そうなんだけど。“私”はこうなる前の私のことを、全部覚えている。仕事をした帰りに暴走トラックがつっこんで、ちゅどんとなるお約束のパターンだ。ある程度ネットに明るいタイプの婦女子であったから、ほんぎゃあ、とこの世に産まれた瞬間、これは、とすぐに気づいた。まさかの転生。

それだけで終わったら、なんてこった、死んだあとの世界もあったんですね、で終わったのだけれども、ところがどっこい。産まれてすぐに病院のベッドでほぎゃほぎゃ泣いていると、謎の竜巻に襲われた。ぐるんぐるんと真っ黒な竜巻が病室の器材を巻き上げ、その中で一番軽かった私がそこへと吸い込まれた。なにこれ二重トリップとかほんとないわ、死んでしまうわと混乱する頭とシャッフルする身体で、こちとら新生児やぞ、初乳さえも飲んでねえぞ! とほろほろ涙をこぼした。出ないけど。

次に目が開いたとき、木々のざわめきの中にいた。産まれたばかりだというのに、はっきりと目と耳が聞こえるのは神様からのサービスなんだろうか。逆に怖い。このままじわじわ餓死など、簡単に出来すぎて怖い。

落ち葉のクッションの上でうまく動かない身体をぐるぐるさせようとした。できなかった。なんでや。見えるのに動けないとか神様鬼畜か。「ほぎゃーーー!!」 私にできることは、泣くことだけ! 辛い! だれか助けて、助けてください、と泣いていたらこの青い着物のお兄さんが、おっとりとこちらを見下ろしていたのである。





なにここイケメンパラダイス? なんて言っている場合ではない。とにかく私は腹が減っていた。話し合いの最中は我慢していたけれど、そろそろ無理だ。限界だ。「ほぎゃっ……」 助けて、と言っていたときはもうちょっと大きな声が出たような気がするのに、うまいこと声がでない。ハラヘッター! きこえる? ねえイケメンたちよ聞こえる? ハラヘッター! 「おお、元気だなあ」 くだんの三日月と呼ばれたお兄さんが嬉しげに私よしよし、となだめている。ころすぞ!?

っていうかころされる。
育てるならまじで責任もってよ。恩返しするからお願いだよお! と泣いても彼らの思考に針を通すことができない。「ほ、っぎゃー!」 でも泣く! がんばる! 私にできることはそれだけ! 「……あの、さあ。その子、お腹へってるんじゃないの?」 天才か!? 半ズボンの元気っ子少年、先程蛍丸と呼ばれていた子が、おそるおそるとこちらに指先を向ける。っていうかここはほんとにいったいどこ?

「……ん、む、腹? なるほどそうか」
なるほどなるほど、と私を高い高いしてくる。ちっがうし! っていうか苦しい。「ほぎゃあー!」「ところで、赤子とは何を食べるのだ?」 訊くだけじゃなくて考えて! お願い! 「モチなどどうだ?」 やっぱり考えないで、お願い!

さっきからこの三日月さんはエキセントリックなことばかりを行動してくる。心臓がもたない。「モチはやめとけ。めでたいがな? うん……たしか、そうだ、乳だ。見たことがあるぞ」「ははあ、乳」 全身真っ白のお兄さんが、首を傾げながらたしなめてくれた。ありがたい。ところで乳。ここ、どこにも乳がない。「ふ……ぎゃっ……」 苦しみの声が溢れていたらしい。

「うしのちちならありますが。こちらでよいのでしょうか」
「いや、子どもには母乳だ。母親の乳だな。牛のものをやったら腹を壊すぜ」
常識人がいてありがたい。きみのことはきちんと心に刻んだよ、と白衣の少年をじっと見つめる。「母親の乳」 三日月さんが復唱した。そう、おっぱい。「……俺は出んな。出したことがない」 ……っですよねえ! とほんとに涙がこぼれた気がした。「それならば仕方がない」 私を抱きかかえたまま、立ち上がった。「この中で、母乳が出るものはいるか?」 めっちゃ辛い。

