Cultus

少年は禁断の果実を食べた。

赤くみずみずしく光る果実に、ただ手を伸ばした。滑り落ちそうな枝に、足を固定させぐうと手を伸ばす。気のせいかその果実は薄く、光のヴェールを帯びているようで、瞬きをするごとに姿を変えた。
ぐう、手を伸ばす。人差し指の爪が、微かにそれへと触れた。ちり、と電流がはしったような感覚に、彼は反射的に大きく手を伸ばした。彼がその果実をもぎとるよりも先に、ぷつりと枝から放れ、手の中に吸い込まれる。

そして彼は、己の手のひらへと入り込んだ果実を、じぃと見詰めた。どうすればいいのか。それはほぼ本能によって理解していた。大きく口を広げる。だらけた舌が舐めるように動き、まだ生えそろわぬ前歯が口腔の中で白くなめるように光る。
しゃくり。

小さな音。







はただの少年だった。正確にいえば少年と青年の狭間を迷う一人の人間。人の良さそうな笑みを口元に貼り付け、踏むステップに、手に持つ盆の中身がちゃぷちゃぷと揺れる。コーンスープが、自分の服にひっかかりそうになりながら、喧噪の中を優雅に歩く。

規則的に並べられた長方形の椅子へと腰を乗せ、にーっと口元に笑みを貼り付ける。腹が減っているらしい。フォークを持ちながら少々行儀悪く付け合わせのコップについたストローの中身をじゅるじゅると啜る。
何気なく見渡したときに、気のせいだろうか、自分が座り席の辺りが、ぽっかりと開いている事に気づいた。「む」ストローをガジリと噛みこんだものだから、少々発音が悪い。

「んっ、んっ」 もっかい噛む。がじがじ

その視線をぐるりと回しながら、丁度右半分へと映ったときに、黒髪の、自分と同じ程度であろう少年が見えた。高い位置でくくったポニーテールと、どちらかといえば線の細い身体に、少女かと勘違いしてしまいそうなのだが、はきっちりと彼の名前も、性格も知っている。

「ヤー、カンダ。この席座っていーい?」

きわめて朗らかに。パタパタと手を振りながら、口元でストローをぴろぴろと遊ばせて。
いつもと変わらずずるずるとそばを啜り込むジャパニーズ。「アア?」 彼は喉の奥から低い声を唸らせた。もう座ってんじゃねぇかテメェ。神田はそういいたいらしい。わざとなのか何なのか、はワンテンポ送らせてその事実に気づき、「ヤァヤァ」とわざとらしく手のひらをバタバタとさせながら、サラダの中にぽつりと居座る赤いトマトをフォークですくい、遊ばせた。


「お久しぶりだねぇカンダ。イツブリ? コナイダブリ? ブリブリブリブーリ?」

へらへらと笑いながら神田の気を惹こうとしているのか、わざとらしくテンションをあげるのだけれど、彼は淡々とそばを啜り込んだ。ついこないだまではちょっと騒がしくしてやれば、黙れコノヤロウと首もとに剣先をつっつくくらいのスキンシップをしてくれたのだが、そろそろそれも飽きてきたらしい。
はちょっと残念だなぁ、と考えたけれど、神田に会う事は久しぶりなので、お話を続ける事にした。かなり一方的に。


「マァマァ神田、語り合おうじゃないの。僕と神田が出会うなんてくるくる地球は回っているけれども、このエクソシスト総本部、黒の教団の中じゃー超珍しいよ、ドッキリだよー。だって僕らは各地を飛び回っている訳じゃあないか!」

ぱんっとは手を打った。お互い忙しいよネ! と彼が発言した瞬間、しゅるりと短い風が襲った。正確にいえば、少々違う。人為的に起こされた、小さな小規模な風。それは黒い影を宿し、正確にの喉もとを付いた      と、思われたのだが、その直前でピタリと止まる。


「お前と俺を一緒にすんな、クズが」

突き出された刀は、鞘も何もありはしない。鞘が刀身であり、刀身が鞘なのだ。神田その本人の声を行為によって、するりと鞘は抜け落ちる、刀のようなモノ。
それは彼が、エクソシストと呼ばれる、アクマを刈り取る神の使徒であるという事を示していた。

彼が一つその気になれば、の首もとは赤い血だまりへと代わり、彼の喉は声を発する事もなく切り裂かれるであろう。その事はは知っているし、理解している。そして同時に、神田自身が、エクソシストでも有りはしない、ただの人間である自分へと本気でその武器を向ける事はないと理解しているのだ。


は探索部隊の証ともいえる、だぼついたフードが頭からずぼりとずり落ちた事を知った。一瞬の静寂に満ちた食堂の中で、変わらない笑みを、にいい、と浮かべ、神田を見下ろした。そして口を開く。

      ゴメン、調子に乗っちゃった!」

土下座でもするかのような勢いで、彼は潔く謝った。
神田はチ、と短く舌打ちをすると、の首もとから刀を取り、食べ終えたトレーの中身を持ちながら、腰を上げ、彼を振り返る事もなく歩き去る。


アッハァ、と笑いながら、も勢いよく美味そうに湯気を立てるメシを平らげ、すっかりと片づいた食器を持ち、厨房で働く彼らの元へと足を伸ばす。
体つきのいい男性が、「アラん」と首を傾げる。その口調と見かけが中々にミスマッチなのだが、それはそれでありなんじゃあないだろうかと思わせる魅力が彼にはあった。「ジェリーさんごっそさーん!」「はいはいお粗末様」

にーっと笑うの表情をジェリーは見詰め、「あんた毎回毎回よくつっかかるわねぇ」と呆れたように口を開く。
自身、それはちょっと理解していた。なんとなく、は神田の事が好きなのだ。もちろん友情としてなのだが、あの黒猫のような一匹狼に、ついついちょっかいを出してみたくなる自分がいる。
照れたように「いやぁ」と笑うを見て、「褒めてるんじゃないわよん」とジェリーは即座に言い放った。「いやぁ」それでも何故か彼は照れたような仕草。
何だかピントが他の人間とずれているらしい。


丁度そのとき、カウンターにのっかった一本の花が、元気がなさそうにしぼんでいる事には気づいた。「んんー?」 鼻先をその赤い花弁へと寄せ、くんくんと匂いをかく。
「何わんちゃんみたいな事してるのよ」とジェリーはまた呆れた口調だ。

ちょいちょいとはその花の、柔らかい黄緑色をした葉へと、手を伸ばした。


「ジェリーさん、この子、もうちょっと光が欲しいっていってるよ」

まるで花の言葉を代弁しているように胸をはる少年に、一瞬ぽかんと口を開けた後、ジェリーは耐えきれず、ぷう、と肩を震わせる。
「まるで花の言葉が分かるみたいねぇ」
「分かるよー、植物はみーんな喋ってるのサ。ほらほらジェリーさんも耳を澄ませてみせてぇ」
「あらやだこの子は」


一体何処まで本気なのか。
ケラケラと冗談ぶったように彼は笑い、ちょいちょいと茎を指でさすった。すると、力なくしおれていたその花が、静かに腰を上げたようにゆっくりと動く。まるでへと返事をするかのように、風もないその空間で、花弁を揺らす。
そのことは、ジェリーでさえも気づかなかった。ただだけが、にぃ、と口の端をつり上げ、嬉しそうに微笑んでいた。


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2008.11.03