あ、そういうこと。
俺が出ないって、そういうこと。誰かなら出るかもって思ったわけね、ごめんねここ男しかいないわ! 女の子っぽい見かけの子もいるけど全部ちっちゃい子だわ、っていうか男の子かなよくわからんわ!
死んだ。
これもう死んだわ。スウッ……と意識が遠くなる。「お、お? 寝てしまったが、これはそのままでもよいのだろうかな?」「三日月殿、まったくもってよくないことはこの小狐でもわかりますぞ?」

「歌仙よ、厨に母乳はそろってあるかな?」
「さ、さすがにないよ……」
あったらビビるわ。
そうかそうか……、と三日月さんは頷いた。そしてにこりと微笑んだ。「岩融なら出るのではないか?」 誰や。
もしや女子なのだろうか、とうっすら細い瞳でそこらを見回したが、周りのざわつきから発するに、やはり男子らしい。な、なんで……? という疑問が繰り返し聞こえる。うむうむ、と三日月さんは頷きながら、「あの立派な胸板なら、もしやと思ってな」 もしやちゃうわ。

どうしよう、三日月さんが話をするたびに、ツッコミがおいつかない。どうかあの白衣の人とか最初にもじもじしてた兼さんとか言われてた人でもまともそうな人なら誰でもいいから抱っこを変えてくれやしませんか、という主張をほぎゃってる間に、噂の岩融さんが立ち上がった。想像以上にでかかった。名前の通り、岩みたいにズンとしている。そして確かに立派な胸板だ。「う、うむう。母乳か……さすがの俺でも……試したことはない」 無理だよねえ。「しかし試してみる価値はあるなァ!!!」 ねーよ!

多分それ出ても雄っぱいだよもうやだ! やいのやいのと身体がくるくると周り運ばれ、雄っぱいを目の前にした。やだ。「さあ、飲むのだ!」 出ないし。出てたまるかですし。こぼれもしない涙を必死に流そうとして、無理やり口にふくまれそうになる突起から必死にガードした。「ほっぎゃーー!!!!」「はっは、喜んでおるなあ」「絶対違うから今すぐやめろ!!!!」


***


やっぱりあの白衣の少年は私の味方であった。小さな身体で必死の抵抗を手伝ってくれ、現在ミルクを確保することができた。味はめっちゃ薄い牛乳でした。
とにかくあの場所には子ども用の飲み物がないとかで、人語を解す狐がその場に呼ばれ、あれやこれやという間に現し世からの輸入を行い、粉ミルクをゲットすることができたらしい。現し世ってなんぞやと思いながら、こっちに飛ばされる前の世界と勝手に仮定した。世界とか超えちゃってる系トリップね、と理解したが、多分間違ってないだろう。だって狐が喋ってたし。

一緒にもらった哺乳瓶でンッキュンッキュとミルクを飲みながら、焦る人語の狐を横目で見る。人間を育てるとは一体、とか、でも元の場所には戻れないから仕方ない、とか。男の人達に丸め込まれる方向性のようで、前の前の世界と言えばいいのか、元気に喋って動いてたときに戻れないのならば、別に今更なんだっていい。とりあえず真面目に子育てしてくれれば。ミルクありがとうございます。

「ふ、ふむう。赤子とは……なかなか難しいのだな……?」
「人間の子どもなんて、たくさん見てきたんだけど……こんなに難しいものなんだね……」
「注意点が、死ぬほど多いな」

俺は潰してしまうかもしれん、と私に雄っぱいを飲ませようとしていた大きい人は、岩融は近づかない方がいいだろうね、と眼帯の人に突っ込まれていた。
白衣の少年のお膝に入りながら、むっちゅむっちゅと哺乳瓶で頑張る。この人が作ったミルクなら信用できる、と頑張るけどすごく飲みづらい。苦しい疲れた。「お、腹はいっぱいか?」 ぼちぼちです、と返事する体力もなく、ぐったりする。休憩がてらに膝の上から、男の人達がぎゅうぎゅうに円陣を組んで話し合っている姿を見つめる。真ん中には、一冊の本が置かれていた。育児本である。ミルクと一緒に、ご参考までに、としゃべる狐が置いていったのだ。できる狐だ。

ああでもない、こうでもない、と男の人達が一冊の本を奪い合って、わちゃわちゃと話し合っている。「ふむ……妊娠中の注意点……」「三日月殿、そこはおそらく関係のない項目では」「おお、そうか。ふむ、なるほど。挿絵が多いのう」「わかりやすくていいじゃない」

俺はこっちの方が見やすいな、と言う蛍丸少年に目を向けて、またもっかいミルクを踏ん張る。「お、まだ飲むのか」 ンッキュンッキュ。「ん? 産まれたばかりの子どもは、三時間ごとに、みるく、をやると……?」 吹き出しそうになった。

みるく? と三日月さんが首をかしげる。三時間ごと。この作業を三時間ごと。深夜も昼間も関係なく、三時間ごとこの作業を。地獄かよ。しかし赤ちゃんなら仕方ないなあ、出されるものをそのまま口にいれてあげるよ。「ところで三時間とは? 時辰ではないようだな」 江戸時代かよ!? ここどこよ!? その育児書どこまで役に立つのっていうか読めるのにそこはわからないのかよ!?


とにかく最初の頃は必死にお腹をへったと主張をした。主に薬研さんや一期一振さんのように、しっかりした人を捕まえ彼らにミルクを作ってもらい、もろもろのお世話も多くの刀剣達に手伝ってもらい、私はすくすくと大きくなった。それでもやはり、ずっと一緒にいるのは三日月さんだ。お世話に関しては不安が残るが、一番に面倒を見てくれたのは彼だ。「娘よ」と、三日月さんは私を呼んで、私は「だあ」と返事をした。そんな彼も、最近ちょっとした悩みがあるらしい。


「小狐丸、珍しく、俺は少々悩んでいるのだがな」
「自分で珍しくと言ってしまいますか」

うむうむ、と私を膝に抱えたまま、三日月さんは縁側で池を見つめる。手のひらはやわやわと優しく頭を撫でていた。「この娘がな。人であることを、いつ本人に伝えるべきかと」 そして俺の娘ではないことを。「そうですなあ……」

初めから言うべきか、それとも後に告げるべきか。頷きながらも答えは出ない。でもごめん、現在進行系で聞いております。申し訳ない。
それ、悩むだけ損やで! と主張することもできず、ふんぬふんぬと膝の中で暴れてみた。普段からの運動は重要だ。筋肉を鍛え上げ、すばやく移動することが目下の予定である。
この本丸の中でも年長者であるらしい彼らがうんうん思案している間私は三日月さんの裾を引っ張った。「……んむ? どうした、娘よ」
「三日月殿、今更ではありまするが、娘に名が必要では?」
「名前などいるのか」
「我々にもありまする」

確かに、と三日月さんは納得しているけど、ほんとに今更だ。「しかし、名か。また考えることが増えてしまったな」 ふむう、と大きな身体を二人並べて縁側でぼんやりする。そして私が再度三日月さんの服をひっぱる。「んにゃ」「おお、よだれが」 今ならいける気がした。「んあーあ!」「「立った!?」」

私が素晴らしきかな、クララを行った瞬間、彼らは目を点にした。そして代わる代わるに私の腕の下にてを突っ込み、「娘よ! 偉いではないか!」「さすが我らの娘でござりまするなあ!」 爆褒めされた。


かくして、私は刀剣たちの娘となり、その事実を伝えようとする思案する彼らと、うまい具合にタイミングよく気づいたふりをしようとお互いに画策が、まさか十数年も続くことになるとは、このときは思ってもいなかったのである。

「ん、あう、パパあ!」
「喋ったぞ小狐丸! しかしぱぱとは一体なんだ?」
「私にもわかりませぬが、若いものならわかるかもしれませぬなあ」
「なるほどなるほど。娘よ、ぱぱを探しに行くぞ!」


2018.09.28
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